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Dragon's Song-竜は祈りを捧ぐ その傍に在る者と共に  作者: 篁 玖月
慟哭の竜

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五話:変わらぬものが、そこにいた

 荷を解くでもなく、ノア・ライトエースはそのまま寝台に腰を下ろし、窓辺に目をやる。空の色はすでに茜から群青へと移りつつあり、塔の影が長く伸びて王城の石畳に滲んでいた。


 かつて共に笑い、剣を交えた仲間たちが暮らすこの都に、彼女は二年ぶりに足を踏み入れた。だが、彼女の胸に去来するのは、ただの懐かしさだけではなかった。エテルナで歩んできたこの二年の軌跡を、静かに見つめ返していた。


 街の灯り、塔の影、それらは確かに馴染んだ風景だった。けれど、それはまるで硝子越しに眺める幻のように、どこか遠く、淡くにじんで見えた。


 そんな折、扉が静かに叩かれる。


「ノア、入ってもいいか?」


 父、ユーノス・ライトエースの声だった。


 返事をするよりも早く、扉が開き、彼と、続いて母ローザ・ライトエースが顔を覗かせる。


「ノア……本当に、帰ってきたのね」


 ローザの声には安堵がにじみ、ユーノスは照れ隠しのように咳払いをした。


「城門で顔を見た時から、ずっと気になってな。どうせ落ち着かないだろうと思って、先に来た」


 ノアはわずかに目を見開き、それから笑みをこぼした。


「……ありがとうございます。私も、会いに行こうと思っていたんです」


「――ただいま、父様、母様」


 その一言に、ローザの目尻がゆるみ、ユーノスはふっと目を細めた。


「おかえり」


 その返事は、どこまでも静かで、どこまでも深い“家族”の声だった。


 ローザがそっとノアの髪を撫で、ユーノスは何も言わずに頷いた。その一瞬の沈黙に、あたたかな時間が宿っていた。


 両親との再会の後、三人は連れ立って、王城の一角にある騎士団長家族に与えられた住まいの食堂へ向かった。久しぶりの家族水入らずの時間に、ノアは最初こそ、どう顔を向ければいいのかわからなかったが、ローザが作ってくれた温かなスープの香りに、少しずつ心がほどけていった。


 ユーノスは多くを語らなかったが、ノアの話に頷きながら耳を傾け、ときおり短くも確かな言葉を添える。その静かなやり取りの端々に、彼なりの安堵と誇りが滲んでいた。


 夕食が終わる頃には、重たかった背中が少しだけ軽くなっているのを、ノアは自分でも感じていた。


 そして、再び与えられた部屋へと戻った頃――


(……レックスとも、もう少し一緒に居てもよかったかな)


 そんな思いがふと胸をかすめる。出迎えてくれたあの時の笑顔も、やさしく名前を呼んでくれた声も、まだ心に残っている。飛行艇から降りたあとも、何かと理由をつけて彼はノアの傍を離れようとしなかった。荷物を持つ手を自然に伸ばし、歩幅を合わせて隣を歩き、帰る間際には最後まで名残惜しそうに見送っていた。


 けれどそれは、懐かしさと同時に、少しの照れも含んでいた。今の自分が、あの頃と同じように彼の隣にいていいのか――答えはまだ出せずにいた。


(……私が、変わったのかな)


 やがて群青の帳が静かに空を覆い、沈む夕日の余韻が街並みに溶けてゆく。空の高みに、最初の星がひとつ、またひとつと瞬きを始めた。


 夜の王都は、静かに星を戴いていた。


 その時、扉が控えめに叩かれる。


「王妃様がお呼びです。……お一人で、とのことです」


 ノアは静かに立ち上がり、礼装の胸元を整えた。気が引き締まる。けれど同時に、胸の奥に確かな温もりも生まれていた。


 * * *


 王妃の私室。花々の香りと温かな灯りが満ちるその空間に、ノアが足を踏み入れた瞬間、柔らかな声が空気を震わせた。


「ノア……よく、帰ってきてくれましたね」


 優雅な微笑みの奥に、確かに宿る母のような想い。シルビア・アルファード――彼女はノアを血の繋がり以上に深く受け入れていた。その手が迷いなくノアの肩を抱き寄せる。


「ほんとうに、無事でよかった……。あなたの顔を見るまで、安心できなかったの」


 ノアはその温もりに目を閉じる。


「……ありがとうございます、王妃様」


 二人は椅子に腰掛け、短い沈黙を挟んで再び言葉を交わす。


「ずいぶん……雰囲気が変わりましたね」


「え……?」


「目つきが、強くなった。少し……遠くなった気もします」


 その一言が、ノアの胸を不意に打った。


「……私が、変わったんです。たくさんの人と出会って、たくさん悩んで……それでも、強くなりたいと思いました。聖騎士として、誰かを守れるように」


 シルビアは静かに頷く。慈しむような微笑みに、ほんのわずかな寂しさが滲んだ。


「きっとあなたはもう、誰かの背に隠れる子ではなく、“誰かの前に立つ者”になったのですね。でも、どこかで思ってしまうのです。あなたが、笑ってくれていればそれでいい、と」


