第18話 ファルマからの亡命者
金髪の少年はとにかく飢えていて、特に脱水症状が酷かった。
なので事情を聞く前にひとまず人間と同じサイズの住人の家を借り、ベッドに寝かせてから大雑把ながら経口補水液を作って与える。
ケット・シーが砂糖と塩を、コルムがレモンを分けてくれたのでスムーズに進んで助かったわ。
サヤツミは「普通の水じゃダメなのかい?」と不思議そうにしていたけれど「人間は脱水の時に水だけ飲んでも駄目なのよ」とこれまた大雑把に説明しておいた。
でも知識としては知ってたほうがいいことだし、後で詳しく説明しましょう。
猛暑が酷かった年に経口補水液の作り方をメモして覚えておいて良かったわ、もちろんこれは前世のことだけれど。
(……世界を跨いでも知識を残しておくことって大切なのね)
前世で書いたメモは手元にないし、私が死んだ後にどうなってしまったのか想像もつかない。
けれど自分の手で紙に書きつけたおかげで今も覚えている。
つまり、無駄ではなかったってことだ。
ちなみにこの世界に回復魔法はあるものの、飢えや渇きによる不調には効かない。
これは母国にいる時に魔法に関する授業で習った。
ゲームでは空腹度なんて数値はなかったから知らなかったのよね。
もし効くなら世界の人々は飢饉と無縁だったのに残念だわ……。
とりあえず経口補水液のレシピはこっちでも新しくノートに纏めておきましょう。
そう考えていると少年が先ほどまでよりは少し通りの良くなった声で言った。
「うう、ありがとうございます……野草とか食べて飢えをしのいでたんですが、昨晩お腹を下したら一気に悪化してしまって……」
「そ、それはそうでしょうね。でも突然固形物を胃に入れると大変なことになっちゃうかもしれないから、今はこれで我慢してね」
私はキッチンを借りて経口補水液と共に作ったすりおろしリンゴを差し出す。
この地域で育てられている種類のリンゴで、ルプラリンゴと異なり少し酸っぱいものの――少年にとってはこの上なく美味しく感じられたのか、涙目になりながら平らげてくれた。
申し訳ないのか終始俯き気味だったけれど、落ち着いたところで本題を切り出す。
「いくつか質問していいかしら。まず……ここが魔族の国であるナクロヴィアってことはわかる? もしかしてファルマからの亡命者?」
「……! はい、ちょっと、その、事件に巻き込まれてしまって逃げてきたんです」
「事件?」
少年は詳しく語るつもりはないのか更に俯いてもごもごとしていた。
あまり無理強いするのは良くないわね。
奴隷だった可能性もあるし、そうでなくても嫌な思い出があるのかもしれないし。
それに、結界を無効化するために『自分は無害だ』と思い込むように洗脳されているかいないかはサヤツミが確認してくれたから心配しなくていいわ。
私は代わりに次の質問を口にする。
「あの森を突っ切ってここまで?」
「はい、二日ほどかけて抜けました」
「ぶ、武器も持たずに……?」
「いえ、最初は剣を持ってたんです。でも大きなヘビに突き刺したら抜けなくなっちゃって」
少年曰く、剣を離すまいとヘビに引きずられていたら、いつの間にか森の奥まで到達していたのだという。
鞘しか持ってなかったのはそのせいだったのね。
そして少年は振り落とされ、ヘビは剣が刺さったままどこかへ逃げてしまった。
それから夜になるまで凶暴なモンスターからひたすら逃げに逃げ続け――満月の夜に突然森が静かになったので、一気に駆け抜けてきたらしい。
もちろんお腹を壊して脱水でヘロヘロ、そこへ至るまでに汗も沢山かいていたため村に着いた瞬間に気が抜けて倒れてしまったと少年は説明した。
「でも、そこで気を失うことはありませんでした。歩いている村人を見て、改めてここが魔族の国なんだと思ったら怖気づいてしまいまして。ただもう限界だったので、手近なタルに隠れていたら、こう、フワッと意識が……」
「豪運なのに不運ね……」
「で、でも人間がいてホッとしました。お姉さんも逃げてきたんですか? それともナクロヴィア出身の方ですか?」
ファルマから逃げてきた人に第一王女だなんて明かすのは混乱させるかしら?
