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二十話:まだ知らぬ空へ

 ストーリア城の飛行艇港は、出撃を前にした騎士たちと飛行艇団の隊員たちの熱気に包まれていた。


 青と白の旗がはためき、空には薄曇りの陽光が広がる。

 飛行艇団の主力艦《ホーク級》は、魔力石の光を帯びて、ゆっくりと動力調整を繰り返していた。


 甲板の上、ノア・ライトエースは騎士装束の襟を整えながら、ふっと吐息をこぼす。

 覚悟はできている。けれど、それでも胸の奥がざわめくのは、仕方のないことだった。


 その傍らにレクサス・アルファード。

 王子としての威厳を崩さぬまま、目を細めてノアの手元を見守っている。


「……大丈夫だよ、ノア。君はもう、十分すぎるほど“聖騎士”だよ」


 レクサスの言葉に、ノアは小さく微笑む。

 言葉よりも、その隣に立つ影が、なによりも心強かった。


 そこへ――足元の風がそっと揺れた。

 振り返ると、飛行艇の昇降スロープを上がってくるふたりの姿。

 神官長イスズ・エルガ、そしてその後ろに、金髪を逆立てた男――ネイキッド・シーマ。


「やあやあ、お待たせ。――さて、出発のご挨拶といこうかね」


 軽い調子のイスズに続き、ネイキッドが足を止める。

 視線はゆるく笑んでいるが、その背に漂うのは確かな覚悟だ。


「お、おー? ちょっと見ない間に立派になったじゃねぇか。よっ、久しぶりだな、ノア」


「……ネイキッド……? どうして――」


 一瞬、戸惑いを見せたノア。けれど、すぐにほっとしたように目を伏せ、小さく息を吐く。


「来てくれて、ありがとう」


「おう。姐さんに引っ張られたら逆らえねぇからな。……でも、まあ、いいタイミングだろ?」


 その軽口に、イスズはふふと肩をすくめた。


 ネイキッドは、初めて向き合うレクサスに小さく頭を下げ、にやりと笑う。

「初めまして、王子殿下。ネイキッド・シーマだ」


 初めてネイキッドの姿を見るレクサスは、王子としての礼節を崩さなかった。

 きりりと背を伸ばし、真っ直ぐに向き直る。


「神殿騎士ネイキッド・シーマだね。レクサス・アルファードです。ノアから君のことは聞いています。遠方よりご足労いただき、ありがとうございます――これより共に危地に赴く仲間として、頼りにしています」


 その返答に、ネイキッドは肩をすくめて笑みを浮かべる。


「……へぇ、あんたがあのノアが言ってた王子か。思ってたより気さくそうで安心したよ」


 その様子を、離れてみていたモコがのんびりとした足取りで近づいてくる。

 真っ白な体毛を揺らし、エメラルドの瞳を輝かせてネイキッドをじっと見上げる。


 その姿に、ネイキッドは「……なんだこいつ、ずいぶん人なつっこいな?」と小さくつぶやき、ネイキッドがしゃがみ込むと、モコはさらに一歩前に出て、鼻先をそっと彼の手に近づき、警戒もせずに無垢な好奇心をそのままぶつけるように「きゅう!」と鳴いてみせた。


 その仕草には、まるで「あなたのこと、もう少し知りたい」と言わんばかりの素直さがあった。


「おいおい、初対面だろ……?」


 ネイキッドは戸惑ったように肩をすくめるが、モコは短く鳴いて、しっぽを小さく揺らす。

 その様子に、レクサスも優しく目を細める。


  「モコは臆病なようでいて……気を許した相手にはすぐ懐くんだ。安心していいよ」


   モコは「くるる……」と喉を鳴らしながら、ネイキッドの手に鼻をそっと寄せた。

   その仕草に、ネイキッドは息を抜くように笑い、モコの頭を優しく撫でる。


「……おもしれぇな。よし、なら俺もちゃんと応えねぇとな」

 

