第8話 友の終わりを見せてくれた
親しげに名前を呼んでいたということは、封印されている間に友人が死んだってことなのかしら。日記が途中で終わっていたのはラジェカリオにとっても友人であるオトが死んだから?
そう予想を立てているとサヤツミが日記の中身をこちらに向けた。
「オトは病で急死したそうだ。あいつは綺麗好きだったからここを封印場所に選んだのになぁ、まあ確かに目覚めた時にやたら汚いなとは思ったんだ」
「ええと……そのふたりはあなたの友人だったの?」
「そんな高尚なものじゃないが、まあそう呼んでも否定する気は湧いてはこない」
回りくどい。
けど、それだけ複雑な思いを抱えながら接していた相手なのかも。
それならあまり突っ込んで訊ねるべきじゃないわね。
そう思ったものの、サヤツミはそのまま遠慮なく話を続けた。
「日記の最後のほうは闘病日記だな。ラジェカリオも病死したようだ。日付的に呪いが減退する前だから、死ぬ前に俺を目覚めさせるって選択肢は選べなかったらしい」
「……あの、その、なんと言えばいいか……」
出会った直後とはいえ、永い眠りから覚めてすぐに友人ふたりの死を知ったサヤツミの心情を思うとなんと声をかけていいかわからなくなる。
今世の私には友人らしい友人はいなかった。
母に指名された友人役はいたけれど、気に入られようと必死でイエスマンになっていて友人とは言い難い存在だったわ。
でも前世では悩みを明かし合ったり、時々喧嘩したり、同じものを見て笑い合う友人がたしかに存在したから――そしてそんな存在と転生でお別れしたから、余計にサヤツミが心配になったのかもしれない。
しかし当のサヤツミは満面の笑みを浮かべると再びヨーシヨシヨシと撫でてきた。
姫じゃなくて犬に転生した気分になってきたわ。
「心配してくれてるんだね、な~んて優しい人間だろうか! 愛い奴め!」
「勢いが! 勢いがありすぎて首がもげる!」
「そうだ、君はなんて名前なんだ? さっきその魔族が呼んでいた気が……というかここは魔族の国なのになぜ人間が城内に?」
サヤツミのもっともな疑問に答えるべく、そしてそれを盾に撫で回し攻撃から逃れるべく、私は髪を整えながら名乗った。
「わ……私はゼシカ。先日魔王アズラニカに嫁ぐためにやってきた――人間の国、ファルマの第一王女よ」
***
私の身の上とここへ来た経緯を掻い摘んで話す。
聞き終えたサヤツミは「なるほど」と自分の顎を撫でた。
「人間は愚かなところも可愛いなぁ」
「ブレない……」
「しかし大変だったろう。ここでは俺を頼るといい、長く眠りすぎて力は落ちているようだが、すぐに回復するからね!」
「あ、ありがとう。けどアズラニカがいるから多分大丈夫よ」
そう言うとサヤツミは牙を隠すように口を尖らせる。
「現魔王ってことはラジェカリオの息子か孫辺りだろ。いや~、信用できないなぁ」
「それはあなたも同じ……っていうかラジェカリオの? あっ、だから書庫に近づくなって言われてたのね!?」
封印されているとはいえ、まだ呪いが残っているサヤツミに息子のアズラニカが近づいたらうつってしまうかもしれない。
それを心配して「あの部屋には近づくな」って言い聞かせていたんだわ。
なら素直に理由もセットで話して良かったんじゃ……とも思ったけれど、呪いを受けた魔神が封印されているなんて醜聞は隠しておきたかったのかもしれないわね。
幼いアズラニカが怖がる可能性もあるし。
ラジェカリオとオトに呪いから身を守るすべがあったのかはわからないけれど、友人のよしみで封印の番をしていたのだとしたら、他の魔族から忌避されていた書庫を封印の場所に選んだのはラジェカリオ側から見ても理に適っている。
その話をサヤツミに伝えると彼は「過っ保護~!」と笑った。
「呪いが漏れないよう厳重に封じたのにさ! 安全でなきゃ俺もこんな場所を封印の場所に選んだりしないぞ!」
