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5.初恋回想(その2)

翌日、半獣人斡旋所。


健康状態に問題の無かったジャンは、背中に能力制御の魔術刻印を彫られることになった。

人間の居住区で暮らす半獣人は、人間の安全のため、その高すぎる身体能力を低減させる必要があるそうだ。

人間のプライバシーを守るため、嗅覚や聴覚なども大幅に低減させる決まりだという。

刻印作業には痛みを伴ったが、もう別室にロクサーヌが来て待っていると聞き、作業が速やかに終わるようにジャンは大人しく耐え続けた。


「それでは、この首輪を雇用主であるロクサーヌ様からこの半獣人にお取り付けください。それで契約術式が正しく発動します。鍵には戒めの術式を発動させる機能も付いています。奪われないようにくれぐれも管理にお気をつけください」


「わかったわ。おいで、ジャン」


………………ガチャン!


最後に魔石を加工して作った特別な首輪を装着して、雇用手続きは完了した。

これも人間の安全のため、魔術刻印と合わせて半獣人の能力を制御するのに必要らしい。

ジャンは昨日と同じようにロクサーヌに手を引かれて、幸せな気持ちで施設を後にした。


***


昼過ぎ、車内。


「ジャン、おやつ食べる?」


「たべる」


「なら『ありがとう』と言って受け取りなさい。人に嬉しいことをしてもらったら、お礼を言うのよ」


「ありがとう」


商業区の施設から中央区のロクサーヌの家までは、大人しい草食魔獣が引く魔獣車に乗っていった。

車には魔石で動く魔動車という乗り物もあるが、まだまだ高価な上に技術面の問題から安全でもなく、普及していないという。

車を引く魔獣にも、ジャンと同じように人間の安全のため能力を制御する首輪がつけられていた。


「制御された状態でも、半獣人は人間よりずっと力持ちで持久力もあるわ。それに忍耐力も。だからきっとよく働いて役に立つ……お父様のことはそうやって説得したのよ。やってほしい仕事はその時々に指示するけど、まあ荷物運びとか簡単な雑用かしら。身の安全は守っていいけど、それ以外で反抗してはダメよ。腹が立っても我慢するの。それがジャンの安全のためだわ。基本的には、私の愛玩人形としてお利口にしていなさい。そうすれば守ってあげる。わかった?」


