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The Hole  作者: 黒漆
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穢穴の記憶

 僕は子供の頃から炎が好きだった。焚き火の前で何時間も飽きずに、炎の動きを見ていられた。

 何故だろう、あの風に吹かれて炎の尾先が躍り狂う様子、どこか神々しくて、魅力的で僕の心を虜にしてしまうんだ。

 幼い僕は、燃やせるあらゆるものに興味を持ち、マッチ棒でやぐらを作って燃やしたり、カラーの広告用紙に火を点け、青や緑の不思議な炎の色に見とれたりしていたものだった。

 やがて大人になるにつれ、危険だという理由から止められ、僕は炎の魅力を忘れていた、彼女が僕の親友と浮気をするまでは。


 僕はそれが原因となり引き起こされた大喧嘩で彼女と別れた。彼女は僕の親友と今も付き合っている。

 やりきれない僕は銀行からあるだけの貯金を下ろし、準備を整えると彼女と親友が移り住んだ部屋に火をつけた。

 今考えれば馬鹿なことをしたものだ、簡単に犯行がわかってしまうのに。

 その時の僕は怒りに突き動かされて後先考えず、気がついたら灯油をまき、火をつけていた。けれども、後にわかったことだけれど、二人とも死なずに済んだらしい。

 軽率な行動で誰も死ななくて良かった、そうも思ったけれど、今では僕は犯罪者だ。そうして僕は慣れ親しんだ街を離れ、見たこともない新しい土地での生活を余儀なくされた。


 うらぶれた人間に相応しい街並み、都会から離れた片田舎。僕の住処すみかはそんな、ひっそりと佇む住宅街の外れの、坂の上にあった。古臭い集合住宅で月の家賃も安価な場所だ。裏手には藪が控えていて、申し訳程度の森が影を作っている。そんな外観からも想像するに易い家賃で、大家の入居審査もさほど厳しくなく、簡単に入ることができた。

 仕事は簡単な審査で済む、荷物運びや派遣業アルバイトをしていた。

 辛いのは交通の便があまりよくなく、帰る際にきつい坂道を登らされるくらいか、けれども贅沢は言っていられない。

 何も悪いことばかりじゃない。窓から見える景色も街全体が見渡せ、森林が近いせいか空気も悪くなかった。

 近所の付き合いも、住民が皆あまり関わりを重視しない人達だから気楽なものだ。

 きっと訳有りな人が多いのだろう。お互いに気を張ることもなく、挨拶の必要もない、少し寂しい気もするけれど、今はそれがありがたかった。

 何も問題はない、順調だ。けれど、ひとつだけ気にかかるものがあった。

 気が惹かれると言った方が正しいのかもしれない。


 部屋の窓から見えるゴミの山だ。

 坂の下、丘の窪みにあるゴミの山、下からは確認できないけれど、この部屋からは景色の端に少しだけゴミの姿が見える。

 興味本位で大家さんに詳細を確かめたところ、もとは穴だったらしい。

 詳しく聞きたかったのだけれど、大家さんには、どうも触れられたくない話題らしく、「そんなの気にしても良いことない」と言葉を濁されてしまった。

 遠距離からなのであまり詳しくはわからないけれど、穴を確認できないほどのゴミだらけで、酷い有様だ。

 誰も市や街に苦情を入れないのかと聞くと、「誰もが面倒くさがって入れないのさ、苦情を入れたら関わらなきゃならないだろう、面倒ごとは誰でも嫌なんだよ」と、再び曖昧に誤魔化されてしまう。

 僕はそんなものかと思ったけれど、どうにも気になってしまい。もしかしたらあのゴミ山に掘り出し物があるんじゃないかと、休日を使い探ってみることにした。


 長い坂を下って草だらけの平地を超えると立看板とゴミの山が見えてくる。

 看板には立入禁止の文字があるが、正直誰も守っているようには思えない。

 近づいてみると、ゴミの全容が見えてきた。僕は足が凍りついてしまい、ゴミに近づけなかった。

 有りたいて言えば怖気付おじけづいたんだ。


 ゴミは卒塔婆や頭の欠けた地蔵、焦げ茶がかった包帯に髪の束、どれもこれもがなんだか常軌を逸しているようなものばかりで、あまりに日常からかけ離れた光景に目を疑うほどだった。激しい異臭を心配していたけれど、近づいてみると、何故か抹香と柑橘入り交じった例えようのない香りが鼻をくすぐった。