「厳重……ならなんで名前を呼んだだけで封印が解けたの?」
「ん? 名前は強い言霊だからね。時間の経過で解けかけていた封印が名前を呼ばれたことで完全に解けたんだ」
サヤツミは自分の毛先を指先でくるくると弄る。
「俺の名前はもう俺しか呼ぶ者がいないと思っていた。自力で突き止めて欲しくてあいつらにも教えてなかったんだ。このカードはヒント兼答えとして渡したものだよ」
ぐしゃぐしゃになった後にしわを伸ばされたメッセージカードを摘まみ上げ、サヤツミは小さくため息をついた。
「まあ、ふたりは気にせず魔神呼びだったが……これも封印後に気が向いて調べてみたけど、全然突き止められなくってむしゃくしゃして握り潰したんじゃないかな」
「――気にしてたと思うわよ。だから文字に関する本の内容がここまで充実してたんだと思うの」
私はメッセージカードの文字を調べるために使った本をサヤツミに見せる。
これがあったからすぐに突き止められたけれど、ラジェカリオやオトは自力で調べたんだと思う。
むしろそのためにナクロヴィア各地の文字、それどころか人間の領域の古代文字まで網羅したんじゃないかしら。
目をぱちくりさせたサヤツミはもう一度ラジェカリオの日記を開き、オトの死因が書かれるより以前――自身が封印されてしばらくした頃の記述に目を通した。
「……欲しい情報はここより後だとあたりを付けて読み飛ばしていたが、……」
彼の視線の先を覗き込む。
そこにはラジェカリオがメッセージカードを握り潰した時の心境が書かれていた。
「ふたりはあなたの封印に賛成じゃなかったみたいね……?」
「うーん……そこまで気にすることかなぁと当時から思っていたんだが、想像していた以上に俺のことを大好きだったみたいだね」
日記の内容を要約すると、ラジェカリオとしてはサヤツミに対して「ひとりでカッコつけやがって」という悔しさや怒りといった感情があったらしい。
サヤツミ本人にはどうってことないことでも、ふたりにとっては長い間封印される道はとても酷いものに思えたようだ。
なんでサヤツミがこんな目に遭わなくちゃならないんだと、なんでその道を回避できるだけの力が自分たちに無いんだと悔やみに悔やんでいた。
「……それだけじゃなく、ふたりは寂しかったんじゃないかしら」
「寂しい?」
「そうやって不思議そうな顔をしてるけど、あなたも完全にひと気の無い場所じゃなくってここを選んだのは……本当は寂しかったからなんじゃない?」
オトが記録官なら部屋が清潔に保たれているだろうから、っていうのは理由のすべてではない気がした。
だって、それだけにしてはサヤツミの表情があまりにも複雑だもの。
書庫も人は近寄らないけど、入ってこないだけでいつも城内で働く人々の気配がしている。それはここで作業をし始めてから私も感じていたことだ。
人っ子ひとり来ない谷底や森の奥深くでは絶対に感じられないことだった。
サヤツミは片眉を下げてこれでもかと口角を下げる。
「俺が寂しいだって? ……どうだろうなぁ、けど否定しきれない。だって人間の子じゃなくてもあいつらといるのは――それなりに楽しかった、それは事実だからね。ふむ……」
サヤツミはもう一度日記の記述を視線でなぞり、そして穏やかな声で訊ねる。
「この日記、写し終えたら俺が貰ってもいいかい?」
「結構汚れてますが、それでもよければ」
「もちろん! これは俺の友の終わりを見せてくれた。……それだけで大切な本だ」
――あ、これだ。
私はこのために記録官として物事を書き残し保存したいんだ。
こうして残しておけば、いつか来る未来のためになる。
気持ちを残すこともできる。
記した人が亡くなったとしても。
その大切さを再認識し、噛み締めながら私は「よかったわね」と日記の表紙をひと撫でした。