〈その2〉国立ヤマト学院
国立ヤマト学院第1中学・高等学校。そこは、まつりが通う全国でも有数の中高一貫校である。
文武両道を謳う学校は多いが、略称・ヤマト第1は、名ばかりの文武両道校とは一線を画す、次代の先導者を育成するための国家プロジェクトの一つとして運営される真の教育機関であった。
『文』に関しては、毎月行われる主要教科テストですべて60点以上の成績を修めなければならない。これに満たないものは、追試という制度こそないが、夏冬の休暇を除く計10回のテストで3回の赤点を取った場合、強制的に退学となる。
退学というのはかなり厳しい処遇だが、ただ放校となるのではなく、受け入れ先として、第2中学・高等学校への編入が自動的に行われる。
かといって、ヤマト第2のレベルが低いというわけではなく、全国的に見てもかなり高いレベルであることに違いはない。
逆に、ヤマト第2に通う優秀な生徒が、ヤマト第1に編入するというケースもある。そうした生徒たちを、校内では“入れ替え組”と呼んでいた。
一方の『武』に関しても、かなり特殊だ。
ヤマト第1には、必修として“剣術”という科目があった。
これには具体的な授業は設けられていないが、全生徒は、指定流派五派のうち、いずれかの剣術を身に付け、中学入学時には、最低でも初段以上の段位を取得していなければならない。
もちろん、それ以外に得意なスポーツがあれば、クラブ活動を通して別に行うことができたが、剣術を身に付けることは、ヤマト第1だけでなく、国立ヤマト学院の系列校では必修となっていた。
ちなみにまつりは、中学入学時には、極北新陰流三段の腕前であった。
中学3年の現在は、五段に達しており、これについては、当然のことながら、家元の娘であるから下駄を履かせてもらっているのだろうと、訝る声も校内のあちこちで聞かれた。
実のところ、コネや不正ギリギリで入学を果たしている有力者の子息も少なくはなかったが、まつりには、そうした小細工は全く必要なかった。
実際、ヤマト第1にトップクラスの成績で入学を果たしており、毎月校内の掲示板に張り出される試験結果でも、常に十位以内に入る成績を修めていた。
「まつり、先に行くね!」
クラスメイトの後藤聡美は、登校中のまつりの後ろから声を掛けると、さらに横を追い抜いて、足早に正門の方へ向かって行った。
「あ、おはよう、聡美」
まつりが気づいて声をかけたとき、聡美の姿はすでに校舎の中に消えていた。
今日は、新学期初日で授業はないが、午前中は高校へ進学した生徒たちの祝典がある。
ヤマト第1は、中高一貫校のため、高校の入学式はないが、その替わり、中高を含めた全校生が一同に介し、祝典が催されることになっているのだ。
聡美は、この祝典を執り行う準備委員の一人として選ばれていた。そのため、急いで登校していたのだ。
(でも、これじゃ、遅刻だろうな)
まつりが思った通り、校門をくぐると、準備委員の一人に説教されている聡美に出くわした。中学の制服とは違うので、高校2年か、3年の先輩に違いない。
「もう準備の方はとっくに始まっているわよ」
「すみません」
しょんぼりと頭を下げていた聡美は、まつりの姿に気づくと、下を向いたままぺろりと舌を出した。
まつりたちも、来年は高校へ進学ということになるが、同じキャンパスで校舎だけが変わるので、新しい高校に通うというフレッシュな気分を味わうことは少ないが、制服のデザインが変わるのは少し楽しみだった。
「祭刀まつりさん、おはよう」
校舎の入り口付近で屯してた女子の一人から声を掛けられた。
長い黒髪を紫色の刀の下げ緒で縛り、真っ白い羽織袴を身に付けている。
制服ではなく和装姿だが、きっと祝賀会の演武のためだろう。周りにいた数名の女子も同じ出で立ちをしている。
「あ、おはようございます、清滝さん」
まつりはちょっとうんざりした気分であいさつした。
