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The Hole  作者: 黒漆
10/13

亜行の始点

 社に私宛のエアメールが届いたのは夏の暑さも峠を越し、僅かに肌寒さを感じ始める頃だった。

 そこには一枚の写真が同梱されており、この方を知りませんか、と一言英語で記されている。

 宛名を調べると、どうやらコロンビアの雑誌社から送られたものだと解った。写真には一人の男が映されている。

 白髪で皺だらけの顔、色のない瞳。全体的に覇気のない、どこか魂の抜けたような惚けた顔をうかべて椅子に座っている。右と左の頬、同じ場所にほくろが付いていた。これはどこかで……


 私はその特徴を見て、記憶を掘り起こした。久しく見ていなかったので忘れていたが、フリーカメラマンの佐野という男が同じような位置にほくろのある顔をしていたはずだと。しかし、彼はまだ四十半ばでこのような老人ではないはず。

 佐野は少々変わった男で、事故専門のカメラマンだった。世界中を駆け回り、事故の写真ばかりを撮り歩く、通常の神経では到底耐えられない無残な事故ですら、佐野にとっては好物のスクープとなる。専ら佐野は死体が映らない、物だけで凄惨さを現す写真を撮る事が仕事だったが、影では死体を好いて写真に収めていた。それが理由で佐野は国内にはいない。

 昭和時代ならば、そう言った生々しい死の画像が専門の雑誌も発行することが可能だったが、とりわけ規制が厳しくなった現在では、残念ながら国内のマーケティングでは到底、ゴアのジャンルなど扱えるはずもないので、彼は海外を拠点として活動を始めたわけだ。


 そう言った写真はその道の愛好家にデスファイルとして高く売れる。日本とは違い、死が日常化した地域では死体は忌諱きいの対象とはならない。

 ありふれた死、死体の横で子供が駆けっこをしたり、平然と人が当たり前のように行き交う、そんな世界は確かに現存している、彼らにとっては死体は尊じられる存在で、目を背けるべき者ではないのだ。

 コロンビアはかつて、死が平然と横行する国だった。現在では犯罪組織も大分衰退したおかげで、観光が盛んになり以前のどこであれ危険、という空気は薄まったが依然反政府武装組織の抗争は続けられている。連日銃殺死体があがる危険度の高い国の一つだ。佐野がこの国に向かったと聞いた時、天職を得たのかもしれないと思ったものだ。コロンビアには犯罪専門誌というものが存在して、死体写真が平然と載せられている。そこからCDジャケットのイメージを取ったアーティストも数多く存在するので有名な話だ。


 そんな事を、写真を眺めて思い出していた。実を言えば、私も彼の写真の愛好家の一人だった、とはいえ佐野は普段から仕事を小忠実こまめにこなすような男ではなく、数年行方をくらましたまま連絡も寄越さないところがあったので、心配はしていなかった。殺そうとしても死にそうもない男だ。もっとも仕事柄、急な訃報が届いても不思議には思わないだろうが、恐らく仕事中に不慮の事故にあったとしても奴ならば本望だと自分で答えるだろう。

 彼とは関連性は無いのだろうが何か引っかかる、私はそう感じ、確認のために雑誌社に連絡を取ってみることとした。

 国際電話で連絡してみたところ、彼は確かに写真の男は佐野だと言った。佐野はある場所に向かい、行方知れずになった後、写真の姿で見つかったのだと。どうやら、佐野に何かあったらという言付けでエアメールを送ることを依頼されており、それで私の元に届いたらしい。


 電話の相手、彼の話によれば佐野は現地でペドロというカメラマンと行動を共に活動していたらしい。詳しい話を聞きたかったが、相手がどうも触れられたくないらしく、佐野を引き取ってやってくれとしか言わないため、私は渋々諦める。

 大切なことを答えてはくれない代わりに雑誌社の売り込みが激しく、まるでそちらが本分のようで私は苦笑してしまう。しかし、本人かどうか、確証を得るものがなければどうにもならない。

 そこでとりあえず、本人だと確認するために何か本人だと証明になるものをこちらに送ってくれと頼んだ。

 騙されているかもしれない、そうした思いも無かったわけではないが、あがった名前が具体的ではあるし、佐野はお互い良く知った仲だ。乗りかかった船だからと、多少の損は承知の上で、移送料を包んだ手紙をしたため、雑誌社へと送った。


