〈その3〉火煉(かれん)先輩
「ちょっと、まつり、あんた、カレン先輩に呼ばれているよ」
隣の席にいた聡美が、茫然とするまつりに声を掛けた。
檀上では、火煉がじっとまつりを瞠り続けている。
「まつりさん、早く行きなさい」
司会役の担任、今村先生がマイクを離れてまつりを呼びにきた。
ここでまつりが火煉に呼ばれて壇上に上がるのは、プログラムの予定に入っていたことだと、今村先生は勘違いしていた。
まつりは、今村先生に促されて渋々立ち上がり、周りの連中から背中を押されるようにしてステージの前まで来てしまった。
「祭刀まつりさん、祭刀家の後継者としてのあなたに、ここで勝負を挑みたいと思います」
マイクを手にした火煉が、まつり本人よりも、ここにいる全生徒の了解を得るかのように、場内を見渡しながらアナウンスした。
「勝負って、火煉君、それはいかん!」
檀上の隅にいた学校長が慌てて飛び出した。
「校長先生、祭刀まつりさんは、祭刀家の後継者です。
星光理心流の後継者である私としては、祭刀家次期宗匠の実力をこの場で示して頂きたいと、思うのです。
きっと、この場にいる生徒の皆様も、それをお望みのはずです」
火煉の煽りで、会場の生徒たちが沸いた。
「そうだ、そうだ、祭刀家と清滝家、どっちが強いか、ここで見せてくれ!」
「やっちまえ、カレン様、祭刀家の親の七光りなんか、叩き切っちゃえ!」
乱暴な声援を送る者まで現れ始めた。
「皆さん、静粛に!」
司会者の位置に戻った今村先生が、生徒たちを窘める。
「とにかく、ここで勝負させるわけにはいかん」
校長先生が困惑した表情で火煉のサプライズ演出を止めに入った。
「いいではないか、校長先生、その勝負とやら、やらせてみては」
マイクを通さない地声にもかかわらず、会場全体に響き渡るような声で、一人の男が口を挟んだ。
「お父さん!」
まだ壇上に上がらず待機していたまつりが、声を上げた男性を見て、小さく叫んだ。
現れた男は、まつりの父、祭刀道山である。
会場の横に並べられた貴賓席の一つにじっと座っていた和服姿の道山は、僧侶のように反り上げた頭を光らせながら、ステージの階段をゆっくりと上って、火煉と校長の方へ近づいていった。
「まつり、早く壇上に上がりなさい」
道山は、未だ躊躇っているまつりを促した。
父にそう言われてはしかたない。
まつりは断頭台に上るような気分でステージの横に設えた階段に足をかけた。
「道山様、私とまつりさんの勝負をお許しくださり、誠にありがとうございます」
火煉は、道山に対して深々と頭を下げた。
「いや、何、火煉殿、清滝家のご令嬢としては、うちのまつりがどの程度の腕前なのか、知っておきたいというのも当然でしょう。
また、我が娘の腕前を御承知おき頂いてほしいのは、当方としても望むところです」
これを聞いて火煉は、道山の口ぶりの中には、この学校の生徒程度であれば、多少腕が立っても自分の娘が負けなるはずがないという自信があることを見て取った。
「むう、道山殿がそうおっしゃるのであれば、しかたない。
特別に試合を認めることにしますか」
校長はポケットからハンカチを取り出し、額の汗を拭いながら渋々言い放った。
「では、この勝負の審判を、私が務めさせていただくことにしますか」
道山がそこまで言ってから、火煉やまつりを含めて、大勢の者がふと気づいた。
自分の娘の勝負に実の父が審判を務めるのは、いささか公正さに欠けるのではないか。
「道山様、さすがにそれはまずいでしょう」
壇上に現れたもう一人の男性が皆の気持ちを代弁するように言った。
道山とは対照的に、白髪交じりの総髪に、口髭を生やした細身の紳士である。
「お父様」
今度は、火燐が声を上げた。
細身の紳士は、火燐の父、ジョージ清滝。
星光理心流の総帥であり、“ヤマト第1”の理事長を務めている男だった。
「審判は、誰か、中立の者がいい」
ジョージ清滝が誰かいないかと、辺りを見回したその時、一人の男子が客席の中から立ち上がって名乗り出た。
「では、僕が審判を引き受けましょう」
飛田健三郎、彗虎神流の宗匠を務める飛田家の三男である。
彗虎神流は、祭刀家の極北心陰流と並んで、ヒノモトにおける剣技四天王の一角をなす流派であった。