「なぜあなたは、演武をなさらないの?」
そう言いながら、清滝火煉は、まつりの行く手を阻むように横に動いた。
「はい、父から何も聞かされていいないので」
「お父様から、ではなく、先生からお達しはなかったの?」
「はい、特に」
かれんは、不満そうに口を歪めて腰に差した大刀の鍔に親指を乗せた。
「まあ、いいわ。今日の祝典、あなたも出席なさるんでしょ?」
「え? はい、もちろん」
全校生出席の行事に、なぜ敢えてそんなことを問うのか、まつりは少々不安になった。
「それじゃあ、楽しみね。参りましょう、皆さん」
そう言い残して取り巻き連中とともに、かれんは校舎の中へ消えていった。
「ねえねえ、あれって、上級生の、確か、清滝火煉様でしょ」
説教を聞き終えた聡美がまつりの傍に寄って来た。
「美しいわあ、憧れるなあ。どこかのファッション誌の読者モデルとかしてなかった?」
「準備委員の仕事、行かなくていいの?」
「うん、準備の方は、もうほとんど済んじゃったから、もう来なくていいって」
聡美はかれんが去った後の踊り場の方に目を向けながら、飄々した顔で言った。
「相変らずだな、聡美は」
聡美は、入学して以来ずっと同じクラスだ。
まつりは呆れながらも、何事もあまり気にせず、大らかにやり過ごす聡美の性格が嫌いではなかった。
「いやあ、また赤点取っちゃったよ、やばいよね」
驚いたことに、中学1年の時に1回、中学2年の時に2回、数学と英語で赤点を取っているのに、本人は特に気にする様子もなく、頭を掻いて笑っていた。
ちょっとしたことで気に病んでしまうまつりにとっては、尊敬すら覚える存在だ。
「あ、ぐずぐずしてると、朝礼始まっちゃうよ、行こ行こ」
聡美に袖口を引っ張られるようにして、まつりは教室へ向かった。
教室に付いて予鈴が鳴ると、それまでざわついていた生徒たちは一斉にきちんと席に着き、大人しくなった。
そこは流石に一流校の生徒たちである。
普段はお茶らけている者も、授業中の態度だけはほぼ真面目だ。
「ああ、静粛に」
すでに静かな教室だが、担任の今村は、決まり文句を述べると、教壇に立った。
「今日は、授業がありません。これから講堂で全校生が集まり、臨時集会が開かれます。1組から順番に講堂に入りますので、合図が来るまで、そのまま席に着いててください。合図が来たら、一列に並んで行くように、決してバラバラになるなよ」
祝賀会を兼ねているが、呼び名はあくまで臨時集会だ。今村は、丁寧語と少々乱暴な言葉を交えた教師特有の話し方で、腕時計を見ながら説明した。
*
臨時集会は、校長先生の話、教頭先生の話、父兄代表の祝辞、在校生の祝辞、新高校1年生の挨拶と、恙なく進んだ。
そして、最後に、在校生による剣術の演武が始まる。
これこそ、祝賀会のクライマックスであり、全校生が待ちに待ったイベントだ。
欠伸を噛み殺して話を聞いていた生徒たちの目が輝く。
「よお、待ってました!」
「かれん先輩!」
「かれん様!」
拍手とともにまるでアイドルのように、男子だけでなく女子生徒からも黄色い声で迎えられた和装姿の演者たち。
「皆さん、静粛に。
では、これから、在校生による剣術の演武を執り行います。
演ずるのは、在校生代表、二年生、清滝火煉、佐藤めぐみ、本田薫、田中隆……」
司会役は、まつりの担任教師の今村だ。
口癖なんだろうか、本気で窘めたわけでもないお約束のセリフを放ったのち、やや興奮気味のアナウンスで演者を招き入れた。
ヤマト第一に男子がいないというわけではない。演者の中には男子も数名混じっていたが、そのほとんどが女子だ。
要するに、その年は、優秀な者に女子が多いというだけのことである。
中央にあった演台が脇に寄せられて、がら空きとなったステージの真ん中に、先程まつりが挨拶を交わした高校2年生の清滝火煉がやや足を左右に広げて立った。左手の親指は、大刀の鍔をしっかりと抑えている。
