それは竜じゃない
飛竜と言ってもそれは竜では無い。
「飛竜だよ?」
「これは空飛ぶ大きなトカゲだ。竜と一緒にするな。侮辱だ」
「クォー」
私の物言いに抗議するようにして、飛竜とフィーが主張するケトゥールノルトロピーは鳥みたいな甲高い声をあげた。
フィーはケトゥールノルトロピーの首筋を優しく撫でる。
ああ、ケトゥールノルトロピーなど長い、ケトゥールで良いだろう。
さて、私がいるからこそのケトゥールの制御であるのだが、私の加護を得られたフィーだからこそか、制御どころか馬と人間の信頼関係らしきものをこの下等生物と作り上げている。
ダビデとアバンがフィーを惚れ惚れと見ているとは。
それもそうか、と、私はフィーを無謀だと止めるケトゥールの御者が語った、人間がケトゥールを使役できるまで、を思い出して大笑いを上げそうになった。
人慣れさせるために卵の孵化から始め、雛から餌付けをしながら調教するが、人を乗せるまで三年かかり、その後三年で制御不能となるのだそうだ。
つまり、ケトゥールは成熟するまで五年かかるが、人間を乗せたりできるのが成熟前後の穏やかな時期のたったその三年だけということだ。乗せると言っても、馬と違い鞍を付けるわけでもなく、飛翔の妨げにならないように首や胴体に掛けた縄に人間がしがみ付いて背中に乗るだけである。
こんなものが人の乗り物として機能しているのは、金のある上級冒険者にとっては足では向かえない天空城や竜の巣に乗り込めるからであり、上級冒険者ならば落ちやしない、からでもあろう。
ただしダビデが借り入れたこれは、もうすぐ御者が手放さねばならない六歳だ。
乗り手に安全の保障が無いが、その分乗車賃は引かれる。
アバンがいつもの影では無くなるはずだ。
ダビデがフィーを乗せるつもりのものが、そんなにも危険なものならば!!
金のないダビデが個人で借り入れるにはこれが限界だったのであろうが、アバンどころか私こそ許せはしないダビデの所業である。
それにしても、と私は再び笑いがこみ上げた。
フィーが自分でケトゥールを操縦すると言い張り、御者を下ろす代わりにケトゥール本体を買う決断をした時のことだ。
ダビデはフィーが単なる子供でないと思い知った顔となり、アバンはフィーが自分の主人だということにただただ感銘を受けた顔となっていた。
わかるぞ。
私こそフィーの決断力には驚きばかりだったのだ。
「僕が破産しても領民の命が助かればいいのです。領民のいない領主だなんて、それこそお笑いではないですか!!」
映像にして取っておきたいほどの良き姿であった。
アバンなど情緒が心配になるぐらいに感激していたと、誇らしく思い出す。
そして当のフィーは、というと、本来の十三歳に戻っている。
ケトゥールを操って空を飛ぶことに完全に魅了されており、彼は目的を忘れてしまうぐらいにこの経験を楽しんでいるのである。
「ミラ。君はこんな世界にいたんだね。僕と一緒だと空に行けなくてつまらなかったね」
なんと泣かせる子供であろうか。
私は風を呼んだ。
「え」
「お主を落としはしないが、体を冷やしてしまうな。だが、可愛いお主はもう少しの冒険が欲しいのでは無いのか?」
ケトゥールは高度をあげ、飛ぶ速度も増した。
私が生み出した気流に乗ったからだ。
「大丈夫ですか?あまり上空すぎますと息が詰まります」
「体はお冷えで無いですか?飛竜が安定したならば、私の腕の中に入って下さい」
騎士二人はフィーの頭の上で互いをけん制し合うにらみ合いを行ったが、フィーを包もうとする毛布については重ね合いながらと協力し合っている。
「ふふ。二人とも、自分こそ温めてください。あともう少しで到着します。あなた方にはすぐに剣技を披露してもらわねばなりません」
「大丈夫ですよ。俺はそんな荒っぽい仕事ばかりだ。アバン殿。あなたは安心して後方で侯爵を頼みます」
