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六話:未来への刃

――“光と歩む者”に託された、祈りのかたち。

 王都の空気に、ようやく馴染み始めた頃だった。


 石畳が朝日を受けて温もりを含んでいた。騎士団詰所の裏手、小さな鍛冶場の脇に腰を下ろしながら、ノアは膝の上に一振りの剣をそっと置く。


 折れていた。


 柄の根本から斜めに砕けた刀身は、もはや戦えぬただの金属片。それでも――どこか名残惜しく、手放すことができなかった。


「うわ、マジで折れてんじゃん……!」


 声をかけてきたのは、かつての同期の一人だった。今は一般騎士として王城を守る隊に所属している男で、顔を合わせるのは久しぶりだった。


「試練の最中……どうしても、通じない相手で。弾かれて、砕けました」


 ノアは苦笑混じりに答える。語るたびに、その出来事が“過去”になっていくような、不思議な感覚だった。


「ってことは、かなりヤバい相手だったんだな」


「……はい。普通の魔物では、ありませんでした」


 遠くを見つめながら答えたノアの声に、彼は何かを察したように「すげぇな」と小さく呟いた。


 と、その背後から別の声が飛んできた。


「……昔は、何かあるたびに、すぐ謝ってたのにな」


 男はふと懐かしそうに笑い、砕けた剣に目をやった。


「今は……剣が折れても、立ってるんだな、お前」


「……うわ、ちょっと感動した。なに? 先に泣いてもいいやつ?」


 茶化す声の主は、変わらず軽口混じりだったが、その瞳の奥には、はっきりとした敬意の色が浮かんでいた。

 彼らの笑いにまぎれて、ノアも小さく笑う。けれど、その中に立つ自分の心は、やはり少し変わっていた。


 あのとき剣が砕けた瞬間、衝撃はあった。だが――悔しさや恐れよりも先に、不思議な解放感が胸を満たした。


 守るべきものを見失っていない。それが何よりの救いだった。


「新しい剣、どうするんだ?」


「鍛冶師に相談するつもりです。……でも、急がなくてもいいかなって」


「らしくないな。武器がなきゃ戦えないだろ?」


 ノアは一瞬、砕けた剣に視線を落とした。そして、小さく息を吐きながら答えた。


「もちろん剣は必要です。でも、今の私は、剣がなければ何もできないと思っていた頃の私とは違います」


 その言葉が自分の口からこぼれた瞬間、ノアはふと気づく。


 ――ああ、本当にそう思っているんだ、と。

 少しの沈黙のあと、どこか照れたように笑ったのは、さっきから話しかけていた同期の騎士だった。


「……なんか、すっかり頼もしくなっちまってさ。まるで先輩みたいじゃんか、おい」


「ちょっと感動してんじゃないの? 泣いてもいいんだよ~?」


 と茶化すように割り込んだのは、女性隊士。けれど、その笑いの奥にも、どこか柔らかな敬意が滲んでいた。


 ノアは少しだけ頬を染めて、小さく笑った。


 あの頃なら、剣が折れただけで自分も折れていたかもしれない。けれど今は違う。


 剣は道具にすぎない。“意志”は、内側にある。


 その時だった。騎士詰所の使者が、小走りに姿を現す。


「ノア・ライトエース殿。神官長イスズ・エルガ様より、至急の呼び出しです。応接室へ、お一人でとのこと」


 唐突な伝言に、ノアはわずかに目を瞬かせた。だが、そのタイミングに――どこか、見透かされたようなものを感じた。


(まるで……全部、わかってたみたい)


 けれど、疑問は胸に留め、彼女はすぐに立ち上がった。


「わかりました。今、向かいます」


ノアは砕けた剣を、鍛冶場の棚にそっと預けた。


「……もう一度、何かに生まれ変わる気がして」


小さく呟くと、彼女は背を向けて歩き出す。


朝の光が、その刀身の断面を淡く照らしていた。


まるで、それが“まだ見ぬ物語”の切っ先であるかのように――。


 * * *


 王宮の奥――静謐のたたずまいを宿す、こぢんまりとした応接室。


 厚手のカーテンは陽を柔らかく遮り、香草の匂いが、そっと空気に溶けていた。そこは喧騒から遠く、まるで時が足を止める場所であった。


 その扉が、音もなく開かれる。


「……失礼します」


 ノア・ライトエース。少女の声が、控えめに室内の静けさへと溶けた。呼び出しは唐突だったが、そこに漂う空気には、緊張の色はなかった。そこにいたのは――イスト・スタウト、イスズ・エルガ、そしてレクサス・アルファード。いずれも、彼女の歩みに欠かせぬ名である。


