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The Hole  作者: 黒漆
11/13

蛇鱗の死穴

 歯が食らいついた瞬間、私は意識を取り戻す。鋭い痛みがつま先からつむじまでを流れるように走り、遅れて疼痛とうつうがやってくる。それはまるで針先で全身を余す所無く、あまく刺されているようで、苦痛と快楽の丁度中間の感覚を私に与え続けていた。意識が遠のき、網膜の像が歪んだところで、耳の奥で微かに私の名を呼ぶ声を聞き取った。それは、それはとても懐かしく、私の心を落ち着かせる声音で……


 み……や、みや、魅弥


「魅弥、あれを、あれを下さい」

「はい、母様。すぐに」

 反射的に口からそう言葉がこぼれ出て、私は小さな体をしゃにむに動かし、薬棚に走るのでした。そうして辿りついたらば、引き出しの取っ手をつかむと中の薬を一包とりだし、瓶の水を急須に移すと盆に置いたのです。

「お願い、魅弥。はやく、できるだけ、はやく頼みます」

 そう、これは母様の声、私の母様の、ああ、なんて懐かしい。

 一刻も無駄にはできない、そんな私の思いをよそに幼い手は焦りに震え、盆の上の湯呑ゆのみを倒しそうになりながらも、なんとか母様の元へと運びます。

「ありがとう、ありがとう魅弥」

 母様は櫛でくように私の髪に指を通し、小さな頭を優しく撫でて下さいます。

 役に立てた、そう思えた事で私の心は高揚しておりました。

 母様はすぐに口で包みを解くと粉薬を舐め、急須の水をお飲みになられました。

 そうして飲み物を飲む母様の喉元が、こくりこくりと音を鳴らし、波打っているのを私は眺めていたのです。

 僅かに汗ばんでほの白く、透き通る肌の波打つ様が、なんと美しいことかと。


 私を産み落とした頃から伏せりがちであった母様は、同じく病弱体質であった幼い頃の私から見ても儚く、溶けかけた氷のように危うい存在として映っていたのでした。

 けれども長きに渡り、床の上で寝かされ続けた母様は、外の汚れから別離を果たし、ある種の美しさを成していたのです。

 隠遁いんとん生活の中で形成された美しさは、開花する事が叶わないながらも、なお凛としてあり続ける蕾に似て、儚さの中にあって未だ、強い意志を抱え続けた者にしか表すことのできないような、凄絶であり、そして時に病の穢れを浮き剥がした濁りのない美しさをその身に湛えていたのです。


 後年、床の上で果てた祖父の姿とは雲泥の差でありました。何故なのでしょう、祖父のようなやせ衰え、何もできずただ床の上で朽ちてゆくあの姿と同じ状況にあって、母様はどうしてか、病にあっても美しさを失わずにおりました。それは一日一度の沐浴を欠かさなかった、それだけではなかったと思うのです。

 強堅な生きる意志の有無、それが病にあってなお、母様を美しく見せていた要因なのかもしれません。


 母様は白湯を飲み干すと、滲む汗に指を添い、つつと払いました。

 障子の向こうから午後の日差しが母様のうなじを照らし出すと、首裏から胸骨に向けてきらきらと薄く、小さな光が彩を放つのです。

 日常にありながら、掛け替えのない一時なのだと思えるそんな瞬間。けれどもその輝きこそが、私と母様の身体を蝕む病の象徴なのです。母様と共にある時間こそが、あの頃の私の全てでした。明日になれば母様は消えてしまう、恐ろしいその考えを、私は捨て去ることができませんでした。


 筋肉が固くこわばり、血液の流れが滞り手足が黒ずみ始め、皮膚が乾き、角質が一定の大きさを持って硬質化する奇病。それが私達母子の躰に巣喰う病でした。それは私の代まで一族から強請され、病を持つものを絶やさぬがために連綿と継がれ続けてきた遺伝病であり、他に類を見ない奇病であったのです。

「ありがとう美弥。おいで」

 母様はそういって上手く動かせない両手で私をその胸に寄せ、私を抱きしめてくださいました。寝間着から覗く肌の薄い鱗、罅割れに似た肌の溝を、ゆるゆると汗が流れ落ちてゆきました。



 「何故、こんなことをしたのか教えて頂けませんかね?」

 秋の日の光が揺れる穏やかな午後、ペットショップで三人の男がやりとりを続けている。刑事を名乗る男二人と、ペットショップ経営を行う男性一人だ。裏では犬や、様々な動物たちが鳴き声をあげており、複雑に重なり合ってかなり騒々しい。

