侯爵様と領民とダビデ兄妹
ケイレヴの死によって、ケイレヴが召喚していた指揮ゴブリンも消え、ローズブチアの町に襲い掛かっていたゴブリンは統率を失った。
ゴブリンに考える頭があれば、多勢に無勢のこの状況に利を見出しただろう。
だが、リダルを失えば猿の知恵も無い魔物だ。
夜行性の彼らは二時間もすれば日が落ちる時間帯でありながら、習性に引き摺られるようにして巣穴へと退いて行った。
集会場に逃げ込んでいたローズブチアの町民達はこれを歓迎し、生き残った事への喝采の声を上げたが、ここにはダビデがいた。
ギルドの騎士として幾度となくゴブリン討伐をして来た実績持ちだ。
彼は日が落ちるまでの二時間が勝負だと言い切り、二時間後に再び攻めてくる可能性のあるゴブリンに対して備えるように町民に声を上げたのである。
「お前らが出て行けばいいだろう!!」
「そうだ、出て行け!!ワーガルチアの人間はこの町に不幸しか呼ばない!!」
フィーは町民が感謝するどころか木くずや石をダビデ兄妹に投げつけ始めた事に驚き、非難される彼等の前に庇うように飛び出した。
ヒュン。
誰がトンカチをフィーに投げたのだ!!
私はそれがフィーに当たる寸前に投げた奴共に粉々に砕いてやろうと思ったが、なんと、フィーが飛んできたそれの柄を掴んで防いでしまった。
さすが我が子だ。
町民共もフィーの神業に見惚れたのか、しんと室内は静まり返った。
「僕を殺すつもりですか?僕はここの領主、アルトマイゼン侯爵です。彼等に声を上げ僕を害するつもりならば、この町は領主の名において滅ぼします」
私こそフィーの凛とした姿に惚れ惚れとしていた。
そうだ、私の加護を持つ者はこのように誇り高く尊大で冷酷でいなければ。
「いえ、あのちょっと、侯爵、あの」
「フィーニス様?」
フィーに庇われる格好となったダビデ兄妹は驚き目を丸くしたが、フィーの騎士は私と同じ心持ちでフィーの横に立った。
「我に号令を、我が主よ」
町民はアバンの不穏ないで立ちにこそ脅え、寸前のいきり立っていた様子はどこへやら、無言となって後退る。
それもそうだろう。
フィーとダビデが戻るまで、アバンこそ集会場に避難していた人々を守るべくたった一人でゴブリンと戦っていたのだ。
あの闇エレメンタルを駆使した独特の戦法で。
守られていた彼らがアバンを助け手と考えていたならば、その彼による脅しは何よりも怖いだろう。
「お、恐れ入りますが、あの、この町の領主は、こ、侯爵様ではございません」
二歩ほど下がった町民達の間から、老年に近い集会場の主が進み出た。
避難所として町民が集まっているのはどの町にもある祭殿であるからして、カリンナと似たような白いローブを羽織っている彼は司祭主であろう。
「あなたは?」
「は、はい。侯爵様。私はこの祭殿を預かるバリシュと申します。あなた様による我々へのご助力は感謝します。で、ですが、この町の領主はカランガル子爵家となっております。アルトマイゼン侯爵領の中ですが、あの、侯爵家縁の娘が三代前のカランガル子爵に嫁いだ時の持参金だったそうで。それ以来ローズブチアの町はカランガル子爵家の持ち物でして、ご存じありませんでしたか」
ドオン。
フィーの後ろで何かが壁に叩きつけられた鈍い音が響き、何が起きたのか目撃したバリシュ司祭と町民は目玉が飛び出るほどに両目を見開く。
フィーがゆっくりと後ろへと振り返ると、アバンがダビデの胸倉をつかんでダビデを壁に押し付けている所であった。
「貴様は!!それで座標がどうとか誤魔化していたのか!!」
「待ってください!!兄がしたことは全部私を助けるためです!!咎は私にあります!!私がクズィーネン男爵に嫁ぐの嫌だと母の故郷のローズブチアに逃げ込んだから、だから、借金で首が回らない兄がこん、こんなこと――」
