〈その1〉雷切丸(前)
※「この小説はフィクションです。実在の人物や団体、名称などとは関係ありません」
「まつり、ちょっと来なさい」
その日道山は、庭先で朝稽古を終えたばかりのまつりを手招きした。
額の汗を拭き取りながら、まつりは父の後に従って歩いた。
庭の脇に設けられた祭刀家の土蔵の頑丈な鍵を開けて、父は中に入っていった。
この蔵には先代から伝わる祭刀家の貴重な宝が山のように眠っている。
大部分は、剣術や武術に関する古書類だが、古美術品も多く、中には国宝級の茶道具も保管されている。
だが、まつりはこれらの“お宝”に興味を示したことはこれまで一度もない。
「お前も“帯刀”を赦される年となったしな。
これを譲ろうと思う」
道山は梯子段を上り、屋根裏の棚の奥に積んであった木製の長箱の一つを掴んで降りると、それを無造作にまつりの方に差し出した。
この国では、剣士の称号を得た十五歳以上のものは、帯刀、つまり刀を差して街中でも歩くことが許されている。
まつりは小学校三年生の時、最年少ですでに剣士を称号を得ていたが、まだ帯刀は許されていなかった。
ちなみに、滝沢火煉が剣士の称号を得たのは、小学校四年の時である。当時は最年少であったが、その後、その記録はまつりに抜かれることとなった。
そして本日、十五歳の誕生日を迎えたまつりは、晴れて帯刀できる年齢に達したというわけである。
「それは、雷切丸と呼ばれる刀だ」
道山は手渡された木箱を両手で抱えて戸惑っているまつりに向かって説明を加えた。
「らい・きり・まる……」
「そう、雷を切ると書いて、雷切丸だ。
その昔、立花道雪という武将がおってな。
伝説では、道雪が昼寝をしていたところ、突然の雷が鳴った。
飛び起きた道雪は、枕元の愛刀“千鳥”を抜き放つと、その刀で雷を切ったそうだ。
それ以来、千鳥は雷切丸と呼ばれるようになった。その後雷切丸は、道雪の娘婿に手渡され、大刀から脇差に直され、立花家の家宝として残っている」
道雪の話をそこまで聞いた時、まつりの心にある情景が浮かんだ。
(なんだ、これは!)
一人の若武者が大小二本の刀を腰に差して立っている。
小刀の方は、今父が話した“雷切丸”に違いない。脇差に仕立て直されているにも関わらず、異様なオーラを纏っている。
若武者が差している大刀もきっと名のある刀なんだろうが、両者を比べてしまうと、まったく霞んで見える。
「お誾」
若武者が“自分”に向かって呼びかける。
「誰? あなたは誰ですか?」
「どうした、まつり?」
道雪にそう言われてまつりは「はっ」とした。
今の幻は一体なんだったのか。
「この箱の中にあるのは、その刀なんですか?」
「うむ、今言ったように、本物の雷切丸は、脇差に変えられて立花家の元にある。
それは、その際、残った鋼を、刀工の七代目備前長船兼光が打ち直して拵えた新・雷切丸、いわば、雷切丸のクローンといえる刀なのだ」
まつりは、両腕に抱えた木箱の隙間から僅かずつエネルギーが漏れ出て来るのを感じずにはいられなかった。
(これは中に入っている刀の力だ。早くここから出してくれとせがんでいるんだ)
「お父様、これを開けてもよろしいか?」
「うん? もちろんだ」
道山はまつりの声の調子がいつもと違うことに気づいたが、自分の誕生日にいきなり真剣を手渡されて、気持ちが高ぶっているだけだろうと、その時は思った。
当のまつりは、木箱を蔵の床の上にそっと置くと、箱を縛ってあった紐を解き、蓋を開いて中のものを凝視した。
刀袋に仕舞ってあるのでまだ“姿形”は見えないが、先程漏れ出したエネルギーが暗がりで急にライトを付けたように、ぱっと四方に飛び散るのを感じた。
「うっ、眩しい」
「どうかしたか、まつり?」
まつりは思わず目を伏せたが、何のことやら、道山にはさっぱりわけがわからなかった。
それもそのはず、刀から飛び散ったエネルギーはまつりだけに見えていたのだ。
まつりは、刀袋に手をかけて、軽く電流が走るような感覚を覚えて思わず飛び退った。
