魔術は私を裏切らない
はあ、また……
早朝からチカチカと点滅する、魔術学校の通信具。
身支度を整え、首に掛けた途端にこうだ。
出来れば無視したい。
だけど中には、授業内容の変更などの大事な連絡も混ざっているかもしれない。
仕方なく蓋を開けば、大事ではないメッセージが、宙に大量に浮かび上がった。
『ああ眠い、眠れるかな』
『甘いミルク飲んだ。これで眠れそう』
『おやすみなさい』
『やっぱり眠れない。もう寝た?』
『あ、眠れそう。おやすみ』
『おはよう』
『やっぱりよく眠れなかった』
『今日はいい天気だね』
『起きてる?』
『まだ寝てるかな』
……全て一人の男からのメッセージだ。
ちなみに彼は、恋人でも婚約者でも、ましてや友人でもない。同じ学校の、同じクラスで、たまたま一度実習をペアでやっただけの関係だ。
共同で課題を制作する為、連絡を取りやすいようにと通信具の暗号を交換して以来、何故か頻繁に個人的なメッセージが届くようになったのだ。
学校の通信具なのだから、魔術や授業に関することならまだ理解出来る。が、届くのは例のどうでもいいメッセージばかり。コレのせいで、試験に関する重要な連絡を見落としてしまったこともある。
厄介なことに、彼は非常に外面が良かった。
そこそこいい家柄のお坊っちゃんで、彼を慕う女生徒や、彼を崇拝する取り巻きが沢山いる。
賢く、優しく、親切? おまけに顔も整っているらしい。(全く私のタイプではないが)
そんな彼が、裏でこんな気持ち悪いメッセージを送っているとは、誰も思わないだろう。わざとなのか、学校では挨拶程度で、一切絡まれないのだから。
担任の先生にも相談したことがあるけれど、取り合ってもらえなかった。
無視しても、やめてと言っても、しつこく送られてくるメッセージ。
『そうか……甘えてごめん』『控えるよ』『次から気を付ける』などと言いながら、一向に止む気配はない。
学校で彼と顔を合わせることを考えると、憂鬱でストレスで胃に穴が空きそうだった。
魔術を学びたくて入った学校なのに。何でこんな目に遭わなければいけないんだと、次第に怒りがこみ上げる。
────もう限界。
ある人へメッセージを送り、通信具の蓋を閉じると、私は全てをぶちまける覚悟をした。
◇
今朝も教室には、彼の机を中心にわいわいと群がる取り巻き軍団。
そこにつかつかと近寄り、彼の前に立った。
「やあ、エリカ。おはよう」
芯のないニタっとした笑顔に、背筋がゾッとする。これのどこが『貴公子の笑み』なんだ?
早く終わらせたくて、大きな声で単刀直入に言う。
「メッセージを大量に送るの、いい加減やめて」
しんと静まり返る教室。
彼の目は一瞬揺れるも、「何のこと?」とすっとぼける。
「おはようとか、おやすみなさいとか、内容のないメッセージを一日に何十通も送らないでって言ってるの。迷惑なの。すっごくストレスなの」
すると彼は、弱った小犬のような表情を浮かべこう言った。
「……ちょっと何のことか分からないな。だけど、もし僕が何か嫌な思いをさせちゃったならごめんね」
何それ。背筋どころか、全身が粟立つ。
仮にもクラスメイトだ。一緒に実習もした仲だ。
面と向かって言えば、誠実に対応してくれると思っていたのに。
その内取り巻き達がざわざわし始める。
「ねえ、メッセージってさあ……」
「ねえ? ジュード様がエリカなんかにわざわざ送る訳ないじゃない」
「嘘を吐いて、ジュード様の気を引こうとしてるだけなんじゃないのか?」
「大して美人でもないしな」
彼は取り巻き達の方を向くと、更に弱々しい顔で微笑む。
「みんな、そんなこと言わないで。きっと気付かない内に、僕がエリカに嫌な思いをさせてしまったんだ。……エリカ、出来れば君とも仲良くしたいけど……もしストレスになるなら、僕を無視しても構わないからね。みんなも、もし僕が嫌な思いをさせてしまっていたら、遠慮なく言って欲しい」
何それ。
何度も無視したんですけど。何度も嫌って言ったんですけど。それでもやめてくれないから、こうしてみんなの前で訴えてるんじゃない。
偽神みたいな薄っぺらい言葉に、信者達の瞳はうるうるする。
「いいえ! 嫌な思いをしたなんて、そんなこと、一度もありませんわ!」
「そうですよ! それどころか、ジュード様にはいつも課題をサポートしていただいて……」
「僕は落ち込んでいた時に、優しいメッセージを頂きました。感謝こそすれ、不快な思いをしたことなど一切ありません!」
