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天才達の天才?争奪戦

ひのきヶ丘中学校の校舎は、仮装行列の喧騒がようやく収まりつつあった。


初夏の陽光が窓から差し込み、廊下を淡い金色に染めている。吹奏楽部の部室では、部員たちが汗を拭きながら楽器を片付けていた。トランペットの音がまだ耳に残る中、副部長の古井座一見は、眉を寄せて周囲を見回した。



一見「……あら、満里奈さんはどこですの? 部室に姿が見えませんわ」



一見は黒髪をポニーテールにまとめ、サックスをケースから取り出す。お嬢様らしい上品な雰囲気を纏い、いつも冷静沈着を装っているが、今日は何か予感めいた苛立ちが胸に渦巻いていた。彼女は部員の一人に声を掛けた。



一見「最後に満里奈さんを見たのはどなたですの? 仮装行列の後、すぐに部室に戻るはずでしたのに…」



部員の少女が手を挙げた。



「あ、さっき校庭で見たよ。美術部の麗華が美術室の方に連れて行ったみたい。…満里奈、まだ戻ってないの?」



その言葉を聞いた瞬間、一見の表情が一変した。目が鋭く細められ、拳が自然と握り締められる。



一見「紫鳳院……麗華。あの女…」



一見の心臓が激しく鼓動を打った。怒りが沸騰するように込み上げてくる。


紫鳳院麗華――美術部の部長で、学校の「女帝」と呼ばれる存在。彼女とは入学以来の因縁があった。一見が入学した年、民間主催の全国統一模試で、麗華は前年度の全国一位を自慢げに吹聴していた。完璧な芸術家肌の彼女は、学力でも頂点に立つことで周囲を圧倒していたのだ。


しかし、一見はそれをあっさり覆した。


模試の結果発表で、彼女の名前が一位に躍り出た。麗華の記録を大幅に上回るスコア、ぶっちぎりだった。あの時、麗華の顔が青ざめたのを一見は今でも鮮明に覚えている。


それ以来、麗華は一見を一方的に敵視。事あるごとに突っかかってくるようになった。美術部と吹奏楽部の合同イベントで、わざと時間をずらして邪魔をしたり、廊下で睨みつけてきたり……。そんな積もり積もった恨みが、今日の出来事で爆発した。



一見「…満里奈さんを美術室に連れ去った? これは明らかに、私への嫌がらせですわ! あの女…絶対に許しませんわよ!」



一見は部室を飛び出し、美術室に向かって駆け出した。初夏の風が彼女のポニーテールを揺らすが、心は嵐のように荒れていた。階段を四段飛ばしで上り、廊下を疾走する。通りすがりの生徒たちが驚いた顔で振り返るが、そんなことに構っている暇はなかった。


放課後の廊下は、部活動に向かう生徒たちの足音で賑やかだった。その中を、一見は突き進む。彼女の周囲には、まるで黒いオーラが立ち込めているかのように感じられ、他の生徒たちは無意識に道を譲る。


ちょうどその時、反対方向からゆっくりと歩いてくる少年の姿があった。柊光――吹奏楽部の部長で、闇柊騒動の影響でしばらく療養を強いられていた彼が、ようやく学校に復帰したのだった。まだ顔色は少し青白いが、穏やかな笑みを浮かべて部室に向かう途中だ。



柊光「ふう、久しぶりの学校だな……。みんな元気かな。部活に顔を出して、まずは挨拶から……」



彼は軽く息を吐き、廊下の角を曲がったところで、一見の姿を捉えた。



柊光「…お、あれは一見君。…やぁ、久しぶ………」











美術室の空気は、絵の具の匂いと初夏の湿気が混じり合い、重く張りつめていた。


部屋の中央に置かれたイーゼルには、麗華が自慢げに掲げたルネサンス期の原画が飾られ、北欧神話の神々が躍動する姿が鮮やかに描かれていた。


満里奈は麗華の隣に座らされ、隣には美術部員であるあかりが複雑な表情で寄り添っていた。満里奈は麗華の熱弁に圧倒され、ただ頷くしかなかった。


麗華は栗色の長い髪を優雅に払い、満里奈の目を真っ直ぐに見つめた。彼女の声は、いつものように自信に満ち、抑揚をつけて響く。



麗華「これを見て、どう思いますか、満里奈さん? これはルネサンス期を代表する作品の一つで、北欧神話をモチーフにした絵画なのです。神々の力強い筋肉の表現、背景の幻想的な光の使い方……どんなインスピレーションを受けましたか?」



満里奈は絵をじっと見つめ、言葉を探した。仮装行列の疲れがまだ残る中、突然の美術講義に戸惑っていた。



満里奈「えっと……何か、神様の躍動感が凄いなと……こだわりがあるというか……動きが生き生きしてる感じがします」



麗華の目が輝いた。彼女は手を叩き、満足げに頷く。



麗華「素晴らしい感性だわ! この作者は北欧神話の壮大な物語に深く感銘を受け、自らの筆でそれを表現しようとしたのです。見て、この素晴らしい表現力。まさに命をかけた大作にふさわしい出来栄えです。あかりもそう思いませんか?」



あかりは慌てて周囲を見回し、麗華の視線に押されるように答えた。



あかり「……ズ、ズバリそうでしょう。うん、迫力あります……」


満里奈「は、はぁ…」



満里奈は曖昧に微笑み、曖昧な返事をした。


内心では、吹奏楽部の部室に戻りたいという思いが募っていた。麗華の美術アピールは容赦なく続き、彼女は次々とスケッチブックや参考書を広げて説明を重ねた。満里奈のコスプレ設計図を褒めちぎり、



