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26.嫉妬と羨望

***のところまではカオルコがずっと喋ってる部分です

ニナは自身の善性によって他者の善性を信じ、世界を愛する心によって色々なものに魅力を見出す天才だった。

他人を信じず世界を愛せず見下して遠ざけてばかりいた私の心を開き、今まで気付こうともしていなかったたくさんの素晴らしいものに気付かせた。

あの子という光が私の世界を照らし、愛する心を与えてくれた。


同時にその光は私を私自身にも出会わせた。

私の心の醜悪ささえも照らし出し、今まで目を背けてきた劣等感や自己嫌悪にも向き合わせたけれど……

私はニナを信仰することで、ニナを愛する自分自身を肯定し、愛することができるようにもなった。

ニナは自国の女神様をよく信仰していたけれど、私にとってはニナこそが私を生まれ変わらせた女神様だった。


私はニナのおかげでやっと本当の好きを、愛を、特別を、見つけることができた。

あの思いやりに溢れた心に、美しい人間性に癒され、救われ、惹かれた。恋をした。

でも……かつてのニナの優しさは心の余裕からのもの、自然で自由なあり方のものだったのに、今では怯えて顔色を伺いながら、無理に取り繕ったものになってしまった。


お前のせいだけじゃないことはわかっている。

私のせい……何よりもニナの心を貴いと思った私自身の存在が、今はその輝きを損なわせる原因になってしまった。

愛する人が傷付くのは自分が傷付くのより遥かに辛いし、傷付ける相手は絶対に赦せない。それなのに……

私はお前だけでなく私自身を赦せなくなってしまった。


お前に抱かれている間、いつも想像した……ニナならお前にどう抱かれただろう?

私が男に生まれていたなら、ニナをどう抱いただろう?

私に抱かれるニナはどんなだろう?


私は……お前たち男が憎い。憎くて、羨ましい。

私はニナを好きなだけでなく、男になりたいとも思っていた。

お前たちの性欲をずっと嫌悪しながら、一方で自分もそちら側になってみたいと思い続けていた。

抱かれる側ではなく、抱く側になりたかった。

私を犯すお前たちは、いつも愉しそうだったから。


ニナには何度も「カヅキさんに恋愛感情は持っていない」と伝えたけれど、ニナは私が遠慮していると思って信じてくれなかった。

いっそ本当の想いを告げられたなら、と何度も思った。

けれどこんな本心、絶対に受け入れられてもらえるわけがない。

言えるわけがない。

私が1番大切にしている「好き」を、私の1番好きな人に否定されてしまう……


羨ましい……あの子に性欲を向けることが許されているお前が。

あの子に選ばれた特別なお前が……羨ましくて、憎い。羨ましいから憎い。

なぜ私には最初から資格が与えられていないのか?

許されてさえいれば、私が誰よりもあの子を幸せにできたはずなのに!


…………ずっとニナの傍に居たかった。

幸せな笑顔を見ていたかった。色々な話をしたかった。あの子をもっと知りたかった。

たまには、少し触れあったりも。下心には気付かれないように、細心の注意を払いながら。


学生時代、ニナから「わたしが男の子だったら絶対好きになってるよ」と言ってもらえたことがあるんです。

勿論ただの冗談……お世辞だなんてことはわかりきっています。

それでも……なんて夢のある言葉で、なんて残酷な言葉だろうと思いました。

そう思いながら、私に貰えたその言葉を大切に胸に抱き続けてきたんです。何度も何度も反芻しながら。


私があなたとニナを結び付けたのは、純粋にニナの為だけではなく、そうすれば卒業後もニナを留めて置けると思ったから。

仮にあなたがニナの国へ婿入りすることになっても、親戚として繋がりが無くならないと思ったからでした。

そんな打算がまさかこんな未来を引き寄せてしまうとは思いも寄りませんでした……


修道院までついて行ったとき、最後に一目あの子の姿を見られればいいと……私はそう思っていたはずでした。

でも……本当は心のどこかで期待していたのかもしれません……優しいあの子なら、私に同情して傍に居続けることを許してくれるのではないかと。

そうだとしても、まさかこんなふうにニナと同じ屋根の下で生活できるようになるとは考えてもみなくて、提案してもらえたときは世界に光が満ち溢れたように嬉しかった……

嬉しすぎて、舞い上がって、問題について考えることを放棄してしまったんです。


確かに私は愚かでした。それは認めます。

けれどもやっぱり、あとはあなたさえ大人しく自分の役割を理解してそれに徹してくれていれば上手くやっていけたはずなのです。


私を愛しているというのなら、どうして私の為に無償で尽くそうとは思えないのですか?

体という見返りなど無くても、お金だけくれるというなら感謝します。

昔のように実家の力で下から搾取した金と違って、労働者となった今のあなたが自力で稼いだお金なら、尊敬だってします。

でも現在、この生活を支えているのは私が実家から貰った手切れ金です。あなたから私に求めていい対価など無いはずです。


ねえ、カヅキさん……どうしてあなたは私の都合の良いように動いてくれないのですか?

