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21.友情と打算

大陸の僻地、魔獣が引く幌車の荷台。


ガタゴト……ガタゴト……ガタンッ‼︎


ガタゴト……ガタゴト…………


「ひどく揺れるな……」


アヤコのいる村を出発した後、いくつかの村を経由したカヅキとカオルコは、ついに修道院へ物資を届ける車に同乗させてもらうことができた。

紹介状を書いてもらおうにも頼れる相手もいないため、訪問を知らせる手紙だけは途中の村から一方的に送ったものの、すんなりと会わせてもらえる保証は無い。

それでも、なんとしてでもニナに会わねばならなかった。


「カオル、もう春なのに厚着し過ぎじゃないか? 少し脱いだ方が楽になると思うんだが……」


「冷え症なので」


船に続いて車でも、カオルコはずっと辛そうにしていた。

あまり構い過ぎても却って苦しませることになるため、カヅキも己の無力さが身に沁みて辛かった。

待ち望んだニナとの再会のときは、同時にカオルコとの別れのときにもなるだろう。

思えば幼い頃からよく懐いてくれた相手だったのに、最後はこのように不甲斐ないまま別れるのかと思うと、余計に侘しさが増すのであった。


***


地の国と水の国の国境、修道院前。

そこは平原の只中で高い塀に囲われた、小さな村のような場所であった。

商店や娯楽施設などは無く、あるのは田畑や温室、製粉所や貯蔵庫など自給自足に必要な最低限の施設、数棟に分かれた古びた修道院と聳え立つ見張り台くらいだ。


緊急時連絡用の通信魔動機はあるが、基本的には手紙や小包は週に一度、大きな荷物は月に数回のみ。

荷物日には魔動機用の魔石の他、敷地内で採れない塩などの調味料、古書や古着などが届く。

作物の収穫を安定させるため、年に数回は敷地内の魔脈調整をする下級魔脈管理士が派遣されてくるという。


生きるのに苦労はしないが、生きがいを見つけるのには苦労しそうな寂しい場所だ。

こんなところにあのニナが罪人の如く追いやられてしまったのかと思うと、カヅキはギュッと胸が詰まった。


ふと後ろを振り返ると、カオルコが未だ幌車から降りられずにいた。

降り口の高さに戸惑っている様子だったが、カヅキが近付いて腕を伸ばすと、急かされたように飛び降りてくる。


ドサッ……


「おっと、大丈夫かい?……………………カオル⁇」


カヅキに抱き止められたまま、カオルコは離れようとしなかった。


「ごめんなさい…………今だけ……あと少しだけ、このままで…………すぐ大丈夫になりますから……」


吐息混じりのか細い声を聞いた途端、カヅキはズキズキとした痛みと熱が自身の内に起こるのを感じた。

これから自分はこの頼りない少女を捨て置いて、他の女性と結ばれようとしているとは。

我ながらなんて無慈悲なのだろうか。信じられない。それこそとんでもなく罪深いことだ。


……そうは思ったところで、もう一方の少女もまた、既に自分からそれ以上の仕打ちを受けた相手なのである。

元々の想いの強さに加え、自分との間に生まれた新しい命の存在もあり、やはりカヅキには選択の余地など無かった。


縋りついてくる小さな体にそっと手を添えて、カヅキはその震えが収まるのをじっと待った。


***


修道院内。

面会許可を貰うべく若い修道女に院長との取り次ぎを頼んだカヅキたちは、しばらくロビーで待たされることになった。

先に中継地から出した手紙についても尋ねてみたところ、その地域で集荷されたものがここに届くのは数日先だと教えられた。

これは交渉に骨が折れそうだとカヅキは覚悟したが、現れた院長はカヅキの真剣な顔を見るなり、ニナとの関係について尋ねるまでもなく面会の許可をくれた。

曰く、「よくあること」なのだそうだ。


カオルコはまだ顔色が優れず、本当にニナに会っていいのかも悩む様子で、「私は少し休むのでカヅキさんだけ先に会ってきてください」と頼んでロビーに残り、若い修道女がカオルコに付き添うことになった。


カヅキは院長と共に柱廊を通って面会室へ向かう途中、中庭でシャボン玉遊びをしている4〜6歳くらいの子供たちに目が止まった。

聞けばニナと似た境遇の修道女たちが産んだ子で、多くはこれから里親へと引き取られていくことになるそうだ。

カオルコが調べてくれていなければ、知らぬ間に我が子もそうなっていたのかもしれない。そう思うと、カヅキは彼らのことも身につまされるように感じた。


コンコン!


