第6話 三日目の足音
書庫整理を初めて三日目。
アズラニカはちゃっかり今日も手伝おうとしていたけれど、ものの見事に魔王補佐官――メイグという名の紫髪の男性に引きずられていった。
フ、ファルマの城に突入してきた時の精悍さはどこにいったのかしら。
手伝おうとしてくれるのはありがたいけど、王としての仕事も頑張ってほしい。
別れる前にそう声をかけるとアズラニカは素直に頷いていた。
今日は引き続きリツェもおらず、代理のサポートも都合が付かなかったのか不在だった。
メルーテアは初日から手伝ってくれてるけど、力仕事を任せるわけにはいかない。
本人は「私、意外と力持ちですよ」と力こぶを作るポーズをしていたものの、本業もあるんだから無理はさせたくなかった。
(というわけで、今日は本の写しの作業を中心にしようかしら)
書庫全体の整理はまだ半ばだけれど、これも大切な整理の一環だわ。
私は書庫の中に持ち込んだ小さな机とイスに座って何冊かの本を手元に置く。
それを覗き込むようにしながらメルーテアが言った。
「ゼシカ様、言おう言おうと思っていたのですが……自室に本を持ち込んで行なったほうがいいのでは?」
「それもそうだけど――ほら見て。破損して読み辛いところがあるでしょ、なにが書いてあったか予測するのに他の本から文章のクセをすぐ確認できるようにしたいの」
纏めたのはほとんどが前の記録官みたいだけれど、中には文体や文字の形が異なるものもある。
つまり管理するのは嫌だけどちょっとだけなら書いてみようかな、という人は初代以前とそれ以降も複数いたわけだ。
なので、何冊か纏めて自室に持っていってもその中に目当てのものがなければ書庫と往復することになる。
それなら初めから書庫で作業した方が効率的だわ。
「あとはまぁ、本そのものを修繕する際にその作業を自室でするわけにはいかないでしょう。家具から絨毯までやたらと高級そうだし……」
「なるほど。ですが陛下なら汚してもお怒りになられないと思いますが」
「怒られるのが嫌だからじゃないのよ」
高いものを汚したくないから、と王族や貴族が言うのはやっぱり少しおかしいんだろうか。
これなら絨毯を気に入っているから汚したくないとでも言えばよかったかな、と思ったものの、メルーテアはひとまず納得してくれたのか「差し出がましいことを言って申し訳ありません」と頭を下げた。
さあ、気を取り直して一冊目に取り掛かりましょう!
記念すべき一冊目をどれにしようか迷っていたけれど、ちょうど気になっていたし楽しんで進められるかな……ということで昨日見つけた自伝のような日記を選んだ。
書庫にあったとはいえ人様の日記。
勝手に写してもいいものかという思いはあったものの、ちらりと覗いた感じ第三者に向けた文章で綴られていたので、エッセイ的な扱いをしようということで私も納得している。
焦げ茶の表紙は手触りが良く、その一部をカビが侵食しているのが少し切ない。
私はメルーテアに書庫の本を移動させずに出来る範囲の掃除をお願いし、新しく用意した紙に一文字一文字書き写し始めた。
なるべく筆跡も似せる。
肉筆の文字にはそれだけの価値があるからだ。
後で製本するので、綴じた際に文字の位置がオリジナルのものと大きくズレないように調整もしておこう。
これで読んだ時の印象がブレにくいはず。
インクは元々なにを使っていたのか特定できなかったので、劣化しづらいインクを用意してもらった。これは普段の書き物でも欲しいインクね。
――そうして書き写していると、作者ラジェカリオの人物像が見えてきた。
まず自伝っぽいといっても生い立ちや過去のことは書いておらず、文章を書いている時の出来事に合わせて少し過去回想をする程度だった。
要するに普通の日記だけれど、文章力がやたらと高いため自伝に見えるわけだ。
(友人の結婚式に出た話、そこでマナーを間違えた話、飼い犬がミミックを持ち帰った話、……わ、これ気になるなぁ、怪我した小鳥だと思って連れ帰ったら不死鳥だった話!)