 結果、数週間後届いたのが佐野の財布の中に残っていた両親の写真と、ライカ一眼レフのカメラだった。

 どちらも元の姿とはかけ離れ、恐ろしく変化してしまっていた。

 写真は変色し、端から崩れ始めており、薄汚れたカメラはかつての形が想像できなくなる程に削れ、切り裂かれた傷がつき、フレームが折れ曲がり角が無くなってしまっていた。何かの爪痕が色濃く残されている、それはさながら異形のオブジェのようだった。

 佐野は何かの事件に巻き込まれたのかもしれない、二つの所持品を見てそう思う。

 私は佐野の両親に事の成り行きを知らせると、カメラの中のフィルムに注目した。

 本当ならば、カメラはそのまま両親に引き取ってもらうのが筋なのだが、どうしても私は佐野がそこまで変わり果ててしまった理由が知りたかったので、勝手ながら現像してしまおうと思った。

 カメラの外面は修復不可能と諦めるほかないが、中はどうにか一部現存して残っていた。

 私は自宅の暗室で強引に外面を引き剥がすと、ペンチで凝縮された部品を分解し、中のフィルムをどうにか手に入れた。

 一部は感光してしまっているらしく、現像しても意味の無いものだったが、他はなんとか現像することが叶った。


 写真の中には佐野らしい、事故と死体の写真で溢れていた。その中にとりわけ異常な数枚が含まれていた。どこか巨大な穴の中のような映像で、底には大量のミイラのような死体が無造作に積まれ、放置されている。その写真には強烈な圧迫感があった、これまでのどんな写真よりも、魂に訴えかける強力な重圧。

 どの死体もまともな姿ではなく、その上人種も様々だった。体格差もばらつきがあり、肌の色も纏まりがない。まるで世界中の死体の見本市のようだ。

 写真であるために詳しくは解らないが、そのどれもが腐ってはおらず、なぜか干からびている。

 私はその写真を見て、どうしても知りたくなった。

 どこでその写真をフィルムに収めたのか、恐らく佐野の異常はその場所が何か関係しているに違いない。しかし、あれほど死体が好きで、どんな凄惨な現場でも物怖じしない男がそんな状態に陥ってしまった理由とは、その裏には何が隠されているのだろうか。


 そうして私は雑誌社にアポを取り、佐野の両親と共にコロンビアへと向かった。

 長時間の機内旅行、贅沢も行っていられずエコノミーでの乗り継ぎで、私は夢を見た。奇妙で恐ろしい映画のワンシーンを切り出したような夢。夜中ブラインドを上げて、窓から外を眺めると、機翼に黒い何かが張り付いている。そいつは五本の手足で、食らいついているが、よく眺めると背に長い棒が伸びている。その棒は雲のはるか先、空の上に消えていて。

 そこで目覚めると私はこみ上げる吐き気を抑え、トイレに走った。胸には小さな指のような痣が出来上がっていた。きっと、寝ている間に私が無理に抓ったのだろう。

 日本からの直行便が無いためにロスアンゼルス経由で十九時間の旅を終え、ようやく首都ボゴタにつくと、狭い関税を抜ける、空港の外は快晴だった。乾いた砂、香辛料の匂いが鼻をくすぐる。浅黒い肌をしたラテン系とインディヘナの人々が生き生きと街を行き交う姿を眺めながら、タクシーを利用してホテルへと向い、荷物を下ろしてから私達は雑誌社へと向かった。


 雑誌社の社長に一通りの挨拶を済ませると私達は遂に佐野との対面を果たす。ラテン然とした社長は鷹揚に私に話しかけ、いかに自分の手がけた雑誌が素晴らしいかを力説した。「こんな雑誌は世界にも類を見ないでしょう、日本の客にもきっと人気が出るはずだ」売り出せる訳がないのに、そう力説する社長はどこか滑稽だった。

 私は辟易しながらも相槌を打ち、困惑する佐野の両親を置き去りにする形で佐野の情報が得られるまで待った。ようやく、本来の目的となると社長は急に口数を少なくし、居場所だけを告げ、貴方達だけで行ってくれとすまなそうに答える。仕方なく私達はタクシーを捕まえ、指定された場所へ向かった。