飛田家は、ヒノモトの東北地方である“ムツ“を統治しているのだが、次期宗匠は、長男の進一郎が継ぐことになっており、健三郎は、言ってみれば、気楽な身分として、親元を離れ、“ヤマト第1”で学んでいた。
「おお、飛田君か、ちょうどいい。君なら、火煉殿ともウチの娘とも異なる流派だし、公平に判定して頂けるだろう」
健三郎は、短髪で飾り気がなく、制服をいつもきちんと着こなし、誰に対しても礼儀正しく、真面目を絵に描いたような青年だ。流派は違えど、道山のお気に入りである。
口にこそしないが、まつりが許せば、将来は婿養子として迎え入れたいぐらいだ。もちろん、当のまつりにはそんな気はさらさらない。
たまに祭刀家の道場に出稽古に現れることもあるが、恋愛対象として見たことは一度もない。
「では、審判も決まったところで、早速勝負といきましょう」
火煉は、傍らにいた女子に顎で合図を促すと、事前に段取りを組んでいたらしく、一振りの真剣を持って来させた。
「勝負は、真剣で行います。お許し頂けますね、道山様、理事長、校長先生」
道山は、腕組みしたまま表情を変えなかったが、理事長のジョージ清滝と、校長は、蒼くなった。
読んで字のごとくの真剣勝負を火煉が持ちかけたとあって、会場全体もざわついた。
「おい、火煉、いくら何でも、それはまずいだろ」
ジョージ清滝が諫めるように言った。
「お父様、いえ、理事長、真剣と言っても、実際に肉を斬り合うわけではありません。
もちろん、ルールはちゃんと設けています」
火煉が先に自分の額に鉢巻を巻いた。
「互いに、この額の鉢巻を斬り合います。
勝負はこの鉢巻を先に斬った方が勝ち、これでいかがでしょう」
火煉は、父と校長の方を見ずに、道山の方を向いて言った。
「なるほど、我が国古来より伝わる、達人同士の勝負に用いる鉢巻切りといわれる勝負法であるな。
うむ、それで結構。」
「いや、しかし、万が一ということもある。まかり間違えば、ただでは済みませんぞ」
校長が慌てて言った。
「ご心配なく、校長先生、この勝負の一切の責任は私が取らせて頂くことにしましょう」
校長の不安を取り除くようかのように、道山がニッコリと笑いかけた。
「いや、大丈夫。火煉殿の腕前は、私もよく知っておるし、我が娘なれど、まつりの方もそれなりの腕を持っておる」
道山は気軽に言うが、当のまつりは全く乗り気ではない。
「お父さん」
まつりが抗議の目を向けると、それを跳ね返すように道山が睨んだ。
(まつり、見せてやれ、お前の“腕前”を)
父の目は、そう語っている。
かねてから、まつりの剣技がどれほどのものなのか、疑いを持つものが多いことを道山も知っている。
特に校内では、まつりは剣道部に所属していないこともあり、まつりが木刀を握ったところを見たことがない生徒がほとんどだ。
さらに高等部には、剣技の順位戦があるが、中等部にはないこともあって、まつりの存在さえ知らない者も多かった。
「刀は、二尺四寸(約73センチ)のものをこちらで用意しました。私が今帯刀しているのと全く同じ寸法、拵えの物です」
先程の演武で火煉の相手をしていた女子から真剣を手渡されて、まつりは覚悟を決めた。
「しょうがない、いいでしょう、火煉ちゃん、勝負しましょう」
つい昔からの癖でそう呼んでしまった。
まあ、いいかと、まつりは思ったが、当の火煉は『ちゃん付け』で呼ばれたことで、顔を赤らめた。
「ま、まつりさん、では、胴着に着替えてください。袖の方に用意してあります」
「いえ、この恰好(制服姿)で結構です。ただし、帯刀するための帯だけ貸してください」
まつりは制服の上から帯を締め、鉢巻を巻いた。
実のところ、まつりには、真剣を用いることに対しての惧れなど一切ない。
(やれやれ、だな。相変わらずだよ、火煉ちゃんは)
まつりは只管面倒に思うだけだった。
あとがき
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
ご意見、ご感想等、ございましたら、何なりとお寄せください。
よりよい作品づくりのための参考とさせて頂きます。
今後ともよろしくお願いします。