そうやってエンターテインメント性に富んだ話題もあれば、今日は寝すぎて朝飯が夕飯になったという日常的な話題もあった。それも面白く読めるのだから凄い。
腰を据えて向き合うとこんなにも楽しい本だったのね。
それに昔のこととはいえナクロヴィアでの生活を文字越しに覗けているようで、国のことや文化について知りたい私にはもってこいだった。
感動しているとラジェカリオがとある山中へ向かった日のことが書いてあった。
「別国にある山の中……あれ、この地名って」
ファルマのギラス・キラス山。
ナクロヴィアに一番近い場所にそびえ立つ険しい山で、ファルマでは魔の山と呼ばれる場所だった。
そんな場所だけれど遥か昔、現在から見ると『古代人』と呼ばれる人々はこの土地を生活の拠点にしていたらしい。
ファルマで読んだ資料では当時は大きな川が流れており、食物も豊富にあったのが理由だそうだ。
守護神のような者がおり、人々の住む場所を守っていたという文献もある。
当時からファルマは魔族を嫌っていたと思うのだけれど、どうしてそんな場所へ足を伸ばしたのかしら。なにかの訓練?
(細部はわからないのが惜しいわね、あと古代人っていうのも気にな……ん!?)
彼らは現代とは異なる特殊な文字を使っていたはず。
私は一旦日記を閉じるとメルーテアに声をかけた。
「メルーテア! 昨日の整理中に各地の文字について纏めた本があったわよね?」
「……? はい、破損が軽微だったので確かこちらに――」
箒を置いたメルーテアは一冊の本を持ってくる。
昨日はパラパラと覗いただけだったけれど、ナクロヴィア以外の文字について詳しく書かれた本だった。
そして、その詳しさは文字の新旧を問わない。
目当ての文字を探してページを捲る私に好奇心を刺激されたのか、メルーテアがそわそわしながら問い掛けた。
「一体なにをお探しですか?」
「古代文字よ。それもファルマの一部の地域で使われていた古代文字ね」
「こ、古代文字。それについて写している最中の本に書かれていたんですか」
大変ですね、というニュアンスを含んだ言葉だった。
でも実際にはちょっと違う。
私は昨日見つけたメッセージカードを机の上に置いた。
読めない文字が四つ連なったカードだ。
これが昔ファルマの文献で目にした古代文字に似ているとさっき気がついたのよ。
もちろん違う可能性もあるけれど、確かめられる環境なら確かめるに決まってる。
私の説明にメルーテアも気になり始めたのか、各ページの文字を一緒になって確認してくれた。
――そして。
「あった! 古代文字だわ!」
複雑な形の文字が三ページに亘って記されている。
現在の文字に変換できるものはそれも記されており、驚くべきことに当時の発音についても書かれていた。記録官ってどっちかといえば司書より学者みたいね。
メッセージカードを隣に置いて確認してみると――あった。一文字目とそっくりな文字がある。
メッセージカードの文字は四つ。
私は気持ちが急くのを感じながらそれをひとつずつ照らし合わせていった。
「今の音で言うと……よくわからない響きね。じゃあ当時の発音だと」
四文字に対応している音を拾っていく。
それを口に出そうと思ったのは、実際に音として発するとどんな言葉になるか気になったからだ。先ほどのメルーテアのように好奇心だけを原動力に口を開く。
「サヤツミ」
ガチャン! と。
硬質な音が書庫の奥から響いたのは、メッセージカードの四文字を口に出したのと同時だった。
続けてパラパラと細かなものが床に散らばる音がする。
私はメルーテアと顔を見合わせ、戸惑いつつもイスから立ち上がった。
巨大ネズミ、幽霊、不審者、様々な想像が頭の中を駆け巡る。
でも単純にバランスの悪かったなにかが落ちただけかもしれない。
いや、うん、きっとそうだわ。
散らばる音から以降はなんの音もせず静まり返っているもの。
「な……なにか落ちたならお掃除しないといけませんね。行ってまいります」
「待って、メルーテア。奥はまだ整理してないどころか覗けてもいないし、暗いから危ないわよ。ここは」
後でもいい。
そう言って引き留めたところに聞こえてきた音を聞き、私もメルーテアも動きを止めた。そのせいで余計に『それ』が鮮明に耳へと届く。
書庫の奥から聞こえてきたのは、聞き間違えようがないほどはっきりとしたハイヒール系の靴音だった。