私は私に不愉快な思いをさせる人間、不都合な人間が心の底から大嫌いです。


***


「卑怯者」


冷たい目で見下ろしているカオルコに、カヅキはそう言い放った。

カオルコは何を言われたのかわからなかったのか、表情は変えずに僅かに首を傾げた。


「君の本性は卑怯者だ、カオル。弱者を理由に被害者ぶって、君だって選び得る選択肢の中で最善を尽くさなかったくせに。途中で自分にも非があることを認めたふりをしながら、最終的には僕だけが加害者のように結論付けている。きっとどれだけ長く話し合ったとしても、決められた答えに辿り着くだけだっただろう。君の中で僕は、兄は、男は、どうせ最初から悪役なんだ。君が本当になりたかったのは強い加害者側だからこそ。君が僕に向けた言葉の本質の大部分は君自身にも返るものだ。だから詳しく分析できていたんだ」


「……何を言い出すかと思えば……」


カオルコは目線はカヅキに向けたまま、手を文机の鋏に伸ばした。

ガチャッという音がカヅキを威嚇したが、カヅキは黙らない。


「そうやって脅すだけで本当に超えてはいけない線を踏み越えることはできない、君はそういう人間だ」


「よく言えますね? 私のことを何もわかっていなかったくせに……」


「ああ、全くだ。わかっていなかった。君の演技にまんまと騙された。君がニナ目当てなんて知らないから、こんな気持ちにもさせられたんだ。僕だって最初からニナを裏切るつもりではなかったのに、君に唆された被害者だ。僕の中には純粋に君を想う気持ちだってあったのに弄ばれ……」


「うるさい」


ガンッ‼︎


カオルコは振り上げて見せた鋏を文机の上に突き立てた。

だがそれが脅しの限界、もうこれ以上のことはできない証明のようにカヅキには受け取れた。そして……


ぐいっ‼︎


「きゃっ⁉︎⁉︎」


ばたーん‼︎


俄に起き上がったカヅキは素早くカオルコの腕を掴むと、強引に畳の上に組み伏せた。

必死に踠こうとするカオルコの真っ赤な顔に、カヅキは吐息が混ざる距離まで詰め寄って嗤う。


「可愛いカオル……君は優しくて慎重で手緩いな。万が一を恐れて君は僕に使う毒の量を加減してくれていたんだろう? おかげで少しずつ動けるようになってきた」


「くっ……っ……」


「君はニナを繋ぎ留めるために僕を利用した。なら僕はニナを利用して君を繋ぎ留めよう。僕は君がニナに向けている一方的な欲望を黙っているし、ニナには君を諦めたと言って一途な夫を演じる。その代わり、君はニナに隠れて僕の相手をするんだ、昔のように従順に。そうすれば表面上は君の理想通りの生活が出来上がりだ。悪い話でもないだろう?」


「外道……ッ」


「それで結構。今夜だけでもう充分悪に慣れた。さあ、君はどうする? 拒みたければ拒めばいい。そしたら僕ももう諦める。ニナに誠実である為にはそうすべきだろう。それで僕は君の下心を包み隠さずニナにも教えるだけさ。性別は関係無く、意中の相手以外から向けられる性欲なんて気持ち悪いものだ。それも学生時代からの親友にそういう目で見られ続けていたなんて、恐怖が過ぎる話だな。優しいニナは君を傷つけたくなくて態度には出せないだろう……けれど本心は違う。選ばれない君のその欲望は拒絶され軽蔑され嫌悪される、君が僕にそうであるように」


カヅキは言い終えるとカオルコから体を離した。毒が切れてきた今、場の制圧力は完全にカヅキのものだろう。

カオルコは畳に額を押し付けるように蹲っていたが、やがて搾り出すように声を発する。


「…………好きにしてください」


「……それはどっちの意味で言っているんだ?」


「わかりません……私にはもう……何も考えたくない……私は本当にニナに幸福になってほしかったのに、どうしてこうなってしまったのか……ごめんなさい、ニナ……本当にごめんなさい……」


「………………」


カヅキはそのまま泣き続けるカオルコを眺めながら、実家でカオルコから帰国後のニナの話を聞かされた晩のことを思い出していた。

そうしているうちにいよいよ自分がどれだけ醜悪な畜生に成り果ててしまったのか恐ろしく感じられ、さっきまで思い通りにならなくて憎らしく思っていたはずの目前の少女を可哀想だと思えることにやっと気付けた。

そして、今この場で憎悪をぶつけてきた少女とは違い、言い知れない悲しみを内に秘め続けているだろうもう1人の妻のことも想って胸が痛んだ。


「ごめん、カオル……僕は君に嘘を吐いた。僕が1番に愛しているのはニナで、君のことはニナほど愛せたことはない」


「……その言葉をずっと聞きたかった……」


ニナ至上主義者のカオルコにとって待ち侘びた言葉だった。



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