その日、彼女は思い出した。あの方のアレが放つ香りを⋯ 女帝の仮面を砕く屈辱を⋯⋯
柊光、その日、彼は闇の道化師と化した。
オルガの能力により洗脳された彼の心は、闇の渦に飲み込まれ、端正だった顔立ちは今や、歪んだ狂気の笑みを強引に張り付け、無数の人間たちを底知れぬ恐怖の淵に叩き落とす。
オルガの超能力が彼の外見を一変させ、長い黒髪が異様に膨らんだ頭部、血走った目と裂けたような口、泥にまみれた白いワンピースの幽霊のような姿——それは、まるで古いホラー映画から飛び出してきた亡霊の少女のようだった。
銀髪の御曹司の面影は微塵もなく、ただの恐怖の化身として、学校を徘徊する。
廊下を、体育館を、屋上を、彼は縦横無尽に駆け巡る。その姿は、まるで地獄の裂け目から這い上がってきた亡霊のように、影を纏い、冷たい風を纏い進む。足音は不気味に響き、背後に残るのは、ただの静寂と、冷たい狂気の残響だけだった。
オルガの罰は、単なる遊びではなく、皇族の尊厳を汚した人間への報い——だが、この行為が人類の心に植え付ける恐怖は、地球外生命体との邂逅がもたらす葛藤を象徴していた。
満里奈は遠くからその光景を目撃し、胸に冷たい予感を抱く。
放課後の教室。生徒たちがのんびりと帰り支度を整え、夕陽の柔らかな光が机の上を優しく染めていたその時、開け放たれた窓から、黒い人影が音もなく飛び込んできた。
それは、紛れもなくあの柊光だった。
彼は窓枠に細い指をかけ、重力を嘲笑うかのように、しなやかで猫のような身のこなしで教室に滑り込む。その顔には、邪悪な笑みがゆっくりと広がり、瞳は底なしの闇を宿していた。
長い黒髪が膨らんだ頭部が揺れ、汚れた白いワンピースが風に翻る——生徒たちは一瞬の凍りつきを破り、甲高い悲鳴を上げ、椅子をガタガタと倒しながら、出口へと殺到して逃げ惑う。空気は一気に張りつめ、恐怖の匂いが教室を満たした。
闇柊「ヒヒヒッ、みんな…僕と…踊ろうよ…」
彼の声は、乾いた笑い声に絡みつき、耳障りな不協和音を奏でる。それは、壊れた笑い人形のように、甘くも不気味に響き渡る。彼は、ゆっくりと手を差し出し、まるで獲物を捕らえる蜘蛛の糸のように、生徒たちを追いかけ始めた。指先が空を切り、影が床を這うように広がる。
生徒たちは悲鳴を上げ、机を倒しながら逃げ惑うが、闇柊はまるでこの惨劇を心底楽しんでいるかのように、ニヤニヤと唇を歪めながら、生徒たちを容赦なく追い詰める。彼の足取りは軽やかで、まるでダンスのステップを踏むかのようだった。
「ギャーーーッ!」
「助けてー!」
悲鳴が教室に反響し、混乱の渦を巻き起こす中、闇柊は一人の生徒に迫り、長い髪を振り乱して飛びかかる。生徒は転倒し、床に倒れ込むが、彼はそこで止まらず、次の標的を求めて動き続ける。
この暴走は、オルガの制裁がもたらしたもの——人類の対応として、学校はパニックに陥り、教師たちが駆けつけるも、事態の収拾がつかない。
また別の教室では、生徒たちが和やかに談笑し、笑い声が穏やかな空気を満たしていた。その時、天井のジプトンが、不自然にきしみ、微かな振動を伴って揺れ始めた。生徒たちが訝しげに上を見上げ、首を傾げる間もなく、次の瞬間、ジプトンが爆発的な音を立てて砕け散り、破片が雨のように降り注いだ。
そこから、闇柊がまるで天から落ちる災厄のように、軽やかに飛び降りてきた。埃が舞い上がり、教室は一瞬にして闇に包まれる。
闇柊「ハァッハァッハァッハァッ…みんな、僕と、遊ぼうよ…」
彼の目は血走り、赤く充血した瞳が狂気の炎を灯す。その顔は、まるで獲物を求めて飢えた獣のように、牙を剥き出しに歪んでいた。息遣いが荒く、汗が額を伝う。生徒たちは絶叫し、出口へ殺到するが、闇柊は笑い声を上げながら、机を蹴散らし、追いかける。
理科室。ここは、他の場所とは少し違っていた。静かな実験器具の影が、薄暗い光に溶け込む中、闇柊は理科室の人体模型と手を取り合い、優雅なステップでダンスを繰り広げていた。彼は、冷たいプラスチックの体を抱きしめ、くるくると回り、まるで華やかなボールルームで社交ダンスを披露する紳士のように、優美に動きを連ねる。模型の無表情な顔が、彼の狂気の鏡のように映る。
