10.チャイルドエンゲージ
1話からずっと回想なんですが今回は回想中回想。
ややこしいんですがこの後もちょいちょい回想中回想あります……
回想。
婚約者であるアトリの家へ初めて顔合わせに来たとき、カオルコは数え年で5つになったばかり、まだ3歳の幼子だった。
カオルコが生まれる少し前にアトリの元婚約者の家が没落して破談になり、カオルコの家が新たな婚約者として娘を差し出したのである。
当初は独身の姉を嫁がせる計画もあったのだが、姉はアトリに嫁ぐことを拒否。アトリとカオルコは10歳以上歳が離れた婚約者となった。
国内有数の魔石鉱山を所有するアトリの家と、多くの研究所や工場を所有するカオルコの家とは、互いに他家と手を組まれては困る者同士であり、見張り合う関係でもあった。
成人のアトリは幼すぎる婚約者に興味が無く、親同士も話し合いに夢中になっていて、大人しいカオルコはただお行儀良く座って待っていた。
その様子を見て不憫に思ったのが、アトリの妾腹の弟カヅキ少年である。
「こんなに小さい人がじっとしているのも退屈でしょう。僕が庭を案内してあげます」
カヅキはカオルコの小さな足に小さな履き物を履かせ、小さな手を取ってゆっくりと春の庭を散策した。
カオルコの着ていた華美で重そうな上着は暑いので脱がせて腕に預かり、時々はカオルコと目線を合わせるように跪き、目に留まった植物や虫の名前を教えてあげたりもした。
最初はカヅキの言葉に頷くだけのカオルコだったが、試しにカヅキから花の名前を尋ねてみると可愛いらしい声で答え、褒めてやるとはにかんで子供らしい表情も見せる。
細くてサラサラの髪、薄くて柔らかな肌、忙しなく周囲を窺っている黒目がちな大きい目……
こんな子供が何もわからないままに人生を決められることを、カヅキは内心許せないことに感じていた。
重要なのは家が許可しているかであって、所有物である本人はそれに従うしかない。合意であって合意でない強制合意環境。
何もせずに何でも与えられようとしては我儘だが、選べない選択肢の不公平さはやはり悍ましい。人権とは何なのか。
せめて自分はこの憐れな子供にとって優しい年長者でいてあげよう。
カヅキはそんな決意もしつつ、旧庭師小屋を改装させた小さな工房へカオルコを案内した。
そこは物作りが趣味のカヅキの為の空間で、床には様々な装置や材料の入った箱が並び、備え付けの棚に囲まれるようにして大きな作業机が置かれていた。
カヅキは小さすぎるカオルコを膝に抱えて椅子に座り、陶器やらガラスやら雑多な作品群を紹介していく。
「僕は兄さんみたいに机の上で数字を追うのは苦手でね、それよりも素材から変化させて物が出来上がっていく工程が好きなんだ。本当は将来、職人になりたいと思っているよ」
「なにをつくるしょくにんさんですか?」
「なんだろうな……割と何にでも少しずつ興味はあるけれど、やっぱり憧れるのは刀鍛冶とかかな。鋼を鍛えて武器を作るなんて、かっこいいからね」
「どうやってなりますか?」
「工房に弟子入りして、何年も修行して、それでやっと一人前と認められるんだろうね。まあ僕は家業を手伝わないといけないから、なりたいと思うだけで実際なれはしないけれど。……カオルちゃんは将来何になりたい?」
「わたしはアトリさまのおよめさんになります。アトリさまはだれよりもすばらしいとのがたで、それが1ばんしあわせだよって、みんながきめてくれました。……アトリさまとけっこんしたら、あなたはわたしのおにいさまになりますか?」
「いいや。カオルちゃんが兄さんと結婚したら、僕はカオルちゃんの弟になるんだよ。カオルちゃんは兄さんのお嫁さんだから、僕のお姉さんになるんだ。僕の方が年上なのに不思議だね」
打ち解けて口数の増えてきたカオルコを可愛く思えば思うほど、カヅキはカオルコを可哀想に思った。
