9.順調な交際
夏季休暇が明けて、秋の学校。
ある朝、カオルコは廊下で少し前を行くニナの後ろ姿に、見慣れない螺鈿細工の髪留めを見つけた。
「おはよう、ニナ。今日は素敵な髪飾りね。カヅキさんの贈り物かしら?」
「おはよう、カオルちゃん。ふふふ……実はそうなの。しかもカヅキさんの手作り! わたし、感動しちゃった。カオルちゃん、よく一目見てわかったね?」
「以前に話を聞いていたのよ」
おそらく元々は今月のカオルコの誕生日にくれるはずだった物だろう。髪留めには秋らしく楓が彫られている。
「そうなの? なんだかカオルちゃんには全部お見通しで恥ずかしいわ……」
「そんなこと言わずになんでも惚気てちょうだい。最近はニナの恋愛話を聞くのが私の楽しみなのだから」
「う、うん……あ、あのね……実は、この前ついに……」
顔を真っ赤にしてもじもじし始めたニナは、周囲の様子を窺った後、そっとカオルコの耳元に口を運ぶ。
「カヅキさんと手を繋いで歩いたの……」
小声で囁かれたその内容に、カオルコは呆れて溜め息を吐いたが、ニナの顔は真剣そのものだ。
「随分と可愛らしい交際ね。あまり勿体ぶって言うから、流石にキスくらいは済ませたのかと」
「き……キスだなんて、そんなこと……学生の間はしないと思うわ……」
ニナは口元を覆って消え入りそうな声で返した。
つい「何をバカな」と声に出しかけたカオルコだったが、水の国の貞操観念ではそうなのかもしれない、と見方を改める。
カヅキの方も初心な乙女であるニナに遠慮して、きっと自身に無理な我慢を強いていることだろう。そう思うと少し笑ってしまいそうだ。
「ニナはとても大切にされているようね。安心したわ」
「うん。…………カヅキさんの手……大きくて力強くて、でもとっても優しかったわ。すっごく胸がドキドキして頭がふわふわして、周りの景色も目に入らなくて、どうやって歩いてるのかもわからなくなりそうで、まともに顔も見られなかった……でも、言葉は少なくても確かに心が繋がってる感じがして、ずっと幸せな気持ちになれたの。…………カオルちゃん、本当にありがとう。これも全部、カオルちゃんがカヅキさんと引き合わせてくれたおかげよ。カオルちゃんが親友で本当に良かったわ」
「……どういたしまして。2人が順調で私も嬉しいわ」
贈り物に限らず、言葉でも思い出でも、カヅキのことはどんな些細なことでさえ大切な宝物であるかのように、ニナはカオルコに語って聞かせた。
…………私が先に好きだったのに。私の方が好きなのに。
何度も漏れ出しそうになる本音を押し殺して、カオルコは幸せそうな親友に微笑み続けた。
***
ある日の放課後、カヅキと約束があるニナを先に帰らせ、カオルコは1人で日直日誌を出して校舎を出た。
校門のところから男の尾けてくる気配に気付かないフリをしていると、少し歩いたところで白くてふっくらとした手がカオルコの肩に置かれる。
「やあ、私のカオルコ。その制服姿を見るのは久しぶりだね」
「ごきげん麗しゅう、アトリ様。思いがけずお会いできて嬉しいです」
貼り付けたような作り物の笑顔で、カオルコは自身のものとは思えない言葉を発声した。
抜き打ちで待ち伏せていた歳上の婚約者は、カオルコの腕や頬に触れながら、細い目でねっとりと舐め回すような視線を全身に這わせてくる。
「今日はもう家に帰るだけかい?」
「ええ、そうですよ。何かご用事でも?」
「最近愚弟が頻繁に君に会いに行っているようだったから、何か困ったことになってはいないかと心配して様子を見にきたんだ。今日も女学校の方角へ急いでいたように見えたんだがね」
「勘違いです。カヅキさんは女学校の生徒からも人気がありますし、きっと私を言い訳に他の女性と会っているのでしょう。何度か女生徒から恋文の受け渡しを依頼されることもありましたが、そのくらいで困ったりはしていませんよ」
「確かに、今日も君に会いに行ったのだと思ったが、君は1人でいるし、誤解だったようだ」
「心配していただかなくても、カヅキさんとはただ将来の義姉弟として親しくしているだけで、私の愛しい人はアトリ様だけです」
「ふむ、その通りだ。……さて、せっかく外で会ったのだから茶屋へでも行って親睦を深めよう。時間なら心配しなくていい。私が君と会うことは、先に君の家に知らせてあるから」
「はい……」
腰に回されるアトリの手を振り払う選択肢など、カオルコには許されていない。
今頃カヅキはニナと会っているのだろうと思うと、不遇な自身と比べずにはいられなかった。
恋を知ったからこその苦しみにも苛まれながら、カオルコは唇を噛み締めて心を殺す。