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11話 饅頭師匠






「じゃあ、要君、これで校閲入れるからね」


 白井さんは私の書いた原稿をトントンと揃えると、封筒に入れられました。

 私は少し緊張していた表情を隠す事も出来ずに息を飲んでおりました。


「いやあ、要君はちゃんと予定より早く原稿を上げてくれるので助かりますよ」


 白井さんはわざと先生に聞こえる様に大きな声で仰います。

 先生は煙草を咥えたまま、口を真一文字にしておられます。


 私の連載が決まって、初の入稿となりますが、私は勿論の事、先生も少し緊張しておられ、自分の原稿が手に付かない日々を送っておられましたので、今回は余計に白井さんがピリピリしておられます。


「今回は、要君の作品が初めて世に出るんだ。こんなにめでたい事は無い。私の原稿の一つや二つ飛んでも……」


「いけません」


 先生の言葉に食い入る様に白井さんは被せておられました。


「良いですか先生」


 白井さんは先生の横に滑る様に座られ、先生を覗き込まれました。


「先生のお弟子さんだから要君の作品を掲載するのでは無いんです。もちろん要君を立派に育て上げたのは先生のお力かもしれませんが……」


 先生は煙草の吸殻が山となった机の上の灰皿で煙草を消されました。


「それは違うぞ……」


 今度は先生が白井さんの方を向き、じっと白井さんの目を見ておられます。


「本来、編集者と言うのは、作家を育てるのも仕事だろう」


 白井さんは少し仰け反った恰好で、苦虫を嚙み潰した様な表情をしておられます。

 そして無言で二、三度頷かれました。

 それを見て先生はにんまりと笑っておられました。


「要君が育ったのも、偏に君の力だな」


 先生は白井さんの肩をポンポンと叩かれました。


「先生……」


 白井さんは嬉しそうに微笑んで俯いておられます。

 もしかすると涙を堪えられている様にも見えます。


「まあ、その理論で言うと、私の原稿が進まないのは君の責任なのかもな……」


 先生の声に白井さんは顔を上げられました。


「そ、それは……」


 慌てる白井さんの肩に手を突いて先生は立ち上がられました。


「まあ、良いじゃないか。私の締め切りは週末だろう。まだ余裕もある」


 先生は机の上の煙草を取ると、


「白井君。ちょっとそこまで付き合ってくれるかな……」


 と言われ、書斎を出て行かれました。

 白井さんは私の顔を見て、首を傾げると、先生の後を追う様に出て行かれました。

 お二人が玄関から出て行かれる音が聞こえました。

 二人でカフェにでも行かれたのかもしれません。


 私は新しい原稿用紙を机の上に出して、万年筆にインクを吸わせました。

 先生のお古の万年筆を頂き、愛用しております。

 先生は最近、漱石先生と同じ万年筆を購入されました。

 そしてその万年筆を使い始めると同時に和装をおやめになり、洋装で仕事をされる様になられました。


 書く事に困ったら、気分を変えてみる事も大事だそうです。


 お二人が不在の間に私は少し原稿を進める事にします。

 