 雑に積み上げられたそれらの隙間から、少しだけ向うが覗ける。

 どうやら端側が高く積み上げてあるらしく、中心は窪になっているようだった。


 気を取り直して近づき、立ち止まって眺めていると、突然がらりと積み上げられた木屑が崩れる。そこから山を越えて人が姿を現した。予期せぬ登場に僕は唖然として男を見上げていた。

 彼は四十代位の痩躯の男性で、汚れた作業着を身に付け、メガネを掛け、どこか不健康そうに頬がこけていた。しかし、髪は妙に小ざっぱりとして整えられている。

 手をついて山を這い上がり、こちら側に滑り降りると、何か手帳のようなものを眺めながらも、こちらに気がついていないのか、わかってそうしているのか、僕の脇をそのまま通り過ぎようとする。

 僕ははっとして「すいません」と声をかけて彼の足を止めさせる。


 彼は声をかけられて、僕に初めて気がついたようにやや驚いた面持ちで、「おや、ここにあなたも何か捨てに来たんですか」と逆に聞いてきた。

 僕はそこから僅かに見えるアパートを指さし、「いえ、僕はあの坂の上に住んでいるんですけど、このゴミの山が気になって、少し見に来たんです」と、正直に答える。ぬるい風が彼の髪を僅かにかきあげ、僕の体を撫でた。

 彼は「はあ、成程」と生返事をすると、無言で手帳を開いて指差し、「どうですか」と僕に見せる。

 突然の行動に困惑するが、丁度気になり始めていたので勧められるまま、少し覗いてみることにした。文字は癖があり、大きさに散らばりがあるのに、妙になぜか読みやすかった。文字に目を落とすと、不意に眩しかった陽の光が陰ってしまった時のように、あたりの明るさが一段落ちた気がした。



 私だってあのままにしておくつもりなんて、これっぽっちも無かったんですよ。でもね、先方の会社さんが、そうだ、砕石工業のね。

 このへんの土地は少し土を掘れば石がごろごろでますから、それで土地を掘り下げて石を取る、いくらか金をやるからそれをやらせてくれって言われまして。

 どちらにせよ空いた土地だったから、私も二つ返事で良いですよって了承しましてね。ところが穴を掘ったはいいが、先方の企業のお偉いさん、行方をくらましちまいましてね。

 ちゃんとした会社だったんですが、なんでも社長さんが失踪なさったとか、そんなことはどうでもいいんです。

 ただ、このでかく空いた穴をどうしてくれるのかと、だから会社のいざこざが落ち着くまで待って欲しいと言われて、仕方なく穴を放置していたんだ。

 こっちだっていい迷惑なんですよ。


 ああ、あの穴ね。最初はショベルカーなどの重機やトラックなんかが出入りしていましたね。

 でもいつの頃からそれもなくなって静かになって、結構深い穴でしたよ。

 私も少し気になって、覗いたことがあるんです。

 実は近所に畑がありましてね、その日は偶々、時間が空いたので穴の様子を見に行ったのです。

 そのままなんて危ないんじゃないかってそう思いまして。

 そうしたら穴の底に人形が捨てられていまして、始めは死体ではないかなんて焦りました。

 近くまで寄ってみるとマネキンから小さな人形まで様々なものでした。それが、どれもまともな形をしてないんです。

 手がなかったり、目に針が刺さっていたり。

 それ以来気味が悪くて近づいていなかったんですが、そうですね。

 まさかそこまで酷いことになっているとは。



 男の手帳には何かの質問に対する、何者かの答えがメモされていた。

 「これって、もしかしてこの山の」

 僕がこのゴミの山の情報なのかと思い、ついそう口を滑らせると「ええ、そうです。私はフリーライターでして、取材しているんです。どうです、気味の悪い山でしょう。これが少しづつ、日に日に大きさが増しているんですよ」と相槌を入れる。

 「なんでそんな事をしようと思ったんですか」僕は流れに乗じて聞いてしまう。

 「それはですね、ライターなりの好奇心です。中々ないでしょう、こんな綴りがいのある話は。誰も近づきたがらない山に何故ゴミが増えるのか、その上、曰くのありそうなものばかり」

