告り屋ササキ
隣のクラスのササキは妙なことをやっている。
高校に入学してからの一年、ササキは女子でありながら男子とも分け隔てなく接するフレンドリィな性格で女子、男子から多大なる人気を得た。 二年生になった現在、その名声は同級生の間を飛び越えて先輩にも広がり、今年入ったばかりの新入生ですらも彼女の名を知る者が多い。
校内の人気者となった彼女はその人脈からいろいろな話が持ち込まれる。人生相談、家族問題、恋愛相談、進路相談(先生に聞け)、法律相談(何やらかしたんだそいつ)、エトセトラ。俺が聞き及ぶ範囲でも週に何十人も彼女を頼り、多くを解決してきた。
もはや何でも屋といえるくらい幅広く手がけているが、中でも彼女は特に恋愛事に興味があるようだった。誰々が誰々のことを気になっている。あそこの二人は付き合っている。そういった話に聞き耳を立てると自ら首を突っ込み、無理矢理に嘴を挟む。何度か相談会を目にしたことがあるが、それはもう目を爛々と輝かせて生き生きと身を乗り出すように話を聞いていた。
まるで自分のことのように親身に相談に乗ってくれるから、親しい友人でも話したことのない人でも自分の腹を割って相談を持ち込んでくる。
何でも屋から恋愛相談所、そして次なるステップが告り屋だった。
告り屋とは、秘めた想いを相手に伝えるのを肩代わりしてやる告白代行サービスだ。
好きな相手を前にして正気を保てる者は少ない。落ち着きを失った頭でコミュニケーションをとろうものならば、思いがけない失言がふとした拍子に飛び出してしまうもので、後年まで後を引く赤っ恥をかいてしまうのだ。告白という重大イベントを控えているならば、そんなコンディションは御法度でリスクが大きい。
そこでササキが代わりに想いを伝えるのだ。第三者ならば余計な力が入ることなく、要件を必要な分だけ伝えることができる。さらに、このサービスはササキがやることに大きな意味があった。
器量がよく人なつっこいササキに「好きです」と言われようものならば男女問わず心中穏やかではいられない。それがたとえ別人の言葉だろうと舞い上がり、天に昇るほどのぼせ上がる。浮き足だった心につけ込み依頼人と会合する機会を設け、引き合わせるのだ。会合の成功率は驚くなかれ、八割を超えているらしい。その後うまくいくかは本人たち次第だが、始めのきっかけとしてはこの上なく心強い。利用者満足度は堂々の首位をキープしている。競合他社なんていないけど。
「よーう。キミに伝言だよ」
人がまばらな休み時間、廊下を歩いているとササキに呼び止められた。告り屋としての決め台詞。幾人もの相手に届けられた言葉だが、直接俺に向かってくるのは初めてだった。
……え、俺に?
正面に立つササキは目線をまっすぐに俺に向け、間違いなく俺に話しかけている。疑いの余地もなく、勘違いの筋もない。
「で、伝言って……?」
恐る恐る尋ねる。
「二組のオカモトちゃん。知ってるよね?」
オカモトは去年同じクラスだった女子だ。彼女が教科書を忘れたときに机を寄せて見せてあげたことが縁となって何度か会話をしたことがある。基本的に異性と話をする機会がない俺にとって記憶に残ったイベントだった。
そのオカモトが告り屋を介して俺に伝言を寄越す?
「えっとね」
プライバシーに配慮し周囲に人がいないことを確認する。これもまた、告り屋としての所作だった。
右に視線が切れた瞬間……俺は駆けた。
「あ、あれ、受取人不在!?」
ササキを置き去りにして廊下を走る。
「待てー!」
きれいな走行フォームで追いかけてくる。人脈を生かし、陸上部のエースに走りを学んだと聞く。そんな奴を相手にして俺の脚力では逃げ切ることはできず、あっという間に距離を詰められた。
袋小路に追い詰められ、逃げられないよう壁にドンと手を当てられた。
「へへ、私の勝ち。キミ、中学のとき結構足速かったよね。体育のとき見てたよ」
「そ、そう……」
ササキとは中学からの同級生。同じクラスになったこともあったがろくに会話を交わしたことはない。接点のない俺のことなんか記憶にないと思っていた。
思えばあの頃から彼女は人気があり、今ほどではないが多くの人に頼られていた。
そんな彼女の姿を俺の目は追い続けていた。最初は好奇心から。次第に関心が増えていった。もっと話をしたい。もっと彼女のことを知りたい。彼女の隣にいたい。
いつからか俺はササキのことが好きになった。
実は高校を選んだのも彼女のの存在が理由の大半を占めていた。
だからこそ、ササキがこんなことをやっていることに心が痛んだ。彼女の本心ではないにしろ、「好きです」という言葉が俺以外の誰かに向かって言われるのがどうしようもなく胸が張り裂けそうな気持ちになり、どうしようもなく頭をかきむしりたくなる。