高まった感情の矛先は、一気に私へ向けられる。
「ちょっと! お優しいジュード様を傷付けるなんて、貴女どういう神経してるの?」
「そうよ! 第一ジュード様はね、アデライン様っていう婚約者がいらっしゃるのよ! 貴女なんかを構う訳ないじゃない!」
え、婚約者がいるのにあんな気持ち悪いメッセージを送るの? と更にドン引きする。
呆れて何も言えずにいる私に、女生徒達はぎゃあぎゃあ叫び続ける。ついにはそこに男も加わり出した。
「そうだ! 魔術しか取り柄のないお前なんか、男から見て何の魅力もない!」
「鏡を見たことがないんじゃないか?」
「大体メッセージって……ふっ、笑えるな。証拠は? あるなら見せてみろよ」
『証拠』
やっぱりそうくるかと身構える。
「そうよ! 証拠を見せなさいよ!」
「ふふっ、出来ないでしょうけどね。だからメッセージがどうのだなんて嘘を吐くのでしょう」
取り巻き達が嘲笑うのには理由がある。
プライバシー保護の為、入学時に配られる通信具には特殊な魔術がかけられており、たとえ蓋を開いても、持ち主以外にはただの光にしか見えない。
つまり、消去したいのをぐっと堪え保存しているあのメッセージも、第三者が読めないのであれば証拠にはならないのだ。
そう、読めないのであれば……ね。
私は無言で通信具の蓋を開くと、ジュードの気持ち悪いメッセージを全て表示する。
一番最初に送られた『おはよう』から、今日の分まで。3000件を越えるメッセージが、瞬く間に宙を埋め尽くしていく。ところが案の定……
「ただの光にしか見えませんけど?」
「これのどこが証拠なんだ?」
くすくす笑う取り巻き達。ジュードは眉を下げ、まあまあと宥めているのものの、その口角はニタリと上がっている。
キリキリと痛む胃。減ってしまった体重。
我慢して、何度も穏便に解決しようとして、ここまで追い込まれた自分が憐れに思えてくる。
私は深呼吸し、怒りと悲しみを逃す。
指先に魔力を込めると、宙に特殊な魔法陣を描いていった。
魔法陣から放たれる眩しい光が、宙いっぱいのメッセージに重なる。すると、文字が少しだけふるりと揺れた。
私の目に起こる変化はそれだけ。だけど他人の目には、明らかに大きな変化があったようで……
さっきまで嘲笑っていた取り巻き達は、宙を見上げて唖然としている。
「メッセージ、見えるでしょう?」
私はそう言いながら、ある塊に手をかざし、拡大して見せる。
『今から家出るよー』
『行ってきます』
『今馬車の中。眠い』
『今日は浮遊学の試験だね』
『この間のトップは、2組のイリーナだったんだよ。知ってる?』
『もうすぐ着くよ』
『着いた』
『降りた』
『今日は僕の方が早いかな』
『あ、見ーつけた♡』
「これは今朝送られた最後のやり取りよ。証拠はもちろん……」
更に拡大し、差出人の名と紋章を宙に広げれば、皆ごくりと息を呑む。
ジュードはといえば……先ほどまでの余裕はどこへやら、真っ青な顔でそれを見つめている。
「うっ……嘘よ! 捏造よ! ジュード様がこんなメッセージを送る訳ないじゃない!」
「そうよ! こんな気持ち悪いの……あり得ない!」
女生徒達の余計な擁護に、ジュードは青から赤へと顔色を変える。私は彼女達に向かい、冷静に問いかけた。
「ね? 気持ち悪いでしょう。これが一日に何十通も来るのよ? 休日は何百通も。同じ女性としてどう思う? 逆に自分の恋人や婚約者が、他の女性にこんなメッセージを送っていたらどう思う?」
「え……無理。というか、たとえ恋人でもこんなしつこいメッセージ無理よ」
そこまで言いかけた女生徒は、ハッと口をつぐむ。
恥をかかされた怒りからか、『優しい貴公子ジュード様』の仮面が剥がれつつあるからだ。既に一部の取り巻きは、彼に対し怪訝な目を向け始めている。
ジュードは歪んだ口を開く。
「……ちょっとこれは酷いんじゃないかなあ、エリカ。いくら僕が君の告白を断わったからって、魔術でメッセージを捏造してまで、こんな嫌がらせをするなんて」
「そっ、そうよ! こんなの、全部偽物よ! これが本物だという証拠はどこにあるの!?」
この期に及んでも、まだ彼を擁護する信者がいることに驚く。可哀想に……よっぽど心酔しているのね。
私は鞄から書類の束を取り出し、ジュードの机に置いた。
「私の魔術が信用出来ないなら、古風な方法で確認されてはいかが? さっき見せた……通信具の表示制限を破る、高度な魔法陣についての論文。正式な魔術と認められ、学園長様の承認印も頂いています」
