プロローグ
こうやって小説なるモノを書き始めて、どの位の年月を過ごしたのだろうか。
次の作品を最後の作品にしようと何度も思いながら、それでも筆を置く事の出来ない自分に、少々苛立ちを感じている。
どれだけの紙に文章を綴り、どれだけのインクを万年筆に注ぎ、自分の中に溜まったモノを吐き出し続けただろうか。
今はこうやってロッキングチェアに揺られながら微睡む時間がその懐古の念を強くさせてくれる。
お手伝いの柴田さんが足音も立てずに私の傍に立つ。
「先生。珈琲と紅茶、どちらがよろしいですか」
その優しい声に私はゆっくりと目を開けて、柴田さんを見た。
「そうだな……。今日は暖かいので冷たい珈琲をもらおうかな……」
私は咳払いを一度して柴田さんにそう伝えた。
柴田さんは頭を下げると、そのままキッチンへと戻って行った。
多くを語らないのがこの柴田さんの良い所なのかもしれない。
私はゆっくりとロッキングチェアから立ち上がると、食堂へと向かった。
食堂に入ると、編集者の遠藤さんと、住み込みで小説を書いている寺山君が既に座っていた。
「遠藤さん、来てたんだね……」
私はゆっくりと一番奥の椅子に座った。
「はい。今日は寺山君の原稿を戴きに上がりました」
遠藤さんは立ち上がって私に頭を下げた。
「それと先生にもお願いがありまして……」
私は顔を上げて遠藤さんを見る。
「私に……」
遠藤さんはニコニコと微笑みながら、テーブルの上に両手を出し、その手を組んだ。
「はい」
遠藤さんは鞄から「企画書」と書いた紙を出して、私の前に置いた。
「先生の回顧録を作りたいと思っています」
回顧録……。
「勿論、先生に書いて戴きたいのではありません。先生には思い出を語って戴き、それを寺山君に書き上げてもらいたいと思っています」
私はその企画書を手に取り、寺山君を見た。
寺山君もニコニコと微笑んで私に頭を下げた。
「なるほど……」
私は二人に微笑み、頷いた。
「私の生きた証になるんですね……」
私がこうして小説家として生きている事を語るには外せない時間がある。
その時間があったからこそ、今、こうやって生きている。
いつか自分自身で書き上げたいと思っていたが、今の私にそれをする事はもう難しいのかもしれない。
私はその企画書を捲る。
読むまでもない。
私の答えは決まっている。
「先生。私からもお願いします。是非、私に先生のクロニクルを書かせて下さい」
寺山君は立ち上がると深く頭を下げていた。
私は頷き、微笑んだ。
「是非、お願いします」
私は二人にそう言った。
私の前にアイスコーヒーとバウムクーヘンが置かれた。
「バウムクーヘンですか……。懐かしいですね……」
私は皿に載せられたバウムクーヘンをじっと見つめた。
「昔よく食べました。もっとも昔のバウムクーヘンはこんな回りに何かが掛かったりもしてなかったですけど……」
私は、バウムクーヘンにフォークを入れて一口食べた。
そして、私を見つめる二人を見た。
「では私の師匠の話を始めましょうか……」
私はアイスコーヒーをストローで混ぜながら言った。