(八)夢の向こうにある景色
あのお客様が欲しいのは、大切な家族への『贈り物』だ。
一緒に過ごせなかった何年分もの埋め合わせになるような、最高の『何か』。
魔法玩具は、物によってはこの世にただ一つの、美術品のような物もある。
ニコラオさんはそれを知っている。だから『特別』を求めるお客様へ、親方の魔法玩具工房を紹介してあげたんだ。
僕が考え込んでいたら、また蝶たちがひらり、ふわりとやってきた。
一、二、三、四、五、……。僕の周りをゆっくり飛び回る。
みんなアゲハチョウのように大きくて、赤や青や黄色や緑、紫に黒、白い蝶まで色とりどりだ。ザッとみつもって三十匹以上はいる。
僕の前に飛んできた蝶の羽に、クリスマスツリーのある風景が浮かび上がった。
「クリスマスの夢だ!」
「ぷう、やっと見つかりましたね。この蝶々さんたちがあのお客様のクリスマスの夢なのです! ご主人さまがお客様のことを強く考えたから、ここに現れたのでしょう、るっぷっ!」
「こんなにたくさん? どれが最高の夢なんだろう?」
白い蝶が一匹、銀の網の先端に留まった。
僕はどうしたものかと、白い蝶をしばらく観察することにした。
シャーキスが僕の左肩をトントン、叩いた。
「るっぷりい! ご主人さま、蝶々をたくさん捕まえないのですか?」
「うーん、だって、一匹捕まえたところで、何をどうすればいいのか、さっぱりわからないんだよ」
シャーキスに言われて夢の中まで来たけれど、この夢の蝶々を捕まえて、どうすれば、魔法玩具に加工できるのだろう。
「シャーキス、この夢の蝶々は魔法の生き物なのかい?」
「るっぷりい! もちろんです、夢の生き物ですもの!」
「現実へ持って帰る方法は? どうやれば利用できるのかな?」
「るっぷりいッ! そんなこと、ボクに聞いてはいけませんね! それは魔法玩具師であるご主人さまが考えることなのですよ! ぷいっ!」
網先に留まっていた蝶が、ハタハタと羽を動かした。
他の蝶々は高く低く、僕のまわりを飛んでいた。
やさしいそよ風がふきつける。蝶の羽ばたきがおこす風だ。
網先に留まる蝶の羽の上に、白く淡い光が浮かんだ。
光の中に、何かの映像が結ばれる。
「え?」
雪の降る町角だ。
停車しているソリに繋がれているのはトナカイたち。
ソリの荷物は山のように大きい。
御者は暖かそうな赤いコートを着た、真っ白なお髭を生やした恰幅の良いおじさん。
「これは……どこかの大きな街の、百貨店のクリスマス飾りかな」
クリスマスにはどこの町や店でも、似たようなクリスマスのポスターや飾りつけがされるものだ。
それが大きな街のとても大きくて豪華な百貨店となると、クリスマスの時期はとびっきり華やかな飾り付けをすると聞く。
白い蝶が飛び立ち、入れ替わりに翠の蝶が降りてきた。
翠の羽に浮かんだ映像は、蒼い空、どこまでも広い平原。
木陰にはライオンが寝そべり、平原をキリンがゆうゆう闊歩し、濁った川をゾウの群れが渡っていく。
ここは乾いた草原地帯、暑いサバンナの大地だ。
「アフリカだ!」
ゾウの群れが川の向こうに去るとサバンナの幻は消え、銀の網から翠の蝶も飛び去った。
こんどは白い蝶が飛んできた。白地に派手やかな銀の斑紋が燦めく、これまで見た中で最大の蝶だ。
白い蝶は、僕の虫取り網の柄に留まった。
すると、僕の視界にはこことは違う景色が見え始めた。
白い世界。
すごい雪だ。
朝になって吹雪が晴れると、どこまでも続く白い平原があった。トナカイの群れが走っていく。
蒼い湖は氷に覆われ、凍結した白い大地のはるか向こうには、夜になっても沈まない太陽が淡いオレンジ色にぼやけていた。
「北の国の冬の風景だね」
「るっぷ! お日様が変な色ですよ!?」
「すごく遠い北の国では、白夜といって一日中太陽が沈まなくなる季節があるそうだよ」
「るっっぷりいッ!? お日様が沈まないと夜が来ないのです! 眠れない人は夢を見ることができないではありませんか!?」
「だいじょうぶ。人間は少しくらい明るくても、昼寝はできるだろ」
「なるほど。長~いお昼寝はできるのですね」
それからもいろいろな蝶々が銀の虫取り網に留まるたび、僕には、行ったことのない場所、見たことのない素晴らしい景色が見えた。
自然の風景も多かったが、文明社会の街並みも混じっていた。
高層ビル、中世そのままの面影を留めた古い町。荘厳な大教会、大きな岩を組み合わせた古代の遺跡群。煙突から煙を吹き上げ、さっそうと走る鉄道列車。
「これがみんな、あのお客様のクリスマスの思い出? 変わっているなあ……。あ、そうか!」
高層ビルの景色は、クリスマス・イルミネーションで彩られていた。
中世そのままの面影を留めた古い町は、そこかしこにひいらぎや赤い実のリースが飾られていた。
荘厳な大教会の前には黄金のリボンと薔薇で飾られた巨大なツリーがそびえ、大きな岩を組み合わせた古代の遺跡群の前ではクリスマスイベントが行われていた。
