4.初恋回想(その1)
回想。半獣人ジャンの幼少期、火の国商業区。
「イヤーッ! 半獣人‼︎ 半獣人の子供だわ!」
「まあ! なんて穢らわしい!」
露店の並ぶ通りを人混みを縫ってすばしっこく駆けてゆく、まだ身長1mにも満たない小さな子供……
その黒いボサボサの大きな耳と尻尾を見た通行人たちは、悲鳴をあげたり汚い言葉で罵ったりしながら、或いは道を開け、或いは立ち塞がった。
そんな喧騒の中をしばらく駆け続け、やがて細い路地へと身を隠した子供は、抱えていた大きな旅行鞄を開けて乱暴に中を漁り始める。
先刻、駅で荷物番が他所見している隙に盗んできたものだ。中身から察するに持ち主は女子らしい。
上等な衣類やアクセサリーの他には、黒いフワフワした毛並みの魔獣のぬいぐるみが入っていた。
ぐぅぅぅぅ……
子供の腹が大きな音で鳴った。残念ながら鞄の中に食べられそうな物は無かった。
金目の物ならいくらかあったが、裏市で売ろうにも子供では相手にされないと経験済みだ。
実の親は物心ついたときには既に無く、育ての親は人間の男だったが、先週盗みに失敗した時の怪我が原因で死んでしまった。
悲しくはなかった。「半獣人のガキは使えるから」と打算で手懐けられていただけだからだ。
男からは『チビ』とか『チビすけ』とか呼ばれていた。
疲れて眠くなったチビは鞄から溢れた衣類を寝床にして、さっきのぬいぐるみを抱いて眠り始めた。
持ち主もいつもこうして抱いて寝ていたのだろうか? ぬいぐるみからは優しい匂いがする。
秋も終わりに近付き、寒さが空腹を増す。食べられはしないけれど、優しいフワフワは何かを埋めてくれるように感じられた。
***
数十分後、路地裏。
「見つけたぞ、薄汚い半獣人のガキめ‼︎」
ドカッ‼︎‼︎
休息も束の間、チビは激しく蹴り起こされた。
先の荷物番だ。隣にもう1人その仲間もいる。2人は寄ってたかって小さな体を蹴りつける。
子供といっても半獣人の身体能力ならすぐに逃げるなり反撃するなりできたはずだったが、既に衰弱し始めていたチビの体は思うように動かなかった。
「おいおい、いくら丈夫な半獣人でもこれ以上やったら死んじまうぞ?」
「どうせ誰かに飼われてるわけでもない、家無し半獣人のガキだ。殺したって捕まりやしない。寧ろ殺処分の手間が省けて感謝されるさ」
「そりゃいいね。ならストレス発散に使ってやるか。ゴミの有効活用なんてエコだよな。つまり善行ってことだ」
「ああ、でも荷物は早く返さないと。先に持って行くから、お前もあまり遊びすぎるなよ」
荷物番の仲間はそう言って、あたりに散乱していた荷物を鞄の中に押し込み、一足先に駅へ戻っていった。
残った荷物番は仕事や家庭の愚痴をこぼしながら、動けない小さな体を蹴り続ける。
抱いていたぬいぐるみもとっくに遠くに蹴り飛ばされ、薄暗い路地の物陰に見えなくなった。
もう声も出せず、出したところで助ける者などいない。朦朧とする意識の中、チビはこのまま自分は死ぬのだと思った。
「おやめなさい」
不意に少女の声が響き、蹴る足がピタリと止まった。
路地の入口には幾人かの人影が見えて、1番手前の人物がまっすぐ歩いてくる。
「ロクサーヌ様⁉︎ どうしてここへ……この様な見苦しいもの、貴女様のお目に入れていいものでは……」
「下がりなさい!……取り返した鞄から私の大切な『ジャン』が居なくなっていたから、自分の目で探しに来たの。でも、もういいわ。今日からお前が私の『ジャン』よ」
荷物番を黙らせた令嬢ロクサーヌはコツコツとヒールを鳴らしながら、倒れているチビの前までやって来た。
腰の辺りで豊かにウェーブした長い黒髪。豪奢な衣服に包まれた艶やかな褐色の肌。歳はチビより10近く上だろう。
先のぬいぐるみと同じ匂い。魅惑的に輝くアメジストのような目は、ボロボロの泥棒半獣人をまっすぐ捉えている。
「さあ、私たちの家に帰るわよ。ジャン、起きなさい」
「…………」
きっとこれが生き残るチャンスだ。ロクサーヌの命令に応えるべく、瀕死のチビ改めジャンはよろよろと立ち上がった。
てっきり蹴り殺したものと思っていた荷物番は、信じられない光景に「ヒッ」と小さく悲鳴を上げる。
「危ないですよ、ロクサーヌ様! 離れてください!」
「それに触ってはダメです、ロクサーヌ様! 病気を持っているかもしれません!」
今度は路地の入口から従者たちが叫んだが、ロクサーヌはハンカチを出して淡々とジャンの顔を拭い始める。
「そうね、連れ帰る前に医者に診せた方が良さそうだわ。ついでに半獣人雇用手続きも済ませましょう」
「正気ですか⁉︎⁉︎⁉︎」
「何か問題があるかしら?」
背後の喚き声には振り返らず、ロクサーヌは目の前の小さなジャンに尋ねた。
ジャンもロクサーヌをまっすぐ見つめ返したまま、小さく首を横に振る。
「新しいジャンはお喋りができる?」
「すこし……」
「そう、無口なのね。その方が良いわ。全く話せないのは不便だけど、うるさいのは好きじゃないの」
ロクサーヌは汚れ塗れのジャンの手を取ると、口々に思い止まらせようとしてくる従者たちの方へ振り返って歩き出した。
彼女の手の柔らかさと温かさが心強くて、ジャンはこの人とずっと繋がっていたいと思った。
その後、ジャンは病院ではなく半獣人斡旋所へ連れて行かれて、専門医の健診を受けることになった。
診断結果と手続き書類が揃うまで一晩預けられることになり、ロクサーヌはその間に父親を説得して引き取りにくると言っていた。
薬品臭いシャワーを我慢すると、着替えも食事も寝床も……昨日までのジャンが欲しがっていたもの全てが与えられたが、ジャンは一時的にでもロクサーヌと離れることを酷く不安に思った。