「わかった」


家に着くまでの間、ロクサーヌはジャンを自分の隣に座らせ、色々な話を聞かせた。

昨日のロクサーヌは、外国で再婚した母親のもとで過ごしてきた帰りで、国外から国内まで列車で来て、商業区から中央区へも列車で帰ったのだという。

ジャンに荷物を奪われたのはその途中、中央区に帰る前に商業区で買い物でもしようかと寄った時のこと。

路地裏に置き去りなった方の『ジャン』は、幼い頃に母親と商業区を訪れたときに買ったものだった。

それを聞いたジャンは胸がキュッと軋むような感じがして、ロクサーヌにピタリと体を寄せた。


***


火の国中央区、老舗ホテル。


魔獣車はドアマンの立つ煌びやかな正面玄関を行き過ぎ、関係者用の目立たない裏口に着いた。

ロクサーヌの父親は先祖代々続く中央区の老舗ホテルのオーナー兼支配人で、父娘と使用人たちはホテルと繋がった家族の居住棟に住んでいる。


「さあ、今日からここがジャンの家よ」


豪壮な外装も凄かったが、中には更にジャンが見たことのない世界が広がっていた。

天井には年代物の洒落たシャンデリア吊り下がり、上品なミッドナイトブルーの壁には、作者も時代も様々な絵画が飾られている。

曲線的なデザインの家具にも、所狭しと並べられた小物にも、華やかで繊細な装飾が施されていて、見る者を飽きさせない。

フカフカとした豪華な絨毯の踏み心地は、靴を履いて歩くのが勿体無く思えるものだ。


娘の拾ってきた半獣人が気がかりなはずはないが、ロクサーヌの父親は仕事中で居住棟にはいなかった。


「お父様に会わせる前にジャンを綺麗にしましょう。お前たち、誰かこのボサボサ頭を散髪してやってちょうだい」


ロクサーヌはメイドたちに命じたが、皆半獣人を恐れて嫌がった。呆れたロクサーヌは再度命じ直す。


「ではお前たち、鋏と櫛を持ってきなさい。私は先にジャンとバルコニーに行ってるわ」


「どうなさるおつもりですか……⁇」


「私が切るのよ」


「そんな! とんでもない! 危険です!」


「危険は無いわ。ジャンは私のジャンだもの。それともお前がジャンの髪を切る?」


メイドたちは制止はしても代わりはしないので、やはりジャンの髪はロクサーヌが切ることになった。

髪と紛らわしいジャンの耳には、間違えて切ってしまわないように思案した結果、靴下が被せられることになり、それを見たメイドたちは笑っていた。


***


家族の居住棟、バルコニー。


「イチョウも大分散ってしまったわね。少し前までは辺り一面黄色に埋め尽くされてて、景色を楽しみにくるお客さんも多かったのよ。ジャンもきっと来年は圧倒されると思うわ」


チョキン……チョキン……


秋晴れの澄んだ青空の下、日光に暖められた空気に鋏の音が心地好く響く。

その日は風が少なくて肌寒さを感じず、欠伸が出るほど穏やかに時が流れていた。

葉の落ちかけた背の高い街路樹や、競うように並んだ大きな建物を眺めながら、ジャンはときどき首を手で掻いていた。


「……隙間に毛が入って取りにくいわね」


切り終えて毛払いブラシをかけるとき、ロクサーヌが呟いた。

そして自身の首にかけて服の中に隠していた紐を手繰り寄せると、その先に付けていた鍵でジャンの首輪を外し、毛を取り除くとまた着け直す。


「この首輪はジャンが私の所有物である証明にもなるから、皆の前では必ず着けていないといけないわ。それがジャンの安全のためだもの。私と2人きりのときだけは外してあげる」


それからロクサーヌはメイドたちにジャンのシャンプーを命じてみたが、やはり皆怖がるので、やはりロクサーヌ自らしようとして、やはり皆止めようとしたが、やはり誰も止めることはできなかった。

ロクサーヌはメイドたちの反応を面白がっているようにも見えた。


***


家族の居住棟、バスルーム。


「ジャンの髪は泡立ちが良くて楽しいわ。ジャンは洗ってもらえて気持ちいい?」


「きもちいい」


「そう、よかったわ。でもそろそろ流すわね」


カラフルな柄入りタイルの並べられた浴室は広々として明るく、ジャンが泳げるくらい大きな浴槽から登る湯気で、空間全体が程よく暖められていた。

最初はシャワーに怯えていたジャンだったが、施設の冷たい薬品シャワーと違って、温かいお湯のシャワーは気持ちよかった。


「私もすっかり濡れてしまったから、このまま一緒に入るわ。ジャンは浴槽で待ってなさい。……目を離した隙に溺れたりしないわよね?」


「だいじょうぶ」


最初はジャンを洗うだけのつもりだったロクサーヌも服を脱ぎ始め、脱衣所で見張っていたメイドはオロオロしながら文句を言っていたが、ロクサーヌは取り合わなかった。

初めて見る人間の女の裸は半獣人とも男とも違っていて、幼いジャンはただ純粋に不思議がっていた。

 

