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The Hole  作者: 黒漆
13/13

心穴の見識

 コーヒーを頼んでお気に入りの小説を手にしながら、窓際の席に陣取る。ビルの五階に位置するこの喫茶店からは、街の人々の行き交う姿を、よく見ることができる。


 手提げ鞄を抱え、急いでいるのか人をかき分け走り抜けてゆくサラリーマン。妙に周りを気にして歩く、マスクをつけ、帽子を目深に被る女性。何に使うのか、大きな手荷物を汗を流しながら、苦労して運ぶ中年男性。

 何気ない日常の中ので、変わった瞬間を捉え、眺めながら休日を楽しむのが好きだった。

 店長とも顔なじみなので、長時間滞在も気にならない。元々、昼以外はそれ程賑わう店でもなかった。

 「今日も暇人だねえ、斎木は」

 店長は暇ができる度、私に気軽にそう話しかける。

 理由は以前、この店でアルバイトをしていたからだ。

 「暇じゃないですよ、こうして私は心を癒しているんです」

 私の言葉に鼻を鳴らして店長は「わかった、わかった。少し値段サービスするから、たまには高いものも頼んでくれよ」と、メニュー表を抜き、テーブルに置いて奥に下がっていった。

 金銭的に余裕があるわけじゃないと知っているくせに、そう思いながらも、たまには店の売上に貢献しなきゃなと、仕方なく笑ってパフェを注文した。

 スプーンを片手に、街を見下ろす。小さな人々がカラフルな流れを作って歩いてゆくさまは美しくさえあった。人それぞれの特色が、こうしてみると良くわかる。

 服装のセンスは地味か、奇抜か。肌は焼けているか、帽子は被っているか。靴は洋服と合っているか、髪型はどうだろう。そんな些細な違いを並べ立てるだけでも、私にとってはとても楽しい。

 店長はあまりいい趣味じゃないとは知りつつも、私に対しては寛容だった。かつて働いていた唯一のバイトが辞めてしまった今、たまには話し相手が必要なのかもしれない。

 この密かな楽しみに変化が訪れたのは、「そう言えばさ、最近斎木の事をじろじろ見てる奴がいるよ」と、店長から知られてからだった。

 「黒いスーツに黒いハット、紳士然としたオヤジだ。身なりもきっちりしている、おかしな人間には思えんから、もしかしたら、斎木の知り合いか親戚の方かと思ったんだ」そう知らされて、服装の特徴を聞いてもまるで覚えがなかった。

 私が「知りませんよそんな人。知り合いだとしても話しかけないのはおかしいし」と答えると、「そうだよな、なんにしても斎木、気を付けたほうがいい。今度現れたら教えてやるよ」と言ってくれた。

 私は気持ち悪いとは思いつつ、深くは考えていなかった。見ていたからといって、それが毎日行われていた訳ではないし、偶々という可能性が高い。けれども、数日後、その男は店長が気がつく前に、私に直接コンタクトを取ってきた。


 小雨降る春の日、普段と変わらない一日のことだった。

 私が窓際の席で街に注目していると、気配がしたので振り向いてみれば、丁度、男が対面の椅子に平然と座るところだった。

 確かに店長の指摘に間違いはなく、黒スーツにつばの短いストローハットをかぶっている。小太りで顔の皺が深く、壮年然としているのに、髭は染めているのかやけに黒く艷めいていた。

 「失礼します、あなた、以前から窓の外ばかり見ておられますね。お聞かせください。もしや、人の行動に興味がお有りなのではありませんか?」

 見ず知らずの人間に急にそんなことを問われても、どう答えたら良いかわからず詰まってしまう。

 「ええ、と。あなたはどちら様でしょうか?」

 私はとにかく、相手を知らなければと思い、咄嗟にそう答えた。

 妙な宗教にでも勧誘されているのだとしたら、面倒なことになりそうだ。

 「おっと、これは失礼」男性はハットを自然な形で外すと、テーブルの上に置き、胸ポケットから名刺を出して私の目前に置いた。帽子の下は豊富な白髪が隠されていた。

 人間性心理学博士 日野内 時貞

 そう書いてある名刺を見ても、私には彼が一体どんな人間なのか、何をしている人なのか全く予想がつかない。

 「あの、すいません。私にいったいどんな用事が」

 困惑顔でそう口を開くと、「これはすみませんね、まあ、肩書きについてはどうでも良いのです。ただ、あなたは何時も道行く人を眺めておられる。ですから、もしやと、そう思った次第です」と彼は私の目を見て真摯に答える。

