22.歪な家族
産後も体が安定するのを待ってから出発したため、村に着いたときには春も終わろうとしていた。
新居の部屋割はカヅキとニナが主寝室を使うことになり、カオルコはそこから離れた書斎を自室に決めた。
ようやく落ち着ける環境を得たカヅキとニナは、約2年ぶりに体を重ねた。
ニナは待ち侘びていたはずの温もりに溺れながらも、躊躇いなく触れてくるカヅキの手にその自信を付けさせたのが自分ではないことが口惜しかった。
3人の関係については、カヅキとニナが夫婦、カオルコはカヅキの亡くなった兄の未亡人と偽ることに決めてあった。
異母姉妹である娘たちについても、それぞれの夫婦から産まれた従姉妹同士と偽って育てていく。
修道院滞在中に手紙のやり取りで知った通り、アヤコには既に新しい恋人が出来ていた。
こちらも夏には元恋人の子を出産予定で慌ただしく、しばらくは妹たちに構う余裕も無いようだ。
体力自慢のカヅキは、大きな鍛冶屋で働きながら修行させてもらうことになった。
農具や調理器具の他、隣接する大工と家具の工房で使う部品なども作っている場所らしい。
隠れて産むつもりでいた頃から医学書を熟読していたカオルコは、医師を志すことにした。
実家からの手切金が残っている内に、家で子守りをしながら資格勉強に励むという。
家政婦を雇う余裕は無いので、修道院生活で経験のあるニナが家事全般を請け負うことになった。
といっても、他の2人も適宜協力して負担を分散させるつもりだ。
そのようにして、この歪な家族は始まったのである。
***
同年、夏。新居の居間。
「痛っ……モモちゃんは噛むようになったから、そろそろ乳離れかなぁ?」
「確かにもうそんな時期ね……来年の今頃にはサクラも離れてくれるかしら?」
「ふふふ……離れたら離れたで寂しくなるんじゃないかなぁ? 今だけだもん」
「子供はあっという間に大きくなるものね。可愛い服もすぐに着られなくなるのは残念だわ」
「服かぁ〜……せっかくなら、女の子同士でお揃いコーデとかさせてみたいなぁ♡」
「ふふふ……実は私もそう思っていたの。今度一緒に選びましょう♪」
ジワジワと暑さを感じる真昼、若い母親たちは上衣をはだけて各々の乳飲み子に乳を含ませていた。
ニナの娘モモと、カオルコの娘サクラ。1つ違いの赤ん坊たちは、どちらの母親から見てもどちらとも可愛い娘だ。
仲の良い親友同士だったニナとカオルコは、子育てという共通の話題を通じて、再び学生時代のように打ち解けていた。
最近はモモがサクラに興味を持ってあやす様な素振りも見せるようになり、その度に揃って心を奪われたりしている。
「楽しそうな声が聞こえたけど、2人とも何を話しているんだい?」
「カヅキさん! お、お疲れ様です……っ」
不意に障子が開かれて、カヅキも居間へと入ってきた。
今日は休日なので朝から庭の草刈りをして、たった今シャワーを浴びてきたところだ。
濡れ髪で腰にタオルを巻いただけのカヅキは、若い妻たちの正面に遠慮なく腰を下ろして、娘たちの顔を覗き込もうとする。
「ニナも娘たちの世話をお疲れ様。さて、僕の可愛い娘は……」
「パパ〜!」
「ははは、もうお腹いっぱい飲めたのかな? モモは満足そうな顔だ♪」
「ふふふ……そうみたいですね〜」
ニナは注がれる視線に紅潮しながらも、カヅキの気を悪くすることを怖れてすぐにはシャツのボタンを留めきれずにいた。
夫婦として過ごす時間が増え、以前よりすっかり砕けた態度をとるようになったカヅキに対し、ニナにはまだ初々しい緊張が残っている。可愛いものだ。
一方……
「さて、サクラの方は……」
「…………」
カオルコはというと、すっかりカヅキに背中を向けてしまっていた。
更に躄って距離まで取ろうとしているので、カヅキは立ち上がって周り込む。
「今更隠すこともないだろう? 僕はただ娘の顔を見にきたのに」
「状況に配慮してください。今見られるのは不愉快です」
カオルコはニナの前でなんという暴挙かと抗議の眼差しを向けたが、カヅキはお構い無しに娘の顔に溢れかかったカオルコの髪を咎める。
「ほら、カオルが逃げるからサクラの顔に髪の毛が垂れているじゃないか」
「触らないでください……っ」
嫌がるカオルコの顔にカヅキは手を伸ばし、溢れた髪束を手づから耳へとかけてやった。
顔を背けている首筋には、日頃はわざと髪で隠しているらしい小さな黒子が2つ並んでいる。
