10 その価値を
【福音書】
それは、受難と救済の記録。
それは、神代を告げる祝福。
それは、良き知らせ。
この施設が宗教関係の何かなのは薄々気づいてたけど、入信案内とか高価な壺の話も無かったので俺自身はどうとも思っていなかった。
だって俺は、神様を信じるに足る何かを何一つ持っていないんだから。
◆
素晴らしい。
大粒の苺を頬張りながら、薄っぺらい信仰心で神様に感動を伝える。
びば、福音書。
拒否することも出来たが部屋を片付け、悪態をつく事も無くお使いに同伴した結果がこの、プレミアム苺ショートケーキである。
人数分のケーキを買いに行くお使いは時々頼まれるらしい。
無事、人数に含まれることになった俺はプレミアムな苺を御相伴に預かっているわけだ。
やはり神託には従うべきだよな。
タクマが未来予知者であることはもう間違いないわけだし、雇い主のクグイの元でどんな仕事をしているのだろうか。
布教活動的な物を見た覚えがないし、本当に慈善事業やら、ボランティアだけなのかなぁ。
少し、もったいないと思う。
ケーキを崩しながら、もしかしてこれは口止め料的なものでは?と口元が緩む。
そんなものは必要ないのに。なにせ、もうすでにヒントは貰っているのだから。
テーブルにはコーヒーとケーキが3セット。
読書中のタクマのケーキには、大粒のいちごの上に白い蝶がオブジェの様に止まっていた。
手付かずのケーキはクグイので、別室で宿題をしているコアの元にケーキを運びに行ったらしい。
手元のケーキをホークで崩しながら隣のキッチンへ続く扉を見る。
俺は知っている。
冷蔵庫にはあと一つケーキが残っている事を。
ぱたんっ。
タクマが本を読み終えたようだ。
テーブルに置かれた本のタイトルは三国志演義。
多くの武将が戦術戦略を繰り広げた、俺でも知っている話だ(ゲーム知識)。
さながら今の自分は諸葛亮の如く先を見通している(根拠のない自信)。
まずは、こちらの最強カードで揺さぶりをかけてええと、それからだな(無計画)。
タクマは未来、視えるんだろ?
「違うけど、そうだったらいいね。アユムは占いって信じる?神託も予言も入れ物が違うだけで中身は同じ。歴史が語り継がれて、いつしかそう成るんだ」
あうぅ、また始まってしまった。
しかも初手で外したらしい。
テーブルに置かれた本を再び手に取り、語り始めたタクマはどこか嬉しそうで、いつもより早口な気がした。
「三国志で赤壁の戦いは有名かな?映画にもなっていたね。劉備軍軍師・諸葛亮は敵船団に火を放ち、劣勢を覆して曹爽の軍勢を追い返す事に成功した。
知ってるかもしれないけど、この火計を成功させる為に曹爽を謀り誘い込み、数多の策を巡らせても尚、足りない物があった。
東南の風。曹爽軍にとって向い風であるこの風は真冬には吹かない。だからこそ、曹爽は火計を警戒することなく進軍できた訳なんだけど。
諸葛亮は祈祷を行い東南の風を呼んで見せた。火計は成功し諸葛亮の名は売れたが、真冬に東南の風が吹いた事に敵味方両軍は驚愕し怖れた。後の天下統一の邪魔になると危惧され、同盟軍から刺客が送られるほどに。
諸葛亮は風を呼んだ。
彼がどれほどの策を弄し、戦場を見通していたのか。今となっては、それを知る術はないけれど、今だからこそ解ることがある。
西高東低。学のある者は、真冬に吹くのは北風だと習うだろう。しかし、この地域では冬至の後に一時的に南風が吹く。諸葛亮はそれを読んだ。
貿易風。潮流と南国の気温差で吹く季節外れの南風を、この土地に縁ある諸葛亮が知っていてもおかしくはない。
諸葛亮は風を読んだ。
いつしか諸葛亮は、風を呼ばなくなった。多くの書籍がそう描く様になり、諸葛亮は戦況・人心・気候までも読み解く天才軍師となった。
日本では、気候を操る諸葛亮の方が人気があるみたいだね。
認識は変わる。変わった事が重要ではないんだ。認識、それが全てなんだ。
僕のこれは未来予知と呼べるものではないけれど、アユムがそう認識してくれたなら、僕にとってとても嬉しい事だよ。
ありがとう」
ありがとうと言い終わると、タクマはオブジェの乗ったいちごを皿の端に下ろしてケーキを食べ始めた。
…。
………。
……………ええと…?