***


家族の居住棟、ロクサーヌの部屋。


「ほら、思った通り。ジャンには黄味を帯びた色が似合うわ。私の見立てはいつだって正しいのよ」


ジャンはロクサーヌに髪を乾かし整えてもらい、更に新しい服に着替えさせてもらった。

ジャン用に尻尾を出す穴を開けた半ズボンとシャツ。吊りベルトの上には暖かな毛織でチェック柄のチョッキも着せてもらった。

黒いフワフワの尻尾は嬉しそうに揺れている。


「ありがとう」


「そう、ちゃんと嬉しいのね。そういえば、施設から出るときもそんな風に尻尾が揺れていたわ。あのときも嬉しかった?」


「うれしかった」


「やっぱり! ジャンは表情が変わらないからわかりにくいのよ。ちょっと笑ってごらんなさい」


「アハハハ!」


「無表情のまま声だけ棒読みで笑ってどうするのよ。フフフ、おかしな子ね……それじゃあ両手を上げてごらんなさい?」


ロクサーヌに応えようと、ジャンは両腕をピンと伸ばして両手を頭より高く上げた。すると……


「こちょこちょこちょこちょ!」


「〜〜〜〜っ⁉︎⁉︎」


突然、ロクサーヌが無防備になったジャンの両脇をくすぐり、驚いたジャンは身を捩って飛び退いた。

叫びもせず目をパチクリさせているジャンを見て、ロクサーヌは満足気に笑う。


「今ので少しは顔の筋肉が解れたかしら? それじゃあ今度は私の顔の動きを真似てごらん」


ロクサーヌはジャンを大きな姿見の前に招いて、柔らかな頬をムニムニと引っ張ったり潰したりして遊んだあと、楽しそうな自身と同じようにジャンの口角も持ち上げて見せる。

鏡の中には同じ髪の色、同じ肌の色、同じ目の色の着飾った2人が並んでいる。


「ほら、こうして見ると私たちまるで姉弟みたいよ。もしメイドにもお礼を言う機会があれば、こんな風に笑顔を見せてみなさい。可愛いジャンならきっと好かれるわ。そうでないならメイドたちの目が節穴ね」


