6.一目惚れ
夏季休暇後期のある昼、公園の東屋。
「カオルちゃん、本当に可愛い! わたしが男の子だったら絶対好きになってるよ〜」
「私こそ、自分が男だったらニナを放ってはおかないわ」
「きゃ〜♡」
その日、カオルコとニナは共に買い物を楽しんだ後、早速購入した物を用いて互いの髪を結い合ったり化粧をし合ったりしていた。
香りの良いハンドクリーム、色付きのリップクリーム、容器の可愛い練り香水……そんなささやかで親の目にも留まらないような小物を、お揃いで買ったり相手に選んで贈り合ったりした。
他の女学生たちが帰りによく買い食いをするという庶民的な商店街で、ありふれた平凡な青春を謳歌してみたかったのだ。
「本当は室内でできたらいいのだけれど……」
「寮のお部屋にカオルちゃんを呼べたら良かったんだけど、規則で生徒でも寮生以外は立ち入り禁止だから……」
「そうしないと生徒の溜まり場になりかねませんものね。……ごめんなさい。私の家は色々と厄介だから、招くとニナにも面倒なことになりそうで。今日も親には図書館で友人と勉強すると嘘をついて来たのよ」
「仕方ないよ。カオルちゃんのお姉様の駆け落ち騒動があったばかりですもの。御両親も娘の交友関係には厳しくなられるでしょうし、外国人のわたしが行ってはきっと警戒されてしまうわ」
実際にはその逆だろう。
裕福な水の国との商機を得るために、家族がニナを利用しかねないのだ。
たくさんいる兄弟たちが美しいニナに言い寄りかねないし、親も強引に縁付けようとしかねない。
カオルコは自分たちの美しい友情をそんなことのために穢されるのが嫌だった。
「それにね、カオルちゃん。こんな風に自然の中で過ごすのもわたしは大好き。風が気持ち良くて、辺りにはお花も咲いてて、木々のざわめきや虫の声に囲まれて、なんだかピクニックみたいだわ」
「そうね。特別な体験だわ」
東屋のすぐ側には昼顔や向日葵などの夏の花が、特に花壇なども定まっていない様子で自由に分布している。
編み込みハーフアップにしたニナの美しい髪にも白百合のバレッタを咲かせ、カオルコはその眺めに満足して微笑む。
「ピクニックみたいと言ってもお弁当も無いわ。髪も整ったところで、そろそろ次の目的地へ出発しましょうか」
「うん! 最近評判になっている甘味処の餡蜜パフェ、とっても楽しみだったの♪」
荷物をまとめた2人は次の目的地へ向かって歩き出した。
近道となる少し細い路地を進んでいると、ニナはいつになくはしゃいだ様子でカオルコの数メートル先へ駆け出し、柔らかなスカートをふわりと翻しながら振り返る。
「あの小説のヒロインと主人公も、こんな路地で偶然にぶつかったことから恋に落ちたの。ああ、わたしもあんな素敵な出会い方がしてみたいわ」
「物語の恋愛は現実とは違うわよ。それに一目惚れなんて素敵かしら? 中身もよく知らずに好きになるなんて……」
「もう! カオルちゃんってば。憧れるだけなら自由でしょう?」
頬を膨らませたニナは、カオルコに振り向いたまま大通りへ進み出ようとする。
「ニナ、そんな風によそ見をしていたら本当に人とぶつかり……あっ!」
「きゃっ⁉︎」
「おっと⁉︎」
そのとき、大通りから路地へ入ってきた背の高い男性がニナとぶつかり、倒れかけたニナの腕を咄嗟に掴んで支えた。
見慣れた相手の顔に気付いたカオルコは、その瞬間、これから何が起こるかを絶望的に直感してしまう。
「大丈夫かい? 君……」
「は、はい! 私ったらよそ見をしていて、申し訳ありませんでした……」
すぐさま頭を下げたニナだったが、顔を上げて相手を見た途端、今度はその顔から目を離せなくなる。
それは相手も同様で、掴んだ手を離すのも忘れたまま、瞬きさえも忘れてしまったようだ。
そのまま時が止まったかのように無言で見つめ合う2人。
「「……………………」」
それは見ている側が恥ずかしくなる程に露骨な一目惚れの瞬間で、同時にカオルコにとって今まで諦めていたはずの片想いがいよいよ明確な失恋に変わった瞬間でもあった。
「カヅキさん……」
「えっ……カオルちゃん⁉︎」
カオルコに声をかけられると、カヅキは今の今まで全くその存在など眼中に無かったとばかりに動揺して、慌ててニナから離れた。
真っ赤になって汗をかいた顔をニナから隠すように背を向けて、今度はカオルコのすぐ前へやって来る。
「ということは、彼女はカオルちゃんの御学友かい? こんなところで会うとは驚いたな」
「私の方こそ驚きました。カヅキさんは今日もお仕事では?」
「ああ。実はかつて父の下で働いていた人に確認してもらいたい資料があったんだが、その人が用心深い人でね。普通の部下では門前払いされそうだから、息子の僕が行くことになったんだよ。カオルちゃんは見慣れない髪型をしているけれど、これからどこへ?」
カヅキは先程公園でニナが整えたカオルコの巻き髪を指で掬い、珍しそうに眺めた。
「この先の通りにある人気の甘味処へ行くところです」
「ああ、あの店か。それなら今日はやめておいた方がいい。さっき前を通ったがすごい行列だった。待っている間に熱中症になってしまう。……っと、僕は急いでいるからこれで失礼するよ。それではまたね、カオルちゃん。今日のその髪型も可愛くて似合っているよ」
「お気をつけて」
早足で去っていくカヅキの背中が路地から見えなくなるまで見送って、ニナは恐る恐るカオルコに尋ねる。
「今の方が、カオルちゃんの婚約者様……⁇」
「私の婚約者はアトリ様よ。今のカヅキさんはアトリ様の弟」
「でも、すごく親しそうだったわ……カオルちゃん、もしかして本当は今の方と恋仲に……⁇」
「ありえないわ。……カヅキさんは私の兄さんたちと昔から仲が良くて、私にも幼い頃から妹のように接してくれているの。私もカヅキさんのことは兄のように思っているだけよ」
「そ、そうなんだ…………へぇ……そっかぁ…………」
赤くなって俯いたニナは、掴まれた感触の残る腕を庇うように内側へ抱き込み、もじもじしているばかりでそれ以上何も聞けずにいた。
いっそ「そうよ。本当はずっと好きなの」と言ってしまえば、お人好しのニナを思い留まらせることができるかもしれない……カオルコはそんなことも考えたが、結局その日はそれ以上カヅキについて話すことはなかった。
目と目が逢う♪