 ノアは、息を呑む。王妃の願いが、自らの願いと重なっていくのを感じた。


「……私も、そうありたいと思っています」


「ありがとう。――おやすみなさい、ノア」


「はい。おやすみなさいませ、王妃様」


 王妃の私室を辞したノアは、静かに扉を閉めた。そのまま廊下を歩いていたところで、ひとつの気配に立ち止まる。


「……ノア?」


 振り返ると、そこにはレクサス・アルファードが壁際に立っていた。


「どうして……」


「たぶん、君がここを通ると思って」


 気まずそうに笑う彼に、ノアは小さく瞬きを返した。


「ちょっとだけ、話せる?」


 ノアは静かに頷く。


 二人は、王宮の回廊をゆっくりと歩く。夜風が吹き抜ける中庭の縁、昔よく並んで歩いたその場所で、沈黙がふたりを包んだ。


「……あの日から、君の姿が、ずっと胸の奥にあって」


 レクサスの声は低く、柔らかかった。


「もう一度、こうして話せる日が来ることを、信じていたよ」


 ノアは視線を落とす。そして、そっと答えた。


「私も……時々、思い出してました。レックスのことを」


 その言葉に、レクサスの目元がわずかに綻ぶ。


 けれどそれ以上、何も語らず、ただ寄り添うように歩く二人の影が、月の光に静かに伸びていった。


 ふと、レクサスが歩みを止めて、少しだけ声を落とした。


「……それとさ、ノア。敬語も……できれば、やめてほしい」


「え?」


「別に責めてるわけじゃないんだ。ただ……なんというか、君がそう呼んでくれるのが、僕は好きだったなって」


 ノアは戸惑いに目を瞬かせたが、すぐに目を伏せる。


「でも……私は、今は聖騎士ですし……」


「立場が変わっても、心まで遠くなってほしくないんだ、だからせめて、二人の時は」


 その言葉はまっすぐで、どこまでも穏やかだった。


 しばらくの沈黙の後、ノアはかすかに笑みを浮かべて頷いた。


「……じゃあ……わかった。レックス」


「よし」


 ノアはまだどこか照れくさそうだったが、それでも、望みを受け入れてくれたことが嬉しくて、レクサスはふわりとした気持ちで彼女の歩調に合わせて再び歩き出した。


「なぜ、そんなに嬉しそうなのですか……?」


 反射的に口にしたその言葉に、ノアはすぐ後悔する。


(……あ、また敬語になってしまった)


 けれど、レクサスは気にした様子もなく、ただ穏やかに笑っていた。


「別に?」


 そう言いながらも、どこか機嫌がいいことを隠せていないレクサスに、ノアは小さくため息をついた。


 ――これからも、きっと彼はこうして時々わがままを言うのだろう。


 そう思うと、なぜか少しだけ、ノアの心も温かくなった。


 ノアはゆっくりと中庭の中心へと歩を進めた。夜の空気はひんやりとして、風が頬を優しく撫でる。


 そのとき、頭上からふわりと風が舞った。


「きゅうっ!」


 軽やかな鳴き声とともに、白く小さな影が降り立つ。くるくると宙を舞ったあと、ノアの前にどしりと降り立ったのは――ふわふわの体毛をもつレクサスの相棒、飛竜のモコだった。


 ノアは目を見開いたあと、ふっと優しく笑みを浮かべる。


「……モコ。来てくれたんだね」


 モコは誇らしげに鳴き、ぐいと首を伸ばしてノアの頬に額を寄せる。柔らかな体温と、羽ばたきの余韻が心地よく伝わってくる。


 ノアはそのぬくもりをそっと抱きしめるように撫でながら、ぽつりと呟いた。


「――ただいま、モコ」


 モコは「きゅうっ」と嬉しそうに鳴き、しっぽをぶんぶんと振った。



「さっきまで、僕の部屋で寝てたんだけどね」


 レクサスがノアの隣で、ぽつりと口を開く。


「ご飯食べて、僕のベッド占領して……連れて行こうかなって思ったけど、ぐっすりだったから、起こさなかったんだ。多分、君の気配に気づいて来たんだろうね」


 ノアは驚きと照れが混ざったような顔でモコを見つめ、そしてそっと頭を撫でた。


「くるる……」とモコが小さく鳴いた。どこかばつが悪そうに、視線を逸らした。


 その姿が可笑しくて、ノアは小さく笑いながら、そっとその頭を撫でた。月の光が石畳を淡く照らし、静寂の中に虫の音だけが響いている。


 ここに来るのは、久しぶりだった。


 ……いや、“帰ってきた”実感をようやく得られたのは、この場所に立ってからだった。


 ゆっくりと目を閉じ、深く息を吸う。


 自分は、確かにここにいる。


 レクサスやモコ、皆が待っていてくれたこの場所に。


 * * *


 その夜、王都の塔のひとつ、大聖堂の頂より、一人の影が中庭を静かに見下ろしていた。


 金髪を月光に揺らす神官長――イスズ・エルガ。その姿は気まぐれで軽妙に見えて、どこか人の世を超えた眼差しを宿していた。彼女が見守るのは、まだ誰も知らぬ“鼓動”の高まり。時代の流れを識る者だけが知る、静かな胎動だった。


「ん~……やっぱり、来て正解だったねぇ」


 大聖堂の塔の上、風に髪を揺らしながらイスズは満足げに息をついた。


 つい先ほど、イスズはエテルナ島を発ち、この塔に転移してきたばかりだった。


 エテルナ神殿とストーリア大聖堂神官長詰所を繋ぐ特製の転環陣――通称“勝手口(命名:本人)”を使い、誰にも気づかれずに王都へと到着したのだ。


 足元には転移の痕跡を示す淡い光が残っていたが、彼女はそれをひと振りで封じると、ほっと息をついた。


「よしよし、閉じとこ。堅物近衛隊長とかに見つかったら、また説教されそうだしねぇ」


 彼女は中庭に佇む三つの影――寄り添う少年と少女、そして白い飛竜の姿を目で追いながら、ふと口元を綻ばせる。


「……ま、焦ることもないか。あの子には、今のうちに少しくらいの平穏を楽しんでもらわなきゃね」


 イスズはそう呟くと、手元の魔導書をぱたんと閉じ、立ち上がる。転環陣は再び静まり返り、夜の塔には、再び凪いだ静寂が戻っていた。

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