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16話 満悦師匠





 困惑しております。

 私は生まれて初めて困惑しております。

 

 どうしたら良いモノか……。

 縁側で庭に座り込む青年にどの様な言葉を掛けたら良いモノか、まったくわからないのです。

 





 話は少し遡り、先週の火曜日の朝の事です。


 私はお手伝いの希世さんが裏で漬けておられた白菜の漬物の樽を動かす手伝いをしておりました。


 表が騒がしく、先生の担当編集者の白井さんの声が聞こえました。

 いつもの事の様に思えますが、慌ただしく、「先生、先生」と大声で言いながら玄関を入って来られるのがわかりました。


 先生は書斎に居られる筈なので、そんなに探さなくても良い気はしたのですが、白井さんは家の中を「先生、先生」と走り回っておられる様です。


 私は漬物の樽を軒下に動かして、勝手口から家の中に入りました。

 お勝手は厨へと繋がっており、私は厨から食堂へと入り、走り回る白井さんを居間で見つけました。

 慌てる白井さんを抱き留める様にして止めました。


「先生、居られませんでしたか」


 私は白井さんに訊きました。

 すると書斎から出て来た先生が、笑っておられました。


「白井君は君を探しておるんだよ」


 先生は煙草を片手にそう言われ、食堂へと入って行かれます。


 ん……。

 私……。


「そうですよ、要先生」


 え……。

 一体どういう事なのでしょうか。


「要先生って……。一体どういう事ですか。お金なら貸せませんよ」


 私は、白井さんの背中を押して食堂へと入りました。


 先生は新聞を広げて私と白井さんを見てニヤニヤと笑っておられます。


「先生、落ち着いて聞いて下さい」


 白井さんは興奮しながらそう言って、椅子に座られました。


「私は落ち着いてますよ……。一体何なんですか……」


 私も自分の椅子に座りました。


 新聞を広げた先生の肩が揺れています。

 多分、新聞に隠れて笑っておられるのでしょう。


 希世さんが珈琲を淹れて出して下さいました。


「良いですか……。気を確かに持って、しっかり聞いて下さい」


 白井さんは自分を落ち着かせるために時間を掛けておられる様です。

 私は半ば呆れて、珈琲カップを手に取りました。


 白井さんは、何かを言おうとして、またそれを飲み込まれます。


「何ですか……」


 私はその白井さんの様子が可笑しくて、苦笑しながら珈琲を戴きました。


「先生はご存じなのですか」


 新聞を広げたまま肩を揺らす先生に訊きました。

 先生は新聞の横から顔を出して、目に涙を溜める程笑っておられたのがわかりました。


「良いですか、要先生……」


 白井さんは、身振り手振りがどんどん大きくなって行きますが、未だに何の事なのかを言って下さいません。


「要君の作品が帝都新聞新人賞候補になったらしい」


 先生は煙草を消しながらさらりとそう言われました。


「そう、そうなんですよ、要先生」


 それで要先生って訳ですか……。


 私は冷静なまま、珈琲カップを皿に戻しました。


「あれ……」


 白井さんはあまりに驚かない私に拍子抜けした様子で、


「驚かれないのですか」


 と首を亀の様に前に出されます。


「だって、まだ候補でしょう……」


 私はテーブルに出された浪花家の鯛焼きを手に取りました。


「な、なにを言っておられるのですか……。帝都新聞新人賞ですよ」


 白井さんは身を乗り出しておられました。


 帝都新聞新人賞なるモノがどれ程権威のある賞なのかをわかっておりませんでした。


「いや、私はあの「或る人の話」はそれに値すると思っておりました」


 白井さんは撫で付けた髪を振り乱しながら仰いますが、書き終えて読んで戴いた時には、


「まあ、こんなモノでしょう……」


 程度の反応だったのを覚えております。


「はいはい。もうわかりましたから……。浪花家の鯛焼き、私が全部食べてしまいますよ」


 私は鯛焼きを頭からかぶり付きました。


 私の言葉に慌てて鯛焼きを取られたのは先生でした。

 先生は本当に甘いモノが好物でいらっしゃいます。


「しかしですね」


 と興奮される白井さんに、


「白井君、良いじゃないか。君が要君より興奮してどうするんだ……」


 白井さんは先生の一言に姿勢を正され、珈琲カップを取り口にされました。

 それが熱かったのか、目を白黒しておられました。


「それから、先生は止めて下さい。わかりにくいので……」


 先生はクスクス笑いながら、珈琲に砂糖を入れておられました。


 正直「先生」と初めて呼ばれ、背中がこそばゆくなりました。


 まあ、白井さんと先生の前では冷静を装ったのですが、実は私も飛び上がる程嬉しかったのです。