「さて、私の用件はわかるね? 告り屋だよ。えっとね」
「待った。それ以上は聞きたくない」
「受け取り拒否!? こんなこと初めてだぁ」
驚き固まるササキ。彼女からの話を拒絶するなんて俺以外にあるまい。
「いやいや、ちゃんと聞いてよ。オカモトちゃんの気持ちだよ?」
「それは、うれしい。めっちゃうれしい。でもそれはお前から聞きたくないんだ」
「えー、どうして? 本人から直接聞きたいとか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……。お前から言われると断り切れないかもしれない」
「え、断っちゃうの!? どうして」
「それは、その……」
答えに窮する。好意を辞退するのはすごくもったいないと思う。俺の人生で次があるかどうかわからない手放すべきではない幸運だ。だが、俺自身の気持ちを嘘にしたくない。
正直に答えるとなると、俺が抱き続けていた気持ちを直接吐露することになる。具体的に考えていたわけではないが、しかるべきときにしかるべき場所で告白しようと野望を持っていた。
「私だけに言ってみ? 大丈夫。秘密は守るよ」
顔が近く、ほのかにいい香りが漂う。俺の頭から正気が失われていく。好きな相手が間近にいて平静を保てるほど俺の胆力は強くない。頭が沸騰し、しゅうしゅうとこぼれる息が無意識に言葉を紡ぐ。
「…………す、好きだからだよ」
「え、なんだって?」
「ササキのことが、好き、だから、俺」
「え……ええっ?」
「だからっ……他の人からはあんまり……受けたくないっていうか……」
「……」
言葉を失っているのがわかる。告り屋が逆に告白されることはそうそうないだろう。
吐き出し終えて急速に冷却した頭がなにをやらかしたのか迅速に理解する。
言ってしまった。まだそのときではないと思っていた時が来てしまった。
穴があったらさらに掘って地獄の果てまで埋まりたい! 顔から地獄の業火が吹き出すほど恥ずかしい!
「い、いやー、それは予想外だなーって。それはマジもんのやつで?」
こくりと頷く。目を合わせることができない。
「そ、そっかー。そうだったんだー。キミが私のことを……。これは初めてのことだな。ど、どうしよう。どうすればいい?」
見るからに狼狽え、焦りを隠せていないことが手に取るようにわかる。ドン引き……してるのか?
「ご、ごめんね、直接言われたの初めてで……どうしたらよいやら。へ、返事とかしたほうがいいの?」
「い、いや、別にいい……」
正式に告白したわけではない、これは口が滑っただけ、失言だ。そう自分に言い聞かせることで返事を聞くのを先送りにする。
「というか、意外だ。ササキって結構モテるから恋人のひとりや二人くらいいそうだと思ってた」
「そんなことないよ! 友達は多いけど、好きだっていう人はいない。いたこともないの」
とりあえず彼氏はいないことがわかり、こっそりと胸をなで下ろす。
「私ね、考えてたことがあるの。いつ告り屋をやめるかって」
「やめたいのか?」
「そういうわけじゃないの。いつか私も恋をして、私自身の言葉を直接相手に届けたい。そう思える相手が現れたらやめようって考えてたんだ。だからオカモトちゃんもうらやましいし、キミのこともうらやましい。告り屋の依頼をしてきた人みんながすごいと思う。好きな人がいるってどういう気持ちなんだろう」
そう言う彼女は常よりもどこか儚げに見えた。
恋をすることがうらやましい。人を好きになったことがないという彼女は、恋愛を理解したくて告り屋を始めたのだろうか。
「だったらさ、俺で練習してみない? その……こ、恋人代行として」
自然と言葉が口をついて出た。言ってから脳が言葉を理解し、慌てて口をつぐむがもう遅い。
ササキはきょとんとした顔をするとにやっと笑った。
「は……ははは。それ、面白いかもね。キミは私の恋人代行。私はキミの恋人代行。うん、いいかも」
いたずらっぽくはにかむ。
見蕩れていると、不意をつかれて彼女は言った。
「好きです」
どきり、と心臓がはねた。
「これはオカモトちゃんからの告白代行ね。仕事は果たすよ。キミはまずあの子との関係を考えなくっちゃ」
「あ……ああ、そうだな。うん」
「もしもオカモトちゃんと会って話をして、それでも私を選ぶっていうなら……やってみてもいいかもね、恋愛代行」
「ほ、ほんとに?」
「本当の恋人になるかはその後次第だけどね。……ちょっと耳貸して」
彼女は耳に顔を寄せる。
「好きです」
「え……」
「これは未来の私からの告白代行。そうなるといいね!」
イタズラっぽく言うと、彼女はひらひらと手を振って去って行った。
俺はその背を見送る。少しだけ頬が赤くなっていたように見えたのは気のせいだろうか。
(了)