「安心しました。私は侯爵を守りながらですからあなたへの配慮など出来ません。私の剣の巻き添えにならないようにさっさと前から退いてくださいね」
「ねえミラ。僕はなんだか自分の身は自分で守らなければいけない気がするよ」
「身を守るだけか?ゴブリンを仕留めるのでは無かったか?」
フィーは私への抗議と言う風に唇を尖らせる。
私は子供めいたフィーの仕草を微笑ましく思いながら、ケトゥールが舞い降りる予定地についてケトゥールの頭に叩き込んだ。
これはフィーの初陣になる。
目撃者の誰にも、フィーの活躍を伝説のように受け取ってもらわねばならないのだから、間違っても人々が逃げ込んでいる避難所を壊してはいけないのだ。
我らは彼等を守る天使のように、避難所の真ん前に舞い降りる。
わかったか、ケトゥールよ。
見事こなしたら、ちゃんと飛竜と呼んでやる。
「降下します。せっかくなので束になっている群れを蹴散らすようにして旋回しながら避難所に行きます。皆さん、落ちないように気を付けて」
……え。
フィーには、浮力や重力や遠心力、それよりも純粋にケトゥールが飛べる理由を、騎士学校に通わせるよりも先に教えておくべきだった。
ケトゥールが空を飛べると信じているから、ではないんだぞ?
ケトゥールもやれそうな気であるが、私と違ってエレメンタルを操作できない単なる生物では、体を浮かせていた気流から外れた途端に墜落である。
だが、だが!!
フィーの唱える降下の方が、救世主の登場として効果的だ。
「フィー。今言った事が出来るように私に強請れ!!そして私ならばできると信じるのだ!!」
「え?ええ?」
がくん、とケトゥールの高度が下がる。
目の前にはゴブリンの大群が大通りにひしめいている。
落ちればゴブリンと戦うどころか、墜落による怪我で半死半生となるだろう。
「フィー」
「アバン!!侯爵を抱いて飛び下りられるか?俺が道を拓く!!」
「私の両足が潰れても侯爵は無事に下ろす!!」
さすが百戦錬磨の騎士には状況が読めたのか。
そしてフィーは、自分の判断による失態に気付いて真っ青になった。
「僕の竜、ミラ!!僕に加護を!!」
ケトゥールは持ち直した。
けれどそれこそ失敗だったと私は瞬時に理解した。
私が加護によってケトゥールを持ち上げ直したのだが、人間の思考どころか馬ほどの知能も無いケトゥールにそんなことは理解できるわけはない。
通常ではそのような滑空が不可能であるはずの自分がまだ飛んでいることに有頂天となったそれは、考え無しである癖に余計な事を考えたらしい。
勝手なるさらなる飛翔だ。
ケトゥールは、舞い降りる予定地点を越えて突っ切った。
その先に何かあるかなど考えもしない脳みそで。
結果、その巨大な体を小回りさせる事など出来るわけもなく、集会場のすぐそばに建っている鐘塔に体当たりするしかなくなった。
「やっべ。アバン!!フィーニス様を!!集会場の屋根に乗り移る!!」
「ああ、ちくしょう!!フィーニス様!!私につかまって!!」
「だけど、ケトゥールが!!」
「捨てます!!」
「でも!!」
しかしフィーは躊躇しながらもアバンの腕に飛び込んだ。
アバンがフィーを確保できた瞬間、ダビデとアバンはケトゥールの背から飛び上り、集会場の屋根へと飛び移る。
「クエエエエエエン」
フィーは少々悪辣やもしれん。
心の中で、お願いミラ、などと唱えたのだ。
よって私は願いを叶えねばならなくなった。私は爆風をつくりあげ、鐘塔にぶつかる直前にケトゥールを空へと大きく放り投げたのである。
後は知らぬ。
一応飛竜ならば自分で何とかしろ。
私はそれどころではない。
騎士達がフィーを抱えて飛び降りた集会場の屋根であるそこは、中の人間を襲おうと、ゴブリン達が這いまわってもいる場所でもあるのだ。