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17.初夜

翌年春、女学校を主席で卒業したカオルコはすぐにカヅキと結婚した。

盛大に執り行われた婚礼の儀も慌ただしく過ぎ、新婚夫婦は初夜の床の上に向かい合って座る。


「カオル……これを君に。少し前に兄の書斎の奥で見つけた。兄が生前、君へ用意していた贈り物だ……」


「そうですか」


「……添えられていた文については、すまない。外に宛名が無かったものだから、少しだけ中を確認させてもらった」


「構いません。お気になさらず」


カオルコはカヅキから受け取った小箱の中身を手に取ることもせず、蓋をずらして一瞥しただけで下に置き、手紙の方も数秒だけ流し読むともう封筒へ戻してしまった。

先にカヅキが確認していた中身は美しい細工の施された上等な簪と櫛であったが、カオルコがそれを使うことは無いだろう。

手紙の内容も本当はしっかりと検めさせてもらっていたが、意外なことに兄が結婚を機にこれまでの女性関係を清算して一途な夫になろうとしていたこと、これまでの非礼についての詫び、今では本気で愛していることなどが細々と丁寧な字で綴られていた。


言葉がどこまで真実かはもう確かめようもなくなってしまったが、あの高慢な兄が偽りでも己の非を認めて謝罪し、年下の婚約者へ赦しを乞うことがあるとは、カヅキには思いがけないことであった。

ただひとつ、間違いなくカヅキの予想もとい期待通りであったことは、カオルコはやはり全くアトリを愛してなどいないということだ。


***


回想。


昨年、アトリの葬儀には家の付き合いがある者も仕事の付き合いがある者も多く集まり、カヅキが初めて見る顔も多かったが、アトリの子を身籠っていると主張するような女が現れることもなく、最愛の息子を亡くした母親の喪失感は計り知れないものであった。

すっかり憔悴しきった様子で人目も憚らずに嘆き悲しむ姿を見ては、日頃彼女から疎まれ続けて憎らしく思っていたカヅキでさえ憐憫の情を禁じ得ない。


ヒソヒソ……


「あら嫌ね、お姉様ったらあんなにやつれて見苦しいわ。いつものように若作りのお化粧に長い時間をかけられなかったのね」


「数十年前までは国1番の美女だなんて皆からチヤホヤされて、随分と自惚れていらっしゃいましたわよね。あの方ったら若さを失ってからも自惚れだけはいつまでも失わないものだから、わたくしの可愛い愛娘のことも『庶民よりはいくらか優れていても、私の姪にしては平凡な顔の娘ねぇ』なんて仰っていましたのよ? かつて美女だった現在老女の方なんかよりも、若いという時点でわたくしの娘の方がよっぽど異性からの需要だってありますのに」


「おやめになって、お母様。恥ずかしいわ。私なんて伯母様のお若かった頃と比べたら全然……」


「そういう謙虚さこそ、お姉様には無い美徳ですわね。本当に素敵な娘さんだわ。未だにお姉様のことを持ち上げているのなんて取り巻きの古い人たちだけだから、若い人たちは気にしなくていいのよ」


ヒソヒソ……


つい先程までは妹たちが兄の死をあまり悲しんでいなさそうな様子を指して薄情だの冷淡だのと軽蔑していたはずの外戚たちが、今度は誰よりも悲しむ母親の姿を指してこのように陰口を叩いている。

親子の絆の深さを思えば、醜いなどと言うよりあれこそ1番美しい姿のように感じられないのだろうか?

