表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
65/117

3.姉たちの結婚

2年生の春。休み時間の教室。


「今日から同じクラスだね、カオルちゃん。とっても嬉しい♪ 改めて、これからもよろしくね」


「私もよ、ニナ。今後ともよろしくお願いするわ」


「でも、カオルちゃんが文系を選ぶなんてちょっぴり意外だったかも。どちらかというと薬草学や魔術式学みたいな実用的な分野に興味がありそうだったから」


「確かに、魔導適正が無くても魔術式を扱えれば便利そうだとは思っていたけれど、それだけよ。文系で詩や故事の知識を付けた方が、許婚のアトリ様好みの女性になれるから」


「つまり、好きな人のために⁉︎ カオルちゃん、恋する乙女〜♡」


「違うわよ。あまり実用的な術を身に付けて自立の準備をしていると思われてもよくないから、そうしなさいって両親に言われたの。他にやりたいことも興味のあるものも無いしね」


学年が変わって同じ組になった2人は、休み時間にニナがカオルコの席に来て話していた。

すると、カオルコの斜め後ろの席で聞き耳を立てていたあの木端役人の娘が、やはり聞こえよがしに取り巻きたちと話し始める。


ヒソヒソ……


「やだわ〜。政略結婚で好きでもない男に股開いて養ってもらうなんて、そんなの淫売と同じじゃない」


「お嬢様だなんてお高くとまってても、結局は家がすごいだけで本人は家畜か娼婦みたいなものね」


「ちゃんと勉強して就職して自立して、自分が本当に好きな人と結婚するのが、清く正しく幸せな普通の人生よね〜」


ガタッ!


突然カオルコが席を立ち、ヒソヒソ声が止んだ。

声の主たちは身構えたが、カオルコはそちらへ振り返ることなくニナの腕を引く。


「ニナ、やっぱりニナの席へ私が行くわ」


「う、うん……」


そうしてニナの席へ着くと、やはり先の嫌味が聞こえていたのか、聞こえていなくともカオルコの様子を不審に思ったのか、ニナは心配そうに尋ねる。


「……カオルちゃんは婚約者様のこと、好き⁇」


「別に。でも私は恋に憧れも無いし、しなくたっていいわ。幼い時から家のための結婚と割り切っているから。両親だって私の幸せを願ってないわけじゃないの。相手の家はこの国有数の魔石鉱山を複数所有していて、国事にも携わってきた一族。アトリ様はその次期当主様なんだから。御家柄だけではなく御本人も本当に優秀だし、最高の相手よ」


「そんなご立派な方なら安心ね! それに、夫婦になってから始まる恋もあるはずだもの」


「ええ、そうね……」


好きなものもやりたいことも、嫌いなものもやりたくないことも、どうせ自分で生き方を選ぶ権利が無いなら、特別など無い方が良い。

自身の感受性なんてものは先回りして殺しておいて、ものの好みも周囲が求める理想通りを演じるに徹する。

家に守られ、家を守って生きていく。自我は消して、駒として役割を果たす。それだけのこと。


当たり前のこと……カオルコはずっとそう思っていた、少なくとも通学前は。

家の者からお仕着せられた幸福を愚直に信じ切って、不幸に気付くことなどなかった。気付く権利すら剥奪されていた。

嫌なことを耐えて一人前と誇っても、人ではなくモノとして認められただけだったのに。


それなのに、学校で同年代の他の女子たちの自由に生きている様を知って、我慢を強いられない幸せを知って、我儘を言っても居場所のなくならない家庭を知って、自分が奴隷だと気付かされてしまったのだ。

不平不満から他者の幸せや自由を喜べなくなり、ずっと彼女たちを軽蔑することで、本心では羨ましいことを誤魔化していた。

自分が洗脳された傀儡であることを忘れていたかったのだ。


「……ねえ、ニナ。参考に聞きたいのだけど、恋愛ってどういうものかしら?」


「うーん……わたしもまだ恋をしたことはないからわからないけれど……」


「そう……」


「でも、愛ならわかるわ。家族愛、親愛とか。相手の幸せを願えたら、それが愛。家族や友達だけでなく、偶然見かけた誰かをちょっと応援するのだって、広義では愛なのよ。……人を好きになることは実はとても簡単で、でもきっと恋は特別で簡単じゃなくて……特別だから恋なのでしょうね。ふふっ、わたしもいつかステキな恋がしてみたいわ」


うっとりと目を閉じたニナを、カオルコはただ黙って見つめた。


***


カオルコが帰宅すると、妾腹の姉アヤコが特徴的な甲高い声で何やら喚いて荒れている。

やや素行に問題のある姉で、親は彼女を通学させずに家庭教師だけ付けていた。真実は家の名誉のためだが、本人には深窓の令嬢扱いだと誤魔化して。

キャピキャピした性格で使用人にもフレンドリーに接し、良くも悪くも活発な姉だ。


そんな姉に気付かれる前に廊下を素通りしようとしたカオルコだったが、アヤコはすぐに飛び出してきて妹を自室へ引っ張り込む。


「ああカオルコ、ちょっと姉さんの話を聞いてよ! カテキョの陰険スノッブブスババアが、雑誌であたしのことを蓮っ葉なダメ女の見本扱いしてたのよ! ハッキリと名指しはしてなくても、明らかにあたしがモデルだもの! もう超ムカつくーーーーマジありえないんだけど!」