ドオン。
アバンは再びダビデを壁に叩きつけるように押し付け直す。
カリンナは言葉を続けるよりも大事な兄が痛めつけられた様に言葉を失った。
アバンは左腕でダビデの胸元を掴み、右腕をダビデの喉元に首枷のように当てて、ダビデに圧し掛かる。
「お前の借金か!!」
「違います!!もう一人の兄です。カランガル子爵のベネディクトです!!領地経営も放って王都で借金ばかり重ねるから、だからこんな」
「黙れ」
私が口を出していた。
ここがフィーの領地でなければ、そして町民に嫌われているだけのダビデ兄妹というフィーの防波堤にもならない者しかいないとしたら、この惨劇がフィーを殺すために選ばれたから起きたと知らせるものではない。
フィーこそがゴブリンの襲撃の原因と知られれば、家族の誰かや財産を損なった町民によってなぶり殺しにされるのだ。
ケイレヴめ、二段三段の罠を仕掛けていた、とは。
アバンが全てダビデに非があるようにしながら動いているのは、アバンはすでにそこまで読んでいるからであろう。ダビデも分かっているからこそ抵抗なくアバンの暴力に為すがままなのだと考えれば、あいつはフィーの為にならばアバンに処刑されても構わないという心構えか。
全く!!
では、ここは、我がフィーの為に私が周りを抑える言葉を。
「皆の者、良く聞いてください。僕はここが僕の領地で無いと知っても駆け付けていたはずです。僕はこの地方を治める侯爵です。地方の災禍には細かい管轄など問うべきでは無いでしょう?」
私の言葉ではなく、フィーの言葉であった。
私こそ驚きのままフィーを見つめる。
彼は悠然と微笑んだまま、集会場の中の一人一人の顔を覚えるようにしてゆっくりと視線を動かした。
十三歳の子供ではなく、威厳を持った侯爵がそこにいる。
フィーがここにいる全員の顔を見渡したと、ここにいる誰もが確信したその時、フィーは全員に向けて大声をあげた。
「日没まで時間がありません。ここは生きるために協力しましょう。僕がここにいる事をあなた方は感謝すべきです。僕を助けに侯爵家の者が来るのですから」
「あ、ああ。そうだ。侯爵様がいるんだ」
「侯爵様の軍が助けに来てくれる!!」
「アルトマイゼン侯爵様、バンザイ!!」
「アバン、ダビデを離して。ダビデ、あなたをゴブリン迎撃隊長に任命します。ここを守り切るために知恵と腕を差し出してください。それからバリシュ司祭」
「侯爵様?」
「バリシュ司祭。全て僕の言葉だと思ってダビデに協力するように。それからカリンナは傷病者の手当てを続けてください」
「はい。侯爵様!!」
カリンナは子供のように声を上げ、バリシュは了解したとフィーに頭を下げた。
アバンに手放されたダビデはフィーの前に進み出ると、全てに従うという風にフィーに礼を捧げてからバリシュの元へと歩いて行った。そのダビデの後ろをカリンナが追っていく。
町民達がダビデ達を責め立てたのは、自分達の風前の灯の命を想ってのことだ。
だが、生き延びられる選択が目の前にあるならば、彼らは従順に彼らを指導する者達に従うのだ。
町民達はバリシュとダビデの指示の元に散開して動き始め、壁際に残っているのはフィーとアバンだけとなった。
アバンはフィーの隣へと立つと、身を屈めてフィーへと囁く。
「素晴らしいです。閣下」
「アバン。あなたこそ素晴らしいですよ。あなたの機転のお陰で皆がまとまりました。この次もお願いします」
フィーは持っていたトンカチを自分の手の平に軽く打ち付ける。
トンカチの金属製の黒い頭部に、お望みのままに、と黒い文字が動いた。
フィーの言葉のどこからカンペだったのやら。




