【猫の敵】ブル猫を猫と同一視する者は愚かである。彼はその己の愚かさを自覚した。ブル猫の理性を信じたものと、あんまり信じなかったもの
過去、優しい政務官がいた。
政務官はおぼっちゃんだった。そして愛猫家だった。可愛がっている猫がいた。愚かにも、本当に愚かにもブル猫と猫を重ねてしまったと、後の政務官は語る。
ブル猫とはいえ問答無用で殺すのはよくないと考えた。だが獣害がでているのも事実。しかしきちんとしつけて教育すればわかってくれる、共生できると考えた。彼は気性は優しいが現場経験に乏しく夢見がちだった。
兵をつかいブル猫のグループをこらしめた際、幅広い制限の強いルールを課した。特定の植物や野菜を食べるな、特定の動物を食うな等のブル猫の生存率にかかわる幅広い制限である。理性的なふるまい、ブル猫の理性と知性を無邪気に信じた。おぼっちゃんゆえ、現実がみえてなかった。
――当然ひとつも守られなかった。守れるわけもないものを課された反動で野性味がまし、被害が増え、市民から苦情がでた。そして、増した被害の中には政務官が可愛がっていた飼い猫もいた……
ブル猫に複雑な事や厳しい事は覚えられない。そしてその理性もない。あまりにも当たり前の現実。
だが信じればわかってくれると思ってた政務官はブル猫の頭の悪さと野性味に怒り、失望し駆除派となった。
政務官は自分を愚かだと恥じた。猫とブル猫は違うという当たり前の現実。自分のような愛猫家が勘違いしないように、このような事を減らすためにブル猫に情けを示した結果を官民に広く周知するようにいった。このような例は枚挙にいとまながなく、それらの積み重ねは後の日本のブル猫への対応に大きな影響を及ぼした。
一方、風ノ勇者はブル猫の知性と理性に夢をみていなかった。
「ブル猫、すごいアホ」
当たり前の事を当たり前に考えていた。頭のいい個体はいるが、それに期待しすぎてはいけない。
だが全く改善の余地がないわけでもない。ごくわずかな知性と理性は存在する。
ポコチン・チンポコ戦争や他のブル猫関連の戦い等、ブル猫達を大規模に調教する機会があった。
『守れるルールは多くない。きかないし長くはもたない』
ゆっくり調教する時間がとれるかもわからない。
現実的な落としどころとして、人の飼い猫に手を出させない事を課した。飼い猫が食われれば人の心に大きな傷を残す。また、飼い猫を盗むのを我慢してもブル猫の生存率に限れば、他の制約に比べて影響は少ない。生き汚いブル猫でもギリギリ守れるライン。だが飼い猫食いをひかえるのは、悪しき妖怪ブル猫の教義には反するため、濃厚な妖怪ブル猫派のブル猫から反発もあった。飼い猫を食いたくてたまらないという
悪しき妖怪ブル猫因子が強いブル猫もいた。それらのブル猫は一秒でも早く永遠におねむりしたいと思うほどすっごいこらしめられた(一説によるとこの施策は、潜在的な、改善が難しいほど濃厚な飼い猫食いブル猫をあぶりだしてくたばるほどこらしめ、飼い猫被害を減少させるために行われた側面もあるという)
ブル猫の飼い猫をさらうのを禁止する事については失敗するという声も多かった。ブル猫の頭の悪さとノー理性を知る狩人は無理だといった。一つですら無理だ、万が一きいても、もって数週間だといった。だが大方の予想に反して、調教されたブル猫については、飼い猫に手をださない効力が年単位で続いたという。
ブル猫は頭が悪い。理性もない。その現実をドライに受け止めたうえで落としどころをもうける事で、改善の余地を見いだした実例である。
だが実際そんなにバランスをとり、現実的な落としどころを考えるよりも駆除した方が早いという即物的な意見も、一概に否定はできない。しかし御山ブル猫のような良識派のブル猫が駆除されまくると妖怪ブル猫派の比率が増え、本当に害獣レベルがあがってしまう危険性がある。
だが敗戦後の影響等もあり、ブル猫を調教して使いこなすという動きも少ない。