「ロクサーヌ、ありがとう」


「……私もありがとう。ジャンといればきっと毎日退屈しないわ」


***


家族の居住棟、ダイニング。


「……思ったよりは見苦しくもないけれど…………本当にちゃんと躾けられるのかい⁇」


「大丈夫よ、お父様。ジャンは賢いわ」


「はぁ…………そうは見えないけれど……そうだと良いけれど…………」


眼鏡をかけた痩せ型の男は、娘と娘の拾ってきた半獣人を交互に見ながらボソボソと呟いた。

見ると言ってもジャンとは決して目を合わせようとせず、チラッと目の合う瞬間があると逃げるように目を逸らす。

こんな臆病な大人は初めて見た。大袈裟に騒ぎたがってもメイドたちの方がまだ恐れていなかった、とジャンは思った。

ロクサーヌの父親というのだから、さぞ威厳に満ちた精強な男性なのだろうと想像するところだが、実際の本人はどこまでも気弱で頼りない印象の人物だ。


「さ、夕食にしましょう。ジャン、ここに座って」


「…………本当にその半獣人もここで一緒に食べさせるのかい⁇」


「だって使用人たちはまだジャンに慣れていないんですもの。女は怖がるし、男は虐めそうだわ。それに食べ方も教えた方がいいでしょう?」


「はぁ…………お客様用の高い食器は使わせないでくれよ……使用人用のを使わせなさい」


「わかってるわ。……ジャン、スプーンとフォークは自分で使える?」


「うん」


「細かいことはもう少し慣れてから教えるから、今日は最低限のことができればいいわ。こぼさないように気を付けて、なるべく静かに食べるのよ」


「わかった」


ジャンの首に前掛けを着けてやるロクサーヌは、世話を焼くのを楽しんでいる様子だ。

父親は娘の酔狂なままごと遊びを冷ややかに眺めていた。


夕食後、ジャンはロクサーヌの膝枕で歯磨きをしてもらった。

ロクサーヌはジャンに鋭い牙が生えているのを発見して楽しそうにしていた。


***


家族の居住棟、ロクサーヌの部屋。


「さ、ジャンも寝巻きに着替えて。ここで私と一緒に寝るのよ。前のジャンもずっとそうだったもの。当然だわ」


使用人たちが相部屋を嫌がったため、ジャンに残された部屋は物置しかなかった。

ジャンはそれでも平気だったが、ロクサーヌは父親に内緒でジャンを自分の寝室に招いて、首輪も外した。

今度は寝巻きに着替えるのを手伝われながら、ジャンは1人に何着も服があって1日に何度も着替えることに驚いていた。

シンプルなワンピース型の白い寝巻きは、程良い厚みがあってふわふわととろけるような肌触りだ。


「それもよく似合っているわ。さ、両手を上げてごらん」


ロクサーヌにそう言われ、ジャンは先刻くすぐられたことを思い出した。

それでも指示に従わないわけにもいかず、今度は肘を曲げてそ〜っと両手を顔の横に上げる。


「ふふふっ! やっぱりジャンはバカじゃないし、生意気でもないわ」


ロクサーヌは愉快そうに笑うと、ジャンの両脇を掴んで自分の胸の高さまで持ち上げた。

そのまま抱きかかえて寝台に運ぶと、ジャンに布団を掛けて、部屋の灯りを消す。


「やっぱり人形と違って重たいわね。そして温かい。でも、撫でるとフワフワして可愛いのは同じだわ。……改めてよろしくね、ジャン。明日も良い日にしましょう」


「よろしく、ロクサーヌ」


「おやすみなさい」


「おやすみなさい」


ロクサーヌはジャンの額におやすみのキスをして、2人は母子のように寄り添って眠った。

ジャンはこれからは毎日こんなに幸せな日が続くのだと思うと、嬉しくて嬉しくて堪らなかった。


***


半年後、メイドたちの休憩室。


「ジャンちゃん、クッキーあるよ。食べる?」


「たべる。ありがとう」


ニコッ!


「きゃー! かわいー!」

「わたしのもあげるわ〜!」

「ジャンちゃ〜ん、こっちおいで〜!」


初めて来た日とは違う黄色い悲鳴がジャンを囲む。

ロクサーヌの入知恵通り、行儀の良さと子供らしい可愛らしさを以て、ジャンは早々にメイドたちの心を掴むことに成功した。

慣れ始めの頃は皆恐る恐る度胸試しのように、ジャンの頭を撫でてみたり、膝に乗せてみたりをしていたが、今ではもう可愛がることに夢中で、誰がジャンを風呂に入れるか添い寝をするか毎日のように籤引やじゃん拳で争っている。

幼くて可愛い上、力仕事や高い所での作業では成人男性以上に頼りになるのだから、人気者になるのは必然だった。


一方で男たちはというと、煙突掃除や窓掃除の際に事故を装ってジャンを始末しようとしていたが、何階から蹴り落としても綺麗に着地して何事もなかったかのように仕事に戻るジャンを見て、すっかり戦意を喪失してしまったらしい。

実際、荷運びでも掃除でもジャンに手伝わせると楽ができた為、彼らは合理的に考えることにしたのだ。

女たちのように甘やかしはしないが、いちいち妨害したり傷付けたりもしない。中にはジャンの有能さを認める者だっていた。


たくさん頑張った日はロクサーヌがたくさん褒めてくれて、初期のように風呂や寝床の世話をしてくれることもあった。

ジャンはロクサーヌと過ごす時間が何よりも嬉しくて、誰よりもロクサーヌが大好きだった。


そんなジャンの幸せな幼児期は過ぎていき…………


数年後、体の変化をきっかけにジャンは異性との接触を制限されるようになった。

ジャンを一度も虐めなかった初老の執事から、性について知っておかねばならないことを教わり、ジャンは二次性徴の時期を迎えた。

もうロクサーヌの寝室で眠ることも、首輪を外してもらうこともない。

それでもジャンはずっとロクサーヌが大好きだった。



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