闇柊「僕の…愛しい…君…一緒に…永遠に…踊ろうね…」
彼の声は、愛を囁く恋人のように甘く、ねっとりと絡みつく。しかし、その目は狂気の渦に満ち、底知れぬ闇を湛えていた。生徒たちは、その異様な光景を目の当たりにし、息を呑み、言葉を失って立ち尽くす。空気は重く淀み、誰もがこの狂気の輪から逃れられない予感に囚われた。オルガの罰は、単なる変身以上のもの——人類の心理を試す、地球外の倫理観の違いを浮き彫りにする。
しかし、彼の暴走は、校舎の中だけでは終わらなかった。校舎の外壁を這い回り、窓の外から生徒たちを覗き込む。垂直の壁を自在に登攀し、指先と足裏がコンクリートに張り付き、まるでゴキブリのように敏捷で不気味に移動する。風が彼の髪を乱暴に揺らし、夕暮れの空がその姿を妖しく照らす。彼は、窓の外から生徒たちを覗き込み、ガラスに息を吹きかけるように顔を近づける。
闇柊「キミ…そこにいるね…」
彼の顔が、窓ガラスにぴったりと貼りつき、歪んだ笑みが反射して倍増する。それは、まるで古典的なホラー映画の不気味な一シーンのようだった。息が曇りを生み、瞳がガラス越しに生徒たちを射抜く。
生徒たちは、恐怖に身震いし、慌ててカーテンを引き、窓から離れ、背中を壁に押しつけて息を潜める。校舎全体が、彼の狂気の影に覆われる。
ひのきヶ丘中学の美術室は、夕暮れの柔らかな光がキャンバスに差し込み、絵の具の独特な香りが静かに漂う。
紫鳳院麗華の絶対的な領土。
美術部部長を務める三年生の彼女は、平安時代から続く名門貴族の家柄を背負い、日本有数の財閥・紫鳳院家の令嬢として生まれながら育った。自他共に認める学校の女帝であり、生徒たちの間では絶対的な権力者として君臨する存在。
栗色の髪を優美に結い上げ、制服の襟元まで完璧に整えたその姿は、気品と威厳に満ち、才色兼備のハイスペックお嬢様の象徴だった。
美術的センスも全国レベルで、美術の全国大会では常に優勝常連の輝かしい実績を誇り、部員たちを厳しくも優しく指導する彼女の言葉は、部室に法則を定める勅命のよう。
プライドが高く、決して弱みを見せない完璧主義者だが、そんな彼女にも唯一の弱点があった…。
おばけやホラー――幼い頃、家族の古い屋敷で耳にした怪談の記憶が、完璧な仮面の下に潜む、ただの少女らしい恐怖心を呼び起こすのだ。
そして、麗華の心には、密かな想いが宿っていた。
世界二大財閥・柊コンツェルンの御曹司、柊光。幼い頃からの知り合いであり、端正な容姿と冷静沈着な知性で、彼女が心から尊敬し、密かに片思いを寄せる理想の男性像その人。普段の彼の姿を思い浮かべるだけで、胸が高鳴る。呼び方は常に敬意を込めて「柊様」。そんな彼が、今日も学校にいると思うだけで、麗華の筆運びはより優雅になるのだった。
部員たちが熱心に作品を仕上げ、麗華も全国大会の新作に集中していたその時、美術室の外から、突然の騒然としたざわめきが聞こえてきた。
悲鳴のような叫び声、足音の乱れ、廊下を駆け抜ける生徒たちの慌ただしい気配。美術室の窓から見える校庭では、数人の生徒が息を切らして逃げ惑い、遠くの体育館方面から不気味な笑い声のようなものが微かに響いてくる。
麗華「なんの騒ぎかしら?」
麗華は筆を止め、優雅に眉を寄せて窓辺に近づいた。女帝たる彼女は、常に学校の秩序を気にかける。部員たちも作業を中断し、不安げに顔を見合わせる。麗華は穏やかに、しかし威厳を持って部員に命じた。
麗華「皆、集中しなさい。私は様子を見てくるわ」
そう言い残し、美術室を後にする。心のどこかで、柊様の姿が浮かぶが、そんなはずはない――ただの生徒間の揉め事だろうと、彼女は自分を納得させた。
しかし、廊下に出た瞬間、事態の異常さが麗華を襲った。生徒たちが顔を青ざめさせて駆け抜け、壁に貼られたポスターが乱れ、床には散らばった教科書。騒動の中心は、校舎の奥から。麗華は足を速め、事態の現場へと進む。そして――
ドンドンドンドンドンドン!!