煙突から白い煙を吹き上げさっそうと走る鉄道列車は、先頭にクリスマスリース飾りを付けた、クリスマスの特別寝台列車だった。
「そうか、この人がクリスマスの日にいた場所、見た場所の、思い出の景色なんだ」
「るっぷ! クリスマスなのに、この方はご家族とまったく一緒に過ごしていませんね!」
「仕事で忙しかったんだろうね」
でも、クリスマスのイベントを追いかける仕事なんて、この人の職業は何だろう。
僕の前に華やかな光景が顕れた。
右の方には白いたてがみを風になびかせた一角獣がたたずみ、空を駆けるトナカイがいる。
画面中央にはスマートな白い仮面の道化師がいて、銀とダイヤモンドで着飾った白いドレスのお姫様をエスコートしている。
二人の周囲は降り積もる雪のごとき白薔薇であふれかえり、金と銀の太いリボンが薔薇の海を縫うように彩っていた。
完成された絵画のように美しいが、絵ではない。
画面の手前に光が白く反射した部分があった。
これはガラス越しに見えている光景を切り取ったものだ。
「そうか、写真だよ。これはマネキン人形で作ってある飾りを撮影した写真なんだ」
「るっぷ! お人形! これはみんな、クリスマスのお人形なのですか。ツリーもクッキーも無くて、雪の代わりに白い薔薇なんて、とても変わっていますね」
「僕も、本物は見たことがないけど、新聞に記事が載っていた。遠い国の大きな都市にある巨大な百貨店では、季節に合わせてショーウインドウを豪華に飾りつけるそうだ。これはその写真なんだよ」
ふと、光を反射しているガラスの中に、人の姿が映り込んでいるのに気づいた。
大きなカメラを構えた男の人だ。顔はカメラに隠れているけど、髪型や首から下のシルエットから、うちへ来たお客様だと見当がついた。
「あのお客様はカメラマンなんだね。世界中で写真を撮るのが仕事なんだ」
いろんな写真を撮るために世界中を旅した人だ。こんなにたくさん写真があるのは、これまでは季節もクリスマスも関係なく、世界中を飛び回って撮影していたからだ。
「きっとアフリカのサバンナを撮影したときも、その年のクリスマスはアフリカで仕事をしていたんだろうね」
「そうなのですか! ボクは、クリスマスにお仕事が忙しいのは、世界中でニコラオさんくらいだと思っていました、ぷいっ!」
シャーキスのおかげで、僕は、クリスマスの夢も、その夢の結晶である魔法の蝶々も見つけられた。
けれど、僕が作るべき魔法玩具は、僕の中でまだ設計図にもなっていないのだ。
夢の蝶を材料として捕えても、肝心の魔法玩具の『形』がなければ意味がない。
せっかくの魔法の夢のかたまりを、しかるべき魔法玩具の部品に加工することができないのだ。
「るっぷりい! ご主人さま、ここにあるクリスマスの夢では、お役に立ちませんか?」
くーるくーる飛び回っていたシャーキスが、僕の前に降りてきた。
「うーん、すてきな夢で作られている蝶々たちだけど、それを魔法玩具にするにはどうすればいいのか、まだ考えている最中なんだよ」
「るっぷりいッ! でも、これ以上時間が経つと、夢の蝶々が消えてしまいます!」
「ええ!? そんなことは早く言ってくれよ!」
僕は急いで網を振り回し、蝶々を捕まえた。
一匹、二匹、三匹、四、五匹!
ほかのには逃げられたが、この五匹は次々とみずから網に飛び込むように捕まってくれた。
蝶はまばゆい光を発し、その輪郭は光に溶け、形を失ってゆく。
光が消えたとき、銀の網の中から蝶はいなくなっていた。
その代わり、小さな物体が散らばっていた。
僕の小指くらいの白い道化人形と銀の姫君。
ユニコーンにトナカイの親子。その周りには雪のごとき小さな白薔薇がたくさん。
小さな木切れはライオンとキリンとゾウらしい、おおざっぱな彫刻であった。
そして、何十枚もの写真。写真だけは完璧で、どれもすばらしい風景写真だった。
「るっぷ、なんなのですか、これは?」
「そうか、これがあのお客様が欲しかった最高のクリスマスの贈り物なんだ。あのお客様が家族へ送りたいと考えていた贈り物の形がこれなんだよ」
「るっぷ? 夢の蝶々が変身した小さな小さなお人形たちや作りかけの彫刻みたいな木切れや、遠い外国の見たことも無いような珍しい風景写真が、ですか?」
「うん、やっとわかった。僕はコレを使ってオモチャを……いや、あのお客様が大切な家族へ送りたかった夢の形を作ればいい」
僕は木切れをひとつ、網の中から持ち上げた。ノミの痕も荒々しく削られた木切れだ。
ここからは僕が丁寧にノミを入れて磨けばいい。ゼロから始めれば一週間かかる木彫りの人形も、ここからなら三、四日で仕上がるだろう。
「普通の人は、夢の形を魔法玩具に作ることはできない。でも、僕にはできる。それが僕の仕事だから」
「るっぷりい、ぷうっ! ご主人さまが良いのなら、それで良いのです。そもそもご主人さまが良いと言う以上に良いことはないのですから、問題なんて何もありません! さあ、お家へ帰りましょう。るっぷりいっ!」