「すみませんが、名刺の裏を見ていただけませんか」

 彼の指示に従い、裏を見ると、三文字のアルファベットが出鱈目に八つ並んでいた。AGA、KBL、ROQ、まるで無意味だ。

 「このうち一つを選ぶとしたらどれでしょう?」

 私はそう問われ、SADを選んだ。彼はそれを聞くと私を置いてけぼりにして一人納得いった風に頷く。

 不意にもしかして、責められているのではと気がついた。私は何にせよ、この趣味を認められてしまったらしい。普段見つめる側なので、見られていることには全く気がつかなかった。もしかしたら目立っていたのかもしれない。

 今更ながら少し自分の趣味を恥じた。

 「もしかして、迷惑でしたか。ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんです」

 「いえ、あなたの趣味を責めているわけでは無いのです。寧ろ大いに結構、もし、あなたのその趣味を役立てる機会と場所があるとしたら、どうでしょう?」

 謝ろうとする私を遮り、口には人懐こい笑を浮かばせて、さらに妙なことを言い始める。

 それってなんだろう、覗きだろうか、なんだか嫌な気配がするなと考えていると、

 「決してそれ程やましい仕事ではありませんよ。研究の一因としてあなたに指摘して欲しいことがあるのです」

 と考えを先回りしたように答える。でも、そんな仕事があるだろうか、私は道でカウンターを切っているアルバイトを思い浮かべた。

 「でも、それってどんな仕事なんですか? 具体的なことが全く想像できないのですけれど」

 彼は指を口の前に一本置いて、「大きな声では言えないのですが、監視のようなものです。ある場所で、自由に行動している団体のなかで、指示した特徴の認められる人間だけ記録して欲しいのです」と声を潜めた。

 ちょっと面白そうだな、そう思った私は話だけでも聞いてみようかと考えた。

 「少し面白そうなお話ですね。具体的にはどうすれば良いのでしょう」

 「ふむ、それに関しては実際に見てもらった方が早い、このあとに何か用事でもお有りでしょうか? なければ是非、私にお付き合い頂きたい」

 彼は指を弾いてぱちりと一度鳴らし、私に手をかざした。けれど、ついてゆくとなると一人ではどうも心配だ。

 「一人でなければ駄目ですか?」

 「ふむ、警戒はごもっとも。しかし、一人でなければならないのですよ、何分非公式な場なのでね。こうしましょう、本当は許されないのですが携帯機器の持ち込みを許可します。向かう場所はそう遠くない。大丈夫、大事には至ません。恐らくあなたのよく知った店であると思いますよ」

 私は少し考え、従うことに決めた。どちらにしても私みたいな変人に声をかける人間がそういるとは思えないし、お金も無ければ、容姿も良くない自分を巻き込んでも得られるものなんて無いと割り切ったからだ。

 正直なところ、少し刺激が欲しい、そういう気持ちもあった。

 彼は私の手を握り、立ち上がらせると、こちらですと、レシートを手に取り、「自分の分は、私が払います」と拒む私を振り切って、料金を払ってしまった。

 店長の心配そうな顔を振り切り、私は彼と歩いて指示された店に向かった。


 10分程歩いただろうか、本当に喫茶店からすぐの場所にその店はあった。

 繁華街のビル群に隠れるようにしてある、駐車場の脇に階段の降り口が覗いていた。

 説明されただけではわからないような、客商売には向いていない立地条件に私は戸惑いを覚えてしまった。

 そんな私に「どうです、玄人向きの趣があるでしょう」と緊張を和らげるように言葉をかけた。

 脇道から地下に降りる階段を降りると、黒く塗られた木の壁がみえる。

 扉には磨かれた銀色の看板にBAR Caveと文字が彫りつけられていた。

 ケイブ、つまり洞窟をイメージしているのだろうか。

 質素な店構え、それ程珍しくもないシックなバーだ。上階には私のよく知ったマンガ喫茶が店を構えていた。丁度その店の裏手にこの店の入り口が有ることになる。

 どうせ備え付けるなら目に付く表側にした方が良いのではと真剣に考えた。それに扉には、クローズと英語で書かれた金属板がドアノブにかけられていた。本当に経営しているのだろうか。