 先生と白井さんが帰って来られたのはそれから二時間程してからでした。


 私が玄関へとお二人をお迎えに出ましたところ、お二人に着いて一人の男性が入って来られました。


「お客様ですか……」


 私は先生の履物を揃えて顔を上げました。


「ああ、富風庵の息子さん、紅基君だ」


 私は何処かで見た顔だと思いました。


「ああ、いつもお世話になっております」


 私は紅基さんに頭を下げました。

 いつも私が行くと吹かしたての饅頭を詰めて下さいます。

 先生が富風庵の饅頭が好きな事を知っておられるのです。

 もっとも、紅基さんではなく、店主の栢水さんが詰めて下さいますが。


 三人は食堂へと入られ、希世さんが珈琲の準備を始められました。

 良い香りが漂って参ります。


「要君の連載のお祝いに配る紅白饅頭を富風庵で頼んできた」


 先生はポケットから煙草を出し、火をつけられました。


「ま、饅頭ですか……。そんな、恥ずかしいですよ……」


 私は頭を掻いて俯きます。


「お世話になった人や、ご近所さん。まあ、百もあれば大丈夫だろう」


 先生はニコニコと微笑んでそう言われました。


「ひゃ、百です……か……」


 白井さんも私の向かいで、ニコニコと笑っておられました。


 そして白井さんの横に座る紅基さんの表情を見ました。

 その表情は曇っていて、単に饅頭のお礼に来られた訳では無さそうでした。


 希世さんが淹れたての珈琲を四人の前に並べておられます。


「まあ、要君がようやく花開いたんだ。それくらいやっても罰は当たるまい」


 先生は声を出して笑っておられました。


 私は紅白饅頭を近所に配る事を想像すると恥ずかしくてたまりませんでした。


「お祝いには紅白饅頭って昔から決まっています。ここは黙って先生と私にお任せください」


 白井さんはそう言って熱そうに珈琲を口にされました。


「ところで、紅基さんは……」


 俯いて暗い表情の紅基さんが気になり、私は先生に訊きました。


 先生は珈琲を匙で混ぜながら顔を上げられます。


「おお、そうだった。実は紅基君は君に訊きたい事があるらしいんだ」


「わ、私にですか……」


 私は驚いたのですが、椅子に座り直し、紅基さんの方を向きました。


 紅基さんは、ゆっくりと顔を上げられ、私を真っ直ぐに見られます。

 そんなに真っ直ぐに見られる事に慣れてない私は、少したじろぎました。


「要さん……。教えて欲しい事があるのです」


 私は、紅基さんの言葉に背筋を伸ばしました。


「は、はい。な、何でしょうか……」


 紅基さんは湯気の上がる珈琲カップをじっと見つめておられます。

 そして、


「弟子って何でしょうか……。伝統を受け継ぐって事にどんな価値があるのでしょうか」


 そう尋ねられました。


 私は慌てて、先生と白井さんの顔を見ました。

 勿論助けを求めるためです。

 しかしお二人はニコニコと笑っておられるだけで、助けてくれそうな雰囲気ではありませんでした。


「弟子……ですか……」


 私はカラカラに渇いた口を潤すために珈琲を一口飲みます。


「何故、要さんは先生のお弟子さんになられたのでしょうか」


 紅基さんは俯いたまま体を震わせておられました。


 多分、富風庵で何かあったのでしょう。

 それを考えると更に何も言えなくなりました。


 結局、そこから一時間程、紅基さんが口にされる言葉だけを黙って聞いて、何一つ答える事が出来ませんでした。

 先生も白井さんも神妙な面持ちで、ずっと紅基さんの話を聞いておられました。


 紅基さんは肩を落としたまま帰って行かれました。


 私と白井さんはその紅基さんを見送りながら、


「一体、富風庵で何があったんでしょうか」


 私は白井さんに伺いましたが、白井さんはニコニコと微笑み、私の肩を叩き、


「まあ、これも文明開化なのでしょうね」


 と言われ、先に家に入って行かれました。






 夕食を食べながら先生と白井さんは紅基さんの事を話して下さいました。


 富風庵は江戸時代初期から続く和菓子屋で、今の店主栢水さんで十五代目になるそうで、古くは江戸幕府にも献上する和菓子を作っておられたそうです。

 そして栢水さんの息子の紅基さんが十六代目を継ぐという事になっているらしいのですが、紅基さんは同じ菓子でも洋菓子を作ってみたいと言っておられるらしく、富風庵が終わってしまうのではないかと栢水さんが懸念されておられるという話でした。