 その数日後の帝都新聞に私の作品、「或る人の話」が掲載され、白井さんはその新聞を駅の売店でありったけ買い、持って来られました。


 活字になったモノを見ると、これがまた不思議なモノで、自分が書いた作品には思えないのです。

 私も新聞の紙面に載った「或る人の話」を一気に読み終えました。

 本当に俯瞰で読む事が出来るのです。


「良い作品だ」


 先生はその新聞を畳み、テーブルの上に置かれました。


「今までに無い新しい作風だと思う……」


 先生の言葉を聞いて初めて恥ずかしさが込み上げて来ました。

 私は照れ隠しに頭を掻き、新聞の陰に隠れておりました。


「これで一気に要君のフアナティックが増えますよ」


 フアナティック……。

 所謂、愛好家の事の様です。

 新聞に載ったくらいで愛好家が増えるのでしょうか。


 白井さんは自分の事の様に喜んでおられます。

 白井さんからしてみると、私も「編集者白井」が育てた作家という事になるのでしょう。


 ふと顔を上げて先生と白井さんを見ると、二人ともご満悦で何度も新聞を開いて見ておられます。


「要君も一枚寫眞を撮っておかなければいけませんね」


 と白井さんは身を乗り出して仰います。


「え、寫眞ですか……。良いですよ。そんなの」


「何を言ってるんですか、最近は寫眞が掲載されるモノも増えて来ましたし、一端の作家としてはちゃんと撮っておかないと」


 白井さんはポケットから手帳を出して、


「えっと、寫眞館、寫眞館……」


 と寫眞を撮れる所を探し始められました。


「か、勘弁して下さいよ。ひと様にお見せ出来る様な顔してませんよ」


 私は苦笑して新聞を広げて顔を隠しました。


「私の時は寫眞などまだ高価で、活字だけの紙面が多かったが、今は寫眞も増えて来た。私も一枚撮っておこうかな」


 と先生も笑っておられました。


 或る人の話。

 難しい話では無く、新橋の駅前で佇む少女が、親切な紳士と出会い旅をするお話です。

 その紳士は少女に名前を告げず、少女にとってはその紳士はいつまでも或る人なのです。

 大人になったその少女は銀座でも有名な料亭の女将になっていました。

 寒い冬のある日、新橋の駅前を通ると薄汚れた身形の老人を見付けます。

 寒そうに街角で座っている老人に女は金を渡します。

 そして、その老人を連れて自分の店で食事をさせるのです。

 その老人は食事に手を付けず、昔話を始めます。

 昔、新橋で身寄りのない少女と知り合い、一緒に旅をした話。

 女はその老人があの時の或る人だと気付くのです。


「要君の人物紹介も作っておかなければいけませんね」


 白井さんは嬉しそうに言います。


「そう言えば要君って出身は何処なんですか」


 白井さんは手帳とペンを持ち、私の顔を覗き込まれました。


 私は先生にも昔の事を話した事がありませんでした。

 私の表情が曇ったのを先生は感付かれたのでしょう、


「白井君……。そんな事は良いじゃないか。作家の過去で作品の評価が変わるのかね」


 先生は煙草に火をつけながら仰いました。


「そんな事はありませんけど……」


 先生の口調が強かった事に白井さんは少し身を引き、手帳とペンをポケットにしまわれました。


「まあ、良いですけど……」


 腑に落ちない様子でしたが、私は新聞の陰にまた顔を隠しました。


 私の過去については、いずれお話する時が来ると思います。


「はいはい。お茶を淹れましたよ……」


 と希世さんが紅茶と一緒に、何やら見た事の無いお菓子を持って来られました。


「今日はスコーネを焼いてみました」


 スコーネ……。

 また聞いた事の無いモノが出て参りました。


「希世さん……。これはどの様にして戴けば良いのかな……」


 先生は手を付け様にも付けられない様子で、希世さんに尋ねられました。


「英国ではお茶を飲む時に、一緒に召し上がるお菓子の様です」


 希世さんはそのスコーネと一緒にバターとジャムを出されました。

 希世さんはそのスコーネを上から剥がす様に二つに分け、そこにジャムを塗られました。


「この様にして食す様ですね……」


 先生と白井さんは、納得したかの様にうんうんと頷いておられました。


 先生は早速、そのスコーネを口に入れられました。

 少しモサモサしている感がありますので、先生はそれをお茶で流し込まれます。


「うん。これもなかなか美味だな……」


 希世さんは先生に頭を下げられました。


「ジャコブセンさんの奥様に教えて戴きました」


 ジャコブセンさん。

 英国から日本に来られた洋服屋さんで、仕立ての背広のお店をやっておられます。

 希世さんがスコーネの作り方を教わった奥様は日本人の方です。


「しかし、希世さんには敬服ですね……。まだ百貨店にも売っていないようなお菓子まで作られるとは……」


 白井さんはスコーネを口に入れられました。