 その指先に、モコは嬉しそうに「きゅ!」と鳴き返した。

 モコと戯れ終えたネイキッドの方に、イスト・スタウトが静かに歩み寄る。

 近衛騎士団の隊長としての威厳を隠さぬまま、落ち着いた声で言葉をかける。


「……神殿騎士殿か。近衛騎士隊長、イスト・スタウトだ。……お力添えに感謝する」


 ネイキッドは少し驚いたように目を見開いたが、すぐににやりと笑い、軽く頭を下げる。


「ネイキッド・シーマだ。……こちらこそ、よろしく頼むよ、隊長殿」


 その短いやり取りの中に、お互いの立場と誇りがはっきりと刻まれていた。

 だが、イストはそのままイスズへと視線を向ける。


「しかし……イスズ神官長。ネイキッド殿が加わること自体に異論はないが、正式な手続きもなく、こうして戦列に加えるのは問題があろう」


 声はあくまで静かだが、その瞳は厳しく光る。

 イスズは肩をすくめ、どこ吹く風といった様子で笑った。


「ん? まあまあ、固いこと言わないでよ、イスト。どうせこの場には頼れる人材が必要だろう?」


 イストはため息をひとつ漏らし、けれど最後には小さく頷く。


「……君らしいな。だが、心得ておいてくれ。どんな立場の者でも、命の重さは等しく背負うことになる」


 その言葉に、イスズは軽く手をひらひらと振りながら、どこか楽しそうに笑うのだった。


 飛行艇の魔導機関を背にして立っていた飛行艇団長ラクティス・ジーニアは、そんな和やかなやり取りを遠目に見て、にやりと笑った。


「へぇ、これが噂の神官長の“私兵”くんか。いい面構えしてるじゃないかラクティス・ジーニアだ、よろしくな」


 ラクティスが興味深そうに目を向けると、どこか飄々とした雰囲気を漂わせながら、気楽な調子で手をひらひらと振る。


「アンタが噂の飛行艇団の団長か。エテルナにも、あんたらの活躍は届いてるぜ。思ってたより派手な兄ちゃんだな」


「そっちこそ、エテルナの神殿騎士って割にはずいぶんと軽そうじゃねぇか?」


 ネイキッドは肩をすくめ、余裕の笑みを見せた。


「ま、軽いのが俺の持ち味でね。でも、速さでも負けねえぜ?」


 ラクティスの瞳が細められる。速さ――それは飛行艇団にとっても、彼自身にとっても最も重要な要素のひとつだ。命を繋ぎ、勝敗を分ける鍵でもある。


「ほぉ? 速さ自慢か? そりゃいいな。飛行艇でも騎士でも、速さは生き残るための鍵だ」


「分かってんじゃねえか! いいな、お前とは気が合いそうだ!」


 ラクティスはしばしネイキッドを見つめると、ふと面白そうに口元を歪めた。


「なあ、お前、飛行艇に乗る気はねぇか? 速さを追求したいなら、飛行艇団は悪くねぇぞ」


「は?」


 ネイキッドは意表を突かれたように目を瞬かせたが、すぐに興味深そうな笑みを浮かべた。


「へぇ……面白ぇこと言うじゃねぇか。確かに、空を駆けるのも悪くなさそうだな」


「だろ? もし、気が向いたら声かけな」


「おう、よろしくな。……でも、お前の飛行艇の操縦、乱暴なんじゃねぇか?」


「はぁ!? 俺の操縦は感覚的なもんなんだよ! 最高のスピードと迫力を楽しめるぜ?」


「いや、それ普通に危ねぇだろ」


「細かいことは気にすんなって!」


「気にするだろ!?」


 軽口を交わしながらも、二人の間には奇妙な呼吸が生まれていた。互いの価値観は異なれど、その熱量には通じるものがある。違いを認めつつ、それを面白がるような、そんな空気。