 「全く、ここときたら喧しくてかないませんね、山背さん、外へ出ませんか」

 そう言ったのは、職業柄からか顔に険が張り付いてしまっている五十代の刑事、そこに若い二十代の相方が隣に付き添いのように無言で佇んでいる。

「申し訳ありません、一体何の用でしょうか、私に関係する何かでしょうか」

 山背と呼ばれた男がどうやら店の経営者で、刑事の質問にそう答えた。

「おっと忘れていた、私、香原という者です。この若いのは佐紀、二人とも刑事をやっておるんですが、ちょっとした事件がこの界隈で起こりまして。捜査中ってえわけですわ。ここに来た理由ですか、いえね、おたくのこの獣、犬やらなんやらですけど、山に死骸捨てるんですって? 気味が悪いし臭くてかなわんと、最近そんな苦情がご近所から出てるってえ話を聞きましてね」

 憮然とした表情で山背が応対する。

 「そうはおっしゃいますが、あの山は私が買った山だ、どうしようと勝手でしょう」

 表情とは裏腹に極めて温和な口調で香原刑事が淡々と質問を繰り返した。

 「それはそうなんですが、あなた、近隣の野良犬や猫の死骸まで拾い集めてるそうじゃあないですか」

 「ええ、慈悲の心というやつですよ。彼らもあのままじゃあ成仏できないでしょう」

 「そうはいったって、随分な数らしいじゃあないですか、噂じゃああなた、ご自分の店の鳥獣まで殺して埋めているとか」

 「それは誤解もいいところですよ。わざわざ売り物のこいつらまで処分していたんじゃあ商売にならない、そうお思いになりませんか」

 山背はそういって大げさに首を振った、明らかな抗議が態度として現れている。

 「まあ、でしょうな。それはそうだ、ただ、この臭いは頂けない、少し考えて貰えませんかね」

 「香原さん、いつまではぐらかすんですか、あんた、この子を知らないか、知っているんだろう」

 そういって香原刑事の会話を無理に遮り、若い刑事の佐紀が男に写真を押し付けた。写真の中にはまだ幼さが残る女性が、ファインダーに向かって笑顔を向けている姿がおさめられていた。

 「知りませんね。私には無関係です」

 「ほらお前、失礼だろう。まずは筋道立てないと、申し訳ありませんね。実は最近あたしらの管轄区で行方不明になってる人間が多くおりましてね。その中の一人、この娘さんがお亡くなりになりまして、不審死ですから、まあこうして聞き込みに参った次第です。ここは若い子も良くこられるでしょう、あなたならご商売柄、何かご存知かと」

 「申し訳ありませんが私は何も知らない、だいたい若い子はこんな店に一人で来たりしませんでしょう。大概は親や男と一緒だ。それにあなた方がいたのではこちらも商売ができません、お引き取りください」

 山背は表情を変えず、ぴしゃりとそう言い切り、取り付くしまもみせず二人の刑事を店から追いやった。


 「香原さん、どう思います」

 店主の態度に苛立たしさを露わにしながら、佐紀が聞いた。未だに納得がいっていないようだ。香原は眉間の皺を深くする。

 「お前は若いから我慢が足りんな。まあ、しかし怪しいのは確かだ。やっこさん何か隠してる。とりあえず先に外堀を埋めることから始めるか。どうだお前、動物は好きか」

 佐紀は諦め加減に首を振る。その表情には嫌だが、やらざるを得ないのか、そんな色が見えていた。

 「動物なんて好きじゃあありませんよ。でも、香原さん、どうせ俺にやらせるつもりなんでしょう、動物の墓穴掘りなんてぞっとします」



 「お嬢さんはこのお屋敷から外にお出になることまかりなりません。あなたのお母さんも、お婆さんもそうであったように。この家はあなた方の存在あってこそ、危険を負う行動はできるだけ控えなければならんのです」

 私が幼い頃からの使用人である高砂が言いました。いつの頃からか、私は外の世界に憧れておりました。お屋敷の中以外、世界を知らない私に外の広さを教えて下さったのは穂高先生でした。線の薄い、女性のような方でしたけれど、私には持ちえない芯の強さを持ち合わせていました。お体はそれ程丈夫ではないらしく、それが幸か不幸か、戦役を逃れる理由となっていたそうです。