 そんな疑問を口にすると、「まあ、気になるでしょうが、この店にはこの店なりにこの位置に扉を設えた理由、掲げられたプレートに意味があるのですよ」と彼は、わかったようなわからないような説明をして、看板を無視して扉を開け、中に入ってしまった。

 彼はこの店の経営者と知り合いなのだろうかと訝しがりながらも、私も後に続く。

 中を見渡しても、別段変わった様子はなく、カウンタテーブルの中にマスターが一人、グラスを磨いていてるだけだった。開いていないのだから当然お客さんは一人もいない。

 「これは日野内様、そちらの方はもしや」

 マスターが私を見て首をかしげた。どうやら彼がここに来たことに関しては疑問はないらしい。

 「ああ、彼女は以前話しておいた、有望株の、斉木さんだ」

 あれ、なぜ私の名前を知っているんだろう、そう思う間も無く、「はは、君と店長のやりとりを何時も聞いていたからね。盗み聞きはよろしくないが、まあ許してくれ」と私に頭を下げた。

 「どうも斉木です。私まだよくわからないのですけれど、何をしたら?」わからない事ばかりでよっぽど私の顔がおかしかったのか、マスターが口を歪めて「はは、日野内様。また説明不足のようですね。ここは私がお教え致しましょう。私達は云わば、同好の士と言ったところです、ここは人の無意識の行動を眺められる場所、とでもいいましょうか」

 そう言って、グラスを磨く手を休めながらマスターは店の奥のドアを指さした。

 「さて、斉木さん。私についてきてくれるか。マスター、入らせて頂くよ」

 日野内さんはそう私をドアに誘う。

 「ご随意に、お楽しみください」

 マスターは会釈して再びグラスに向き直り、磨き方を始めた。

 木のドアの内側にはもう一つ、金属のものものしいオートロック式扉が設えてあって、カードキーの差し込み口がついている。私は奥に厳重な施設でも隠れているんじゃないかと疑ってしまう。そんな私の手を再び引いて、

 「それではお楽しみ、君の驚く顔を是非見てみたい」

 日野内さんは財布からカードキーを差し込み、ドアを開けた。

 中は篭った光が浮かび上がるように点在していて、壁一面にモニタが並び立てられていた。先程のバーの数倍はある広さで、幾つものテーブルと、バーカウンタがついている。

 柔らかなランプの灯りが、それぞれのテーブルを優しく照らしていた。なるほど、洞窟みたいだ。

 外のマスターと全く同じ顔と容姿の男が、こちらのカウンタでもグラスを磨いているのをみて、私が驚いていると、「ああ、彼は双子でね。外と内、交代で切り盛りしているんだ」と日野内さんが言うと、うやうやしくマスターが私に向いて頭を下げた。

 「それじゃ、テーブルにつこうか、何か飲みたいものはあるかな?」

 テーブルの上にもモニタが付けられていて、壁の画面の縮小版が映されている。私はぼんやりとして彼のかけた言葉を断片的に聞き逃していた。モニタの中にはマンガ喫茶の個室の中の様子が映し出されていた。

 皆それぞれ、好き勝手なことをしている。

 「早速目が釘付けのようだ、ふふ、私の目に狂いは無かったようだね」

 はっとして、「どうして私なんかをここに?」と答えた。

 「ふむ、本当はここの場は会員制で、月々高い金額を払わなければ利用できない。馬鹿げているだろう、けれどこんなものでも見たいと思う人間は大勢いるんだ。私が君をここに呼んだのは、君の視線が面白かったからだよ。注視能力というべきか、君はほかの人間が持たざるものを持っている」

 そんな指摘をされても私には心当たりが全くない、狐につままれているみたいだ。

 「そんなもの、私にありませんよ」

 「いや、君は特異な人間を探し出すことに長けている。何というか、人間には無意識の行動というものがある。嘘をつくとき鼻を掻く、苛立つと指でテーブルを叩く。そういった行動も一例だ。主に緊張を強いられている時にでる、いわゆる癖だね。緊張を和らげるために自然と体が動いてしまうんだ。固有受動器官が無意識に働くこともある」

 言われてみれば、そういった解りやすい行動をする人はいるなと思う。店長も機嫌が悪いと調理器具の扱いが雑になるから。 

 「しかしね、本来心の影響下で現れる癖は、殆どの人は抑制している。訓練された強固な自制心がそうさせているんだね。状況が変わり人が見ていない隔たれた場だとどうだろう?」

