無能の豚は無駄に働く
「カリンナは防御壁でセルドエネルと僕とダビデを囲んで!!僕がかく乱する。ダビデは攻撃!!カリンナは集会場に逃げるか近くの建物に身を隠して!!」
そんな命令にフィーを案じるカリンナは従うことを躊躇したが、セルドエネルがダビデとフィーに向けて大槌を振るった事で決断できたようだ。
実際はフィーがダビデを蹴り上げ、その勢いでフィーが宙に舞ったことで、ダビデ達ワーガルチア兄妹は理解せざるを得なかっただけだ。
二人がフィーの命令に背こうが、フィーが行動を取りやめる事は無い、と。
また、フィーの行動のお陰でダビデこそセルドエネルの一撃を免れてもいるならば、フィーの行動にこそ勝機を見るべきなのである。
「カリンナ!!俺達を死なせたくなかったら、侯爵の命令を聞け!!」
死ぬつもりであった彼女の兄まで生きるための声をあげたならば、兄を生かしたい彼女こそ覚悟を決めて動くしかない。
「もう!!もう!!障壁を神の名において築き上げん」
彼女はほとんどやけっぱちの声をあげ、出来る限りの大きな障壁を作り出した。
その後の彼女は自分の成した事など確認せずに、ただひたすらにフィーが命令したとおりに動いたのである。彼女は自分が守るべき避難民、大人二名と子供三人を一番近くの建物へと押し込んだ。
「カリンナ様」
「大丈夫です。あなた方は隅で静かにしていてください!!結界を張ります!!」
彼女は杖を立てる。
聖なる祈りの呪文で聖なる結界が出来上がれば、ゴブリン達は近づけなくなる。
セルドエネルと戦うダビデ達と見守るだけの非力な自分達への、これは今の自分にできる精いっぱいの加護である。
「光は闇を払い、光は我々を導きたもう」
いつもの呪文を唱え切った時に、彼女ははっと気が付いた。
あの時は死を覚悟して力を振り絞ったから起きた奇跡と思ったが、自分に襲い掛かって来たゴブリン達を壁へと弾いて潰してしまった力は違うのでは?と。
彼女の視線は浮かび上がった疑問と共に動き出し、自分が作り上げたはずの障壁へと視界を向ける。
「え?あれは、ちがっ」
「カリンナさま――あっ」
建物の中にいた人間は次々と意識を失って横たわる。
私はカリンナ達に眠りを与えたのだ。
騒がれては邪魔になる。
カリンナの作り出した魔法障壁が別物になっていたのは、私が為した事だ。
障壁は見た目も違うだろうが、強度も赤レンガ程度だったものが鉄骨ぐらいとなっている。
フィーに竜の加護があるのを知らしめるわけにはいかぬのだから、私はあからさまな力を出せない故、お前の魔法を利用させてもらったのさ。
駄賃としてお前の安全のために結界も強化してやったのだ。
あまり考えるな、夢だと思え。
私は再びフィーにだけ意識を集中させる。
この大事な子供を守り切らねばいけないのだ。
だがしかし、当人は私が作り出した気流に乗りながら跳ねる事に楽しさを見出してしまっており、当初の死への恐怖が薄れかけているのが問題だ。
フィーはセルドエネルの右の角先を蹴った。
人と同じく頭への攻撃は軽くても体が勝手に傾がるのか、セルドエネルは唸り声を上げながら後ろへ半歩下がる。
ダン。
セルドエネルのアキレスを狙ってダビデの剣が振り切られた。
「グルアアアアアア」
「くっそ、硬い!!」
セルドエネルはほんの少し揺らぎ、ダビデの剣を歯零れさせただけだった。
ダビデは両腕に感じた痛みに耐えながらも、次の打の為にセルドエネルから飛び退る。
「ちくしょう。俺の炎も消したこの変な風は何なんだ。セルドエネルを守るように吹いていやがる」
すまないな。
セルドエネルの周りを飛ぶフィー専用だ。
ドオオオオオン。
ダビデが数秒前までいた場所にセルドエネルの大槌が振り下ろされた。
ダビデは飛び退いていたが、風圧を受てしまった事で壁に背中を打ち付ける。
「ぐはっ」
「ダビデ!!」
「大丈夫です。次こそ!!」
ダビデはフィーへと顔を上げる。
フィーはセルドエネルの後頭部を蹴ったところだった。ダビデはフィーの蹴りには何の威力も無いことが一目でわかったが、絶望を抱くどころか小気味良さばかりで笑いが迸った。
「ハハ。俺が勇者どころか冒険者にもなれなかったのは、あの王子様みたいな思い切りの良さが足りなかったからだな」
ダビデは剣を握り直す。
自分ならばもっと重い攻撃を加えられる。