渡り廊下の屋根を何かが大きな足音をたてながら突進してくるのが見えた。それは……
闇柊「おやぁ? れ、麗華君……僕と……踊ろうよ……キヒヒヒヒヒヒヒヒッ!!」
麗華「はええええええーーーっ!?」
見たことのない、恐ろしい容姿に麗華は絶叫する。
それは柊光だった。オルガの洗脳により、幽霊のような少女の姿に変えられた彼の顔には、歪んだ狂気の笑みが張り付き、目は血走り、髪は乱れていた。所々黒く染まったワンピースはよれよれで、まるで地獄の亡霊のように、指をくねらせながら近づいてくる。麗華の心臓が、激しく凍りつく。
麗華「…今の声は…柊様ぁ!? …そんな、尊敬する柊様が、こんな……お化けのような姿でぇ?」
とにかくその場を離れる麗華。開け放たれた窓から、闇柊が人間とは思えない動きで飛び込んでくる。
闇柊「れ、麗華……僕と……踊ろうよ……ヒヒヒッ……」
その声は、乾いた笑いに混じり、耳障りな不協和音を奏でる。普段の柊光の穏やかなトーンとは似ても似つかず、狂気の渦が渦巻いていた。麗華の瞳が見開かれる。片思いの相手が、こんな姿で迫るなど、信じがたい悪夢。
麗華「柊様……? 何を……ふざけないでくださいませ! これは、何かのご冗談でしょう?」
プライドの高い麗華は、動揺を隠そうと胸を張る。周りにいた生徒達も凍りつき、悲鳴を上げて後ずさる。女帝たる彼女でも心臓が激しく鼓動を打ち、背筋に冷たい汗が伝う。おばけが苦手な彼女にとって、これは耐えがたい恐怖。だが、柊様がそんな姿で迫るなど、受け入れがたい。
きっと、何かの間違い。イタズラか?
麗華が美術室の扉を乱暴に開けて室内に飛び込み、素早く閉めて鍵をかける。何事かと注目する部員達。そして、外から物凄い力で扉がバンバンと叩かれる。訳が分からず悲鳴を上げながら集まる部員達。麗華は恐怖を表情に出さないように後ずさりながら、扉を見つめる。
扉がブチ破られた。部員達が悲鳴を上げながら壁に後退する。麗華は部員達を守るように、前にたちはだかる。
床をヒタリ、ヒタリと素足で歩く音…。闇柊がニヤリと笑みを浮かべた。
麗華「くっ…」
闇柊「…ヒヒヒヒヒッ!!」
闇柊が突然手を差し出す。まるで獲物を誘う蜘蛛のように、指先が空を掻く。
闇柊「みんな……僕の……愛しい……一緒に……永遠に……踊ろうね……ハァッハァッハァッ……」
その瞬間、彼は飛びかかってきた。美術室の机を蹴散らし、絵の具の瓶が転がり、鮮やかな赤と青が床に飛び散る。麗華は悲鳴を抑え、素早く後退。キャンバスを盾にし、部員たちに叫ぶ。
麗華「皆、逃げなさい! これは……これはお化けじゃないわ! ただの……ただの柊様の間違いよ!」
部員A「えっ!? 柊先輩!?」
麗華「いいから早く逃げなさいっ!! 先生方を早く呼んできてっ!!」
部員A「は、はいっ!!」
闇柊の横を、部員達がバタバタと廊下に向かって駆け抜けていく。それを見た闇柊。その瞬間、麗華は闇柊の物凄い力が一瞬抜けたと感じた。おもいきり突き飛ばす。
よろめきながら後退する闇柊。だが、すぐに態勢を立て直すとその場跳躍を始める。キャンバスを構えて身構える麗華。
そして、闇柊の動きは縦横無尽に壁を這うように移動し、天井の梁から吊り下がり、まるでホラー映画の亡霊のように迫る。麗華は必死に逃げ回る。プライドが許さず、女帝の威厳を保とうとするが、恐怖が徐々に彼女を蝕む。机の下に隠れようとして転び、絵の具にまみれる。闇柊の笑い声が響き渡り、
闇柊「キミ……そこにいるね……ヒヒヒッ……」
と、窓ガラスに顔を貼り付けるような不気味さで追いかけてくる。
麗華はようやく出口へ向かうが、闇柊が展示人形を抱えてダンスを始め、人形を投げつけてきた。人形が麗華の足元に転がり、彼女はバランスを崩して転倒。
恐怖の頂点で、幼い頃の怪談の記憶がフラッシュバックする。お化け……本物のお化けが、片思いの柊様の姿で迫るなんて!