「おっ、来た来た。こっちおいで」


 手をひらひらと振る神官長イスズの声音は、いつもと変わらず軽快だ。しかし、その背後――長机にかけられた一枚の布だけが、場にわずかな異彩を添えていた。


 ノアの視線が自然と引かれる。


「……あの、これって」


「うん。君に“預けたいもの”があってさ」


 布が、ひらりとめくられた瞬間、光がふわりと部屋に舞った。


 そこにあったのは、一振りの剣。


 白銀の刀身は淡い輝きを宿し、十字型の鍔には深淵をたたえたような蒼の宝珠が埋め込まれていた。鞘は銀青に染まり、彫金の文様が風のように滑らかに走っている。


「素材は“スズライト鉱”。軽くて頑丈、しかも魔力の通りがいい。昔の飛行艇にも使われてた、今じゃちょっと手に入らない代物さ。刀身は再精錬して、鞘は新調。……最高の出来ってやつよ」


 言葉は飄々としていたが、その瞳に宿る光は、渡す者としての誇りを隠しきれなかった。


 ノアの視線が、そっと剣に吸い寄せられる。


 その静かな光は、不思議と心の奥深くに触れた。懐かしさ――名もなき温もりが、どこか遠い記憶のように、ひっそりと灯る。


「ちなみに――選んだのは僕なんだ」


 レクサスがぽつりと口を開いた。言葉の端に、かすかな照れがにじむ。


「宝物庫で見つけて。“君に似合いそうだ”って、そう思った。ただ……最初は、もっと無骨な造りだったんだ。だから、イスズと鍛冶職人に協力してもらって、少しずつ仕上げていった」


 思いを込めて整えられたその剣は、今ようやくその手に渡る。


 ノアは微笑み、ゆっくりと手を伸ばす。柄に指先が触れた刹那――蒼い宝珠が淡く光を灯した。


「おっ……応えたね」


 静かに、しかし確かに、イスズが呟いた。


「その宝珠は、祈りの焦点にもなる。君みたいに“願い”を強く持つ子には、特にね」


 肩をすくめ、冗談めかした口調を添える。


「……ま、たまに“魂と話す”なんてことが起きるかもしれないけど。慣れるまでは、びっくりしないでよ?」


 ノアの両手が、その剣を静かに持ち上げる。手に伝わるのは、重みではなく想い。


 それは「武器」というよりも、「祈りの形」に近かった。


「“アベニール”って名だよ」


 レクサスが、そっと告げた。


「未来って意味。……この剣が、君の道しるべになりますように」


 その一言が、確かに心に届いた。


 イストが、静かに口を開く。


「……どう使うかは、お前次第だ」


 その一言が、場の空気を静かに満たし、剣に込められた意味を確かにした。


 ノアは剣を胸に抱きしめ、そっと鞘の内側へ視線を落とす。そこには、小さな筆跡で銀の文字が刻まれていた。


 《Ambulanti cum luce》


 光と歩む者へ――そう記された、誰かの祈り。


 言葉はなかった。宣誓も、儀式もなかった。ただそこに、想いを託す者たちと、それを受け取る者が、静かに佇んでいた。


 ――そして、その光景を見守る者がいた。


 控えの間の奥、扉越しにそっと佇むふたりの姿。アリスト王とシルビア王妃。


 王は腕を組み、ひとつ小さく頷き、


 王妃は静かに微笑んでいた。まるで、照れくさそうに羽ばたこうとする娘の背に、そっと風を送るように。


 その日――ノア・ライトエースは、“未来”をその手に受け取った。


 それが、聖導剣アベニール。

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