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3.恋敵

同日、夕方。温泉宿の客室。


「ティア……布団から出てきてくれないか? そろそろ夕飯だ。女将さんたちが美味しい料理をたくさん用意してくださっているよ」


「知らね。あたしは寝るから勝手に食ってろ。帰ってねーだけでもありがたく思え」


部屋で伏せっているティア。どうにか機嫌をとろうとするローレン。

顔合わせの時間が迫っても、膠着状態が続いていた。


「たのむよ、ティア。ご家族に失礼だろう? それに、嫌われたと思ってサクラさんも傷付く。身勝手なオレに対して怒っていても、それを彼女に対してまで怒る理由にしないでくれ」


「…………お兄さ、騙されてない?」


「え?」


「よくよくさっきの話思い返してみればさ、ずっと一途に想ってきたってのも、ガキの頃結婚の約束したってのも、あの女が一方的に言ってるだけじゃん? 本当はお人好しのお兄につけ込む作り話じゃね? それに夜に向こうから告白って……本当は夜這い同然に誘ってきたんじゃねーの? おぼこいフリして強かな淫乱女……」


「ティア‼︎……確かに、オレのことは今までが今までだったから信頼されないのも自業自得だ。だが、彼女を悪く言うことは許さない‼︎ 取り消すんだ!」


「ッ……」


日頃穏やかで一切怒らない兄が急に真剣に叱るので、怯んだティアは泣きそうになった。

そのとき、不意に戸が開いてサクラが部屋に入ってくる。夕飯の準備を抜けて、様子を見に来たのだ。


「ローレンさん! 落ち着いてくださいっ!」


「サクラさん⁉︎ 今の話、聞こえて……」


「わたしのことはいいですから、ローレンさんまでティアさんに怒らないでくださいっ。今怒っているのはティアさんなんですから。2人とも怒ってしまっては余計に収拾がつきませんよ」


「すまない……でも、本当に悪いと思ったことは、ちゃんと叱って改めさせたいんだ。ティアはオレの大切な家族だからこそ」


「心配しなくてもローレンさんの気持ちは届いてますよ。でも、興奮していたら受け入れるのに時間がかかってしまいます。……ローレンさん、しばらくわたしとティアさんを2人きりにしてくれませんか? 女同士だから話せること、家族だから話し難いこともあると思うんです」


「サクラさん……」


「心配しないでください。きっと大丈夫ですから」


「わかった……サクラさんを信じるよ」


ローレンの立ち去り際、サクラはローレンの裾をついっと掴んで引き留め、つま先立ちになって耳打ちする。


「……あのっ……さっきはわたしのために怒ってくれて、ありがとうございました……嬉しかったです……♡」


「うん……オレの方こそありがとう」


ちゅっ……♡


布団の中で聞き耳を立てていたティアは、戸口で2人がイチャつく気配に発狂しそうだったが、すぐに戸が閉まる音がして、今度は室内にサクラと2人きりになってしまった。


「……………………」


「⁇⁇」


どんな言葉で懐柔しようとしてくるのかと身構えていたティアの予想に反し、相手はただティアの篭る布団の前に座して、無言だ。


……なるほど。さっきは兄の前で良い子ぶりっ子していただけで、本当は説得する気などなく、後であたしを悪者にして自分は兄に泣きつく魂胆でいたのか! なんて女だ……絶対別れさせてやる‼︎

ティアがそう思ったとき、俄にサクラがティアの布団を掴んだ。


「ティアさん、失礼しますっ!」


ガバッ……‼︎


「わ⁉︎ 何しやがる⁉︎」


サクラはいきなり掛け布団を引き剥がすと、驚いて起き上がったティアから枕を奪い取った。

すると、枕の下から撫子柄の指輪が出てくる。

先ほどティアが小石と持ち替えて、ローレンの前で池に投げ捨てたフリをしたものだ。

ティアは大慌てで指輪に飛びつく。


「盗るな! あたしのだぞ!」


「ティアさん、やっぱり捨ててなかったんですねっ。大好きなお兄さんから贈られた物、絶対大切に持ってるはずだって信じてました!」


「チッ……お兄のやつ、指輪のこと話しやがって……」


サクラがホッとした様子で純真な笑顔を向けるので、ティアは調子を狂わされてしまった。

怒りたいのは間違いないのに、どう怒っていいのかがわからない。

隠れる布団を没収されたティアが狼狽えていると、サクラの方が先に動く。


「ティアさんっ、本当にごめんなさいっ‼︎」


「は⁉︎」


サクラはティアに土下座した。

さっきから意表を突かれっぱなしのティアは、ただただ硬直するばかりだ。


「ティアさんがわたしに怒る気持ちはよくわかりますっ! あんなに優しくて素敵なお兄さんを他人に盗られるなんて、絶対に嫌に決まってますから。もし逆の立場だったら、わたしきっと大泣きして大暴れして、周りにめちゃくちゃ迷惑かけて、絶対破談にしようとしたと思いますっ……ティアさんみたいに大人しく部屋にこもっていられる忍耐力、わたしみたいな子供には無いですからっ……ティアさんは空気の読める大人でエライですっ! お兄さんの為に考えてますっ!」