 日野内さんはそう言って一つのモニタを指さした。

 そのモニタの中で、ひとりの女性が指を鼻に入れ、毛を抜いていた。

 とても綺麗な人なのにと、つい笑ってしまう。

 「こういった行動は人目につくところでは出来ないだろう。恐らく彼女は家族の前でもこんな行動はしない。本当の癖は本人しか知らない目の無い所で出るものだ」

 そうかもしれないと納得する。あれ、けれどもそれは私とはなんの関係もない。

 「私は君を見ていて、ある実験を行なったんだ。それは特殊な環境下で育った人間を見分けられるかどうかだよ。あの窓の下、道行く人ごみに紛れて歩かせた彼らを君は見つけられるだろうか。広所恐怖症を抱えたサラリーマン、対人恐怖症の女性、他動性障害の男性。結果は君が一番よく知っているはずだ」

 確かにその人たちは良く覚えているけれど、なんで日野内さんはその事を知っているのだろう。それに、あれだけ挙動がおかしければ誰でも気になるはずだ。

 「でも、あの人たち、普通じゃなかったです」

 「それはあなたの感想ですね。彼らはそれ程重度の精神患者ではない。かなり軽度のものです。あなたには異常に見えても、普通の人間であれば、気がつかない程度でしょう。それと初めにお聞きしたアルファベット、あなたはSADを選んだ。彼らの服装の中にそれぞれ、そのアルファベットを記載していたのです。ネクタイ、バッグ、シャツ。よく見えなくても、三度繰り返し目にすれば、無意識にイメージが沸き起こる」

 私は本当にそうだろうかと考える、見分けがつかないだろうかと。覚えていたのだって偶然もありえるのでは。

 「でも」

 「まあほとんどは遊びのようなものですから斉木さんは気を楽にしてモニタを眺めていて貰えればよいのです。気になった人間をピックアップしてもらう。それで充分です」

 こうして私はなんだか騙されている気持ちのままに、この仕事を受けることになってしまった。

 日野内さんは言いたいことは全て言ったという風情で、「それではまた後ほど、お楽しみください」と残して席を離れ、カウンタに座ってしまった。

 私はテーブルにひとり残され、上の空でいると、ウェイターの男の子が私にウーロン茶を、「サービスです」と、用意してくれた。

 こうなった以上、楽しまなきゃ損だ、不安を振り切り、気持ちを切り替えると、私はモニタに意識を向け始めた。

 してみると本当に人の目を意識していない人達は面白い。指を齧り始めたり、自分の顔の写真を携帯で何度も撮り直したり、果ては服を脱ぎ始めたり。ここまで大胆になれるものなのかと驚く。けれど、きっと私が求められている技術はそんなわかり易い人達をあげることでは無いのだろう。

 実をいえば、最初からずっと気になっている人がいた。左上のモニタに映し出されている、痩せぎすの女の子だ。黒のワンピースにサンダル、胸に白いバラのコサージュを付けていた。一見ただ、パソコンの画面を見つめて何もしていないようだが、なんだか近寄りがたい気配を発している。唇の動き、瞬きの様子、なんと表現したら良いのかわからないけれど、見ている私を不安にさせる。

 「どうしました、気になる人物がいましたか?」

 表情が気になったのか、日野内さんが突然私に話しかけた。集中すると、どうも周りが見えなくなる。いつの間にか隣に移動していたようだ。

 「いえ、ちょっと左上の女の子が気になって」

 私がそう答えるのを予期していたように、「そうですか、やはりわかりますか」と大仰に喜んで相槌をうった。

 「何がそんなに嬉しいんです?」

 私はつい、何も分からない自分に苛立ってそう返してしまう。

 「いえ、ここにあなたを連れてきたのは賭けだったからです。実をいえば、先程のアルファベットのくだりなどは全くの嘘でした。要はここで彼女を言い当てられるかが問題だった」

 なんでこんな周りくどいことをしているんだろう、私はそう思う。

 「彼女はいわば、心に穴のある人間なのです。簡単にいえば、心の中にいつ爆発するかわからない爆弾を抱えている人物。かつて犯罪を犯す人間は幼い頃に傷を負った、不幸な幼少時代を送った者が多かった。ところが最近では、比較的裕福で、なんの問題も無く育った人間が、突発的に起こす犯罪が多くなりました」