 彼はそう言い、メガネをずらすとページを捲り、再び僕に先を読めと促す。風もないのに不思議なことに男の髪がゆらゆらと揺れたように見えた。

 なんだか、騙されている気もするけれど、流れが面白く、断る理由はその時の僕にはなかった。



 私が捨てたのは人形、何ていうか、昔からちょっと変わった癖があって、何か嫌なことがあると人形にあたるの。

 例えば友達と喧嘩になったりとか、職場で上司に怒られたりとかしたときにね。

 人形にその苛立ちをぶつけるのよ。

 小さいときは小さな人形で良かったんだけど、大きくなるにつれ物足りなくなっちゃって。

 大きな物ほど腕をもぎ取ったり、胴に包丁を指してみたりすると、結構すっきりするの、試してみて。

 それで拾ったり買ったりで増やしていったんだけどね。でもこんなの捨てられないじゃない、なんだか変な目で見られそうで、それで、あの穴を見つけて、腐りかけの野菜なんかが捨ててあってね。

 この感じならきっとバレないと思って捨てたの。

 おかげですっきりした。今はその癖もなんとか抑えられているの。

 あの穴ね、私が初めて行ったときは何もなかったんだけど、人形を捨ててから数日後様子を見に行ったの。

 そうしたら人形の他に大量の本が捨てられていてね。

 少し気になったものだから中を覗いてみたのよ。

 頭のおかしい人って怖いよね。もう、二度と見たくない。


 ええ、あの穴のことでしょう。中々良い場所です。

 僕は何というか、大人しい人間なんです。協調性を優先して誰とも争わない、そんな生き方ができたら幸せだと思っているような。

 でも難しいですよね、どんな場所にいても少なからず衝突はあるものですから。

 それに思いどうりにいかないことも多いですし。

 そういった不満を簡単にぶちまけられればこんな苦労はしなかったんですけど。

 僕はノートに向けてストレスを発散していたんです。

 気持ちが収まるまでノートに、例えば死ねって文字を書き続けるなんてことをしていると、全てが僕の届く場所にある、そう思えるんです。

 長い間のことですから、随分とそのノートが貯まっていたんですけど、あの穴で捨てられている人形を見つけて、これなら大丈夫じゃないかって、そう思ったんです。

 それで僕のストレス帳を全てあの穴の中に捨ててきたんです。

 現状を見るとあそこまでいくとは、僕の時点では到底想像できませんでしたけど。

 そうですね、僕のノートを捨ててから数日後、仏壇が捨てられていましたよ。

 それでも僕はあの場所が好きです。僕以外にも似た人がいるんだって思うと安心するんです。



 なんだか気味の悪い人達の話だ。読み進むにつれて異常な空気が漂い始めた。

 「どうです、面白いでしょう。何故か彼らは誘われるようにこの穴に来るんですよ、何か共通の繋がりがあるようだ」

 抑揚のない声、彼の表情のない顔が、なぜか笑っているように見えた。

 「でも、こんなこと簡単に話してくれるんですか、中々人には話せないことなのに」

 僕だったらまず話さないだろうと思い、口にすると「それは私にも、わかりかねます。まあ、身元を割り出すような情報は聞き出しません。名前は伏せておりますから、しかし、何故かここで彼らに会うと饒舌になるんですよ。こちらから取材に行っても口を閉ざしてしまうのに」

 そう返答して、再びページを捲り、手帳を僕に手渡した。

 何かおかしい、そう思いつつ何故か断れず、僕の目は手帳の文字に釘付けになる。



 私は夫の両親が大嫌いで、二人とも死んでせいせいしてますよ。

 同居時代はほんとうに毎日が嫌で嫌で、ちょっとしたことにすぐに口出しするの、まだ汚れていますよ、醤油を使いすぎでしょう、勿体ない、しっかりしなさい、ぐちぐちぐちぐち、馬鹿じゃないのって。

