〈その1〉雷切丸(後)
剣次郎は木刀を中段から八相に構え直した。
八相の構えは、刀をほぼ垂直に持ち、肩口に引き寄せる、いわゆる野球のバッターのような構え方だ。
中段は相手との間合いを取りやすいが、攻撃の際、上に振り上げる分、わずかに遅れる。
八相は、手前ががら空きになるので、防御に関しては不利だが、攻撃に関しては先に振り下ろせるので有利となる。
相手の茉百合は真剣なので、剣次郎の攻撃が先に当たったとしても、まつりの刃に当たればただでは済まない。
確実な一撃を与えることが必須だ。
だが、この場合、面を打ち込むわけにはいかない。木刀であっても、剣次郎クラスの攻撃を受ければ、下手をすれば相手は死ぬ。
(幾ら乱心召されたとはいえ、大事なお嬢を殺すわけにはいきませんからな)
剣次郎の狙いは、相手の右肩だ。
鎖骨が折れるかもしれないが、それは仕方がない。
肩に痛みが加わればきっと刀を離すはずだ。
剣次郎はそこまで読んで相手を睨んだ。
「太助、お前まで邪魔をするか!」
まつりは唸るように言い放った。
(太助とは? 先ほど「宗成殿」と言ったかと思うと、今度は太助。何か幻覚を見ているのか?)
まつりは剣次郎が考え込んだ瞬間を隙とみたのか、映画に出て来る忍者のようなスタイルの構えから、刀を水平に振りかかってきた。
八相に構えていた剣次郎は、木刀の先端を地面の方に向けてまつりの刀を防ぐのが精一杯だった。
雷切丸の刃が木刀に食い込む。
木材の中でも硬度の高い赤樫で作られた木刀は、さすがの雷切丸であっても、一刀のもとに切ることはできない。
剣次郎はまつりの一撃を払い除け、逆に相手の肩に突きを放った。
最初は上から振り下ろすつもりだったが、間合いが詰まったのを見て、攻撃方法をすかさず変えたのだ。
「うっ!」
剣次郎の放った右肩口への突きでまつりは姿勢を崩した。
しかし、右手はだらりと下がったが、まだ刀を手放してはいない。左手で肩口を抑えて、まだ剣次郎の方を睨んでいる。
「おのれ、太助! 妾に手をかけるとは、無礼者!」
まつりから無礼者と言われても、如何ともしがたい。
「お嬢、まだ目が覚めませんか」
剣次郎は木刀を中段に構え直したが、まつりは剣次郎とは別の方に目をやっていた。
誰かを探しているかのように、庭先に集まって来た門弟たちの顔を見回している。
「宗茂殿はどこへ行った!」
そう言い放つなり、抜き身の刀を門弟たちの方に向けて来た。
「わっ、茉百合さん、危ないっすよ!」
まつりの振りかざす刀の刃を避けながら、門弟たちが飛び退いた。
「まつり、何をするのだ」
傍らで見守っていた道山が、慌てて言い放った。
きょろきょろと辺りを探っていたまつりがあまりにも突飛な行動に出たからだ。
庭木の手入れをするために植木職人が軒下に寝かせておいた高梯子を見つけると、その先を講堂の屋根に立掛け、刀を口に咥えて、よじ上りはじめたのだ。
「むねしげどのおおおお! どこじゃあああ!」
講堂の屋根まで上ると、その上で仁王立ちとなり、大声で吠えた。
すでに構えを解いて見送る剣次郎と、心配顔のままどうすることもできず立ち尽くす道山、そして奇異の混じった目で見上げる門弟たちに囲まれながら、祭刀家の道場の屋根の上で、まつりは天を見上げて奇声を上げ続けた。
その時だ。
庭先に一陣の冷たい風が吹いた。
それまで陽は照っていたのだが、雲の流れが速くなりパラパラと大粒の雨が零れ落ちた。
雨粒はすぐに大きくなって、みるみるうちに土砂降りとなる。
門弟たちのほとんどが濡れないように頭を抱えながら、屋根のある方へ避難した。
剣次郎と道山だけは濡れるままに、庭先でまつりの様子を伺っていた。
当のまつりは、ずぶ濡れになりながらシャワーを浴び続けるように天を見上げたままでいたが、稲妻が一閃すると、少し驚いて目をしばたたかせた。
「らい、きり……」
そう言うと、まつり持っていた刀を下段に構えて雷鳴の轟くほうに顔を向けた。
「よせ、まつり、危ないぞ!」
まるで雷に喧嘩を挑むかのような娘の姿に、道山が思わず叫んだ。
「いやあああ!」
まつりが下段から空に向かって切り上げたのとほぼ同時だ。
「ピシャ!」
雷切丸に雷が直撃した。
見ようによっては、雷を切ったように見えないこともない。
「うわ、まつりさんが、雷を切ったぞ!」
雨宿りしていた門弟たちが騒いだ。
が、実際には、その雷は、雷切丸を直撃しただけでなく、いわゆる側撃という現象で、まつりの方にも飛び移っていた。
「まつり!」
道山が叫んだと同時に、まつりの体はぐらりと揺れて屋根の上で倒れた。
横になった姿勢で瓦の上で雷切丸を手放して、ゴロゴロと転がっていく。
「危ない! 誰か、下に行け」
剣次郎の指示で、門弟たちの数人がまつりの落下地点に向かった。
咄嗟の判断にもかかわらず、まつりの体を数人の門弟たちが受け止めることができた。
一方、まつりが手放した雷切丸も、まつりと同じようにゴロゴロと転がって屋根から落ちた。
さすがに抜き身の刀を素手で受け取るものはなく、ガシャーンと派手な音を立てて軒下に転がった。
門弟の一人が庭に放ってあった鞘を持ってきて道山に手渡した。
道山はそれを受け取ると、転がっていた雷切丸を拾い上げ、波紋を食い入るように凝視してから刀を鞘に納めた。
(この刀には、何か呪いのようなものでも込められているのか?)
道山は、雷切丸の言い伝えにそのような逸話があったという記憶はない。
「あ、お父さん」
屋根から落ちて門弟たちに体を支えられていたまつりが、道山の姿を見つけると、寝起きのときのような声を出した。
「まつり、無事か?」
「?」
まつりは辺りの様子に、訳が分からず、ポカンとしていた。
気が付くと、雨は降り止み、再び太陽が顔を覗かせている。
自分も含めてずぶ濡れになった父や剣次郎、門弟たちに囲まれて、心配そうな顔で見守られている。
自分は、庭先で稽古中に貧血でも起こして気をうしなったのだろうか。
「そうか、その刀をくれたんだよね」
自分が持っている雷切丸の方にまつりが近寄ってきたので、道山は思わず遠ざけるような仕草をした。
「ん、これは……、そうだ、お前には別の刀をやろう」
「え? なんでですか?」
まつりが不服な顔をしてみせた。
これまで、娘がそのような不平をこぼしたことがないので、道山は慌てた。
「いや、この刀はお前には危険だ」
道山が狼狽えて言った。
「私、その刀がとても気に入りました」
これまで聞いたことがないような言葉遣いでまつりが手を差し出した時、道山はなぜか拒むことができず、まつりに雷切丸を素直に手渡してしまった。
「らいきりまる、大切にいたします」
まつりは誕生日に受け取った縫いぐるみのように刀を抱え込み、少女とは思えない大人びた声を出して、ニッコリとほほ笑んだ。
あとがき
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
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よりよい作品づくりのための参考とさせて頂きます。
今後ともよろしくお願いします。