人
駅前のベンチに腰掛けて、木村は今日も人を眺めていた。といっても、決して怪しい趣味があるわけではない。
眠そうにコーヒーを口に運ぶサラリーマン。
鞄を傘代わりに小走りする女子高生。
電話をしながら、涙をこらえる若い父親。
のんきな鳩におびえる幼い子ども。
そんな姿が、どうしようもなく愛おしかった。
木村は鞄の中からスケッチブックを取り出した。
白い紙の上には、この街の日々の断片が生きている。彼は今日も、人を描く。
ある日の夕方、木村は泣いている少年に出会った。
ランドセルの肩ひもをぎゅっと握りしめて、悔しさと悲しさをどうしていいかわからない表情だ。
「どうしたの?」
できる限り優しい声で尋ねると、少年は言葉をつまらせながら答えた。
「友だちが・・・ぼくの描いた絵を、下手だって笑って・・・。」
木村は少年のもつスケッチブックに目をやった。
「その絵、見せてもらってもいいかな?」
少年は迷いながらスケッチブックを差し出す。
そこには、友達3人と笑っている自分の絵が描かれていた。
線は不揃いで、色もはみ出している。
「いい絵だ。」と木村は言った。
少年は驚いた顔をした。「ほんとに?笑わない?」
「笑わないさ。君の絵は本当にいい絵だよ。」
少年は唇をゆがめ、そして小さく笑った。
泣き顔のままの笑顔は、世界のどんな宝石よりきらきらしていた。
「ねえ、おじさんはなんでそんなふうに言えるの?」
木村は少し考えてから答えた。
「みんなとても楽しそうだからだよ。君の気持ちが、よく伝わってくる。」
少年は絵を胸に抱いた。
夕日が差し込み、彼の目の奥できらめく光が、少しだけ強くなった気がした。
「ぼく、もう一回描いてみる。もっとうまく描いて、みんなに見てもらいたい。」
少年が走り去るのを見届けて、木村はまたスケッチブックを開く。
人は今日も、泣いたり笑ったり、すれ違ったり寄り添ったりしている。
その一つひとつが、彼の胸の奥に落ちていく。
彼は人が好きなのだ。