女好きの兄のことだから、将来はたくさんの女を囲うことだろう。父の正妻が自分の母を激しく敵視していたように、カオルコも嫉妬に苦しむかもしれない。
それとも、全く好きでもない兄の相手をすることを苦痛に感じ、他の女に盗られている方が安心するようになるのだろうか。
いずれにせよ不幸そうだ。親が子に望む客観的な幸福というのは、必ずしも主観的な幸福と一致するとは限らないものである。
兄は嫌な奴だ。少なくともカヅキにとってはずっとそうだ。
兄アトリは上級学校を主席で卒業した優等生だったが、弟カヅキは学業において優秀とは言えなかった。
何かで褒められるときは必ずその後に兄の方がもっと出来が良かったという比較が続くので、偶の褒め言葉さえカヅキには差別の枕詞でしかなかった。
カヅキが同じ歳の頃の兄に優るものは運動と音楽くらいだったが、運動は野蛮なことだと蔑まれ、音楽は無形で残りにくい儚いものだと笑われた。
どう足掻いても必ず兄よりも劣った弟扱いが決定していた。
趣味の工作は素人の無価値なゴミ扱いされて、父の正妻に処分されそうになったこともある。
流石にそのときは「妾腹といえどもこの家の次男であるカヅキに対して、女がそこまで支配権を持つべきではない」という父の考えにより、逆に今の工房を与えられるきっかけにもなったが。
それも隔離と言うべきだろう。兄が手遊びに作ったものなどが丁重に正面玄関のガラスケースに飾られているのと比較すれば。
父の正妻はアトリの異母姉妹たちを政略結婚の駒として大事にする一方、妾腹の次男であるカヅキばかりを疎んでいた。
男尊女卑の家でアトリに何かあった場合の後継がカヅキだから、未来の家長の座を狙ってカヅキが何か企てはしないかと疑っているのだ。
カヅキにとってはとんでもない思い違いだ。家出したいとは思っても、家を継ぎたいなんて思わないのに。
いかにも金満家らしく気取った家族を、カヅキは内心ずっと軽蔑していた。
人目に触れる部分を感じ良く飾り立てることに余念が無く、労働者たちから搾取した金で贅を尽くす生活。
金で人を使っているだけのくせに、無茶振りを叶えた下働きの手柄も全て我が物とする厚顔。周囲への見栄ばかりで真心の伴わない誠意。虚飾の聖人。
上っ面だけは完璧な一族だ。家族だけでなく家族を讃える者たちまでも憎らしく思える。
結局のところ、人生で重視すべきなのは心の在り方や人間性ではないのか?
いくら偉くなってもいくら金持ちになっても、それを享受する側に相応しい人格が備わっていないならば、動物的な範囲だったり相対的な視点だったり、薄っぺらい幸せしか得られないのではないか?
真の幸福に辿り着くには、優れた感受性、幸せに対する受容体が要るだろう。物質的に富んだところで、心が貧しいままでは虚しいことだ。
絵描きや物書きが紙と筆で世界を創りだす術を持っているように、貧しくとも僅かな物から多くの幸せを得る生き方だってあるだろう。
兄と違って自分こそはそのような人生を心がけたいものだ。
そのように青臭い理想論を心の内で膨らませるカヅキだが、所詮は自身も裕福な家に養われている立場である。
家族に反発するように趣味に逃げて、その実、自身の熱意も技巧も全てが中途半端であることを自覚しつつあって、後ろめたさから却って兄への逆恨みを増していくのだった。
その日の残り時間、カヅキはカオルコに粘土遊びをさせて過ごした。
素直な子供が無心に遊びに集中する姿は、カヅキ自身がまだ好きな物に全力で夢中だった頃を思い出させた。
子供の子供らしさを軽んじる大人も多いが、子供の純粋な心の輝きこそ尊いものだろう。
自分もその境地へ立ち返りたいとカヅキは思った。
『チャイルドブライド』というドキュメンタリー映画がめちゃくちゃ胸くそだったんでそこから少し変えてサブタイ