「ニナさん、面会者の方をお連れしましたよ」


『あ! えっ、あのっ、少々お待ちください! さっきまで娘がお腹を空かせていて、それで……ええと……っ』


嗄れて落ち着いた老女の声に対して、扉の向こうからは瑞々しく澄んだ少女の声が返ってきた。

それはカヅキにとっては聞き間違えるはずのない、懐かしくて愛おしい響きを以て心を震わせる。


ガチャッ‼︎


「ニナさん……‼︎」


「え……⁉︎ カヅキ……さん……⁇」


院長の許可を待たず、気付けばカヅキの体は自然に面会室へと入り込んでいた。

部屋の隅では長身の女性がこちらに背を向けて立っていたが、彼女は突然聞こえた愛する男の声に信じられないという表情で振り返った。

おそらく直前まで授乳中だったのだろう。慌てて整えようとして乱れの残った胸元には、小さな赤ん坊が抱かれていた。


腰まであった柔らかな金髪は肩より短く切られ、目の下には薄っすらと隈ができてしまっているが、他の誰かと見間違えるはずはない。確かにニナだ。

質素な衣服のせいもあって全体的に以前より痩せて見えるが、胸だけは更に大きくなった気がする。カオルコを見慣れたせいだろうか。


「……ああ……そんな……わたし、面会者って家族の誰かかと思ってたから……本当に、本物のカヅキさん⁇……夢じゃなくて⁇」


「本当に僕ですよ……ニナさん、ずっと会いたかった……その赤ん坊が、僕とニナさんの子供なんですね」


「……モモちゃん、っていうんです……少し前に満1歳になったばかりの女の子で……目の色がカヅキさんと同じ桃色なんです」


真っ赤になった目から止めどなく涙を溢しながら、ニナは幸せそうな笑みを浮かべてカヅキの胸元に赤ん坊を抱いた腕を寄せた。

驚くほどに小さくて軽い体を慎重に受け取りながら、カヅキもまた涙が溢れてくるのを止められなかった。

初めて会う我が子は不思議そうに父の顔を見つめ、その頬を伝う熱い涙に小さな手を伸ばす。


「モモ……僕の娘……ああ、なんて可愛いんだろう……」


「ほら、モモちゃん……モモちゃんのパパよ……モモちゃんに会いに来てくれたのよ」


「……」


「モモちゃんのパパ。パパよ、パ、パ!」


母はなんとか娘に父を呼ばせようとしたが、娘は父の腕から逃げ出そうと踠くように身を捩り、不安そうに母の服を掴む。


「ママ……」


初めて聴いた我が子の声は、この世にこれほど可愛い声を発する存在がいるとは信じられないほど可愛く、カヅキはいよいよ涙に咽んで前が見えなくなった。

そんなカヅキにニナがハンカチを差し出し、カヅキは娘の希望通り娘を母の腕に戻すと、受け取ったハンカチで何度も目元を拭った。

そうして暫し互いに声を殺して泣く音だけが続いた後、ニナが気まずそうに口を開く。


「……御実家の鉱山の件、こちらでも噂を聞いて心配してたんです。カオルちゃんは元気ですか?……カヅキさんがここへ来ること、カオルちゃんは……?」


「……カオルは、全て知っています。実を言うと、ニナさんがここにいることも子供のことも、全部カオルが突き止めて僕に教えてくれたんです。……情け無い話ですが、僕だけでは今日ここへ辿り着くことはできなかった。カオルにはいくら感謝してもし切れません」


「そう、だったんですか……カオルちゃんが……」


目の前にいる最愛の男が愛の奇跡と呼ぶべき情熱を以て自分を探し当ててくれた……のではないと知り、ニナの心は密かに落胆を覚えた。

カヅキの彼女への呼び方が自分の知る頃より近しく変化していることにも、つい胸がざわめいてしまう。

しかし、そんなことは気取らせず、ニナはあれからカヅキの妻となっていたはずの親友に思いを巡らせる。


「それで、そのカオルちゃんは今どうしているんですか……? 御実家に戻ったのでしょうか……? それとも……」


ニナの問いにカヅキはどう答えるべきか言葉を探した。

カオルコもニナに会いたがっていたと伝えて親友同士の再会を叶えたく思っていたものの、直前のカオルコの様子を思い返すと、今自分が先走ってそのように決めていいのか自信が持てなかった。