 医師を目指された先生は、学費を稼ぐために、お屋敷に私に文字や雑多な作法をご教授下さるため、お通いになられていたのです。

 戦争が始まってからも先生は、それはもう真剣に、この国の未来を憂いていたのでした。

 いつの頃でしたか、ご学友が十代にして勇軍勇士として徴兵され、祖国のために名誉の戦死を遂げられたと、そう教えてくださった頃でしょうか、私に心境を吐露してくださったのです。「国の人間が食物や物資の貧困に喘いで、武器の部品一つですら足りず、苦しんでいるというのに、戦地では優勢をうたっている、俺はこの国の未来がわからなくなった」と、そう仰る先生のお顔が本当に勇ましくて、忘れられません。


 私の家は地主とはいえ、戦争の影響は少なからずあったはずです。けれども、私はと言えば、外はどこか夢の中の世界であって、現実からはかけ離れた、遠い場所なのでした。私に世界を教え、外の作法を手にとって教えてくださった先生は、私にとって唯一の外との繋がりだったのです。

「いつか、魅弥ちゃんを外に連れ出せれば良いのだが、悲しいが俺にはその力がない。俺が知る、ありふれた風景ですら、君の目には特別に映るのだろうな。寂しい話だ」

 いつも物憂げに天井を見上げ、何かを想っている先生は時折私にそうおっしゃられました。私は外の世界を羨んではいましたが、同時に恐れてもおりました。けれど、先生のお顔を眺めていると、何があっても、どのような結末であれ幸せに生きて行けるのではと、儚い夢を抱いたりもしておりました。

 母様が亡くなれば私のお役目が始まります。その前に、どうにかここから逃げ出したい、そんな願いを共に胸の中に秘めながら。



 森の中でスコップを抱え、大人数の男達が土を掘り返している。土の中には夥しい数の骨と腐りかけの死骸が埋もれていた。

 「全く、これが俺たちの仕事ですか。こんなことはお役所の連中にやらせとけば良いんですよ」

 滴る汗をそのままに、長袖のワイシャツを腕捲りして作業を続ける佐紀がぼやきをあげた。

 「仕方ないだろう、こっちも正式な手順を踏んでるわけじゃあない。調べてみりゃあここを中心にして行方不明者が出ている、それが解った以上、手続きを待ってる暇なんてない。お前だって気がついてるだろうに」

 「そりゃそうですが、香原さん全然手伝ってくれんじゃないですか」

 佐紀の抗議にもどこ吹く風で、香原はタバコをふかして、ただ他の刑事が掘り続ける姿を見ている。

 「お前、俺は耄碌もうろくしてんだ。年寄りに鞭打ったらお前の気が引けるだろ。だからお前のためを思ってこうして負担を減らしてやってるんだよ」

 佐紀は呆れ顔でため息を一つつき、自棄気味にスコップを荒く動かした。タバコを吸い終えると香原は「冗談だ、むきになるなよ」と一言呟いて笑うと、シャツをまくり、他の者たちを手伝い始める。


 そこに走って近づいて来る者がいた、山瀬だ。どうやらここでしている事が客の口からか伝わったらしく、見る限り余裕がない。香原は彼を一瞥いちべつすると手で合図をし、他の者に自分が対応すると知らせた。

 「おや、山背さんじゃありませんか。どうされました、店の営業はよろしいんで」

 「よろしいんでじゃあありませんよ。あんたたち、勝手に人の敷地内で何してるんですか」

 山背の剣幕にも香原は動じない。腕で汗を一度拭うと、したり顔で続けた。

 「ご苦労様です。以前お伝えしたでしょう、市に苦情がありましてね。本来そういった場合、土地の所有者にごみとして処理していただかなければならないんですが、あなたは無視しておられる。それにこの量となるとそうも言ってられんでしょう、ですから我々があなたのお手伝いをしている次第です」

 「そんな勝手が許されると思っているんですか。あんたたち公僕でしょうが、それが規則を守らないでどうする」

 「おや、おかしなことを仰る。先に規則を破ったのはあなたじゃあありませんか」

 佐紀は相変わらずの呆れ顔で二人のやりとりを横目に穴掘りを続けている。これで何も結果が得られなければ香原もただでは済まないだろう、それなのにこの場に足を揃える者、一人として残さずその事を心配していないのは、誰もが香原を信頼しているからだった。