 確かにその通りで、真新しい料理やお菓子を常に作っておられる気がします。


「希世さんはすぐにでもお店を始める事が出来そうですね」


 先生は夢中になってスコーネを食べておられました。

 私も先生の意見には同感です。






 そんな事が先週あって今朝を迎えたのですが、先生に頼まれて朝食の後、煙草と燐寸を買いに行ってきました。

 寒い朝で、私も洋装に着替えて家を出ました。

 和装よりも洋装の方が少し暖かい様な気がします。

 部屋の中で寛ぐには和装の方が楽ですが……。


 私も少し買いたいモノがあり、昼前に家に戻って来ました。

 すると縁側に白井さんと先生が腕を組んで立っておられました。

 私は玄関から入り、お二人の様子を見て近付きました。


「弟子入り希望の方ですか」


 私は小声で白井さんに訊きました。


「おお、やっと帰ってきましたね……」


 と白井さんは私の両腕を掴まれます。


「困ってたんですよ。後は頼みましたよ」


 え……。

 また私ですか……。


 先生に「弟子入りしたい」とやって来られる方を、宥めて帰ってもらうのは暗黙の裡に私の仕事になっていました。


「要君。しっかりと話を聞いてあげなさい」


 先生は私の腕をポンポンと叩き、白井さんと一緒に食堂へと入って行かれました。

 私は二人を目で追いながら、庭で土下座して頭を下げる青年を見ました。

 この青年が居る事で居間の戸を開け放しているため、部屋の温度も上がりません。

 先生と白井さんは冷え切っていたのでしょう。

 しかし、そんな事を言うとこの青年も冷え切っている筈です。


 私は買って来たモノを居間のテーブルの上に置き、縁側に出て、居間の戸を閉めました。

 こうすれば部屋の中は暖まる筈です。


 私は縁側に腰かけ、庭で土下座する青年に声を掛けました。


「寒いでしょう……」


「いえ」


 そんな筈はないのです。

 寒いに決まってます。

 犬のシズカでさえ寒くて小屋の中で丸くなったままでした。


「弟子入り希望ですか」


「はい」


 青年ははきはきとした返事を返してきます。


「弟子にして戴くまで帰らない所存でございます」


 大体、ひと月に二人くらいは先生の弟子になりたいという方が来られます。

 そして同じ様に、


「弟子にしてもらうまで帰らない」


 と言うのですが……。


「先生の小説を読み心から感動し、私も先生の様な小説を書きたいと」


 うんうん。

 わかりますよ……。

 私もそう思いましたので……。


「とりあえず、こちらに座られませんか……。足も冷え切って痛いでしょうから」


 どれくらいこうしているのかわかりませんが、もう既に足の感覚は無いのではないかと思います。


「滅相もございません。お許しが出るまで私は此処で……」


 困りましたね……。

 このままでは彼は風邪をひいてしまうかもしれません。


「先生、お願いです。私を弟子にして下さい」


 青年はようやく顔を上げました。

 妙に整った顔の青年でした。


「私は先生ではありませんよ……」


 私は両手の掌を青年に見せて言いました。

 すると居間の戸が開いて、先生と白井さんが顔を出されました。


「要君もこんな感じでしたね……」


 白井さんはニコニコと微笑みながら、青年を見ておられます。

 そして先生も、


「そうそう。要君は庭では無く玄関の小上がりでしたけどね。その後、二人で走ったんですよね。そして二人で麦酒を飲んで要君は酔い潰れて……」


 先生はクスクスと笑っておられます。

 私は顔を真っ赤にして、


「先生、笑い事じゃありませんよ」


 と言いました。


「おっと、失礼。では我々は先に昼飯を戴きます」


 と先生と白井さんは頭を引っ込められるとまた食堂へと戻って行かれました。


 私は真剣な表情の青年を今一度見ました。

 先生にも困ったモノです。

 出来れば弟子入り希望の方の対応はご自分でやって戴きたいのですが……。


「お願いします。要先生」


 青年ははっきりとそう言いました。


 え……。

 要先生……。


「え……」


 私は困惑し、言葉を詰まらせました。


「先生の「或る人の話」を読み、大変に感銘を受けました。私は先生の様な話を書いてみたいのです……」


 あれ……。

 この人はもしかして……。


「あの……」


 私は冷えた手を口に当てて、しばらく考え込みました。


「もしかして私に弟子入りしたいと訪ねて来られたのでしょうか……」


 青年は頭を下げて、額を地面に付けられました。


「はい。要先生に教えを乞いたいと思い、失礼とは思いましたが……」


 私は視線を感じ振り返りました。

 居間で先生と白井さんはニヤニヤと笑いながら私を見ておられました。

 私がお二人を見ると、視線を逸らし、我関せずと明後日の方向を見られます。

 

 私に弟子入りを……。

 あり得ない話でございます。

 

