三十六話:嵐のあとの夜
やがて、ノアの身体が白銀の光に包まれた。
大きな竜の姿はゆっくりと収束し、その中から、人の姿が現れる。
銀髪に、紺碧の瞳。
聖騎士の鎧を纏った、見慣れた少女の姿だった。
レクサスはそっとノアの肩に手を添え、共に地へ降り立つ。
石畳に足が触れる。確かな重み。
戦いを終え、ようやくこの地へ帰ってきたのだという実感が、じわりと胸に広がっていった。
次の瞬間、ノアは強く抱きしめられていた。
ユーノスと、ローザの腕の中で。
「おかえり、ノア」
「……ただいま」
「お前が何者であろうと、お前は、私たちの娘だ」
その言葉に、ノアの瞳から涙が溢れ落ちる。
三人は、長い間、そのままでいた。
やがて、静かな足音とともに、アリスト王とシルビア王妃が歩み寄ってくる。
王としての威厳を纏いながらも、その眼差しには、隠しきれない安堵が滲んでいた。
シルビア王妃は胸に手を当て、深く息を吐く。
「レクサス……」
その声に応え、レクサスは静かに頭を下げる。
「ただいま戻りました。父上、母上」
穏やかな声音。その奥には、確かな覚悟が宿っていた。
アリスト王はしばし沈黙し、息子の姿をじっと見つめる。
その瞳には、王としての厳格さと、父としての安堵が入り混じっていた。
やがて、ゆっくりと頷く。
「……よく、戻った」
短いが、重みのある言葉。
それは王としての承認であり、父としての安堵でもあった。
シルビア王妃の目には、薄く涙が光っている。
だが彼女は何も言わず、ただ優しく微笑んでいた。
そこへ、甲高い鳴き声とともに小さな影が駆け寄ってきた。
「きゅう!」
飛行艇団と共に帰還してきたモコだ。
白い毛並みには戦いの痕が残っているが、その瞳は輝いている。
レクサスは膝をつき、その頭を優しく撫でる。
「ありがとう、モコ。君も……本当によく頑張ったね」
モコは嬉しそうに目を細め、尾を小さく揺らした。
その温もりが、レクサスの胸にじわりと染み込んでいく。
* * *
玉座の間に集められた者たちの前で、ノアは膝をつき、静かに報告を始めた。
レガリアとの戦い。
その過程で失われたもの。
そして、最後に残されたもの。
語られる言葉は簡潔だった。
だが、ひとつひとつが、重く、深く、玉座の間に沈んでいく。
騎士たちは声を挟まない。
誰もが、ノアの背に向けられた視線の意味を理解していた。
――彼女は、ただの報告者ではない。
アリスト王は一言も挟まず、ただ静かに耳を傾けている。
その表情は動かない。
だが、指先が、わずかに玉座の肘掛けを叩いた。
沈黙が落ちる。
「……多くの犠牲があった」
王の声が、ようやくその静寂を断ち切った。
「だが、そのすべてを、無駄にしてはならない」
立ち上がった王は、ノアとレクサスを見下ろす。
その視線は、慈しみと同時に、国を預かる者の重さを帯びていた。
「ノア・ライトエース。レクサス・アルファード」
二人は顔を上げた。
「お前たちが成したことは、ただ一国を救ったというに留まらぬ。世界が大きく傾く、その前に――取り返しのつかぬ戦いが始まるのを、食い止めたのだ」
ざわり、と空気が揺れた。
騎士たちは互いに視線を交わし、そして、静かに頷く。
それは賛同であり、同時に覚悟だった。
「これから先、お前たちの歩む道は、より険しく、重いものとなるだろう」
王は一拍、言葉を置く。
「それでも――」
その表情が、わずかに緩んだ。
「その道を選んだお前たちを、私は誇りに思う」
その言葉を受けた瞬間、ノアは、自分の肩に集まる視線の数が、確かに増えたことを感じた。
期待。
畏怖。
そして――無言の要請。
レクサスは深く頭を下げる。
「ありがとうございます、父上」
その声は静かだったが、揺るぎはなかった。
シルビア王妃が一歩前に出て、柔らかな声音で告げる。
「今日はゆっくりお休みなさい。明日から、また新しい日々が始まるのだから――」
* * *
夜更けの城の中庭は、深い静寂に包まれていた。
昼間の喧騒が嘘のように遠く、石畳に落ちる月明かりだけが、淡く輪郭を描いている。
ノアは一人、ベンチに腰掛け、手の中のオルゴールを見つめていた。
かすかに残る温もり。
まだ、そこに息づく命の気配。
胸の奥にしまい込んでいた感覚が、静かな夜の中で、ゆっくりと浮かび上がってくる。
それは、昼間の喧騒の中では、意識する余裕のなかったものだった。
――玉座の間で向けられた、視線。
敬意。
期待。
そして、言葉にされなかった重さ。
ノアはオルゴールを胸に抱きしめる。
「……ベルタさん、目が覚めたら、たくさんお話ししましょうね」
それは祈りであり、あの竜が、かつてどんな存在だったのかを、知りたいと願う言葉でもあった。
背後から、静かな足音が近づく。
「ノア。眠れないの?」
振り返ると、レクサスが立っていた。
「……うん。少しだけ」
彼は隣に腰を下ろし、夜空を見上げる。
二人の間に、言葉のない時間が流れた。
「玉座の間で……」
ノアは、そこで一度、言葉を切る。
何を、どこまで口にしていいのか。
自分でも、まだ分からなかった。
「みんなの目がね……」
小さく息を吐く。
「感謝されてるんだと思う。でも……同時に、怖がられてるみたいな気もして」
レクサスは、すぐには答えなかった。
ただ、そっとノアの手を取る。
「……僕も、感じたよ」
その声は、低く、落ち着いていた。
ノアは、視線を落とした。
「……少し怖いんです」
言葉にした瞬間、胸の奥で張り詰めていたものが、わずかに緩んだ。
「私が、人として歩くことを選ばなかったら……あの想いに引きずられて、違う選択をしていたら……世界は、どうなっていたんだろうって」
レクサスは迷いなく、ノアの手を強く握る。
「それでも、君は選んだ」
「壊す道じゃなくて、止める道を」
ノアは、ゆっくりと顔を上げる。
「……うん、怖いのは、ちゃんと分かってる証拠だよ」
彼は、静かに続けた。
「怖さを抱えたまま、立っていられるなら……それは、独りじゃないってことだから」
ノアの胸に、温もりが広がっていく。
「……ありがとう、レックス」
「どういたしまして」
星々が、静かに瞬いた。
その傍で、モコが寄り添い、ノアの膝に頭を預ける。
「きゅう……」
ノアは微笑み、そっとその頭を撫でた。
戦いは終わった。
だが、重さが消えたわけではない。
それでも――この夜には、確かに、安らぎがあった。