麗華「これはまさに芸術の才能よ。吹奏楽部で埋もれさせるなんて、もったいないわ」



と繰り返す。


麗華の目がキラリと光る。そろそろ本題に入ろうと、机の上から一枚の用紙を持ち上げた。それは吹奏楽部の退部届だった。彼女は満里奈にペンを差し出し、穏やかな笑みを浮かべた。



麗華「さあ、満里奈さん。ここにサインして。美術部であなたの才能を存分に発揮しましょう。きっと、後悔しないわよ」



満里奈は用紙を見て青ざめた。



満里奈「え、えっと……私、まだ決めてなくて……」



しかし、麗華は聞く耳を持たず、用紙を満里奈の前に押し付けた。ところが、用紙を改めて見ると、すでに記入欄に名前が書かれ、退部届が完成しているようだった。麗華は不思議に思いながらも、喜びに満ちた声で持ち上げた。



麗華「まぁ、満里奈さん、もう書いていたのですね。ふふふ……その英断に敬意を表しましょう。では、記念に読み上げますね」



彼女は用紙を広げ、大声で読み始めた。



麗華「“私は本日をもって美術部を退部いたします。令和◯年◯月◯◯日。ひのきヶ丘中学三年◯組 紫鳳院 麗華”……おめでとうございます、麗華さん。これで晴れてあなたは美術部をたい……って、なんで私ぃ!?!?!?」


あかり「部長、気付くの遅すぎです!!」


満里奈「………」



麗華の声が途中で裏返った。用紙を二度見し、顔が引きつる。記入欄をよく見ると、明らかに修正ペンで元の文字が消され、書き換えられた痕跡が残っていた。「吹奏楽部」の部分が消され、「美術部」に変わり、署名欄には麗華自身の名前が、物凄い達筆で丁寧に書かれていたのだ。満里奈の名前などどこにもない。


満里奈とあかりは目を丸くし、互いに顔を見合わせた。



「「え、ええ!? 麗華先輩の退部届!?」」



麗華は用紙を震える手で握りしめ、声を絞り出した。



麗華「こ、これは……誰の仕業よ!? 満里奈さん、あなた……?」



満里奈は慌てて首を振った。



満里奈「私、書いてません! 本当に!」


麗華「…じゃあ…あかり、貴女ね! 私が満里奈さんに気を取られている隙に書いたんでしょう!?」


あかり「天地神明に誓ってそんな大それた事しません! 信じて下さい部長!」


麗華「嘘おっしゃい! ここにいる人間で私の目を盗めたのは、貴女しかいないのですよ! …よくもこんなふざけた真似を…」


あかり「部長! 信じて下さい! わたし、そんな…」


麗華「まだとぼけ…」



麗華があかりを追及しようとして声を出そうとした瞬間、部室内に違う人間の声が響き渡る。






“ひとーつ…。ひとの都合を無視…。ふたーつ…不埒な勧誘三昧…。みーっつ…醜き母校のボスを…退治てくれよう…副部長!”






部屋の隅に置かれた銅像の影から、ゆっくりと人影が現れた。黒髪のポニーテールに揺れ、上品な制服姿の古井座一見が、修正ペンを片手に立っていた。彼女の唇には、勝ち誇ったような微笑みが浮かんでいた。



一見「あらあら、麗華部長。美術部を退部なさるのですね。おめでとうございます。心より、お祝いを申し上げますわ…ウフフフ♡」



麗華の目が鋭く細められた。



麗華「一見さん……あなた、いつからそこに!?」



一見は優雅に髪を払い、ゆっくりと近づいた。



一見「あなたたちが満里奈さんに説明するのに夢中になっている間、空いていた扉からこっそり忍び込みましたのよ。修正ペンは、あなたの机からお借りしましたわ。吹奏楽部の退部届を、麗華さんが美術部を退部する内容に書き換えるなんて、簡単なことでしたの。全国模試一位の頭脳ならこんなイタズラくらい朝飯前ですわ」


満里奈「ぜ、全国模試一位!?」


あかり「ううっ…凄い…」



模試の結果を持ち出された麗華(全国二位)の顔が真っ赤になり、ひきつった笑顔を浮かべた。



麗華「くっ……一見さん、あなたという人は……! こんな姑息な手段で……」



一見は肩をすくめ、冷静に返した。



一見「姑息? いいえ、ただの自衛ですわ。満里奈さんは吹奏楽部の大切なメンバー。あなたのような強引な引き抜きから守るためですのよ。模試の恨みを引きずるなんて、歴史ある紫鳳院の名を汚す愚行じゃありませんこと?」



部屋の空気が一瞬凍りつき、満里奈とあかりは息を潜めて見守った。麗華は用紙をくしゃくしゃに握り、悔しげに睨みつけたが、すぐにいつもの女帝らしい笑みを浮かべ直した。



麗華「…ふん、面白いわね。一見さん。この勝負、まだ始まったばかりよ。今日ここで、きっちり決着をつけましょうか!?」



一見も負けじと頷いた。



一見「ええ、楽しみですわ。満里奈さんの才能は、音楽でこそ輝く事を証明してさしあげましょう」



こうして、美術室での小競り合いは新たな火種を生み、争奪戦の幕がさらに上がった。




初夏の陽光が、部屋の緊張を優しく照らし出していた。






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