第47話 ナクロヴィアの記録官
魔王の了承も得ることができた。
それにより古代の神はしばらく無言のまま考え込む。
泥のような巨体に太陽の光が当たり、ところどころ乾燥し始めた頃――ようやく視線をこちらに向けた古代の神の額にぴしりと亀裂が入った。
眉間にしわを寄せたらしい。
『……今回だけだ。次の過ちは見逃さぬ』
「じゃあ戦いをやめてくれるのね!? よかった、それじゃあ今後の対応についてもう少し話し合いましょう、大まかな枠組みはさっき話したもので、あとはあなたの住処とかそういうことについて――」
『姦しい人間だ』
古代の神は短くそう言うと更に短く言い捨てた。
『我のことは再び封印せよ』
……その選択肢は初めからあった。
古代の神を鎮めて再封印するのが当初の目的だったんだもの。
こうして説得することにしたのは会話が成立する相手だとわかったからこそよ。
でも、言葉を交わせたからこそもう一度封印することには忌避感があった。
できれば古代の神もサヤツミのようにこの世界に存在したまま祀ることができたらいい、そう考えていたのだけれど……そのまま伝えると古代の神はゆっくりと首を横に振った。
『かつて我もそうして魔族の間に混ざり、営みを見守りながら暮らしたことがある。良い時間だった。我も魔族の姿を模した故、自分も愛着のある生き物と暮らしてゆけると思った』
「……!」
『だが、そうして愛した魔族は我より早く死に――辛かった。……今度はそれを感じながら、人間と混ざってゆく魔族を見る気にはなれぬ。そこは理解せよ』
和解しても嫌悪感が消えるわけじゃない。
古代の神はこれから変わっていくであろう愛しい魔族たちの姿を見ていたくないのね。ここでそれでも見守っていてほしいなんて言うのはエゴだわ。
私が頷くと古代の神は初めて僅かに笑った。
『なに、封印といっても異なる空間に閉じ込められるだけだ。むしろ眠ってはいるが環境としてはここより快適だった。故に再び封印されることに異論はない。無論、我との約束を破れば無理やりにでも出てきてやるが』
「そ、そうなの? ……わかったわ、あなたのことはもう一度封印する」
古代の神は満足げに頷くとぐるりと辺りを見る。
様々な場所に佇む魔族たちを目に焼き付けている、そうわかった。
『……要求はのんだが……今もまだ、どうせまた同じ間違いを犯すと我は考えている。お前たちは物覚えが悪いくせに世代交代が早く、子にそのまま記憶を継いでゆけぬ。まさに虫も同然だ』
「そうかもしれないわ。でもあなたの存在を知れたのは何故だと思う?」
『……』
「後の世のために情報を遺してくれた人がいたからこそよ」
私は今は手元にない石板や木簡、書物たちを思い返す。
手の平にのせた感覚までありありと思い出せるほど記憶しているけれど、これもいつか忘れてしまうかもしれない。
しかし記して遺していけば、それは不滅に近いものになるわ。
「記憶をそのまま残すことはできなくても、記録は残していけるの」
ナクロヴィアのことも、ファルマのことも、これから知る周辺諸国のことも、身近な人たちのことも、彼ら彼女らが育ってきた文化や環境のことも、どんなものを育てて、なにを食べてきたのかも。
そして古代の神になにをしたのか、これからどうすべきなのか。
そういったことをすべて纏めて残していける。そんな職業がここにはある。
「私は元ファルマの第一王女で、魔王アズラニカの伴侶で、そして――ナクロヴィアの記録官よ」
古代の神を見上げる。
そして、まさに神に誓うように私は宣言した。
「大切な記録を受け継がせていく、私はそんな記録官になるわ」
古代の神は私をまじまじと見る。
そして長々とため息をつくと、大きな片腕をゆっくりと伸ばした。
指先から青紫色の光が飛び出し、私の胸元へと吸い込まれるように消えていく。
アズラニカが一瞬飛び出しそうになったものの、サヤツミに制されているのが視界の端で見えた。
胸元にはなんの跡もない。
なにをされたのかよくわからず、目をぱちくりさせていると古代の神が言った。
『それは血に受け継がれる呪い。この先約束を破ることがあれば、お前の子孫すべてがその瞬間に喰われると思え』
「用意周到ね。でもそれくらいしてもらったほうがこちらとしてもありがたいわ」
枷があるほうが必死になれる人もいる。
それに、古代の神に許されてばかりというのも気分が悪かったもの。
そう言うと古代の神は緩慢な動きで頭を下げた。
『奇特な奴の言葉を聞くのは疲れる。封印するなら早くやれ』
「その前に少しだけ時間を貰えるかしら。嫌ならいいのだけれど――」
私は後方で待機しているメルーテアたち、つまり古代の神のために準備された宴を手のひらで示す。
人間の視力だと細部まで確認するのは難しいだろうけれど、古代の神ならしっかりと見えているはずよ。
「約束を守る証に、舞と料理を振る舞いたいのよ。あなたにとってはもう嫌な思い出になってしまったかもしれないけれど……もう一度同じことをすることで、二度と同じ過ちは繰り返さないという戒めにしたいの」
『……』
「必要なら人間だけ席を外すこともできるわ。駄目かしら……?」
『――最後の一回だと思えれば耐えられることもある』
そう言うと古代の神はこちらに視線を向けずに後方に向かって歩き出した。
苦々しげな声音だったけれど、その雰囲気には先ほどのような刺々しい嫌悪感は含まれていない。私は古代の神を追おうと足を踏み出す。
しかし、思っていた以上に力んでいたのか上手く進めない。
そんな私をアズラニカが抱き上げた。
「無茶をする」
「ごめんなさい、でも任せてくれてありがとう」
笑みを向けると心配げにしていたアズラニカも笑みを見せてくれた。
その笑顔を見つめながら私はアズラニカの手に自分の手を重ねる。
「さあ、最後の大仕事よ。練習した舞をしっかりと見せてあげましょう」




