侯爵様はお怒り中です
入学式はつつがなく終了した、と言っていいだろう。
嫌がらせ王子は最初から用意していた原稿を読み、王族のパレード用微笑みを観衆に向けて素晴らしき王子を演じていたが、彼に注目する者は誰もいなかった。
ざまあみろ。
本気でとても良い式だった。
さて、晴れ舞台を奪われた格好のフィーも始終微笑みを顔に浮かべていたが、納得できない苛立ちを抱えているのは私を含めて近い人間には解っている。
そこで彼が寮の室内に戻るや爆発したのも、我々には想定内のことである。
「もう、全く、いい加減にして欲しいな!!」
フィーは彼にしては荒々しい素振りで制服の上着を脱ぎ、その上着を床に叩きつけようとした。
そう、彼は素振りをしただけで、上着を床にぶつけはしなかったのだ。
私がブローチとして上着の胸についていたからではない。
私は空気を読んでとっくに胸元から逃げていた。
フィーが上着を床に叩きつけなかったのは、なぜか。
それは汚れた上着を誰が整えるのか、彼はそう考えて何もできなくなっただけだろう。その証拠に、フィーは自分の上着をポンポンと叩いて皺を伸ばし始めた。
「フィーニス様。そんな事は私がしますので、私にそれをぶつけてください」
「え?」
フィーは美貌を損なうぐらいに顔を歪めたが、アバンに上着をぶつけはしなかった。上着を抱えたまま彼は、ソファへと足音を立てて向かって行く。
恐らくフィーは、ソファの上に置いてあるクッションを床に叩きつける事にしたのだろう。
ソファに上着を放ってその代わりとしてクッションを持ち上げたのだ。
だがやっぱり持っただけで終わり、フィーはクッションを元通りに置き直す。
多分どころか確実に、クッションを叩きつけたら製作者である女中頭のマーサが悲しむかも、と思ってしまってのフィーのその行動だろう。
「駄目だ、いい子過ぎて逆にせつねえ。俺はどうして投げて良い物を揃えておかなかったんだ。ああ俺の無能!!どうして俺は気が付かなかったんだ!!」
「どうしてこんな可愛い人が存在するんだ。いいですよ、クッションを投げて!!マーサこそ喜びます!!」
「もう!!あなた方はわかっていない!!」
「わかってます」
「ええ、本日のお怒りは私達こその怒りです」
「わかってない!!いいですか?僕は無能でも馬鹿にされない侯爵であるためにこの学園に入学したのです。それなのに!!あなた方はどうして何もできない赤ちゃんみたいに僕を扱うばかりなの?」
「え、そっち」
「そっちですか?」
「何がそっちです」
「第二王子でしかない無能が我に不遜ではないか?でしょう?」
「馬鹿王子よ、お前こそ跪いて我の靴を舐めろ、でお願いしますよ」
「何ですか?それは」
「ええ?何も怒っていない?怒りましょうよ。あのニキビ面め。フィーニス様が壇上でスピーチされる姿を見たかったのに、と、俺が怒ってるんだから怒りましょうよ。あの小便小僧をぶち殺してやりたいと俺に命じて下さいよ」
「ダビデの言う通りです。ただし、ダビデの言うような安っぽい怒り方ではなく、私の目を見つめながら首を切る仕草をする、そんな怒り方でお願いします」
「――あの、僕が怒っているのは、あなた方にです。生徒席ではなく特別席に僕を座らせたりしたことです。あなた方が後ろで控えているせいか、王子よりも偉そうで無能そうでした。――恥ずかしかったですよ?僕は同期の子達に完全に引かれたなあって、虚しくなりましたよ?」
アバンとダビデはいつもと違って今日は双子の様な気持ちなのか、同じタイミングで互いの顔を見合い、それから再び同じタイミングでフィーへと顔を戻した。
「フィーニス様、杞憂です」
「フィーニス様、誤認です」
「いえ、確実です」
「いいえ。女生徒達の熱い視線に気が付いていました?一生懸命パレード笑顔でスピーチしている第二王子なんか、女の子達は全く見ていませんでしたよ?」
「私もそう感じました。色気よりも体臭が強くなっただけの男子など、それであなたに嫉妬の目を向けていましたからね。ですから私達ですよ。最初が肝心。あなたを害する者は私達がぶち殺す、そんな意思表明です」
「――僕は同期から決闘を申し込まれたいんですけど?」
「羽虫程度に煩くされる方が邪魔です。俺達が選別してるってだけです」
「そうです。小者に圧勝しても誉れにはなりません。強者と誰もが認める奴を踏みつぶしてこそですよ」
フィーは大きく溜息を吐く。
この二人が自分に忠誠を誓ってくれていることは間違いないが、時々このように会話が成り立たなくなる。そしてフィーはその度に腹立たしく思うのだ。
これは彼らが自分を子供としか見ていないからだと。
だからフィーは彼らが自分が爆発する事を期待していると見て、偉そうな仕草でソファに腰を下ろすに止めた。誰が乗ってやるものか、と言う気持ちで。
「お茶と甘いお菓子を所望します」
「夕飯まですぐですので我慢しましょう」
「吹き出物ができやすい時期ですので、お菓子は午前中だけです」
「もう!!」
フィーはとうとう癇癪を起し、クッションを従者に投げつけていた。
それを大喜びするばかりとは、本気でろくでもない男達だ。
本来だったら子供のお守りなどと、鬱憤を溜まらせるばかりのはずだ。
そう、第二王子セルジュのお付き達のように。
フィーの胸から外れた私は、フィーを敵視するセルジュを探りに出ていた。
単なる我儘な子供でしか無いが、相手は一応フィーが従わねばならない王族の一員である。
別に従わさせずに反乱させても良いが、私はまだ完全体ではない。
故に、フィーには国家反逆などという博打を打たせるわけにはいかない、まだ。
それに、この様子ではセルジュは勝手に自滅しそうでもある。
セルジュは本来だったらフィーが使用していたはずの特別室に入っている。
友人を招く事も出来るサロンがあり、扉一枚で大きな寝室があるという広々とした続き部屋だ。だがフィーの部屋と違いトイレもシャワー室も無い部屋だ。
フィーの部屋にシャワー室もトイレもあるのは、従者の個室まであることで従者達の暴走によるものとわかるだろう。ただし、そんな暴挙が可能であるのは、寮の一フロアを占拠出来たからである。
王子がフィーの部屋を奪っただけでなく上級貴族ばかりの新館から追い出し、下級貴族の生徒がちらほら入居している空き部屋の多い旧館に押し込めたからこその結果であるのと考えると本当に皮肉だ。
そして愚かな王子一派は、せっかく奪ったのに奪われたはずのフィーの方が良い部屋環境だ、と知って苛立ちを抑えられないでいるのである。
全く浅はかな奴らには笑いが出るばかりだ。