でも私が魔王アズラニカと結婚宣言をして国を去ったことは相当なニュースになったはずよ。身内だけのパーティーならいざ知らず、あの場には各地から招いた来賓が沢山いたんだもの。
一般人相手なら力づくで黙らせることができるかもしれない。
けれど有力な貴族ばかりでは父も母も打つ手なしだったはず。
そもそも一国の主としての手腕は下の下だったから、場を治めるのに上手く立ち回れたかどうかも怪しいし。
少年をナクロヴィアで保護するなら、私たちの身分を明かしたほうが良い環境を用意できるかもしれない。
そう結論付け、私は自分の名前を名乗った。
「私はゼシカ。ファルマの元第一王女よ、今はこの人と……その、式はまだだけど夫婦なの」
夫婦、という単語を聞いたアズラニカがそわそわとし始めた。
とてもわかりやすい。
この世界でも結婚式の有無は婚姻関係の有無とイコールでは繋がっていないのと、そもそも戸籍がないので私とアズラニカの関係を式の前から夫婦と仮定しても問題ないはずよ。事実婚みたいなものね。
しかも周りの人たちはすでに奥様として扱ってくれているようだから。
ただ、関係を広く周知させるためにも結婚式は重要なものとして扱われているわ。
一方、悪い感情は抱いていないらしい彼とは逆に、少年はギョッとして私とアズラニカの顔を交互に見た。
「ゼ、ゼシカ王女? ということは、ま、ま、魔王アズラニカ……陛下?」
「そう、でも敵意はないから安心してちょうだい。これからあなたを――」
保護するから、と口にする直前に少年と目が合った。
その双眸が大きく見開かれ、毛布をぎゅっと力一杯握りながら一気に後退する。
ごんっ! と少年の後頭部が壁に激突する音がした。
「ちょっ、大丈夫!?」
「う、う、うわぁーッ! すみませんすみません! 殺さないで! 僕はただの人間です!! ころっ……ふぎゅッ!」
壁に激突した勢いで窓際の花瓶がぐらぐらと揺れ、そのまま少年の頭に落下した。
さっきより固い音を響かせ、少年は目を回してベッドに倒れ込む。
サヤツミが近づいて「よしよし、痛かったね」と頭を撫でたけれど、完全に気を失っているようだわ。深刻な様子じゃないから大丈夫だとは思うけど心配になる音だったわね……。
「この飢えた人間も臆病で可愛いね! 今度こそ回復魔法の出番だ。まぁ死にはしないからゼシカも安心するといい」
「そ、それならよかったけれど……最後、もしかして私を見て怯えてなかった?」
魔王を見て怯えたならわかる。
しかし、それを上回る恐怖を私に感じていたようだった。
やっぱり亡命を考えたくらいだから、国に酷いことをされたのかも。
その上で王女が目の前に現れたらパニックくらい起こすわよね。申し訳ないことをしたわ。
未だに名前も知らない少年の顔を覗き込みながら不憫に思っていると、彼の首元にアザがあることに気がついた。
打撲によってできたものではない。
白い色をした、まるでタトゥーのようなアザだ。
剣の刀身が花びらのように広がり、真ん中に光を図形化したような模様が収まっている。
「……」
「どうした、ゼシカ?」
「アズラニカ、いつも訊ねてくれてありがとう。それに甘えて相談してもいい?」
「! もちろんだ、お前が困っているなら全力を賭して助けよう」
力強い言葉にホッとしつつ、私は見覚えのあるアザと少年の容姿をもう一度よく確認した。
見た目はまだ大人になる前の十五歳ほど。
金髪碧眼というのも珍しい色ではなく、人間の国では一般的なもの。
頭を打ってずり落ちた帽子の下には主張の激しいハネた毛……俗に言うアホ毛。
そして首元には特殊なアザ。
「予知した未来にあったんです、魔王を打ち倒す者『勇者』がいつか現れると」
アザ以外はさほど目立たない、ごく普通の少年だからこそ失念していた。
RPGゲームの主人公は全員が全員、個性的な見た目をしているわけじゃない。
プレイヤーが感情移入しやすくなるように没個性な見た目にすることもある。
そんなことを再認識しながら、私はアズラニカにそっと伝えた。
「――この子が、勇者です」