「…………」


アヤコの家庭教師はかつて姉妹の中で最も優秀だったヒデコも教えていたベテランで、何かにつけてアヤコをヒデコと比較しては嘆息していた。

家庭教師の他に女性向け雑誌の連載作家もしており、実在の人物を彼女の都合の良いように改変して好き勝手書いていることはカオルコたちも察していた。


件の雑誌は、淑女たるものこうあるべきという教本でもあり、乙女の憧れる恋愛物語集でもあり、女学校の生徒も多くが愛読している。

女ならばこういう教養が必要だの、逆にこれは余計だの、男性に軽く見られないためにはこうしなさいだの、何が女性の品位を落とす行動になるかだの、読者によっては宗教じみた意識の高さが鼻につく内容だ。


「人には個性ってものがあるのにさ! 一律に型に押し込めたがって、逸脱すれば批判して、ウザいったらありゃしない! 誰しも得手不得手はあるものでしょ? それをあの傲慢ババアの好みで、これがわからないなんて無教養だの、あんなのできたって下品なだけだの、学業どころか趣味特技にさえ勝手に優劣つけちゃってさ! 人を見下すことで優位に立てるって思い込みの方こそ愚劣で醜悪よ! 徒に他者に加害する差別主義者こそ、攻撃され排除されるべきじゃない!」


「……社会に適応するための努力は、多かれ少なかれ誰しもしているものです。他者に好かれる努力、認められる努力をしないなら、批判に傷つかない強さを持つしかないでしょう。自分だけで生きている世界ではありませんもの、残念ながら」


「それを傷付けて良い理由にする奴はクズよ! あたしがあたしらしく生きて誰に迷惑かかるっての? 少なくともあの不快な嫌味製造機よりずっと無害だわ。あの有害ババアのことだから、あたし以外にも色んな人をネタにしてるに違いないもの。自称謙虚なあの自惚れババア、自慢話や承認欲求は見苦しいって言いながら、自分と違うタイプの人たちを悪く言って相対的に自分に価値作ろうとする方がよっぽど見苦しーんだけど! 自分をアゲるのと他人をサゲるのならどっちが悪よ!」


「それは後者の方が悪質とは思いますけれど」


「出る杭は打つ、打ってダメなら折り曲げたり抜き捨てたりする。そういう奴らなのよ。自信が無い分、敵意に満ちて凶暴。悪意さえ正当化してさ。出しゃばらずに横並びでいろって、程度差こそあれ皆どこか普通じゃない大勢が捏造した『普通の人』という完璧超人を崇めさせてるのよ。置いてけぼりにならないために監視し合って、出し抜くチャンスを待ってさ。くっだらない! あたしは正々堂々欲しいものは自己流で掴み取りにいくの! 普通信者ババアの説教は不要よ!」


言い終わらないうちにアヤコは服を脱ぎだし、紅色の扇情的な下着姿になった。瑞々しい肉体は今が娘盛りと言わんばかりだ。

そして箪笥の中から胸の大きく開いたミニ丈のワンピースを取り出すと、体の前に当てながらカオルコに振り返る。


「セクシー&キュート、でしょ♡ 結局のとこ、旦那に浮気されまくりの陰気な欲求不満ババアさんは、陽気な美少女ちゃんに嫉妬してるんだわ♪ ああでなくてはこうでなくてはって、偉そーに説教するババア自身が幸せになってないんだもの。不幸でなくてはって聞こえるわよ、まったく」


「そんな服、見つかったら即処分されますよ。どこへ着ていくつもりですか?」


「ちょっとボーイハントに行くだけよん⭐︎」


「……………………」


呆れて絶句するカオルコを気にも留めず、アヤコはさっさと着替えると化粧を整え始める。


「あのババアの書く恋愛小説のヒロインってさー、初心で貞淑でひたすら受け身なのに、情熱的に溺愛されるってパターン多いのよね。別にその好み自体は悪くないのよ、好みだもの。嫌なのは、そうやって自分はカマトトぶりながら、積極的なあたしみたいなのを蔑んでくるとこよ。演出だけ飾って上品ぶっても、生々しい本質は同じなのに。規制で書けないいやらしい部分の妄想こそ、本編以上の量なんじゃないかしら? どーせ本性はむっつりババアね。……んふっ⭐︎」


最後に鏡台へ向かってウインクすると、アヤコはツインテールを揺らしながら颯爽と部屋を出て行った。嵐のような女だ。

肉体的な欲望に正直な姉のことだから、今夜は帰らないつもりかもしれない。手懐けた使用人にアリバイ作りもさせそうだ。

取り残されたカオルコは姉の残した女性誌を捲りつつ、既に嫁いで行った他の姉たちを想う。


美人の姉ヨシコはずっと年上の権力者と政略結婚させられ、溺愛されて子宝に恵まれた。

だが本人は他に考えていた相手もいたためか、いつも疲れてつまらなさそうにしていた。


秀才の姉ヒデコは年の近い権力者と政略結婚し、割り切って夫の愛を他の女に譲った。

だが周囲からは魅力の無い敗北者と見做され、悪様に噂されて傷付くことになった。


愛情深い姉アイコは親の勧める縁談を逃れ続け、とうとう年下の美男子と恋愛結婚した。

新婚時代は誰もが羨む夫婦仲だったが、産後太りで体型が崩れてくると、夫は若い女を求めるようになった。

子育ては嫁に任せつつ、子には嫁の悪口を吹き込み、その上愛人の子の方が出来が良いと可愛がり、体裁と嫁の遺産相続のために離婚はしないくせに、嫁が反抗的だと離婚するぞと脅すようになった。

今では年の半分も家にいない。


恋なんて不幸を招く毒だ。

自分が求めても、相手が求めても、特別があることで不都合は発生する。

カオルコは常々そう達観した気持ちにさせられた。


その年の夏、何の前触れもなくアヤコは船乗りと海外へ駆け落ちしてしまった。

姉たちと同じ轍は踏まないと豪語していたアヤコだが、なるほど、確かに海路に轍など無いだろう。



アヤコはコテツの母。また出ます

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