彼女たちが身に付けているのは、模造刀や竹光ではない。いずれも真剣だ。
剣術の稽古では万が一ということもあって、真剣を用いることはないが、こうした演武では真剣を用いることも稀にある。
だが、まつりは演武に真剣を用いることがあまり好きではなかった。
二人一組で形を披露するのだが、打ち下ろした剣先はもちろん、寸止めである。が、しかし、達人になればなるほど、その距離は短い。わずか数ミリ程度、額の皮膚から離れた程度で寸止めるできる人もいるが、たいていは危険なので、もっと離れた距離で止めるのが普通だ。
だが、星光理心流の使い手であり、流派家元の跡目を継ぐ清滝家の長女である清滝火煉の剣は、まるで容赦ない。
「いやー」
掛け声とともに、上段から振り下ろされた打太刀(打ち手)である火煉の刀は、相手の額、数ミリのところでピタリと止まった。
見ている方も冷や冷やするが、仕太刀(受け手)の方は、もっとだろう。
この切っ先が少しでも額に触れていたら、大惨事だ。
火煉は、仕太刀を務めた本田薫の表情を見逃さなかった。
目こそ瞑ってはいなかったものの、その表情は凍り付いていた。恐怖を感じた時のように瞳孔が開き気味で、今にもその場にへたり込みそうな、そんな表情をしていた。
「本田さん、私が信用できないとでも?」
数日前、今回の演武で真剣を使うことを提案したのは、火煉だ。
放課後、演武の練習のために剣道場に集まった皆の前で、火煉が言い出したのだ。
火煉の相手役を務める予定の本田薫が、それは危険だとすぐさま抗議した。
「危険ということは、私があなたを斬るかもしれないと」
「そんなことはありません。ただ、万が一ということもあります」
「わかりました。今回の演武に、本田さんは外れてもらいます」
「そんな! 火煉様、待ってください」
本田薫は慌てた。
五大流派の中でも四天王と呼ばれ、極北新陰流に次ぐ流派の家元の娘を怒らせたとあっては、大変なことになる。
今回の演者に選ばれたことをあれほど喜んでくれた両親が、火煉の怒りを買ってその役を降ろされたことを知り、逆に怒りに震える顔がすぐに脳裏に浮かんだ。
「わかりました。やります。ただし、正面の一本だけにして頂けませんか」
正面とは、いわゆる剣道でいう真っすぐに打ち下ろした「面」のことである。
「あら、正面でいいの?」
「はい」
本当は、小手でも良かったが、同じ寸止めなら、どこでも一緒だ。たとえ小手でも、真剣の切っ先が当たれば、ただでは済まない。
薫は、火煉の腕前は知っている。達人といえるだろう。こうなれば一か八かだ。信じるほかあるない。
火煉だって新学期早々、晴れの舞台で凄惨なシーンを演じるつもりはないだろう。
そして……。
「いやー」
火煉の放った太刀が薫の額からわずかに隙間を空けてピタリと止まった瞬間、会場は静まり返った。
火煉が切っ先をすっと下げると、人体切断のイリュージョンが無事成功したかのごとく、大きな拍手が沸き起こった。
演武が一通り済み、全員が一礼して頭を上げたとき、火煉が差し出されたマイクを口元に当てて、静かに告げた。
「では、ここで、本日のゲストをお呼びしたいと思います。
中等部三年生の祭刀まつりさん、檀上に起こし下さい」
会場で他人事のように見守っていたまつりは、自分の名前が呼ばれたことに、すぐには気づかなかった。
最後の挨拶をするんだろうと思っていた火煉が、ゲストの名を呼んだ。
周囲に座っていたクラスメイトの目が自分に向けられ、さらに会場がざわつき始めたので、困惑するほかなかった。
「え? わたし?」
あとがき
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
ご意見、ご感想等、ございましたら、何なりとお寄せください。
よりよい作品づくりのための参考とさせて頂きます。
今後ともよろしくお願いします。