5.幼馴染
翌朝。居住棟の廊下。
「コテツくん、おはよ〜。昨日はお騒がせしてゴメンねぇ」
「おはようございますっ、モモさん。えっと……昨日はちゃんと眠れましたか?」
「うんっ。昨日はねぇ、サクラとお母さんとカオルコ先生と、お布団くっ付けて4人で寝たの〜。子供の頃に戻ったみたいで、楽しかったなぁ♪」
「それはよかった……」
一家と朝食を共にすべく宿泊棟からやって来たコテツは、朗らかに笑うモモを見て少し安心した。
本心では平気でもないのかもしれないが、気丈に振る舞える程度には持ち直しているようだ。
「最初はびっくりしちゃったんだけど〜、モモもう大丈夫だから心配しないでねぇ」
「はい……」
念押しするのは真に大丈夫だからというより、これ以上その話題に踏み込まないでくれという意思表示にも思えた。
泣き腫らしたはずの目も、得意の薬で治されれば傍目にはわからない。
***
昼休み。若夫婦の部屋。
「おーい、サクラー?」
「授乳中! いきなり開けるな、ばか!」
「げっ!……って、身八つ口からなら見えないだろ。うるさい奴だな」
「ちょ⁉︎ 入ってくるとかありえないんだけど! も〜〜っ」
憤慨する人妻サクラにはお構いなしに、幼馴染コテツは入口付近に胡座をかいた。
コテツとしては、サクラ如きに配慮してやるのも癪だったし、どうしてもモモの話を聞き出したい。
サクラとしては、ユスラを抱いたままブチギレるわけにもいかず、仕方なく背中を向けて授乳を続ける。
「モモちゃんなら、今朝の通りだよ。お母さんがちゃんと話してくれたから大丈夫。昨日の夜のことなら、盗み聞きしてたでしょ?」
「気付いてたのか⁉︎」
「モモちゃん以外は、たぶんね」
「……モモさんは周りに気を遣って明るく振る舞う人だから、本当はまだ立ち直れてなくて無理してたらと思うと……俺は……」
「出生については本人が受け止められるかだし、大丈夫だって言ってるなら変に蒸し返そうとしないでよ。周りも普通にしてた方が、気にしないで済むってば。……ほら、わかったら出てって。私はユスラの世話があるんだから、コテっちゃんの相談役までしてられないの!……ね〜、ユスラ〜♡」
サクラは心底面倒臭そうにコテツを一瞥すると、胸元のユスラを揺らし始めた。
コテツの目にはまだまだ幼く見える幼馴染のその姿がとても奇妙なものに映る。
「なんつーか、サクラがそうしてても子供のままごとに見えるよなー。ローレンさんみたいなモテそうな大人が、サクラみたいなちんちくりんのへちゃむくれに捕まるとは思えないし。モモさんみたいに胸も無いのに、ユスラは本当に飲めてるのか⁇」
「あんた本当失礼すぎ!……あーあ、せっかくモモちゃんの水着写真があったのに。コテっちゃんにはもう絶対見せたくないなー」
「はわわ……そんな殺生な‼︎ そこをなんとか‼︎」
「ふんっ」
「さ、サクラ様〜、お肩をお揉みいたしましょうか〜?」
「ばか! 近寄るなって……あ!」
「コテツさん? オレの妻に何の用かな……⁇」
振り向くと、コテツがサクラの肩を掴むより先に、いつの間にか帰っていたローレンがコテツの肩を掴んでいた。
共働きで職場が近いため、午前と午後で子守を分担しており、昼休みにユスラを迎えに来たのだ。
ローレンは口元に微笑を浮かべつつも、目は笑っていない。
「えっと、俺はただ、写真を……」
「オレの妻の写真を……?」
「は⁉︎ 誤解です! 俺はサクラなんかに興味ありません!」
「『なんか』とは聞き捨てならないな……」
「えぇ〜……」
予想外にローレンの機嫌を損ねてしまったコテツが困惑していると、やっと娘から解放されたサクラが着物を整えながら向き直る。
「ローレンさん。コテっちゃんは昔からモモちゃん以外は女と見てないんで、気にしないでください。……そういえばコテっちゃん、予定より早い帰郷だったよね? あと半年くらいは契約期間じゃなかったっけ?」
「ああ……それが例の怪我がバレてさ、護衛として不安があるからって途中でクビになったんだよ。ま、それでも目標金額までは貯められたし、予定より早くモモさんに会えたから後悔は無いけどな」
「怪我かい⁇ オレの回復魔法で治せるものなら……」
「あー……気持ちはありがたいんですが、治せるものでもないんですよ。怪我っていうか、もう完全に手遅れになってまして……」
さっきと一転して心配そうな眼差しを向けてきたローレンに、コテツは小さく手を振ってみせた。
ローレンは暫しコテツを観察した後、ハッと真顔になる。
「そういうことか……」
「察しが良くて助かります。あの……俺がこの怪我が理由で解雇されたこと、モモさんには秘密にしといてください……モモさん、俺の怪我の責任がモモさんにあると思い込んでるから……」
「それはまたどうして⁇……サクラさんは知ってることなのかい?」
