2.魔獣と人間
パチ……パチパチパチ……
「……ふみゃあ……?」
顔に暖かな光を感じて魔獣が目を開けると、直ぐそばに焚き火が燃えている。
魔獣はしばらく何も考えることができず、薪の爆ぜる音を聞きながら炎が揺れるのを眺めていたが……
「やあ、起きたかい」
不意に炎の向こうから人間の声がした。
魔獣がむくりと起き上がると、焚き火を挟んで向かい合うように人間が座っている。
苦労してさっきやっと解体を終えた肉食魔獣の肉を串に刺し、そこでふと手を止めて魔獣に訊ねる。
「お前は生のまま食べるかい?」
「そ……それは何にゃ……⁇」
「何って、さっきのだけど?」
人間は横手に干している毛皮を指した。
ぺたんこになってぶら下がっている亡骸を見て、魔獣はブルブルと震えながら涙を零し始める。
人間は怪訝な顔で問う。
「お前だって普段食べてるだろう?」
「たっ、食べにゃいにゃ……そんにゃ、生き物を殺すにゃんて……」
「殺さなきゃ殺されてたし、生き物が生き物を食べるのは自然界の日常じゃないか。お前みたいに立派な爪も牙も持った魔獣が、今日まで他の魔獣を喰わずにいたなんて信じられるものか。草食魔獣のフリでもして、僕を油断させるのが狙いか?」
人間の言葉に、涙目の魔獣は自分が草を食べても腹を満たせなかったことを思い出した。
「でもっ……ほ、本当に誰も食べてにゃいにゃっ……だってワタシ、今日生まれたばかりで……」
「何だって? でもお前、もう随分しっかりしてるじゃないか。魔獣なのに人間の言葉だって話せてるし」
「ふ、普通の魔獣は、違うのにゃ……⁇」
「いなくはないけど、珍しいさ。……お前は何者だ?」
「わ、わかんにゃいっ……わかんにゃいにゃ……っ」
人間の探るような視線に耐えかねた魔獣は、顔を覆って泣きじゃくりはじめた。
止めどなく溢れてくる大粒の涙が、前足の隙間からぼたぼたと地面に流れ落ちる。
くぅ〜〜きゅるる……
そんな消極的な魔獣の意に反し、その腹は鼻腔をくすぐる血の匂いに唸り声を上げた。
「ほら、お食べ。罪悪感があるなら犠牲に感謝し、引き継いだ命に恥ずかしくないよう生きることに努めたらいい」
「………………」
しかし、人間に手渡された串を見つめる魔獣の目は、やはり涙でいっぱいになる。
生きているものに安易に愛しさを感じられるこの魔獣は、失われた命を悲しまずにいられないのだ。
「……無理強いはしないさ。ま、徒に生き物殺しを愉しむような野蛮人よりは、お前のように繊細な臆病者の方が好ましく思うよ。少なくとも今のところ、僕には害が無さそうだからね」
人間は魔獣から串を回収して火で炙り始めた。
肉は香ばしい匂いで焼けながら、豊かに肉汁を滴らせる。
それを見つめる魔獣の目からは涙が、口からは涎が滴っている。
「ちょっと待ってなさい………………ほら、これなら獣肉じゃないぞ」
見かねた人間は昼に釣った魚を切り身にしておいたのを取り出し、魔獣の鼻先でぶらぶらと揺らした。
腹ペコ魔獣は大きな丸い目と涎を輝かせ、鼻をぴくぴくさせて匂いを嗅ぐ。
「にゃぁ? にゃぁ? 食べていいにゃぁ?」
「いいよ、いいよ」
魔獣は大喜びで切り身に喰らい付き、人間は指を喰われる前に急いで手を引っ込めた。
むしゃむしゃむしゃ……あぐあぐあぐ……じゅるり
「んにゃぁ〜〜♪ こんにゃおいしいもの初めて食べたにゃ〜」
「さっき言ってたけど、お前本当に今日生まれたのかい? 親は? 巣は?」
「親……わからないにゃ。巣というかワタシの卵の殻なら、シュシュたちが持っていったにゃ」
「えぇ……お前は今日、卵から生まれたのかい⁇ 仲間は?」
「いないにゃ。今日1日山を歩き回ってみたけど、ワタシと同じは見つからなかったにゃ……そもそもワタシ、自分が何者にゃのかわからにゃくて……」
「ふうん……」
人間はしばらく考え込んだ後、宙にいくつか小さな魔法陣のようなものを浮かべた。
「お前、ちょっと調べさせてもらうよ」
人間は一応一言断りつつ、返事を待たずに魔獣の体を調べ始める。
尻尾を掴んだり足を掴んだり、ひっくり返してみたり伸ばしてみたり、時には怪しげな魔法陣を潜らせてみたりもして、あれこれやった後しばらくまた宙に何か浮かべて作業し、それから魔獣に向き直る。
「どうやらお前の言う通りらしい。お前に同種はいない。それどころか、お前には性別も繁殖能力もない。最初から成長した姿。これ以上進化の必要は無く、既に殆ど完成した存在として、神が特別に作ったもののようだ」
「神……何故か少しだけ知ってるみたいなのにゃ。他にも、何故か最初から知ってることが色々あったのにゃ」
「そうだね。教える者がいない分、お前には予め様々な知識と能力が与えられているようだ。とはいえやはり不足してるから、明日から僕が色々教えてやろう。今更お前を野に捨て置いて去るのも不人情だからね」
人間はそう約束して、更に切り身を魔獣に与えた。
腹を満たした魔獣は幸せな気持ちで眠りについた。