 そのやり取りを見ていたイスズが、ふと肩をすくめた。


「ちょっとちょっと、ラクティス団長。勝手にアタシの私兵をスカウトしないでくれる? 彼がいなくなると、アタシが困るんだけど?」


 口調は軽かったが、その金色の瞳はどこか鋭く光っている。


「おっと、そりゃ悪かったな。でもまあ、決めるのは本人だぜ?」


 ネイキッドはその様子を見て、面白そうに笑った。


「へぇ、姐さんってば、俺がいなくなると困るのか? ちょっと嬉しいな」


「そりゃそうよ。買い出しも荷物運びも、アンタがいないと不便になるんだから」


「結局、パシリかよ!?」


 ネイキッドはため息をつきつつも、どこか満更でもなさそうに肩をすくめた。


 そんな軽口を交わしながらも、どこか互いに惹かれるものを感じたのか、ネイキッドとラクティスは意気投合したように拳を軽くぶつけ合う。それを見ていたノアとレクサスは、苦笑した。


 即興のやり取り。

 ラクティスの肩の力を抜いた冗談に、ネイキッドも空気のように乗ってくる。

 ふたりのやり取りは、その場の空気をわずかに和ませた。


 だが――イストの眉間には、静かに深い皺が刻まれていた。

 彼の目は鋭く、ラクティスとネイキッドの調子に、ほんのわずかに眉をひそめる。


「……頼もしきことではあるが、頼り切りにはならぬように。……“命の重さ”を弁えていれば、それでいい」


 低く、冷静な声。その声音には、どこか苦い色が滲んでいた。

 軽口を飛ばし合うラクティスとネイキッド。彼らの無邪気な笑顔を、イストは真正面から否定するつもりはない。


 けれど、どうしても胸の奥で引っかかるものがあった。


 ――あの団長は、無茶をする。言葉にせずとも、イストは知っている。

 自分とは違うやり方で仲間を守ろうとする男だが、価値観はどこまでも相容れない。


 空を駆けるその大胆さと、地に足をつける己の慎重さは、正反対だ。

 互いに分かり合う気はない。だが、護るという誓いだけは譲れない。


 だからこそ――この一言は、自分自身への戒めでもあり、相棒になり得ない団長への釘でもあった。

 “軽口だけでは終わらせるな”――その想いを、イストは声に込めた。


 イストの言葉を聞いて、ラクティスは肩をすくめて笑った。

 その笑みの奥には、いつもの軽口とは違う、団長としての覚悟がほんのりと滲んでいる。


「分かってるよ。……やるべきことは、ちゃんとやるさ。俺だって、団長だからな」


 声には飄々とした調子を残しつつも、静かな自負がにじんでいた。


 ――自分とイストは正反対だ。絶対に分かり合えない。だが、それでも。

 やるべきことは、それぞれのやり方で必ず成し遂げる。


 その確かな意思が、二人の視線の間に見え隠れしていた。


 ――お互いに絶対に馬が合わない。でも、だからこそ面白い。

 ラクティスはイストの真っ直ぐな視線を受け止め、悪びれもせずに笑い返した。


 港に吹く風は、どこまでも澄んでいる。

 新たな旅の仲間を迎えたこの日、その空気は、確かに新たな光を帯びていた。


 その夜、ストーリア城の小広間には、控えめながら温かな灯がともっていた。

 国王アリスト・アルファードと王妃シルビアが主催する晩餐――アストラへの旅立ちを控えた者たちをねぎらい、静かに背を押す場である。


 長いテーブルには、暖かなスープや焼きたてのパンが並び、控えめに香る葡萄酒が注がれていた。華美ではないが、心を落ち着かせるような料理ばかりだ。


 ノアは、端に座るレクサスの隣で背筋を伸ばし、緊張を押し隠すように小さく息を吐く。

 その瞳はまだあどけなさを残しながらも、覚悟の色を帯びていた。


 王と王妃が席に着くと、近衛騎士団長ユーノス・ライトエースもまた、その横に控えていた。

 鋭い眼差しは、場を見守るだけでなく、娘のノアへもさりげなく向けられる。

 その目に宿るのは、騎士としての覚悟と、父としての静かな心配とをにじませた光だった。