つまり、未来予知ではない、と?
「僕は未来が視えるわけじゃないよ。
ノートに書いたのは数多ある選択肢のひとつだよ。選択肢は見えてる星の数より多いんだ。可能性の一つにすぎないよ」
むむむ。
それでも可能性のある未来には違いないはずだ。
「そうだね。じゃあ、予言でもしようか」
タクマは、テーブルに積んであった俺の課題の山に手を伸ばし、付箋の貼ってあるノートを捲った。
「ここ、テストに出るよ」
指差した場所には、蛍光ペンが塗られて3重線が引かれた上に矢印で“ココ重要”と書かれていた。
アホか。
スルーしようかとも思ったが、やられっ放しは俺のプライドが許さない。
とっておきの隠し玉を使わせて貰おうじゃないか。
その程度の予言なら俺にも出来るぜ。
今日、客が来るだろ?
「そうなの?クグイ」
いつからいたのか、戻って来たクグイがキッチンの扉近くに立っていた。
「いや、そんな予定は聞いていないな。誰か来るのか?」
またまた、とぼけちゃって。
悠々と証拠を突き出して観念させる為にキッチンへ移動し、冷蔵庫を開けると…
ケーキがあと一つ残っているはずの冷蔵庫は空で、ゴミ箱には畳まれた箱があった。
ん……?
無い。
確かにあったはずだ。
あと一個。
ケーキが無い。
クグイの静止を振り切って、端から順に部屋の扉を開けて周る。
いるはずだ。
ケーキと共に。
そして……。
二階の端の部屋を開けると、2つのケーキと2人の子供がいた。
一瞬、見つけたと叫びそうになる。
何の事はない。
鏡の前に座ったコアが大粒のいちごを頬張っていた。(大鏡と時計、テーブルしかない、この建物で一番殺風景な部屋)
扉2枚分はありそうな大鏡に映るコアと実像のコアは、口の中のいちごと格闘しながらこちらを向いた。
「はゆふ?」
すみません、お邪魔しました。
扉をゆっくりと閉めるとクグイに追いつかれた。
「いきなり、どうしたんだ?」
だってケーキが……、
「さっき食べただろ?」
違うそうじゃなくて。ひとつ多かったんだ。
そう、“人数分”だ。
来てるんだろ?一昨日のループ被害者が。
俺の訴えに気圧されてか、一呼吸たっぷり時間を空けた。
「…お前みたいなのは、珍しいんだ。
大概は、病むか忘れるか。お前みたいに厄介事に関わろうとする奴なんざ珍しい。……先に答えろ。お前が巻き込まれた現象、何故ループだと思ったんだ?」
俺の答えは簡単だ。
小説で読んだのと同じだったから。
映画で見たのとそっくりだったから。
漫画みたいに繰り返したから。
「彼女も、そんな世界に生きていたら違ったのかもしれないな」
ループしたのはどうやら女性らしい。
というか、そんな世界って何だ。
「時を繰り返す現象。それをお前はループと認識したが、彼女は……、
彼女は、時間が遡るという現象を認識しなかった。ただ1人、蓄積した時間を進んだ。彼女の過去の出来事はその他大勢の今であり、彼女と同じ記憶を有する者はいなかった。
彼女はそれを、その他大勢の悪意と認識した。悪質なイタズラだと……。
お前みたいな奴は、珍しいんだ」
期待していただけに落胆も大きかった。
一昨日のループ被害者は、精神的に疲弊していて暫く入院するらしい。
誰1人、味方もなく。国も、世界も。全てを敵と認識してしまった。
カウンセリングを受けて忘れるのが最善だろう、と。
◆
帰り道。
信号で立ち止まると、遠くの建物の屋上に動く人影が見えた。
ふと、思い出す。
なんで忘れてたんだろう。
自分だって、ループに絶望して跳んだ癖に…。
ループなんて…。
………ん?
『…それをお前はループと認識した…』?
あれ?
ええと、
もしかして。
本当はループじゃない、とか?
いったい、ケーキはどこへいったんだ(すっとぼけ)