 現に紅基さんは大通りに出来たドイツ人のハインリッヒさんのお店リーベンデイルに出入りされていて、そのハインリッヒさんに洋菓子の作り方を教わっておられるそうです。

 ここのところ、栢水さんと紅基さんは喧嘩が絶えず、一緒に店に立つ事も少なくなったという事でした。


「伝統を守る事と、新しい事を始める事……。どちらが価値のある事なのでしょうね」


 白井さんは食後の珈琲を飲みながら仰いました。

 先生は煙草を飲みながら目を閉じて考えておられました。


「要君は紅基君と歳も近い。要君なら彼の悩みも分かるのではないかと思って連れて来たんですがね」


 白井さんは先生が買って来られた富風庵の饅頭を食べながら言われました。


「すみません……。お力になれなくて」


 私は小さく頭を下げました。


「いや、要君が悪い訳じゃありませんよ」


 白井さんは慌てて両手を私の方に向けておられました。


 先生は煙草を消しながら、頷かれます。


「小説の世界は新しいモノって言うのが常だからね。勿論伝統のある作品というモノもあるんだけども、それでは飽きられてしまう」


 先生の言葉に私と白井さんは頷きました。


「そのリーベンデイルですかね……。その店のお菓子は美味しいのですかね」


「あら、ご存じありませんか」


 厨から出て来た希世さんは白井さんにそう言われ、


「明日、色々と買って参りますわ」


 希世さんはにっこりと微笑み、また厨へと戻って行かれました。


 




 その夜、紅基さんの言葉が忘れられず、なかなか寝付けませんでした。

 私は蒲団を抜け出し、縁側へ行くと薄く戸を開けて、庭で私の気配を感じて起きたシズカを見ておりました。


 すると先生が厠へ起きて来られた様で、縁側に座る私の傍に来られました。


「眠れないのかね……」


 先生は薄く開けた戸を大きく開き、外を見ておられます。

 そして食堂へ行かれ、ウヰスキーのボトルとグラスを二つ持って来られました。


「少し付き合って下さい」


 先生はにっこりと笑い書斎へと向かわれると煙草を持って戻って来られました。

 二つ並べたグラスに琥珀色のウヰスキーを注ぎ、一つを私の前に置いて下さいました。


 私は先生に頭を下げて、庭のシズカに目をやりました。


「紅基さんに何も言えなくて……」


 私の言葉に先生は静かに頷かれます。


「無理もない。あの場では何も答えなかった要君が正解だったと私は思うよ」


 先生はグラスを口に付けながらそう言われました。


「さっきも言ったが、小説家は常に新しいモノを求める様に出来ているんでね。あの場でそう君が答えたならば、紅基君は洋菓子作りに走ったかもしれん。君の答えがそれ程に重い答えである事を紅基君も知っていたから、遠回しに訊いたのだろうと私は思う」


 私は先生の横顔を見て、ウヰスキーを飲みました。


「それでなくても、君の書く小説は新しい形だと思うからね。それに……」


 先生が言葉を飲み込まれた事に気付きました。

 私が先生を見るとにっこりと微笑み、私から視線を外され庭のシズカを見ておられます。


「君が信頼できる弟子であるから言うよ」


 先生はグラスを床に置き、私の方へ首を傾けられます。


「白井君の出版社でも、君の作品を掲載する事に反対する者もいるそうだ。頭の固い連中はまだ君の作品を受け入れる事が出来ない様でね。それを白井君は一人ごり押しして掲載を決めたらしい。それが原因で白井君も一部の人間に叩かれているらしい」


 私は手が震えました。

 そこまでして白井さんは私の作品の掲載を進めて下さっている事を初めて知りました。


「そこまでして……」


「そこまでしても、白井君は君の新しい作品を掲載したかったんだな」


 先生は床に置いたグラスを取り、一口飲まれるとまた床に戻され、煙草に火をつけられました。

 私は横にあった灰皿を取り、先生の前に置きます。


「誰かが始めなければ新しい事は生まれない。そして新しい事を始める時には必ず反対する者が出て来る。私や要君、白井君が生きている世界はそれが顕著に出る世界だ。紅基君も今、同じ悩みを抱えているのだろうね。ましてや向こうは四百年の伝統が終わってしまうのかという規模の違う話だからね……」