さあ、自分こそ豚野郎の頭部に斬り込んでみせるぞ、と、腰を落とす。
「聖なる炎、太陽神の輝き。我が剣に宿り、穢れを焼き尽くし清浄に導け」
「さあ、ここだ!!フィー!!」
私の掛け声にフィーは壁を蹴る。
今度狙うは――。
「グアアアアアアアウ」
「フィーニス!!」
空にダビデの大声が響いた。
私が出す声の代りに。
フィーはセルドエネルの左の角を目掛けて飛んだが、セルドエネルがフィーに向けて大きく頭を振るタイミングとかち合ってしまったのだ。
フィーの腹部はセルドエネルの角の先を受け、セルドエネルが頭を振った勢いそのままに壁へと全身を打ち付けた。
フィーの体は壁を滑り落ち、地面へと落ちる。
「グルアアアアアア」
セルドエネルは天に向けて勝利らしき咆哮を上げる。
ダビデは動けなくなった。
セルドエネルの咆哮で戦意を消失したからではない。
騎士として守るべき主君を失った喪失感ばかりとなったからだ。
地面に横たわるフィーはピクリとも動かない。
「ちく、ちくしょう。ちく――」
ダビデは全て夢だったと思い込みたかった。
そうだ夢だ。
セルドエネルが幻影だったかのように、粒子となって弾けて消えたではないか。
カリンナが作り上げた壁も上部から粉が散るようにして消えていく。
だが、横たわるフィーはそのままだ。
フィーは動かず横たわるばかりなのだ。
パン、パン、パン、パン。
手を叩く音にダビデはゆっくりと振り返る。
ハニーブロンドに緑色の瞳をした美しい男が、まるで舞台に捧げる拍手のように手を叩きながら近づいてきた。黒い毛皮のコートを肩に掛け、灰色の上等のスーツ姿は、舞台鑑賞をして来た帰りにしか見えない。
ダビデは全ての黒幕となるその男を睨む。
「ケイレヴ・ユベオール」
「違うな。今からアルトマイゼン侯爵様だ。ハハハ。ようやく邪魔な無能が死んだ。無能が侯爵位に居座るなど、爵位に対する不遜だよ」
「あんなみたいな糞と比べ物にならない立派な方でしたよ」
「無能は豚でしかない。豚は豚で死んだ。さあて、叔父として死に顔ぐらいは見てあげようか」
ケイレヴはダビデを通り過ぎ、横たわるフィーへと歩いていく。
ダビデは何もせず見送るばかりの自分に、なぜ、と自問してた。
どうしてあの男にフィーの仇討ちに動かないのだ?
俺は主君を殺されたのだろう?
ドオオオオオン。
ダビデの目の前にいたケイレヴは大槌の餌食となった。
消えていたはずのセルドエネルが姿を現し、自分の目の前に来たケイレヴに対して反射的に大槌を振り下ろしたのだ。
ケイレヴこそ何が起きたかわからなかっただろう。
単なるひき肉となっている今は、何が起きたのかなどどうでもいいだろうが。
「なっ」
再びセルドエネルは粒子となって消えていく。
大槌と大槌の下に動かなくなった人間だったものが残り、死体の臭みがダビデの鼻腔を刺激することで現実でしか無いと突きつける。
「ちくしょおおおお。フィーニス様!!」
ダビデは叫ぶ。
すると、彼の脚は動いた。
体が動くのならば、彼は彼がすべきことへと動いた。
騎士になって守りたいと初めて望んだ主君の元へと走ったのだ。
「フィーニス様!!フィーニス!!」
ダビデは横たわるフィーの体を持ち上げ、落としかけた。
温かく、心臓の鼓動だってある、しっかりと生きている肉体だ。
ダビデは信じられない想いで、奇跡だと神に感謝を捧げながら、腕に抱いた主君を確実に助ける事の出来る妹へと大声をあげる。
妹に泣き顔を見せる事を恥ずかしいとも思わず、ただ必死に叫んでいた。
「カリンナ!!カリンナ!!早く来てくれ!!フィーを、フィーニス様を治療してくれ!!今すぐに彼を治してくれ!!」
ダビデの腕の中の少年は、瞑ったこの目をいつ開けるべきかと戸惑っていた。
フィーは傷一つ負ってなどいないからだ。
召喚獣は契約の達成か契約者の死でしか消し去ることができない。
そこでフィーに死んだふりをさせ、ケイレヴをセルドエネルの前に引き出す作戦を私はフィーに与えたのである。セルドエネルは動くものを全部潰そうとするだけの、自分の召喚者もターゲットも区別できない図体のデカい豚でしかない。
セルドエネルが一度消えたのはなぜか?と。
私の幻術だ。
それにしても、ケイレヴも良い事を言うな。
豚は豚で死ぬ。
その通りだ。