 憤慨ふんがいしつつ、何を言っても無駄だと諦めた山瀬が帰ろうときびすを返した時、掘り下げた穴の底、一人の刑事が土に差し貫いたスコップ先が不意に空を切った。


 私達女方の家系には特殊な力がありました。寿命が短い代わりなのか、それともこの奇病が及ぼすものの一環なのでしょうか、私達には僅かながらの予見の力が備わっていたのです。熱にうなされ、苦しみ、混濁する意識の中で不意にもたらされる重恩。それこそが代々、忌まわしい遺伝病を絶やさず、生き永らえさせてきた理由だったのです。

 母様のお役目が終われば、私が次には託宣の巫女につかねばならず。そうなれば私の自由は失われたも同然なのでした。そうなる前に先生に私を連れ去って欲しかった。しかし、それは叶わぬ夢なのです、そう思っておりました。

 けれども、運命は変わり始めておりました。母様は一つの予見を隠されていました、他ならぬ私をおもんばかって。

 「残酷な運命が待っていようとも、魅弥には自由に生きて欲しい」

 母様は私の耳にそう言葉を重ね、荒い息を震わせ、どのように動くべきかを教えて下さいました。母様はご自分の最後を遥か以前から知っておられたのでした。

 「いつ死んでしまうかわからないから人は恐れを抱くものなのでしょう。私は終わりの日を知っている。だから、何も怖がることはないのです」

 そうおっしゃいます母様を前に、自分一人逃げようとしていた私は己を恥じました。母様は私が思う以上に、誰よりも、心体共にお美しいお方であったのです。

 私はこれまで以上に、母様を支えました。刻一刻と、予見の日が近づきつつあるというのに、母様は一度も弱音を口にしたことはありませんでした。強固な決意を携え、並々ならぬ意志の光をその目に宿しながら。


 恐れていた日はまもなく訪れました。空からの火は予見に間違う事なくお屋敷に落ち、豪炎は全てを包み、全てが燃え去ろうとしておりました。

 心残りは母様の最後が看取れなかった事です。けれども、かねてからの母様の望みを私が絶つ事など、なぜできるでしょう。私は堪えながら事の起こりを知っていた先生と、お屋敷から逃げ延び、自由を得たのです。

 母様の仰られたとおり、外の世界でも苦しみは無くなることはありませんでした。それでも外の世界は痛みを相殺して余る程の美しさに満ちていて、触れる空気、目に映る景色全てが美しく、生きて歩めるだけで、私に苦痛のくびきを忘れさせるに充分でした。


 先生は巡業医師をお続けになり、追うものを払い続けましたけれど、限界は自然と訪れます。そこで私達はある決断を行いました。



「なぜあんな事をした、理由を話してもらおうか」

 取調室に拘束された山背に、佐紀は口調も荒く問い質す。累々たる動物の死骸の下から現れたのは巨大な空間に繋がる穴だった。その中から数人の遺体が見つかった。数年をまたぎ、行方知れずになった人々の成れの果て、遺体は無残にも食い散らされていた。半ば溶けかけ、骨の露出する躰は何故か虫一匹はりついておらず、生前犠牲者に何があったのかを想像させない異常さを見る者に感じさせた。

 当初佐野や香原は犠牲者の遺体を紛らわすために動物の死骸を混ぜ込んでいたのだと考えていた。しかし、現れた結果はその予想よりも遥かに人の道から外れた位置にあった。

 「私は、私は知らなかったんだ。あの穴の底がそこまで恐ろしいことになっているなんて」

 やつれ、疲れはてた顔。心の擦り切れた人間というに相応しい変わり様の山背が、力なく答える。

 「お前以外にやれる人間はいなかったはずだ。今更言い逃れできると思うな」

 「まあ、とりあえず聞いてみようや。なんであんた、あんな場所に死骸を捨ててたんだ、その理由が知りたいね」

 強行的な佐野を一時制して、香原が穏やかな声色を使い、山背の背に触れた。山背は何かを恐れているのか、かちかちと歯を鳴らしながら、耳を近づけてようやく聞き取れる小さな声で、密やかに語りだした。

 「私はただ、父に言われたことを続けていただけなんだ。動物だけ供えていればいいと思っていた。あの穴の底に洞が空いているのは知っていた。なあ、刑事さん、イザナミって知っているか」