ローレンが見ると、サクラは沈痛な面持ちで頷く。
「はい……昔、3人で探検ごっこ中に魔物に遭遇して……逃げるとき、コテっちゃんが毒を受けたんです。モモちゃんはわたしたちより1つ年上だったから、お姉さんとして責任感じちゃったみたいで……」
「元々あの探検ごっこを言い出したのは俺で、ああなったのも自業自得だったんだ。モモさんは悪くないって、当時から俺も周りもちゃんとそう言ってある。……なのに……」
コテツは項垂れて深い溜め息を吐いた。
「今、俺がモモさんにプロポーズしたら、モモさんはきっと断らないと思う。でもそれは俺を好きだからじゃなくて、俺に対して罪悪感があるせいで、断れないだけなんだ。だから俺は、モモさんにも俺を本当に好きになってもらいたい。ちゃんと真の両想いになって、お互いが幸せな気持ちで結婚したいんだ!」
「コテツさん……まさに純愛……!」
ローレンはコテツの純真さに感銘を受けた様子だったが、一方その隣、サクラは違う。
「はぁぁ〜〜……コテっちゃんってば、まーだそんな綺麗事言ってる。モモちゃんめちゃくちゃモテるんだよ? 今は告白されても全部断ってるし、高嶺の花で諦めてる人も多いけど、その内どんな人が現れるかわかんないんだよ? 悠長なこと言ってる間に、他の誰かにモモちゃん盗られてもいいの?」
「それは絶対嫌だ‼︎‼︎」
「だったらさっさと告白しなよ。せっかくモモちゃんからも悪く思われてないのにさ。本当に欲しいものなら、手段なんか選んでる場合じゃないよ。使える手札は全部使えばいいのに」
「そこはほら、俺には幼馴染のサクラの協力という強力な手札があるわけで! まずはサクラから上手いこと俺の魅力をモモさんに伝えて、モモさんが自然に俺を意識するように誘導してくれれば……」
「そんな不自然な自然ないから! あー、もー、焦ったい‼︎ 本気なら意地を見せろー! わたしなんか、お人好しなローレンさんの断れなさに付け込んで、一気に既成事実まで持ち込んだんだからね! コテっちゃんだってそのくらい強引に……ハッ!」
サクラは口を滑らせたことに気付き、お人好しな夫を振り返った。
「えっ…………オレは……『抱かされた』……⁇」
「訴えますかローレンさん、証言なら俺がしますよ」
「ああああ〜⁉︎ ちっ、違うんですローレンさん〜っ! い、今のはコテっちゃんの背中を押す為にした誇張表現的なものっていうか、わたしは決してそんな肉食系女子なんかじゃなくてですねっっ……あぅぅ〜……ローレンさん、わたしに幻滅しましたか……?」
今更ながらに作り声で擦り寄ってくる幼妻に、ローレンは堪えきれずに笑みをこぼす。
「あははは……勿論わかっているよ。幼馴染想いのサクラさんは、コテツさんとモモさんのためにわざと今みたいな言い方をしただけなんだってね。……それにしても、コテツさんと話すサクラさんは、オレと話すときとは随分様子が違うね。気の置けない打ち解けた幼馴染というのは、わかっていてもついつい嫉妬してしまうよ」
「嫉妬だなんて、ローレンさんってば……♡」
「ローレンさん、絶対サクラに騙されてますよ。今はこんなぶりっ子してても、前の村では鍛治工房の炉にイタズラして全身煤だらけになったこともある悪ガキで……」
「ぎゃーーっ‼︎ ちょっと、コテっちゃん⁉︎ ローレンさんに余計なこと教えないでよ⁉︎」
「あははは……煤だけに黒歴史ってやつだね。コテツさんからは色々な話がきけそうだ」
そんな風に大人たちだけで盛り上がっていることに寂しさを覚えたのか、それまで両親たちの傍で積み木遊びをしていたユスラが、不意に父ローレンの膝によじ登り始める。
「おお〜、ユスラ〜♡ ユスラはパパが大好きだなぁ〜♡♡♡」
「まっぱ! まっぱ!」
「ははは♡ まっぱじゃなくて、ぱっぱ。パパだぞ〜?」
「…………まっま!……まっぱ!……ぱっぱ‼︎」
唐突に、ユスラは覚えたての言葉を使ってみたい衝動にでも駆られたのだろう。
まずはサクラを指差し、次にローレンを指差し、最後にコテツを指差しながらそう言い放った。
「ほう……コテツさんがパパだと言うんだね……?」
「いやいやいや、ないないないですってば!」
一言で部屋の空気を凍り付かせたユスラは、『まっぱ』もとい父親の膝上でやり切った満足感に浸っている。
それを見たコテツは、赤ん坊のドヤ顔とはこうも恐ろしいものなのかと戦慄した。
「そうではないとしても、今のは初めてのパパ呼び……コテツさん、君は愛娘の大切な初めてを奪った男なんだ……父親として赦せると思うかい……?」
「語弊のある言い方やめましょう‼︎」
「あの、ローレンさん。ガッカリすると思って伝えてなかったんですけど、ユスラなら昨日カヅキ叔父……お父さんのこともパパって呼んでました……」