 「それって、私にそういった犯罪を起こしそうな人を探して欲しいって事でしょうか」

 そんな事、私にできる訳がない。

 首を振る私に「簡潔にいえばそういうことです。しかし、これからが本番といったところですか。彼女は数日前、駅の構内で刃物を握って呟いている所を保護された。今は無理を言ってあの場所にいてもらっているのですが、彼女は普段は至って明るく、何ら問題のない女の子でしかないのです。私には今でも異常があるようには見えない。そうした犯罪予備軍を事前に察知できたら、犠牲者が減る、そう思いませんか?」

 なんだか突拍子もない話で、すぐには信じられない。

 「実を言うと、この場はそちらの方でも役立てているのです。警察機関でも試験的に使うということで許容されている。通常であれば、こんな商売、まかり通りませんからね。ですから、同様の作業をしているのはあなただけではありませんので安心して下さい」言われてみれば、飲み物も飲まず、真剣にモニターに食いいっている人たちの姿がちらほらと確認できた。私にできるだろうか、考える前に巻き込まれてしまった感が大きい。


 こうして私はなんだか気がつかないうちに見込まれて、予想もつかない新しい仕事に就いた。こんななんの役にも立たない人間鑑賞が、一種の技術職になるなんて予想外だった。

 その内、店の外の監視カメラもモニタに映せることがわかり、私は毎日鑑賞を楽しんだ。はじめは、はっきりとわからなかった違いが、毎日意識するうちに目に見えてくる。

 「最近のあなたは本当に凄い、大分警察も助かっているようです。マークしておけば、未然に犯罪が防げますからね」

 日野内さんはそう言って私の成長を大変喜んでくれた。

 慣れてみれば、あの女の子のような、奇妙な不安を抱かせる人物が簡単に見つけられた。

 モニタ越しの映像で意識しない醜態に紛れた手や足の動き、癖の微妙な動作感、顔の筋肉の動き、体の微妙な震え、全体のもつ気配が私に異常を伝えてくれる。けれども、ある時を境に、私は自然とこのより分けをかなりの確率で外すようにしていた。

 

 あくる日、私は街の中で彼女に会った。バスの停留所で仲良さそうに友人と話している彼女は傍目はためから見てもいたって普通の女の子だ。けれども、私にはわかった。変わっていない、むしろ以前より危な気が増していた。

 不意に彼女と目が合うと、一瞬顔の表情が失われた。完全な無表情、冷たく、何の気持ちも感じられない。

 それなのに、無意識からの動作は確実に、彼女のストレスがただならない程に膨れ上がっている事実を、私に伝えていた。

 冷水を浴びせられたように総毛立ち、背中に一筋の汗がつたった。再び彼女を見ることはできなかった。

 見つめられていると知っていながら見返すことができない。私は足早に彼女の視界から立ち去った。


 それから数日間、私は人の顔を注視できなかった。モニタ越しなら耐えられたけれど、生身の人間を前にしたら恐ろしくて確認などできる訳がない。

 見逃した男が翌日、道行く人をすれ違いざま切りつけたこともあった。

 それでも私は成果をあげることを拒んだ、わかりすぎてしまったからだ。

 自室から出ることも恐ろしくなってしまったから。

 「どうしてしまったんです、あれ程精度の高い見識を持っていたのに」

 日野内さんはそう言って嘆いたが、単純な話、私は人間自体が怖くなってしまったんだ。

 「ごめんなさい、私には合わなかったんです」

 そう断るしかなかった。気がつかない方が幸せだった、街を歩く殆どの人が自分で制御しきれない爆弾を抱えて生きている。

 私にはその人達の苛立ちが手に取るようにわかった。心の穴の中に爆発寸前の火薬を抱えて、じりじりと導火線を燃やしながらすれ違っていく。私は人ごみが恐ろしくて、人の多い場所を歩くのができなくなりつつあったから。精神化社会が進み、みんな心が擦り切れて、疲弊しきっている。そんな中で確かに熱く燃える、気味の悪い炎を穴の中で育てている。

 私はそうはなりたくなかった。自分の中で同じ炎が燃えているとは思いたくはなかった。けれど、私は知っている。誰もが心の中に大きさはそれぞれだけれど、穴があって種火を抱えていることを。

 


 ここまで駄文にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

 それではまたいつか。

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