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二
火急、ご報告申し上げます。
主命を帯び十九日早朝に長安を発し街道を南下すること五日、本日二十四日午過ぎ、鎮安は襄山と申す山道において王孜様の使者とおぼしき一行を発見いたしました。御申しつけ通り荷馬車を引き受けましたが、まことに慙愧の念に堪えぬことながら、このまま王孜様の使者になり代わり荷を伴ったまま長安に帰還せざるを得ぬ次第とあいなりましたこと、伏してお詫び申し上げます。
以下、時系に従い事態をご報告致します。
二十日午後のことでございました。小休止のために立ち寄った街道の駅舎にて、気になる噂を耳に致しました。駅吏や他の官吏の口々に申すことには、江南の某県より一匹の虎が長安へ運ばれてくるとのこと。そしてその虎は、なんと皇帝陛下御自らによる御裁きを受けるのだと。何の咎かと尋ねますと、某県にて若い母親とその女児を襲い、母娘とも喰ろうたそうでございます。
経緯に違いこそあれ今回の件と酷似する内容に嫌な予感を覚えながら出立いたしましたところ、翌日もその翌日も、街道を進むにつれ同様の噂が聞こえて参ります。そして昨日二十三日には山道の所々に見物人が出るようになり、ついに今日、王孜様の使者一行と落ち合ったときには文字通りの衆人環視、人だかりの環に囲まれる次第となりました。
すべて内済せよとの御命令に背く意図は毛頭ございませぬものの、荷を引き受くには手前の身分を明かし旦那様の命令書を手渡すことがどうしても必要でございます。このことが本来避けるべき耳目の好奇に真実としてのお墨付きを与えてしまうことになろうとは、なんという皮肉でございましょうか。
二頭牽きの車に載せられた檻に、覆いはございませんでした。代わりに大きな木札が掛けられ、そこには「喰人虎 都ニテ誅サルベシ」の文字これあり。王孜様の使者を問い詰めたところ、たしかに漢陰県を出発したときには命令通り厳重に覆いをしていたものの、道途に繰り返し荷の中身を問われるにつれ箍が緩み、またちらと檻の中を垣間見せてやるその反応が面白く、まもなくまるで自分たちが虎を縛り上げたような功名心と街道の注目を集める快感に酔い、覆いを外すことはおろか右記のような稚拙な札まで掛けてしまったようでございます。
……わたくしとしたことが、気持ちの逸るあまり何よりもまずお伝えすべきことを失念しておりました。御容赦くださいませ。檻中の虎でございますが、臣の感ずるところ、おそらく李徴様であると拝察いたします。残念ながら、人間らしい理性を覗かせる様子はもはや全くございません。しかしあれだけの体躯の虎は本朝広しといえどそうそうおらぬもの、なによりあの炯々たる中に哀しみを帯びた眼光は、四年前に目の当たりにしたそれとまったく同じものであるように思われてなりませぬ。
しかし一方で、間違いなく李徴様であるかと問われると、そうは言いきれぬというのも偽らざる印象でございます。と申しますのは、件の虎は漢陰県を発って以来まったく食を絶っているらしく、痩せ細り容貌が当時とかなり変わっているからでございます。いえ、王孜様の下吏が給餌を怠ったわけではございません。急に病を得たのか、虎の方で食べることを拒み続けているのございます。水さえ少し舐める程度で、困り果てた使者らは道中生きた豚を檻の中に入れたことまであったそうでございますが、虎は一瞥すらくれずただ力なく横たわっているばかりだったとか。
本来であればここから蔡倫様のいらっしゃる石泉へ赴く手筈でございましたが、このように事が明るみになってしまった以上、道々の見物人を従えて彼の地に赴き保護を求めるのは上策ではないと愚見いたします。最寄りの駅舎に待機し旦那様の御判断を仰ぐことも思案いたしましたが、右記のように虎の体力が日に日に衰えていくことを考えますと、やはり誠に勝手ながら一刻も早く長安へ檻を牽き、旦那様御自身の目で御検め頂くことが最も御意に適うと思い至りました。
このような不手際を犯しましたこと、重ねてお詫び申し上げます。御命令に背きましたる段、帰参致しましたらば存分に罰を御与えくださいますよう。旦那様の御心中、察し申し上げるに筆舌尽くし難く、今はただあの痩身の虎が李徴様でないことを祈るばかりでございます。
臣素儀 拝