パニックの極みで、麗華の言葉遣いが、名門の血筋ゆえの京都の廓言葉に変わる。優雅な響きを保ちつつ、恐怖が滲み出る。
麗華「いやどすえ……柊様、止めておくれやす……お、お化けどす……怖うて、たまらんわ……踊りは、ええから……あかん、絶対あかんどすえ……」
麗華のプライドが崩壊し、絶叫が美術室を震わせる。彼女一人。闇柊の影が覆いかぶさる中、麗華の視界が揺らぐ。
そして…目の前に突きつけられた…ケツ…。
!?
某特攻風伝説のごとく、ケツの前に出現する“!?”。それを見た麗華の思考が混乱したその瞬間…
ボゴオオオオォォンンッ!!!!
今まで聞いたことのない凄まじい破裂音…。大放屁が発生させた新幹線よりも速い猛烈な風圧が麗華の顔面を直撃する。
その激臭に麗華は臭い覚えがあった…。
幼い頃に、柊家主催の社交パーティで柊光とかくれんぼをしていた時、机の下に一緒に隠れていた柊光が青い顔をしながら身震いをした瞬間に聞こえたあの音…。その時よりも何十倍も濃い、香しい猛烈な硫化水素的な激臭…。
幼いながらも紫鳳院の誇りを、汚されたと感じたあの日の屈辱…。
(…この香りはあの時の…どんなに姿形が変わろうとも…あなたは私の知る柊光様なのですね…うれしい…。でも、こんな臭いオナラを顔面になんて…く・つ・じょ・く…。…ああ…時が見える…でありんす…)
恐怖の極限で、麗華の脳裏に走馬灯のごとく過去の風景が駆け巡る。白目を剥き口から泡が吹き出し、意識が遠のく。女帝の仮面が剥がれ、ただの少女の弱さが露わになる瞬間だった。
彼女は床に崩れ落ち、気絶した。美術室に残るのは、散乱した絵の具と、ハエすら撃墜する激臭。そして、狂気の笑い声の残響だけであった…。
校庭は、夕陽の残光が芝生を血のように赤く染め、放課後の喧騒が一転して絶叫の渦に変わっていた。闇柊の暴走は校舎の外壁を這い回った末、ついに広々としたこの空間にまで及んでいた。
彼は幽霊のような姿で、縦横無尽に駆け巡り、生徒たちを追い立てる。歪んだ笑みを浮かべ、血走った目で獲物を狙うその動きは、予測不能でトリッキー。地面を蹴って跳躍し、突然方向を変え、まるで影のように生徒たちの間をすり抜ける。悲鳴が上がり、逃げ惑う生徒たちの足音が校庭を震わせる。
闇柊「ヒヒヒッ……みんな、僕と……遊ぼうよ……ハァッハァッハァッ……」
乾いた笑い声が風に乗り、恐怖を増幅させる。闇柊は一人の生徒に迫り、手を伸ばして掴みかかろうとする。生徒は転倒し、芝生に転がる。絶体絶命の瞬間、周囲から新たな足音が響いた。
力強く、規則正しい――剣道部の面々だった。部員たちが竹刀を構え、息を切らして駆けつける。
その先頭に立つのは、葉風澪奈。
一年生ながらも剣道部のエースに抜擢された彼女は、幕末の最強剣豪の生まれ変わりとも噂されるほどの天才剣士。髪をポニーテールにまとめ、道着姿の凛々しい佇まいは、戦場に立つ武者のよう。
普段は穏やかな笑顔を浮かべるが、一度剣を取れば、相手の動きを瞬時に読み切り、一切の隙を見せない。彼女の目は、常に冷静で、嵐の中の静かな湖面のように揺るがない。