 照りつける太陽の元、石組みで張り巡らされた道路をゆくと板間の簡素なバーがタクシーの窓の先に見える。行き交う車やバイクを躱し、黒く肌の焼けた逞しい体つきの男達が、街を駆け抜けてゆく。その間にポンチョに短いつばのハットを頭に乗せたインディヘナの人々がゆっくりと街を闊歩していた。ラテン系の人々は陽気で愛想が良く、インディヘンテの人々はシャイで大人しい気質だ。街は太陽の香りが溢れ、無尽蔵なエネルギーに満ち溢れていた。雑踏に紛れ込む形で、バーの椅子に座る男の姿が視界の隅に映った。

 不意に太陽が雲に隠れ、日が陰ると何かうなじに冷たい風を感じた。開け放たれた窓から入り込んだ風だろうか、一瞬時間が止まり、バーのすべての人間の視線を感じる。音が消えた、何だ、束の間の静寂が不意に去り、さんざめく雑踏が押し寄せてくる。

 周りは誰も私を見てなどいなかった。平常だ、何もおかしくはない、自分にそう言い聞かせた。


 佐野は地元の露天バーの片隅で物言わぬ人形のような有様に変わってしまっていた。周りを囲う人々は誰も佐野には無関心だ。まるで元からある店の一部のような振る舞いで、誰一人異常を感じていない様子だ。

 佐野に駆け寄るも、あまりに変わり果てた息子の姿に両親が言葉を失っている横で私が懸命に「どうした、なにがあったんだ」と、話しかけるが佐野は反応をせず、両親が「なぜなの、何をしたの」と話しかけても依然として無表情だ。その目は何も捉えてはいなかった。

 その内両親が泣き出してしまうが、どうしようもない。私にやれることなど何もなかった。

 いや、もしかしたら。そんな期待と、何か情報が得られるかもしれない好奇心から、失礼ながら私は佐野に現像した写真を佐野に見せた。


 写真を佐野の視線に合わせる、すると、僅かに頬が震え、佐野の瞳に光が戻った。

 同時に猛烈な唸りをあげて立ち上がり、写真を破り捨てようとする。

 恐れだ、佐野の瞳の色は恐怖に彩られていた。

 突然の変化に私は対応に遅れ、一枚の写真を無駄にしてしまった。

 佐野は写真を力任せに破り散らすと、再び糸の切れた操り人形のように椅子に腰を落とした。

 私は破られた写真を拾い集めると、放心している両親に平謝りする。

 佐野の両親にはこっぴどく「あんたは何のために来たんだ」と責められ、佐野は結局、元に戻ることはなかった。

 私は申し訳ないと心底頭を下げ、もう少しこの国に留まるつもりだといい残し、彼らと別れた。


 そう、私の本当の目的はこの写真の場所を探し出すことにあった。

 佐野には悪いが、この写真の秘密にいつのまにか私の心は囚われていた。

 手掛かりとして残っているのは写真と、佐野のパートナーであったカメラマンの名前だけ。

 私は雑誌社に戻り、社長に金を握らせて彼を探し出した。彼は金には素直で、簡単に私に情報を差し出してくれる。やがて、社長に電話で呼び出されたペドロが社に姿を見せた。

 やせ細ろえ、どこかおとなしい印象の彼を見て私は彼がインディヘナなのではと考えたが、どうやら違うらしく、元は明るく、とても気さくな人物だったらしい。

 「アナタが佐野さんの仲間ですか、彼には悪いことをした、ワタシ後悔しています」

 私の顔を見てペドロはそう切り出した。

 「佐野はもう日本へ返しました。私はこれについて聞きたい」

 私はそう言いどうにか教えてくれと、写真の一枚をペドロに見せた、ペドロは顔をしかめて私の写真を払い落とし、見せるなと怒鳴り散らす。

 「ワタシはもう二度と同じことをしたくない、それも見せるな」

 何故だ、何がそこまで彼らに嫌悪を覚えさせるのか、私にはそれが解らず困惑するばかりだ。

 私はどうにかしようとつかみかかり、それをペドロは手で胸をついて転ばせる。その時に指にかかったシャツが破れ、私の胸元がはだけた。露になった痣を見たペドロが不意に真顔に戻り、顔から怒りが消えた。

 ペドロは「アナタはもうダメだ。仕方ない、代わりの人間を用意するから好きにしてください」と言い捨て、雑誌社から去ってしまった。


 雑誌社で私は数時間を過ごし、夕暮れになる頃、やっとペドロの紹介の男がやってきた。

 その男は痩せぎすで眼光の鋭い気味の悪い男で、ラフなシャツとダメージの激しいパンツを身につけ、首に悪趣味なドクロのネックレスを光らせていた。腕には奇妙な刺青が入れられている。それは細い糸で組み合わされた鷹の足のようだった。