 私は庭に下りて青年の傍に、同じ様に座りました。


「分不相応な話です。私に弟子入りなどとんでもありません。私はまだ先生に学んでいる身でございます」


 私も青年と同じ様に頭を地面に付けました。


「しかし……」


 青年はゆっくりと顔を上げ、少し後退る様に座り直しました。


「私は先生の作品に初めて感銘を受けたのです。どうか、どうか……」


 私はこの青年にそうまで言ってもらえるのは本当に嬉しい事でございました。

 しかし、まだ弟子を取るなどという事は考えられませんでした。


 居間の戸がまた開きました。


「何をやってるんですか……」


 白井さんと先生は嬉しそうな表情で私たちを見ておられます。


「風邪ひきますよ……」


 するとその二人を押しのける様にして希世さんが縁側に出て来られました。


「はいはい」


 そう言って手をパンパンと叩かれます。


「温かい食事を準備しましたので、中に入って食べて下さい」


 私は希世さんに頭を下げて立ち上がり、青年の手を引っ張りました。


「とりあえず、戴いてから考えましょうか」


 私は先生と白井さんの待つ食堂へと青年を連れて参りました。


 青年は高橋何某と言う名で、どうやら会津からわざわざ来られた様でした。

 汽車賃を払うとお金が無くなったらしく、何も食べずにこの家まで来た様子で、希世さんの料理を物凄い勢いで食べておられました。

 お櫃のご飯が無くなったと希世さんは別にうどんを作り高橋さんに出しておられました。


 食べ終えた高橋さんに珈琲とお菓子を出して、話をする事にしました。


 しかし、結論など出る筈も無く、完全に黙り込んでしまう状況でした。


「では、こうしないか……」


 煙草を呑みながら先生は仰います。


「要君が、「或る人の話」で見事新人賞を獲ったら、高橋君を弟子にする。もし落選したら、考え直す。これでどうだ」


 白井さんは先生の話に頷いておられました。

 私には少し不安が残りましたが、高橋さんの顔を見て、


「高橋さん……。私にはまだ先生と呼ばれる資格はありません。先生の提案に賛同して戴けませんか……」


 高橋さんは、少し考えておられましたが、コクリと頷き、


「わかりました」


 と顔を上げて微笑んでおられました。


「では、先生が新人賞を受賞されてから、もう一度お願いに参ります」


 そう言うとカップに残った珈琲を飲み干して立ち上がられます。

 そして一礼すると玄関へと歩いて行かれました。


 私たち三人は彼を追い、玄関まで参りました。


「宿代はあるのか、飯代は、汽車賃は」


 とそれぞれに一文無しだと言った彼の心配をしますが、高橋さんは、


「帝大に通う従兄が居ります故、そこを訪ねます」


 と言って頭を下げて出て行かれました。


 私も先生も白井さんもその潔さに口をあんぐりと開けて、閉まった戸を見ておりました。






 夕飯は鮟鱇の鍋でした。

 冷えた冬の夜は鍋に限ります。

 居間の火鉢の上で鍋を戴く事になり、希世さんも一緒に四人で鍋を囲みました。


「まだ、それは早いです」


 と白井さんは先生が鮟鱇の身を取ろうとした手を払います。

 白井さんは鍋奉行です。


「はい、春菊入れますよ」


 と希世さんは大量の春菊を上から入れられました。

 その行為に白井さんは、


「希世さん、春菊はせっかくの鍋の風味を……」


 と文句を言われます。


