お誾(ぎん)と茉百合(まつり)
このたび、刀剣ものにチャレンジすることにしました。
前回の魔法少女もの(魔法少女ノワール・ケイト)とは、時代設定等、打って変わっての物語となりますが、引き続き、ご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。
「おぎん様、しっかりなされ」
家仕えの太助の声がする。自分はいったいどうなったのか、先程まで意識を失っていたが、太助に揺り動かされて少しだけ目が覚めた。意識が少し戻るとともに、腹部に激痛が走る。そして背中。
何者かに斬られたのだと理解する。
「太助、妾は、もうダメじゃ」
「何を言いなさる、気をしっかりお持ちくだされ」
「水を、所望じゃ」
少し声を出しただけで喉が焼けるように痛い。
持ってきた茶碗の水を太助が口元に運ぶが、うまく喉を通らない。
「うぐっ、太助、妾の体を起こしてくれ」
太助がお誾の体を抱き起す。痛みで意識が飛びそうになるが、奥歯を食いしばり痛みが静まるように深く息を吐きだす。
お誾の体は、すでに流行り病に侵されていた。
日本古来より、瘧と呼ばれた病で、今でいうマラリアである。
そして、今、お誾は何者かに斬られ、瀕死の重傷を負っている。
「太助、頼みがある」
「はい、なんでございましょう」
「妾が死んだら、殿にあれを渡してくれりょう」
お誾の指差す先に、一対の武具があった。兜と甲冑の一揃いである。それは紛れもなく、お誾がかつてに身に着けていたものだ。
「あの鎧兜でございますか?」
「そう、あれだ」
床の間に飾った鎧兜に、かつての自分の雄姿を重ね合わせて懐かしむお誾の目に、何やら不穏な物影が映った。
(なんじゃ、あれは?)
兜のやや先、畳の上にできた真っ赤な血だまりの上に、蝋燭の灯りで銀色に光る小太刀が転がっていた。
「太助、あの小太刀を……」
お誾を支える手をどけてその場から離れるのは忍びなかったが、深夜のこの家には、太助以外の使用人が誰もいない。
お誾の体からその手をゆっくりどけて立ち上がると、太助はまだ畳に広がる鮮血をできるだけ避けて、真っ赤に染まった小太刀を慎重に拾上げた。
懐紙をすべて使って血を拭い取り、お誾の元に小走りで戻る。状況から顧みて、この血は紛れもなく、おぎん様のものだと、太助は判断した。
「おぎん様、これにございますか」
太助は、残った懐紙の上に小太刀の刃を自分の方に向けて、神への献上品のように捧げ持った。
お誾は太助が差し出した小太刀の柄をむんずと掴むと、刃紋を食い入るように見据えた。
「間違いない、これは、殿の愛刀、備前長光じゃ」
お誾は、体がわなわなと震え出した、それは、恐怖と怒りと、哀しみが交じり合った、これまでに味わったことのない感情によるものだった。
「おぎん様、しっかり」
さらにお誾は、再び襲って来た激痛に、小太刀の柄を握ったまま上半身をばったりと倒した。
「太助……」
「はい」
「さっきの言い付けは、取り消しじゃ」
「……」
「あの鎧兜は、妾が死んだあと、焼き払ってくりゃれ」
「おぎん様」
お誾は、それ切り動かなくなった。
時に、慶長七年(1602)十月十七日のことである。
立花誾千代、享年三十四歳。
西国(中国・四国・九州、この場合特に九州を指す)一の美しい姫と称され、数多くの武勇を築き逸話を残した女性武将がこの日、息を引き取った。
それから、四百年以上の月日が流れた。
※
真紀元年、祭刀茉百合は、十五の春を迎えた。
その年、まつりは、サイトウ家の当主を務めることになっていた。
ヒノモト(日本)の国は、東の〈ムツ〉と中央の〈ヤマト〉、西の〈イズモ〉の3つに分かれている。
3つの地域は、それぞれ〈剣儀〉を極めた統領(統率者)が収めていた。ちなみに、独裁者的な支配者ではなく、象徴も兼ねたいわば、県知事のような役割である。
現在ヤマトを統べている〈剣儀家〉は、まつりの生まれた祭刀家がその役割を担っていた。
剣儀とは、読んで字のごとく、精神と肉体双方の〈剣〉を極めることで、ヒノモト独自の文化として成り立っていた。
剣儀家には、さまざまな流派があり、祭刀家はヤマトの剣術指南役を担う〈極北新陰流〉の家元でもあった。
「まつりは、確かに剣の腕前は優れているのだが、人を導くということに関してはどうもいかん」
まつりの父、道山は、家を継ぐもの、ひいてはヤマトを統率する者としてのまつりの資質に関して、少なからず不満を抱いていた。
「剣儀とは、剣の腕前だけではない。剣を操る者としての精神性、道徳観、統率力など、総合的な資質が要求されるのだ。その点、ウチのまつりは、多少引っ込み思案なところがあるようで困る」
道山の側近の犬山剣次郎は、道山がこぼすのを畏まって聞いていたが、内心では、(やれやれ、我が師匠もかなりの親バカですな)と思っていた。
まつりの場合は、引っ込み思案どころか、下手をすれば「引きこもり」の素質は十分で、いわゆる“陰キャ”の部類に続していることは間違いない。
剣儀家が十五歳で家督を継がねばならないという法はないが、祭刀家をはじめ、ほとんどの剣儀家では男女を問わず、第一子が十五歳に達したときに家督を継ぐという習わしになっていた。
「親方様、お嬢も、明日が誕生日ですな」
「うむ。そのことだが……」
「?」
「しばらくは、まつりに家督を継がせるのを保留にしようかと考えておる」
「よいのですか」
「これまでの伝統に背くことにはなるが、まあ、少しの間だ。
まつりに家督を継がせてよいのか、ちょっと様子をみたいのだ」
道山と剣次郎が小声で会話する庭の少し先では、長年日課となっている木刀での素振りをまつりが始めていた。
長年愛用している胴着は色褪せてほつれが目立つ。成長期には買い替えの必要もあったが、成長がほぼ止まった今、特に新しいものがほしいとは思わない。髪も伸ばしっ放しで、他の女子と比べて洒落っ気もない。かと言って不潔なわけではなく、むしろ奇麗好きで、さらさらの髪を無造作に後ろで縛ってひたすら素振りを繰り返す。
「九百九十二、九百九十三、……」
ブツブツと独り言のように振り下ろすと同時に、小声でカウントを唱える。
十四歳の少女とは思えない素早い動きで、頭上から振り下ろされた木刀の切っ先は、まつりの体を中心に、常に同じ真円を描いていた。
「まつり」
頃合いを見て、道山が、懐紙を一枚、まつりの方に無造作に弾き飛ばす。
まつりは、手裏剣のように飛んできた懐紙を、これまで正中線を描いていた木刀を90度真横に倒して払い除ける。
「千!」
だが、それはただ払い除けたのではない。
まつりが木刀で描いた軌道に触れた懐紙は、鋭い剃刀で裂いたかのように、見事に二枚に分かれてた。
「今日はこれまで」
木刀をあたかも真剣のごとく扱うまつりの剣を見届けて、早朝の稽古は終わる。
腰に木刀を納め「ありがとうございました」と小声で一礼すると、まつりは、さっと身を翻して、庭から出て行った。
「不憫ですな。剣の腕前は超一流というのに」
剣次郎がさも残念そうにまつりの後ろ姿を見送った。
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