澪奈「…これはこれは、随分と酔狂な出で立ちですな、柊光先輩…。いけませんな、柊家次期当主である貴方様がこのような騒ぎを起こされては…。現当主であるお父上と、この学園の理事長であるお祖父様が嘆かれますぞ」
闇柊「………」
剣道部部長「澪奈、これが柊君なのか?」
澪奈「はい。かなりの裏声ですが、よく聞けばすぐに分かります…。部長、一年のみんな、先輩方もお下がりを…。ここは私に任せてください」
剣道部部長「…分かった。だが、怪我だけはさせるなよ。柊君は柊家次期当主…何かあれば、いくら君の家が名門でも責任は免れないぞ…」
澪奈「善処いたします。…まぁ、あまり期待はしないでいただきたいですな…」
部長「おいおい…」
澪奈「では…参る!!」
澪奈の声が鋭く響く。部員たちが後退する。生徒たちも、彼女の姿に一瞬の安堵を覚え、校舎の影に身を寄せる。動きを止めていた闇柊がゆっくりと振り向く。ニヤリと笑みを深め、指をくねらせながら澪奈に視線を移す。オルガの洗脳が彼の心を蝕み、理性は闇に沈んでいるが、本能的に強者を察知したのか、瞳に狂気の炎が灯る。
闇柊「澪奈君か…君も……僕と……踊ろうよ……ヒヒ……」
闇柊が低く呟き、突然フェイントを仕掛ける。右から突進するふりをして、地面を蹴り、左へ飛びすぐに右に突進。トリッキーな身のこなしで澪奈の死角を狙い、指を立てて飛びかかる。風を切り裂くような速さで、予測不能の軌道を描くその攻撃は、普通の者なら翻弄されるはずだ。生徒たちは息を呑み、部員たちも竹刀を握りしめて見守る。
しかし、澪奈は微動だにしない。彼女の目は、闇柊の動きを一瞬で捉え、フェイントの意図を読み切る。生まれ変わりの血が、彼女の感覚を研ぎ澄ます。闇柊が本気の突撃を仕掛けた瞬間――彼女は体を低く沈め、足を軸に回転を始める。まるでコマのように、素早く一回転。回避の勢いをそのままに、闇柊の突進を紙一重でかわし、彼の背後に右回りに入り込む。風が彼女の道着を翻し、竹刀が空気を裂く音が響く。
その動きは、完璧な渦巻き。回避の回転力が、竹刀の軌道に加速を与え、強烈な一撃を生み出す。澪奈の竹刀が、閃光のように闇柊の首元に振り下ろされる。
轟ゥ!!
ゴキン!!
…という鈍い音が校庭に響き、闇柊の体が吹き飛ぶ。砕けた竹刀の破片が飛び散る。回転しながらゴロンゴロンと地面を転がり、ツツジの植え込みに勢いよく突っ込んだ。一瞬姿が見えなくなるが、ツツジの中から勢いよく立ち上がる。だが、狂気の笑みが一瞬で凍りつき、彼は膝から崩れ落ちる。洗脳された心に、激痛が電撃のように走り、意識が揺らぐ。
澪奈は、ほとんど破壊された竹刀を構えたまま、静かに息を整える。歓声があがり部員たちが駆け寄る。生徒たちの安堵の溜息が広がる中、彼女の目は闇柊の倒れた姿に注がれる。勝利の余韻ではなく、わずかな憂いが浮かぶ。
この暴走の原因は、何か別のものだ――彼女の直感が、そう告げていた。校庭の夕陽が、戦いの余熱を優しく溶かしていく。
柊光の暴走は、ようやく終わりを告げた。