 夫は単身赴任で家に居ないから良いんでしょうけど私は一日中あの人たちと我慢しながら生活していたんだから。

 死んだ時はやっと開放されたって喜んだものよ。でも、それでも私の気持ちが収まらないから、仏壇ごと位牌を捨ててやったの。

 夫には秘密だけど、きっとなんとかなるわ。だってチャンスは今しかない気がしたの。

 あの穴ってそういう場所なんでしょう。一目見た時からそう思ってた。

 そうね、私も気になって後で見に行ったのだけど、車が捨てられていて仏壇が押しつぶされてたわ。

 正直良いきみだと思った。


 こっちが悪いっていうのかい、知らないのそんなのは。

 売れない車なんて持っていても仕方ないだろう。

 事故車ってのは厄介だよ、どうにも対処のしようのないものが世の中にはあるってことだろうね。

 つてでどうしても潰せない車があるって言うから、それを格安でうちが引き取ったのがまずかった。

 問題の事故車ってのが、飲酒運転でハンドルを誤って切ったトラックが自家用車に当てたってもんなんだけど、当てた場所が悪かったんだな。

 高速だったから、ひっくり返った自家用車は大変なことになったと。

 でも不思議なことに車の被害は大したことなかったんだ。

 まあ、中に乗っていた人間はだめだったんだがね。

 どうにもならない車ってのが世の中にはあるんだ。

 生臭さがどうやっても取れない、エンジンに髪が入り込む。

 売ってもすぐにオーナーが引き取ってくれと泣き言を入れる。

 潰そうにも潰そうとすると不幸が起きる、だからさ。

 あの穴を知ったときは本当にありがたいと思ったよ。

 仏壇やら人形やらが捨ててあってそれ系の臭いがしていたから、惹かれるっていうのかね、あの穴の中ならこの車も納得してくれるんじゃないかと、一目見てね。

 だから、ナンバー外して捨ててきたんだ。思ったとおりなんともなかったよ。

 そうだな、そのあと行った時には墓石捨てられてた。

 そんなもん捨てるなんて頭がおかしいんじゃないかと思ったが、まあこっちが言えた義理じゃあないか。



 「そうそう、これは本当は並びがばらばらだったんです。後で私が時列を整えて繋がるように並び替えたんですがね。私が発見した頃には既に穴の大部分が埋まっていましたから。不思議なのは、彼らは必ず一人でやってくることです。多い人になると数回に分けて何かを持ってくるのですが、どういうわけか他の方と重ならない。私以外にはね、会うことがないんです」