 先生の吐かれた煙がゆっくりと庭に流れて行きます。


 私は、震える手を隠す様にウヰスキーを飲みました。


「良かったのでしょうか。今、私の作品を掲載して戴いて」


 先生はまたグラスを取り、口を付けられました。


「良いか悪いかは私や白井君、そして君が決める事では無い。すべて読み手が決めてくれる事だ」


 先生は私の顔を見て微笑んでおられました。


 私も先生に微笑むとウヰスキーを飲みました。


 やはりどうしても自分と紅基さんが重なってしまいます。


「私たちの生きる世界は伝統や師弟関係など一切気にする事の無い世界だ。それだけは恵まれているのかもしれないね」


 先生はウヰスキーを飲み干し、煙草を消されました。

 そして私の肩に手を置いて、


「早く寝ないと明日に響くぞ。要先生」


 先生はそう言って立ち上がり、部屋へと戻って行かれました。


 先生に「先生」と呼ばれ、背中がこそばゆくなりました。






 食卓にハインリッヒさんのお店のお菓子が広げられていました。

 希世さんと白井さんが二人で沢山買い込んで来られたのです。


「これがバームクーヘン、これがクワルクトルテ、この丸いのがシュネーバルですね」


 希世さんは一つ一つ手を差して説明して下さいました。


「特にこのシュネーバルが人気の様です」


 先生は腕を組んで食卓の上に並ぶ洋菓子を見ておられました。


「神戸のバームクーヘンとは少し違いますね」


 白井さんはバームクーヘンに塗られた白い砂糖を指で取り舐めておられました。


 希世さんはパンと手を叩き、


「お菓子は眺めるモノではありませんよ。珈琲を入れますので食べてみましょう」


 そう仰り、厨へと入って行かれました。

 私たちは椅子に座り、先生は煙草を咥えられました。


「バームクーヘンは、最近は百貨店でも売り始められましたので、簡単に買える様になりましたね」


 白井さんは食卓の上の紙袋をたたみ、脇に避けておられました。


「これからは日本の食文化もどんどん西洋化して来ます。そうなると、この様な洋菓子も庶民の口に入る様になります。むしろ畏まった和菓子よりも洋菓子の方が受け入れられる様になるかもしれませんね」


 白井さんの言葉で私は、昨夜、先生から聞いた話を思い出しました。

 白井さんが私の作品を掲載する事で会社で叩かれている。

 しかしそんな素振りを私に見せられる事はありません。

 そんな白井さんを見ていると、どんどん私自身の価値というモノを考えてしまいます。


 先生は煙草を消され、希世さんが淹れて下さった珈琲に砂糖とミルクをたっぷりと入れておられます。


「要君」


 私は先生を見ました。

 匙で珈琲を混ぜながら先生は私を見て微笑んでおられました。


「後で富風庵へ行って来てくれ。いつもの饅頭を買って来てくれ」


 私は先生に返事をして、頭を下げました。






 河川敷の桜がちらほら咲いていると希世さんに聞き、私は富風庵へ道中、遠回りをして川沿いを歩きました。


「今年は桜も早いな……」


 私はぽつぽつと咲いた桜を見上げて歩いていると、少し先に座って川を見ている男の姿を見付けました。

 私はその男の傍を通り過ぎながらその男の顔を見ました。

 その人は昨日先生が連れて来られた紅基さんでした。


「紅基さん」


 私は土手に座る紅基さんに声を掛けました。


「要さん」


 紅基さんは私を見ると会釈されました。

 その紅基さんの様子にただならぬ空気を感じました。


「隣、良いですか……」


 私は紅基さんに断り、隣に座ります。


「どうなさったんですか。こんな所で」


 少し沈んだ表情の紅基さんの横顔を見て、私は無理に笑顔を作りました。


 紅基さんは遠い目で流れる川を眺めながら、


「要さん……。要さんは先生と喧嘩した事ありますか……」


 そう訊かれました。


 先生と喧嘩……。

 そんな事は一度もありません。

 紅基さんは栢水さんと喧嘩でもされたのでしょうか。


「何かあったんですか」


 私も川の流れを見ながら訊きました。


 紅基さんは私の顔も見ずに話し始めました。


 先生に訊いた話と同じで、やはりハインリッヒさんに洋菓子を教わり、洋菓子屋を始めたいという事の様でした。


「和菓子を否定する気はありません。もちろん富風庵をたたむ気も無いんです。しかし、この先の事を考えると和菓子より洋菓子の方が身近になる事は否定できないと思うんですよ。私はただ新しいモノを受け入れる事が出来ない者に未来は無い気がして……」