 「しらんな、と言いたいところだが、それが事件に関係するんだな」

 鷹揚に香原が返し、山背が頷く。佐紀は山背の声が聞こえていないのか、不満そうに山背を睨んでいた。

 「イザナミは死者の国に落ち、イザナギが連れ帰ろうとする、けれどもその姿が余りに醜いためにイザナギは一目見て逃げ帰ってしまう。それを知り怒りを露わにしたイザナミは追い立てるが、最後にはイザナギが逃げ切り、死者の国への道を岩で閉じてしまう、そんな話だろう」

「そうです、私はあの穴は死者の国へ繋がる扉だから月に二度、生贄を供えてくれと、父に頼まれただけなんだ。私の父は、生贄を切らせると大変な事になると言っていた。父は血筋だといったが、私には何の事やら、わからない。だが、イザナミは蛇を遣うという、だから私は恐ろしくて」


 私はある山あいの村に土の洞穴を見つけました。それはかつて防空の際に使われた洞穴で、生活を続けるに充分の広さがありました。私はそこで隠れ暮らすことにしたのです。人目につかず、先生の邪魔にもならない。やがて、私は先生との間にやや子を宿しました。

 その子は男の子で、私は安堵したものです。私と同じ苦しみを背負わせずに済むのですから。私が子を生んでから、体は急速に変化を始めました。手足が枯れ木のようになると、私は死を覚悟しました、その時期になり、私にもあの予見の力が顕現を初めたのです。


 けれども、私に見えたのは未来だけではありませんでした。連綿と繋がれる血脈の流れか、過去の私達、巫女の姿が私には見えたのです。それは遥か過去から連なる呪詛、悪意の群れでした。蛇のように絡み、躰にまとわりつく忌言、過去の巫女が死の間際に洩らした最後の言葉、そこには忌思が込められておりました。締めつけられ、狂うことも許されない、苦しみに束縛された者達が発する最後の断末魔。あの母様までもが、最後には屈してしまったそのお姿が、私の目には、はっきりと浮かび、刻まれたのです。

 私は知ったのです。この手足を締め付ける蛇はそれらの集まりなのでした。私は、先生に全てを話し、最後の一人になることを決めました。血族に続くこの重荷を肩から降ろすために。


 先生は粛々と私の言葉に耳を向け、最後に私と共に逝く事を誓って下さいました。けれども、私はそうならないことを知っておりました。先生は死を恐れておいででした。若くして亡くなったご学友がいらしたからでしょうか、生への執着が私を想う心よりも、より大きいのでしょう。それでも、構いません。愛しているのですから。いずれは私と同じ場所に来て頂けるのですから。先生は偽の薬をお飲みになり、私は独り毒を飲み、果てたのです。



 「父は数年前亡くなりました。逃げ出そうとしたからでしょう、あんな事を私に頼んでおいて、自分は逃げるつもりだったんだ。結果を見ろ、思い出したくもない恐ろしい姿となって父は死んだ。あの写真の少女の遺体、そっくりの姿で。信じない訳に行かないじゃないか、私にどうしろと言うんだ。私は殺していない、殺していないんだ、信じてくれ」

 何を馬鹿なと憤慨しつつ、「そんな話を信じろというのか、いい加減にしろ」と言い放ち、香原が山背の椅子を蹴る、しかし、彼はまるでそれに気がつかないように怯え続けている。

 「中の人間はきっと親父が連れていったんだ。でも、写真の少女は外で殺されたんでしょう。動物だけじゃ足りなかったんだ。ああ、あんた達にはあの音が聞こえないのか、あの蛇が這いずりまわる音が、こんなに馬鹿でかい、ざりざりという音が聞こえるのに」

 山背は体全身を震わせている、不意に格子状の窓枠が歪み、強化ガラスがはじけた。

 対応するにも僅かな間もなく、佐紀の手足が誰に触れられるでもなくひとりでに、何かに巻き付かれたように捩じ上げられ、折られてゆく。泡を吹く顔も、そして体も凝縮されるように細り、捻られ、歪んでいった。驚きと恐怖が同時に室内に満ちる、しかし、逃げ道はどこにも残されていない。



 この喜びがあの子にも見えているでしょうか。私には全て見えていたのです。私が死した後も、この蛇は私を離してはくれないと、けれども同時に快感をもたらしてくれることも。

 これまで肉の鎖に繋がれていた私達の呪詛は肉を離れ、全てを喰らい尽くすでしょう。けれども私を含め、母様や遥か過去から連なるご先祖は、喜んでいるのです。あの子が死ねば、私達の苦しみを全ての生きとし生けるものに、知らしめることができるのですから。


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