物陰で聞いていたカヅキは心底呆れたものだと彼女たちを軽蔑したが、一方、その彼女たちが素晴らしく褒め称える女もいる。


ヒソヒソ……


「まあ、あちらをご覧になって! 婚約者だったカオルコお嬢様よ。あのように隅の方に静かに控えて、ただ真っ赤に泣き腫らした目をハンカチで押さえていらっしゃる姿のお上品なこと。あれこそ理想の悲しみ方ですわ」


「厚化粧に頼らなくていい彼女こそ、清楚で若々しい本物の美人ですわね。しかも、彼女は学業にも秀でた才媛だそうよ」


「でも、女学校の成績で1番になれないと伺いましたわ。なんでも大変優秀な留学生がいるのだとか……」


「それはなんとも運の悪いことでしたわね……その留学生さえいなければ、やはり彼女が1番なのでしょう?」


ヒソヒソ……


かくして喪中の悲しみ方品評会最優秀賞はカオルコに決まり、カヅキもカオルコへ視線を移した。

喪服に身を包んだカオルコの姿はいつもより数割増しで大人びて美人に見えたし、その表情は最愛の婚約者を失った悲しみに暮れているようにも見えた。


だが真実、カオルコの涙は死んだアトリの為に流されたものではなく、親友のニナを想ったものであることをカヅキだけはよく知っていた。

通夜の晩には早速アトリの代わりにカヅキがカオルコと政略結婚することが決まり、カオルコは親友であるニナからその恋人であるカヅキを奪うことになったのだ。

当然そのことでカヅキもまた胸が張り裂けるような思いをしていた。愛しいニナを傷付けること、失うこと、どちらも耐え難い苦しみだった。


葬儀の翌週、カオルコの忌引きが明けるとすぐ、女学校の放課後にニナを個室のある料亭へ呼び出して3人で話す場を設けた。

察しのいいニナなので、アトリの訃報を受けてから覚悟はしていたのだろう。恨み言のひとつも言わず、恋人と親友の婚約を祝福してくれた。


「わたしが男性で1番素敵だと思うカヅキさんと、女性で1番素敵だと思うカオルちゃんですもの。2人とも本当にお似合いだし、どちらから見ても任せて安心の相手だわ。きっと幸せになってね」


気丈に笑ってそう言ったニナの声も体も震えていたのをよく憶えている。

カオルコの話ではその後も女学校で今まで通り交友を続けたニナだったが、夏季休暇中に体調不良を理由に急遽帰国してそのまま退学してしまったらしい。

体調不良は建前で、真実は自分たちとの関係が原因だったのではないか?

本来なら主席卒業確実であったニナの将来を潰してしまった可能性について、最初に2人を取り持ったカオルコはカヅキ以上に罪悪感に苛まれている様子だった。


***


「………………」


「どうぞご遠慮なく。あなたのお好きなようになさってください。ひと通りのことはアトリ様から教わっておりますので」


沈黙を破り、何もしてこない夫に対して妻はそう言い放った。

ああ嫌だ。やはりそうか。知りたくなかった……あの兄が今日まで何もしていないはずなどないことは、カヅキにもよくわかっていた。

兄のお下がり、非処女の新妻。あまりにも予想通りで期待外れな事実。

わざわざ告げてきた妻に腹立たしさも覚えるが、これも口先だけ格好付けて守ってやれなかった自分への罰なのだろう。


残念な気持ちを隠しきれない夫の表情を、妻は尤もだと見て遜る。


「私などではニナの代わりにならないことは承知しております。どうぞあなたのお心の中ではニナだけを想い続けていてください。私のことは愛してくださらなくても、精一杯お尽くしいたします。だからどうか……どうか他に女性をお持ちにならないでください。これから先、私がもういいと思える日が来るまでずっと、あなたは私1人だけをこうしたことの相手としてください。妾なんて絶対に認めませんし、愛人をお隠しするようなことがあれば必ず見つけ出して、殺します」


カオルコは深々と頭を下げながら、静かだが強い決意を信じさせる声で懇願した。


「わかった……僕はこの先、カオル以外の女性を抱くことは無い。誓って、必ず」


揃いの指輪をはめた手と手を重ね、謙虚だが嫉妬深い新妻にカヅキは心から約束した。

華奢な肩に手を置いて顔を上げさせ、そっと口付ける。そうして……


後はもう、日々日々行為に溺れていった。

盛りの年頃に孕ませる為の女をあてがわれているのだから無理もないことであった。



二重回想わかりにくくてすみません……

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