そのとき、遠くから駆けてくる足音が近づいて、俄かに扉の外が騒がしくなる。


『どうしたのです? そんなに慌てて……』


『院長先生、退いてください! すぐにあの面会者の方にお伝えしないといけないことが‼︎』


バァーーン‼︎


扉が壊れんばかりの大きな音を立てて面会室に飛び込んで来たのは、ロビーでカヅキと入れ替わりにカオルコの側に付いた若い修道女だった。

彼女は室内にカヅキの顔を見つけると、ニナやモモとの関係を推し量る余裕も無く、大音声で叫ぶ。


「大変です、旦那さん‼︎ 奥さんが倒れられて、お腹の子も危険な状態です‼︎」


「なんだって⁉︎⁉︎」


カヅキは訳がわからないままに返事をしていた。

若い修道女はカヅキの腕を掴み、急いでカオルコの元へ連れて行こうとする。


実は、この若い修道女はカヅキたちが到着した際に偶然その姿を目撃し、2人のことを夫婦だと誤解……もとい、この場合戸籍上事実なので理解……していたのだ。

静かに身を寄せ合う美しい夫婦の姿を遠目に見て、彼女はその尊さに感動さえ覚えたのである。

だからこそ、ついさっき会ったばかりのカオルコの危機に血相を変えてカヅキに怒る。


「なんだってあんな体で無理にこんなとこまで移動させたんですか⁉︎ 奥さん、臨月ですよ‼︎」


「そんな…………」


カヅキは未だ全てを現実とは呑み込めずにいたが、それでも足はカオルコの無事を祈って駆け出していた。

騒々しい足音たちはあっという間に面会室から遠ざかっていく。


取り残されたニナは呆然として、泣き出したモモをあやすことも忘れたまま歩きだした。

柱廊へ出ると、中庭を挟んで反対側、カオルコを愛おしそうに抱き抱えて医務室へと消えていくカヅキが見えた。


「どうして……」


俯いたニナの視界の端、落とし物の白いハンカチは踏み付けられてぐちゃぐちゃになっていた。


***


修道院、医務室。


「お入りなさい。しばらくモモさんは私が見ていましょう」


控えめなノックをしてニナが訪ねると、院長が扉を開けてモモを預かった。

先刻の若い修道女はばつが悪そうに一礼して、ニナの横を擦り抜けて出ていく。

開け放たれた間仕切りカーテンの向こう側、寝台の上に横たわるカオルコの手をカヅキが祈るように握っている。


「カオルちゃんは……」


「もう大丈夫です。眠っているだけで……お腹の子にも別状はありません」


「そう……良かった……本当に……」


親友の無事を聞き、ニナも心から安堵した。

カヅキが握っているのとは反対側のカオルコの手に、ニナはそっと撫でるようにして自身の手を重ねる。


「カオルちゃんの体にも、カヅキさんの子供が宿っていたんですね」


「妊娠していること、僕も今日まで知らなかったんです。カオルはずっと隠してた。僕たちの実際の夫婦関係は鉱山の件よりも前に終わっていて、カオルはずっと僕とニナさんの復縁を願ってくれていた。大陸でニナさんと再会したら、僕たちは別々に生きていくはずだった……それでも、お腹の子供は諦めたくなかったのでしょう。今思えば、カオルがずっと厚着していたのは体型の変化を隠すためだったんです。抱えたときは重さの変化に驚きました……」


「っ……カオルちゃんの御実家も、このことは……」


「知らないでしょう。カオルの実家は僕の実家と縁を切ったとき、カオルのことも切り捨てたんです。ちょうど大陸には先に移住していたカオルの異母姉がいたので、そちらへ身を寄せるよう手筈を整えてはくれましたけど……正直、カオルはあまりその人には頼りたくなさそうでした。悪い人ではないのですが、カオルとはかなり性格の違う人なので」


「……カオルちゃん……」


実家から追放された我が身が自然に重ねられ、ニナはカオルコもさぞ辛いだろうと涙を零した。


「無理に動かすべき状態ではないとのことで、カオルはこのまま修道院で出産を待つことになりました。ここには腕の良い産婆さんもいるようで、ひとまず安心しています。今月中には生まれるそうなので、僕もそれまで滞在させてもらって修道院の力仕事などお手伝いすることにしました。それで、無事出産が済んでその後のことなのですが……」


「一緒に、暮らしましょう! カオルちゃんも、カヅキさんも、わたしとモモも……勿論、これから生まれてくるカオルちゃんの赤ちゃんも。みんな一緒に助け合って生きていければ、それがきっと一番です。そうしましょう!」


「ニナさん……! 本当にいいんですか……?」


「勿論です。カオルちゃんはわたしにとっても大切な親友ですから」


「良かった……ニナさんがそう言ってくれるなら助かります。本当にありがとうございます……!」


カヅキは片方の手でカオルコの手を掴んだまま、もう片方の手でニナの手を取る。


「これからは3人で手を取り合っていきましょう」


「はい! これからはずっと、みんな一緒ですね」


そう言わないと自分の方が切り捨てられると思ったから……

笑顔で隠したニナの胸中、真実はそんなものだった。


やがて目を覚ましたカオルコはニナの申し出に心から感謝し、泣きながら何度も礼を言っていた。

修道院の風紀を乱さないため、カヅキは面会にも行動範囲にも色々と制限を決められたので、滞在中にニナと恋人らしい時間を過ごすことは叶わなかった。


到着から2週間後、桜が満開の頃に女の子が生まれた。



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