 文字の上に目を滑らせていると、彼はそう耳打ちする。

 気が付けば傍らに立って肩越しに手帳を覗き見ていた。

 気味が悪い、それなのに既に読むことを止められなかった、この先が知りたかった。

 いったい何人がこの穴に物を捨てているんだろう。



 何でも屋やってると、どうしても処理できないもんができるんだよ。

 あの穴の前を通ったのは偶々だったんだ、一見しただけでありゃあヤバイって思ったもんだ。

 こちらは主にクリーニングだね。自殺者の後始末だとか、墓石の移しだとか色々だよ。

 こんな時代だから贅沢は言っていられないわな。

 だから人がやりたがらない仕事で食ってる。それなら食いっぱぐれは無いからな。

 死体の扱いも最初はキツイが慣れりゃ大したことないよ。

 なれる前におかしくなっちまう奴もいるがね。

 なに、ウチらが死体自体を片付ける訳じゃない、それは警察の仕事、こちらは後始末さ。

 まあ、腐り方次第ではキツイが、冬はいいが夏はつらいね。

 それより穴の話だな、そうだよ墓石捨てたのはこちらさ。

 なんて言うんだろう、ある地主の以来で、家の庭から声がするから掘ってくれって依頼されてね。

 掘るだけで報酬もらえるならそんな楽な仕事は無いと飛びついたんだけれども、重機倒れたりろくなもんじゃない。

 それに出てきたのがまずいもんだった。墓石だよ、勿論戒名なんかは全く読めやしなかったんだけど、そいつが産廃じゃあ済まないからな。

 髪や爪、腐敗で溶けかかった木や畳は産廃で処分できるんだけども、墓石となると処理しろと言われてもできない。

 普段なら持ち主に何とかしてもらうんだが、その時にふとあの穴のことを思い出したんだな。

 丁度いいし、あそこに捨てちまおうと。

 いや、悪かったと思うよ、今じゃあね。でもまあ、仕方ないわな。

 あそこに墓石あっても違和感ないでしょう。

 これだってこちらが言わなきゃ知られなかった、でもなんでだろうな。

 最近になって誰かに話したくて仕方なかったんだ、なんだろうなあこりゃあ。

 うん、その後のことは、何日か後に覗いたらブルーシートが捨てられていた。

 職業柄嫌な予感がしたんだが、あれさ、腐敗の臭い。

 ああでも、それは以前からしていたかな、どうだろう。

 まあ、厄介事は勘弁だから知らぬ存ぜぬで通しちまった。


 ああ、なんだって。知らねえよ。

 俺はただ眠りたかっただけだ。近所の糞がわんわんわんわん煩くて、全然眠れやしない、少しはこっちのことを考えろってんだ。

 俺は肉体労働が仕事なんだ、いわゆる土木商売。

 朝方出てって、夜疲れ果てて、寝入ろうとする瞬間にあの糞が計ったみたいに鳴くんだよ、毎日毎日煩くてかなわない。

 だから絞め殺してやったんだ。

 少し仕事を早く切り上げさせて貰ってな、片っ端から近所の騒がしい奴らを殺してやった。ブルーシート、知らねえな。

 俺は奴らを穴に捨てただけだ。俺の後に誰かがかけたんじゃねえの。今は良い、静かなもんだ。やっとゆっくり眠れるよ。


 ブルーシートですか、かけたのは私です。

 私、家のアイが殺されるのを黙ってみているしかなかった。

 アイは私の家の子で、変な声に気がついて様子を見ていたんです。

 でも、あの男の人が怖くて、呆然としているしかなかった。

 我に返ってあの男をつけて、あの子の亡骸を探しに行ったんだけど、あの穴、凄いですよね。

 あの子の亡骸を見たら、何故か持って帰れない、このままにしておかなきゃってそう思えてしまって、でも可哀相でしょう。

 だから私、シートをかけてあげることにしたの。他の子達と仲良くできるそんな気がして。

 え、その後ですか、木像がシートの上に寝かされていました。

 丁度寂しくなくていいんじゃないかしら。


 記憶しているのはそこまでで、それ以外にも何人もの記録を読んだ気がする、けれども思い出せない。

 流れるように文字が目の中で踊った。白紙のページに突き当たるまでを読み終えると僕は無意識に手帳を閉じた。

 あっという間に全てを読み終えてしまったと思っていたのに、既に数時間が過ぎていたようで付近は既に暗くなり始めていた。

 不意に僕の隣にまだ手帳の持ち主の彼が居ることを知って、「すみません、熱中してしまって」と頭を下げると。彼はそっと手帳を僕と手から取り上げ、「ここに来たということはあなたも何か捨てたい物があるのでしょう、どうです、また来られては」と言い残して、僕の肩を二度ほど叩き、体を大きく左右に揺らしながら、ゆっくりと丘を越えて消えていった。

 僕はなんだか悪い夢でも見終えた時のような後味の悪さを感じながら、暫くそこに直立していた。


 日が落ちる前に家に戻った後、僕は迷っていた。あのゴミの山に再び行くべきか、それとも無視すべきか、あのゴミ山の中心を見てみたいという気持ちと、見たら何かが変わってしまうんじゃないかという恐ろしさ。

 僕は後日、バイトを一日だけ休み、市の図書館で何かわかるのではと、向かってみた。

 捕まる恐れもあるかもしれない、しかし、いずれにしろ通らなければならない道だ。挙動を抑えればなんてことはない、そう信じて僕は興味に従った。


 市の図書館は思ったほど人は多くなく安心した。けれど、調べてみたものの、これといってあの土地に関わるような本はなく、無駄足だったと後悔し始めている。最後に仕方なく、図書の若い男性の受付に雑談と混ぜてそれとなく聞いてみた。

 彼は「ああ、あの場所は、穴を掘り下げた時、大量に人骨が出てね。それが、戦時中の物とわかったんだけど、それ以来誰も関わりたがらなくて。今じゃどうなってるか」と、妙に面白そうな面持ちで教えてくれた。なんだか現状を知っているだけに、余計に曰くを感じてしまう。彼はどうやらその手の話が好みのようで、他愛の無い怪談なども聞いてもいないのに聞かされてしまった。

 話が終わると、彼は満足したのか、途端に「そういえばその記事、新聞のバックナンバーに載っていますよ。気になるならどうぞ」と興味を失ったように僕に進めた。僕はその新聞記事を見て、新たな事実を知った。