「良いんですよ。お鍋は自由に食べる方が美味しいですからね……。先生、鮟鱇食べて下さいよ」


 と希世さんが白井さんを跳ね除けて仕切っておられました。

 希世さんは鍋奉行の上を行く、鍋将軍でした。


 先生はその言葉に鮟鱇の身を取り、熱そうに頬張っておられます。


「しかし、あれだな……。新人賞受賞したら要君も弟子を取る事になりそうだな」


 先生は麦酒を飲みながら仰います。


「まあ、私は確実に要君が新人賞を獲ると思っているのですがね」


 白井さんも鮟鱇を食べながら私を見て微笑んでおられます。


 勘弁して欲しい話です。

 私が弟子を取るなど百年早い話です。

 先生が勝手に提案された話ですから、先生に責任を取ってもらうしかありません。


「良いじゃないですか。要さんがお決めになれば」


 希世さんは白菜を鍋に入れながら笑っておられます。


「物書きに師匠も弟子も無いって先生も常日頃から仰っておられてますし」


 そうです。

 師匠も弟子も無い。

 先生は私を友人と思っているとも仰いました。

 私も高橋さんを友人と思えば良いだけの事で、肩肘張らずに考えれば良いのです。


「まあ、高橋君がそれで納得すればの話になるのでしょうけどね」


 白井さんはさっきから鮟鱇ばかり食べておられる気がします。


「白井君、さっきから鮟鱇ばかり食べてないか……」


 先生は少し真顔で白井さんに仰いました。

 白井さんは口の中のモノを飲み込むと、


「骨の部分ばかり食べてますので……。先生は身ばかり食べておられますよね」


「骨の回りが一番美味いんだよ」


 と二人で些細な喧嘩を始められます。


「はいはい、喧嘩される方には〆の雑炊はあげませんよ」


 希世さんはニヤリと笑って、鮟鱇を器によそっておられました。






 鍋は〆の雑炊のために或る。


 先生のある小説の一節にそんな言葉があったのを思い出しました。

 鍋をたらふく食べた後の雑炊は格別なモノで、先生は雑炊を六杯も食べておられました。

 私も二杯戴き、白井さんに限っては、鍋を傾け、底に残ったモノをまだ掬っておられます。


「珈琲を淹れましたので」


 と希世さんが食堂の方から声を掛けられました。

 先生は苦しそうに立ち上がると食堂へと行かれました。

 私も鍋を舐めるのではないかと思う程の白井さんを置いて食堂へと参りました。

 先生は煙草を呑みながら珈琲に砂糖を入れておられました。


 私も椅子に座り、珈琲を戴きます。

 すると、先生は、


「今日は要君がうちに来た日の事を思い出したよ」


 と仰いました。

 私は照れ臭くなり、顔を伏せたまま珈琲を戴きます。


「やはり要君が先生と呼ばれると私も嬉しい。白井君も同じだと思うよ」


「そうですね。私も嬉しいです」


 食堂の入口に立つ白井さんはそう言いながら入って来られました。


「そうやって世代交代しながら日本の文学は発展していくんでしょうね」


 白井さんの言葉に先生も頷いておられました。


 今日は本当に疲れました。

 お陰で、ぐっすりと眠れそうです。






 その数日後、帝都新聞新人賞の発表がございました。

 私は見事落選。

 ある女性作家が新人賞に選ばれました。

 これからは女性の時代なのかもしれませんね。








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