「うわ……」
袋に収まったままの大刀は、ごとんと鈍い音を立てて、箱の中に落ちた。
「まつり、もう少し丁寧にな」
国宝級の大刀が損在に扱われていることが気が気ではなかったが、たった今娘に与えたものだし、大ぴらに叱るわけにもいかない。
嫌いな毛虫でも見つけたように肩を縮こませていたまつりは、そっと木箱に近寄り、ゆっくりと刀袋に手を伸ばした。
今度は“電気が走らない”ことを確かめると、木箱の中で袋の紐をほどく。
中に入っていたのは、年代ものらしく、かなり燻んだ色の大太刀だ。
袋から引っ張りだして目の前で持ち上げてみる。
鞘は“江戸時代以降”の黒い漆塗りだが、元の艶はすでに消えかけて、くすんだ色を帯びている。
柄はいわゆる「糸巻き」で、元は純白らしかったが、経年劣化のために黄白色に変色していた。見ようによっては金糸を巻いたように見えなくもない。
「かなりの年代物だしな、拵えに関しては、後でもっときれいなものに作り直してあげよう」
「いえ、このままで結構にございます」
まつりは即答した。
「うむ、そうか……」
刀を掴んだことで、娘の様子がさらにおかしさを増したことに道山は気づいた。
「まつり、何をする! 危ないぞ」
まつりが無造作に鞘から刀を抜き放ち、片手で軽く上下に振って見せたので、道山は驚いた。
しばらく研いでいないとはいえ、真剣の刃先に皮膚が当たれば、ただでは済まない。
「まつり?」
道山は刀を目の前に翳し、その波紋を食い入るように見つめる娘の目が狂気じみているのを感じた。
「これはいかん!」
二人は蔵の戸口付近にいたが、道山が先に中から飛び出した。
「誰かいないか!」
道山の只ならぬ呼び声に、庭先に、道場で稽古を終えた者や、これから稽古に向かう者など、門弟数人が集まってきた。
中には、祭刀家の“番頭”剣次郎も混ざっていた。
「道山殿、いかがされました」
血相を変えて飛び出してきた道山に、剣次郎が尋ねた。
「まつりの様子が変なのだ」
言うが早いか、まつりが蔵から現れた。
右手に抜き身の“雷切丸”、左手に黒塗りの鞘を掴んで皆が集まった方へゆっくりと近づいてくる。
「これは……」
剣次郎は念のため携えて来た木刀を下段に構えた。
まつりが今にも襲い掛かってきそうな体制を取っている。
真剣と木刀では戦い方がまるで異なる。
先に木刀を振るっては、相手が後手でも斬られては負けだ。
まず相手の振るう刃を避け、逆に打ち込む。これが鉄則だ。
(だが、相手がお嬢となると、どうしたものか)
剣次郎は逡巡した。
「道山殿、よろしいか?」
「しかたあるまい」
剣次郎は念のため、父道山の許しを乞うたが、お互いの了解がどの程度なのかは、火急のため、確かめようがなかった。
父としては、なるべく娘に怪我のないよう、打ち取ってくれ、そういうつもりだろう。
剣次郎はそう了解したが、場合によっては、相手に骨の一本や二本は犠牲にしてもらうほかあるまい。
それにしても、まつりの顔は、目の前の相手が剣次郎であることを認識していないように見える。
実のところ、まつりには、父道山も剣次郎の姿も見えてはいなかった。
「お誾様、御乱心召されたか!」
「何を言うか、うぬら、妾の命を奪おうとした分際で!」
まつりには“別の声”が聞こえていた。
鞘を投げ捨て、両手で刀を構え直した。
(おや? 我が“極北新陰流”では、見たこともない構えだ)
左手で柄を掴みなおし、右手を手刀の形にして柄に沿えている。
どこで覚えたのか、と剣次郎は訝った。
「参るぞ、宗茂殿」
誰のことだ? 剣次郎は困惑しながら、まつりと対峙した。
あとがき
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
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よりよい作品づくりのための参考とさせて頂きます。
今後ともよろしくお願いします。