 僕は自分の部屋に帰ると、未練がましく持っていた彼女との思い出の品々を抱え、あのゴミの山へと向かった。

 好奇心と恐怖、寂しさと期待感、それぞれが複雑に絡み合って僕を動かしていた。


 山までつくと僕は抱えた物を置き、すぐに瓦礫にしがみつく、昨日のような恐怖は今はなかった、彼はいるだろうか、昨日、ライターを名乗った彼は。

 僕はどうしても彼に聞きたい事があった。

 やがて積み上がった瓦礫の頂上に手をかけると、そこで僕は動けなくなってしまった。

 本当に超えていいのだろうか、この奥には何か言葉にならないものの気配がある、果たして僕はそれと対峙してまともでいられるだろうか。

 僕は、再び怖気付いた。瓦礫から降りると、彼女との思い出を瓦礫の向うに放り投げる。

 未だに決別できない自分の弱さから別れるために。

 全てを投げ捨てると、突然僕の中で大きなうねりが生まれた、それは唐突で圧倒的な、彼女に対する恨み、僕を裏切った親友に対する妬み、身を捩るほどの嫉妬が混じり合った黒い炎で爆発的に燃え広がり僕を突き動かす。

 目の前が赤くなり、気が付けばゴミ山が燃えていた。


 風もないのに、赤はまたたく間に広がってゆく。炎が生き物のように蠢いていた。

 断末魔のような声をあげて積み上げられた物達が崩れ落ちる。

 散り散りに赤やオレンジ、黄の火の粉が舞いあがり、夜の暗さに色を与えた。

 黒い煙が棚引いて夜の空をより深い闇に変えてゆく、山がざわめいた、様々なものが擦れ合う音が一度に起こり、外側のゴミの壁が中央の窪みに一挙に吸い込まれていく。

 どす黒い粉煙が立ち上がり、目に映らない空気の層が僕の体を押した。

 滲んだ汗が頬を滑る、僕は即座に踵を返すと走ってその場を離れた。

 背中から服をつかまれるように熱気がまとわりつく、振り返れない、振り返っては駄目だ。

 僕は全力で走りきり、遠い耳鳴りがやがて鼓膜の奥で静かに消えると、燃えろ、燃えてしまえと心の中でひたすらに叫んでいた。

 

 彼は砕石工業所の社長だった。

 新聞に載っていた行方不明の社長、この程見たよりも血色がよさそうだったけれど、特徴のある髪は同一だった。

 僕にはなぜ彼がフリーライターを名乗っていたのかわからない。

 それが知りたくて、なぜあんなことをしていたのかが聴きたくて、あの穴に向かったのに。

 ゴミの山は綺麗に燃えて、いまでは巨大な穴になっていた。

 穴の端が僕の部屋からも見える。日が経つにつれ、あの穴の話題は大きさを増していった。

 何故か、穴から沢山の死体が見つかったからだ。

 そして、次々に犯人が白日の下に晒されていく、誰も彼もが杜撰ずさんな計画で人を殺していたのにこれまで発覚せずにいた。


 畑のいざこざで、隣家の独居老人を殺害し、穴に捨てた中年男性。

 同居していた彼を首を絞めて殺害し、体中に針を突き立てた若い女性。

 ストーカーの末に相手をさらい、その挙句殺害した男。

 旦那の両親を部屋に閉じ込め、餓死させて、仏壇に詰めて捨てた主婦。

 深夜の事故を隠蔽して、車ごと穴に捨てた男。

 作業中の事故を人目がなかった事を良いことに、行方不明に仕立て上げた男。

 夜中に外に出され泣いていた男の子を殺した男と、それを見ていながら助けず、殺されたことも秘密にしていた母親。


 そして僕も、必ず捕まるはずだ。

 あの日僕は、深夜彼女達の家に向かい、家に居た全ての人を殺し、火をつけた。

 彼女は穴に持ち帰り、穴の中に放り込んだ。ゴミの中心は黒いタールのような池ができていて、そこから突き出された何本もの薄汚れた腕が宙を掻いていた。

 覚えていない、そんな事をしたはずがないのに、後になって記憶が鮮明になっていった。

 現実なのか夢なのか、今ではもうわからない。

 何故そんなことをしたのか、そう聞かれても答えられない。

 きっとあの穴に引かれたんだ。そうとしか言えない。

 僕は捕まる前に何故か彼に会いたかった、フリーライターを名乗った元社長の彼に、全てをぶちまけてしまいたかった。

 あの手帳の片隅に僕の記録を残すために。


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