紙に滲んだ赤いインクを、トントンと指差す。
「どっ……どうせこれも捏造だろう! こんなのいくらだって」
「もうやめないか」
地を這うような声に、皆、一斉にそちらを向く。
教室の入口に立っているのは、凄まじいオーラを放つ長身の男性。
黒地に金刺繍のローブを纏えるのはこの学園でただ一人……
「学園長……様?」
ざわつく教室。学校行事以外には滅多にそのお姿を見せないが、大変な美丈夫と噂の方だ。それよりも私は、二十代半ばにして最高位に上り詰めた魔術に心酔し、日々彼の論文を読み漁っているのだけどね。
女生徒達の熱い視線の中、こちらへやって来た学園長様は、私の論文を指差し淡々と言い放つ。
「確かにそれは、私が承認し、印を押した論文だ。それでもまだ彼女と私を疑うなら、こちらで保管している控えも見せるが? ……紙でも魔術でもどちらでも」
「いっ……いえ! そんな、疑うなどっ」
再び真っ青な顔で、慌てふためくジュード。
信者達も、もう何も言えずに固まっている。
「論文を承認する際に、何故この魔術を思いついたのか、何故プライバシーを守る為の表示制限を破りたいのかと、直接彼女に尋ねたんだ。……理由は一つ。君からの嫌がらせ行為に悩んでいるからだと話してくれたよ」
お忙しい中、何度も相談に乗ってくださった学園長様。今朝、全てをぶちまけると連絡は入れたものの……わざわざこうしてフォローしに来てくださるなんて。
胸が温かくなり、流すことも出来なかった涙が、じいんと込み上げる。
「嫌がらせなど……そんな大げさなものでは! 友人として、普通にメッセージのやり取りをしていただけじゃないですか」
「やり取り? 私が閲覧したところ、明らかに一方的な内容だった。それに彼女は何度も、迷惑だ、やめて欲しいと君に訴えている。これが嫌がらせでなくて何なんだ」
「えっ、閲覧?」
「迷惑行為防止の為に、生徒本人の同意があれば、学園長もメッセージを閲覧することが出来るんだよ。まさか……学年トップの君ともあろう者が、魔術に関する重要な校則を知らなかったのか? これは試験の『不正行為』、また、成績の『捏造』を疑わなくてはならないな。……『証拠』がないのに、君を庇った生徒達も」
ひそひそと囁かれる非難の声。
取り巻き達も、いつの間にか彼の元を離れていた。
「違う……違う……。嫌がらせなんかじゃ……捏造なんかじゃ……。そうだ! 嫌なところがあったら、今からちゃんと直すから。だから、遠慮なく教えてくれないか? ね? エリカ」
泣きそうな顔でスカートにすがりつくジュー……『加害者』。悪寒を堪えながら振り払い、私はキッパリと言った。
「そういうところです」と────
その後、本当に試験の不正行為が発覚した彼は、あっさり退学処分となった。
私への嫌がらせ行為も学校中に広まり、聖職科に在籍する婚約者からは別れを告げられたらしい。
あれだけ訴えたにもかかわらず……彼の口から正式な謝罪の言葉を聞くことは、結局、一度もなかった。
◇◇◇
卒業後、五年の時を経て、私はとある魔術師と婚約した。
お相手はそう、あの学園長様。
実はあの騒動の時から婚約していました────とかならドラマチックだけど。魔術を通して接する内に、よくある何かが少しずつ芽生え、宿っただけだ。
結婚式を来週に控えているものの、お互い仕事が忙しくなかなか会えない。
その為、朝と夜にメッセージを送り合うのが日課になっていた。
肌身離さぬ通信具。キラキラと点滅するや否や、私はさっと蓋を開け、宙を見上げる。
『今日も一日お疲れさま。今夜は冷えるらしいから、暖かくして寝るんだよ』
『お疲れさまです。ユル様も暖かくしてお休みくださいね』
『ありがとう。ああ、早く結婚したいな。顔を見て、おやすみって言いたい』
『私もです。長期休暇を頂く為に、わしわし仕事を頑張りますね。“ メッセージ遮断魔術 ” をいち早く実用化する為にも』
『ははっ、エリカらしいな。僕もわしわし頑張ろう』
あの一件以来、しばらくトラウマだったメッセージ。今ではこうして待ち構えるまでになった。
好きな人から贈られる言葉は、こんなに嬉しいものなんだな。
……言葉って、本当はこんなに温かいものなんだな。
灯りを消し、ベッドへ潜ると、傍らに通信具を置く。
貴方の『おはよう』を楽しみに、幸せな瞼をゆっくり閉じるのだった。
ありがとうございました。