 紅基さんは立ち上がり、尻に付いた草をパンパンと払われました。


 伝統を残しつつ、新しいモノを受け入れて行く。

 これは本当に難しい事なのかもしれません。

 紅基さんも白井さんもそれに挑戦しようとしておられます。


「店に行きましょうか。饅頭が蒸かし上がる頃です」


 紅基さんは力なく微笑んで、歩き始められました。

 私もその後を着いて歩きます。


「要さんの小説は、やはり先生の小説に似ているのですか」


 紅基さんは立ち止まり、そう訊かれました。


 私は、首を横に振り、


「いいえ」


 とだけ答えました。


「先生の小説は先生にしか書けません」


 私は足元に視線を落とし、


「私は先生の小説が好きです。だから先生の小説を汚す様なモノは書きたくないんです。あの音や色、匂いまで感じる事の出来る小説は先生の小説で、私には書けない……。先生にしか書けない小説なんです」


 紅基さんは小さく頷くとまた、歩き始められました。


「白井さん……でしたっけ。あの人が言っておられました。要さんの小説は先生の作品とは似ても似つかない。だけど、その作品の端々に先生や、先生の作品に対する敬意が込められていて、それでいて新しく感じるモノだって」


 私は少し恥ずかしくなり、俯いたまま歩きました。


「私は和菓子が好きです。そして洋菓子も。私も和菓子に敬意を払った洋菓子が作れるのではないかと思っています」


 新しいモノを生む事は伝統あるモノを否定する事では無い。

 私は紅基さんの言葉でそれを痛い程感じました。


 蒸かし立ての饅頭を買い帰ると、先生と白井さんは食堂で話をしておられました。


 私は饅頭の入った袋を食卓に置くと、先生の前に立ちました。


「どうしたんだい」


 と先生は煙草を消しながら私の顔を心配そうに見られました。


 私は紅基さんと途中で会い話をした事を先生に伝えました。

 白井さんも近くへ来て云々と頷いておられます。


「紅基君は真剣に悩んでいるのですね……」


 白井さんは食卓の上の饅頭をじっと見つめておられました。


 先生は目を閉じて腕を組み、じっと考えておられます。

 そして目を開けると立ち上がり、私の肩に手を乗せられました。


「少し出掛けて来る。君たちは温かい内に富風庵の饅頭を戴きなさい」


 そう言って出て行かれました。

 私と白井さんは玄関まで先生を見送り、お供しましょうかと訊きましたが、先生は一人で良いと仰り出て行かれました。


 私と白井さんは二人で顔を見合わせ、食堂に戻りました。


 先生の事です。何か良い案があるのでしょう。


「この件は先生にお任せしましょう」


 白井さんは富風庵の袋に手を伸ばしておられました。






 その週末の事です。

 私が先生のお遣いから戻りますと、縁側に富風庵から届いた紅白饅頭が百個積まれていました。

 そしてその横にはハインリッヒさんのリーベンデイルから届いたバームクーヘンが同じく百個積まれていました。


 紅白饅頭を持って来られた紅基さんと先生が縁側に座り話をされています。


「要君、君もこちらへ来なさい」


 先生は私を呼ばれます。

 私は先生に頼まれた煙草を渡し、紅基さんの横に座りました。


 先生はにっこりと微笑まれ、口を真一文字にされました。


「紅基君」


 先生は縁側に積まれた紅白饅頭の箱を見ておられます。


「この国の祝い事に昔から使われる紅白饅頭。そしてこの年輪を刻んだ様なバームクーヘン。どちらがこの先、祝い事に相応しいかなんて、作る者が決める事じゃない。私はこのバームクーヘンが祝い事に使われる事も新しい日本の文化で良いと思う。それはこれらを使う人が決める事だ。そしてそれが新しい日本の文化を作って行く事なのだと思う」


 先生はバームクーヘンの箱をポンポンと叩かれました。


「君が、本気で西洋菓子を日本に広めたいと思うのであれば栢水さんにその情熱を伝える事だ。新しい事を始める時には必ず反発も起きる。それが何かを始める生みの苦しみというモノなのだろう」


 先生はそう仰ると、原稿を入れる封筒を紅基さんに渡されました。


「これが要君の書いた作品だ。是非、君にも読んで欲しい」


 先生は優しい笑顔で紅基さんに微笑んでおられました。


 紅基さんは封筒から原稿を出し、一枚一枚捲っておられました。


 私は恥ずかしくて顔から火が出そうでした。


 紅基さんは、ニコニコと微笑みながら読んでおられました。








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