 ローザ・ライトエースは王妃の隣に控え、テーブル越しにノアをそっと見守る。

 ノアと視線が合うと、小さく微笑みを浮かべて頷いた。

 それだけで、ノアの胸にあたたかな灯がともる。


「ノア、明日からは……君にとっても、新たな旅の始まりだ。……だが、君ならきっと大丈夫だと、私は信じているよ」


 アリスト王の言葉は、厳かでありながら、父のような温かさを含んでいた。

 ノアは目を伏せ、真剣な表情で応じる。

「はい。……必ず、この役目を果たしてみせます」


 その返事を聞いたユーノスは、ほんの僅かに目を細め、父としての誇りを胸に秘め、その隣でローザは、誰よりも優しいまなざしを娘に注いでいた。


 イストは二人の背後に立ち、王の言葉に頭を下げながらも、時折視線を鋭く周囲に巡らせていた。


 ――この場の誰よりも、緊張を手放せないのは自分だ。護ると決めた者を、必ず帰す。それだけを胸に刻む。


 一方で、イスズは、グラスをくるくると回しながら、場の空気を砕くように笑う。


「まあまあ、肩の力を抜きなよ。明日は明日。……今日は美味いパンを食べることに集中しなきゃ損だろう?」


 軽口のようでいて、その目には確かに“背負う者”の色がある。


 ネイキッドはというと、酒杯を片手に、「おいおい、静かすぎねぇか?」と小声でぼやいていた。

 けれど、レクサスがくすりと笑って返す。


「静かなくらいがいいさ。……大事な夜だからね」


「へいへい。王子殿下のお言葉だ、黙って味わうとするか」


 そう言いながらも、ネイキッドの視線は鋭く光り、戦士の顔をのぞかせていた。


 ラクティスは、ワインをひと口飲んでは、何かに満足げに微笑む。


「……悪くねぇ晩餐だな。隊長殿、今日は飲んでもいいだろ?」


 イストがちらと視線をやる。


「節度を弁えた上でなら、好きにするがいい」


 けれどその目には、わずかに柔らかな光も宿っている。

 この束の間の安堵の空気を、ほんの少しでも楽しむことを許してもいい――イストは、密かにそう思っていた。


「はいはい、しっかりしてるな……だがまあ、あんたのそういうところ、嫌いじゃないぜ」

 

 二人のやり取りは、まるで水と油のようでいて、不思議と噛み合っている。


 ラクティスとイストのやり取りに、場の空気が少し和らいだころ。

 ノアはふと、テーブルの端に視線を向けた。


 モコは真っ白な体をふわりと揺らしながら、大皿に盛られた果物やナッツを器用に摘んでいる。

 頭を小さく下げて、まるで遠慮がちにナッツをかじる姿は、どこか可愛らしかった。


 ノアがその様子にそっと笑みを浮かべると、モコは食べるのをやめ、まるで気遣うようにノアの手に鼻先を寄せてくる。

 その小さな仕草に、ノアの目はほんの少し和らいだ。


「……大丈夫。私も、ちゃんとやるから」


 ノアはモコの柔らかな毛並みをそっと撫でる。

 その声を聞いて、レクサスは目を細め、そっと微笑んだ。


「モコも、君の覚悟を分かってるんだろうな。……きっと支えになるよ」


「……そうだね」


 ノアはレクサスに目を向け、小さく笑みを返す。

 胸の奥に、少しだけ張り詰めていたものが溶けるような気がした。


 レクサスがそっとモコの背を撫でると、モコは嬉しそうに「くるる……」と喉を鳴らし、さらにエメラルドの瞳を細める。

 この小さな竜の幸福そうな仕草が、晩餐の場をほんの少し和ませていた。


 ノアは、静かな笑顔を見せるレクサスの横顔を見つめながら、小さく息を呑んだ。

 胸の奥に、微かな高鳴りがあった。


 明日――自分がまだ見たことのない地へ赴く。


 怖くないわけじゃない。けれど、その知らない世界に、一歩踏み出すことへのわずかな期待があった。


 杯を合わせるたび、夜は静かに更けていく。

 戦いの前に訪れる、束の間の安堵。


 その夜は、確かに“出立前夜”として、誰の心にも深く刻まれた。


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