 その癖、自分の事はインディヘンテ(物乞い)と呼べと言い切り、うすら笑いを絶やさない。しかし、手掛かりは実質この男にしかない訳で、仕方なく後日、目的の場所に案内してくれと約束をし、その日はホテルに帰った。


 観光盛んな首都ボゴタであれ、夜の街は危険で溢れている。

 強盗が一日に数え切れないほど行われるが、その殆どが夜中の犯行だ。

 私は当然夜出歩くつもりがないので、大人しく部屋に引きこもり、写真を再び見つめていた。そこであることに気がついた。

 佐野に破られた写真をつなぎ合わせると、破れ目が何か特殊なマークのように見える。

 それは人の手のようだ。気味が悪い、そう思いつつも、どうにかこの場所を生で、自分の目で見てみたい。その欲求が止められない、まるで恋煩いのようだ。その日、私は眠れぬ夜を過ごした。


 翌日、待ち合わせた時間に数十分の遅れを出しながらも、先日の男が現れた。

 自分の車なのか、廃車寸前のような錆び付いた車をホテル前に乗り付けてやってきた。

 私は渋りながらも助手席に乗り込んで、どこに向かうのかを聞いた。

 男は詳しい場所は伝えられない、山岳地帯で少しジャングルの中を歩く事になる。

 それだけの情報だけではまるで解らないのに、男はまるで自分の仕事は運転だけだと言わんばかりに、乱暴に車を回し、無言を通した。

 硬い座椅子に縛りつけられた私は黙り続けるしか選択肢がなかった。

 小高い丘を越え、椰子の木が連なり、熱帯植物が鬱蒼と茂る森を横目に土の道を車はゆく。


 コロンビアの市街は麻薬カルテルや反政府組織の根城が数多く存在している。

 下手に動けば彼らに簡単に殺されかねない。実際に移動中も何度か、威嚇射撃を受けたが、運転席の男はまるで無反応だ、不意に男の横顔を見ていて麻薬常習者の死体が重なり合った。

 中毒者は誰もが痩せぎすになり、目が落くぼみ、肌も黒ずみ始める。

 そのうち発作に耐えられず死んでしまうのだが、その姿がこの男によく似ていたからだ。

 まさかとは思う、という恐れが捨てきれず、私は熱に浮かされよく考えずに行動したことを後悔し始めていた。そんな私に気がついたのか男が数時間ぶりに口を開いた。

 俺のことが気になるのか、と。

 私は反応できずにいると、「俺はただの案内屋だ、裁かれるのは俺じゃない。これまでに一度も入ったことのない聖域に案内する、それだけの仕事、割が良いから続けているが、俺は恐ろしくて仕方ないんだ。これだけは言わせてもらう、お前らは馬鹿だ。案内はするが、必要以上に深入りはしない、手助けもしない。だから、俺は正常でいられるんだ。狂いたければ好きにするがいい」

 それだけ言って、黙りこくってしまった。

 山岳地帯の道なき道を進み、数時間後、男はやっと降りろと私に促した。

 私は車を降り、男と共にジャングルのような、つたと植物が絡まり合う森を進む。足の行先を妨害する木の根を踏み越え、無尽蔵に伸びる葉を払う。そうしている内、辺りに巨石が頭を見せ始めた。

 すぐに石に混じり、サンアグスティン遺跡に散在する人物を模した二等身程の石像がそこかしこに顔を覗かせた。削れかけの表情、食い込んだ根が像の経た永い歳月を私に思わせる。

 最近訪れた者がいるのか、獣道のような細い土道には植物をナタで切り落とした跡が見られた。それは入口に過ぎず、私は長い道のりを歩かされた。

 昆虫や鳥獣の声がこだまし、男と自分の息の音だけが規則的に耳朶じだを打つ。知らぬまに足元に薄い布のような霞がたち始めた。人間を象った石像が奇妙な生き物の姿に変わり始める、それはどこかの神話に現れるような、一言では言い難い形状をしていた。

 不意に私はわからなくなる、本当にここは先程と同じ森の中なのだろうかと。

 感覚が遠のいて、ただ、前へ前へ。その意識だけが私を支える。やがて、大きく崩れた岩盤の山が見つかり、奇妙な手の形状の巨石につき当たり、男のここだという声を受けて、やっと私の苦難は一先ず終わりを告げた。