カヅキの目には懐かしいものだ。内腿の付け根にも同じように2つ並んだ黒子があることだって知っている。
娘が一生懸命吸い付いている膨らみは、見慣れた頃より一回りは大きくなっただろう。はっきり見ることは叶わないのが口惜しい。
「失礼します。読みたい本があるので」
とうとう視線に耐えかねたカオルコが立ち上がり、サクラを抱いたまま居間を出ていってしまった。
カヅキは自身の行いに特に弁解が必要であるとも思わず、そのままニナとモモと親子3人で昼寝を始めたが、ニナだけはずっと眠れずにいた……
***
ある日の夕暮れ、村の大通り。
「ん? あれはカオルと……⁇」
仕事帰りのカヅキは、小さな病院の前でカオルコが大陸人の男と一緒にいるのを見かけた。
男の背格好は自分と同じくらい、声はまだ若々しく、歳はカオルコの方が近そうだ。
ゆっくり近寄ってみると、なにやら大陸語で話し込んでいる。
この外国人村は大陸に馴染み損ねて流れてきた外国人や、これから大陸に馴染もうと準備中の外国人が多い。
そのため言語が混在している環境ではあるが、主要言語は一応大陸語である。……訛りがちだが。
元から大陸人のニナは言わずもがな、優秀なカオルコも大陸語での日常会話に苦は無かった。
学業面で他の兄弟姉妹より低く見られてきたカヅキやアヤコも、読み書きに不安はあるものの、聞き取ることと話すことには向いていたらしく、不自由を感じる場面はそれほど多くはない。
子供たちの将来を考えて、家庭内でもなるべく大陸語を心がけているが……
「そうですね。ありがたいお話だと思いますし、もう少し考えてみます」
「よかった! それでは、今日はもうすぐ暗くなりそうなので家まで送りますね。その荷物は重そうなので僕が……」
「カオル! 今から帰るところかい? ちょうど良かった。荷物があるなら僕が持とう」
カヅキはわざと故郷の言葉で2人の会話に割り入った。
カオルコの手から買い物袋を取り上げながら、主人顔して横に並ぶ。
「カヅキさん! 急に驚かさないでください」
「カヅキ……⁇ ああ、カオルコさんの義弟さんですね!」
青年は一瞬訝しんだ後、ハッとしてカヅキにも笑顔を向けた。
水色のシャツを爽やかに着こなした好青年は、どことなく賢そうな雰囲気を漂わせている。
「はじめまして。僕は……」
「失礼。家に待たせている人がいるので、僕たちはこれで……」
予想外にカヅキと同じ島国語で挨拶しようとしてきた青年に怯み、カヅキは強引にカオルコの手を引いて大股で歩き出した。
カオルコは慌てて青年に一礼すると、小走りでカヅキの隣に追い付き、その様子に安堵したカヅキはすぐに歩幅をカオルコに合わせる。
「今のは?」
「気になるなら自己紹介くらい聞いていけばよかったじゃないですか。家にどんなお客様を待たせているんです?」
「家ではいつもニナが待ってる。暗くなるまでに帰らないと心配するだろ?」
カオルコは呆れて溜息を吐きながら、カヅキに繋がれた手を振り払う。
「さっきの少年は病院長さんの息子さんですよ。御両親は揃ってお医者さんです。以前サクラの検診で彼のお母様にお会いしたとき、私も女医になりたいと話したのを気にかけていただいて……息子さんに教えるついでに、私にも教えていいそうです。それで、住み込みで手伝いながら勉強しないかと誘われたんですよ」
「住み込みだって⁉︎ 冗談じゃない。君は家に赤ん坊だっているのに」
「ええ、だからお断りしましたよ。そしたら週に何回かずつ通わないかという話になって、それはお受けしようかと。将来の就職先にもちょうどいいのに、無下にはできないでしょう」
「そうやってゆくゆくは君を嫁に迎える腹積りなんじゃないのか? さっきの青年は君に気がありそうだった。……僕たちはまだ籍を抜いてもいないのに」
「シッ……誰かに聞かれたら面倒です。言われなくても再婚なんて考えていませんよ。あと、彼は私より年下の少年ですよ。大陸人は大人びて見えますね」
「えっ」
「とにかく、私の就活に口出しするのはやめてください。今のカヅキさんにはニナがいるんですから、私に構う必要はありません」
カオルコは不満げに唇を尖らせると、カヅキの手から買い物袋をひったくって早足になった。
長く伸びた影を踏むようにして追いながら、カヅキはカオルコの背に昔日の面影を重ねようとしていた……