 手の丁度人差し指と親指の間、その位置に穴が見える。この穴の中に、写真の場所があるのか、そう思い、男の顔を伺う。

 男は顎をしゃくり、行けとの合図を私に出した。

 私は疲れを忘れ、進められるままに穴に向かっていた。石屑、つたに足を取られながら懸命に穴を降りる。

 巨石はひび割れていて、隙間から光が降り注いていた、奥へ、奥へ、すると。

 数十メートル四方程の広場に出る。かつて何かの建築物があったのか、四方は巨石で支えられており、見たこともない文字が巨石に彫られている。

 中心の空間は椀上に下に窪んでいて、中央に写真で見た死体の山が築かれていた。低く煙る下方の山は良く見えない。


 静謐せいひつという言葉が相応しい、一目見て私は震えていた。

 僅かな日光の下、何重にも数百体の死体が折り重なっていた。

 どうやらすり鉢の下は穴が存在するようだ。死体は穴を埋めるようにうずたかく積まれていた。

 腐らずにミイラ化した死体は、写真が真実を映したものだと克明に語る。

 私は我慢しきれず、持参したカメラのファインダーに死体の山を収めていた。

 どれほどの時間が過ぎたか、数十分か或いはわからないが、耳に風音が触れた。

 誘われるようにファインダーを上に向けるとそこには風が逆巻いていた。

 天井の僅かな隙間、ありとあらゆる穴からほの白い風が悠々と抜け、繭のような風の塊を死体の山の上に形成し始める。

 やがて、耳の奥を引っかき回す金属音、超高音がせきを切ったように空間に溢れて、私は頭を抱えてうずくまる。

 唐突に静寂が戻り、私が頭を起こすと、何もない空間から死体が一体、墜ちた。私は不意にどうしても堕ちたばかりの死体が確認したくなった。誘われるように山を駆け上がり、枯れ木を踏みしだきながら、死体へと向かう。

 その死体は、他と変わらず、ミイラのような有様で、しかし、確かに見覚えのある顔だった。

 佐野だ。特徴のある黒子、老人のようであった帰国したはずの佐野。馬鹿な、嘘だろう。

 私は恐怖で自分を見失いそうになる、しかし、何故。

 考えるうち、全身に奇妙な衝撃が駆り気がつけば私は自分を見下ろしていた。

 私の姿を下に、私は巨大な腕に掴まれ、宙に浮いていた。上は恐ろしくて覗くことが出来ない。

 肉体から精神が引き剥がされた、そうなのか、考えが追いつかないうち、私の体は手につかまれたままに地球を抜けて遥か宇宙へと引きずられていた。

 何処かに運ばれているのか、気がついた頃には全てが遅すぎた。

 無音の世界、星明かりが糸のように尾を引いて視界から抜けてゆく。

 永い旅は私の精神を摩耗し、宇宙の隅々に精神の欠片を置き去りにした。

 移動が続けられ、私が削れ取られてゆく。

 遥か惑星間を進み、腕は私に様々な神々の姿を見せつけられた、一目で全てが奪い去られてしまう程の圧倒的存在感を持つ神々。私の精神は彼らをその瞳に捉えるその度に、ばらばらに粉砕され強制的に再構築され、再び運ばれる。それは完成したパズルを粉々に叩き壊し、瞬時に時間を逆巻きにして戻してしまう、そんなイメージに似ていた。けれど、粉砕された瞬間に、欠片は完全には戻らず、徐々に減らされているのだ。


 息が戻る。私は穴を手前に佇んでいた。カメラと胸に巨大な爪の跡が残されている、これは印だ、私が関わったものの偉大さを知らしめるための印。声を上げようにもしわがれた空虚な吐息以外でない。

 私は腕の主に約束されていた、次は肉体ごと旅に出ると。それは気まぐれに世界中から人を旅に連れて出ていた。お前も選ばれたことを光栄に思えと、しかし、これが光栄だろうか、意識が混沌に落ちる前に他の者に伝えねば、そう思いつつも、既にそれほどの力が残されていないことを私は知っていた。


 ただ、安らかに眠りたい、そう願い、暗闇に落ちる。


 再び目が覚めた時には、私は星霜の中に再び連れ去られていた。


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