「な、何言ってやがる……あ、あたしがあんたの悪口言ってたの、さっき聞いてただろ……? 本当はあたしのことなんか大嫌いなくせに、そうやって嘘ばっか並べて気色悪い……」


ティアはなんとか言い返すが、サクラは体を起こすと今度はティアにぐいっと詰め寄ってくる。


「いいえ! ティアさんがわたしに怒るのは、それだけお兄さんのことが大好きで、本気で心配しているからです。ティアさんもわたしも、ローレンさんのことが大好きな者同士、仲間です! だからわたし、ティアさんと仲良くなりたいんですっ。それに、ティアさんは大好きなローレンさんの大切な妹さんですから! わたしにとっても、もう大切な人なんですっ…………うぅ〜、生意気言ってすみません〜っ……」


サクラは勢いよく捲し立てたと思ったら、今度は急にしおしおと泣きそうな顔になって、部屋の反対側の隅まで後退して縮こまった。

実のところ、先ほどしばらく無言だったのも、ティアの布団を捲る心の準備に時間がかかっていたからで、そこまで勇敢な性格でもなかったのだ。

その幼気な様子に、ティアは弱い者虐めでもしている様な錯覚に陥り、目眩がしてくる。

そこへ……


「サクラぁ〜、ティアさぁん⁇ お夕飯の準備ができましたよぉ〜? 早く食べに来てねぇ♡ 2人が来るまで〜、モモはローレンさんから2人それぞれのカワイイお話、色々聞き出しちゃお〜っと♡ ウフフフフフフ……」


今度はサクラの従姉妹であるモモが廊下から甘ったるい声で呼びかけて、その足音は居間の方へ駆けていった。


「「…………」」


ティアは仕方なくサクラと共に、モモの企てを阻止すべく一家の待つ食卓へ赴いた。

色とりどりに並べられたご馳走様の味も、幸せそうに盛り上がっている人々の言葉も、ティアは放心しきってよくわからないまま時間が過ぎた。

夜になると兄ではなくモモがティアの客室にやって来て、なにやら下らない雑談を延々としながら寝落ちてしまった。

それがモモからティアではなくサクラたちへの気遣いだったことに、ティアは翌朝になってやっと気が付いた。


……なお、モモの気遣いも虚しく、肝心のローレンはカヅキの晩酌相手兼酔っぱらい介護役として捕まり、昨晩サクラの部屋に辿り着くことはなかった。


***


数日後。温泉宿の厨房。


「えっと、それでは、今日はちらし寿司を作っていこうと思いますっ。一緒に頑張りましょうね、ティアさんっ」


「……っス」


緊張しながらも張り切った様子のサクラに、ティアは極限までやる気の無い返事をした。

ローレン、ティア、サクラ、モモ、カオルコ、ニナ、カヅキ……今日は7人分の夕飯作りをしながら、サクラがティアに料理を教える日だ。


何故こんなことになったかというと、近い将来ローレンが婿入りしてティアが一人暮らしになるときに備えて、ティアも一通りの家事を覚えることになったからだ。

勿論ローレンも妹に家事指導はするが、親交を深めさせるため、時々こうしてサクラがティアに指導する日も作ることにしたのだ。

一方ローレンも、今日はカオルコとモモから診療所の仕事を教わっている。


「えーと……ティアさん、とりあえずこのエプロンをどうぞっ……それと……あのぅ、髪を結わせていただいてもよろしいでしょうかっ……⁇」


「あ? 髪くらい自分で結えるっつーの。バカにすんな」


「い、いえっ……そうではなくて、ティアさんの髪とっても綺麗だから、触ってみたかったんですっ! 完全に純粋な下心だけだったんです、すみませんっ‼︎」


「下心って……気持ち悪いな……」


サクラからおずおずと差し出されたエプロンとヘアゴムを、ティアはひったくる様に受け取った。

広げてみると、エプロンはサクラとお揃いのフリル付きな上に、サイズも合っていない。


「チッ……」


渋々そのエプロンを着たティアは、自前のシャツを腕まくりすると、長い金髪を高く結い上げた。

兄が家で料理するとき、いつもそのように結い上げているのを見てきたからだ。

スラリとしたハーフエルフの神秘的な美貌と、庶民の日常風景という組み合わせ……その絶妙さに見惚れたサクラが感嘆の声を漏らす。


「はぁ〜〜……♡♡ ティアさん、本当にお兄さんにそっくりでお美しいですっ……眩いほどに尊過ぎて目が焼け焦げそう……眼福……」


「気持ち悪いっ‼︎……つーか、お前ってお兄の見た目目当てで結婚するわけ? 一目惚れだったって言うし」


「それはっ……勿論見た目も目当てですし、確かに一目惚れでしたけど、それだけじゃないですっ! ローレンさんは優しくて、穏やかで、陽だまりのような温かい人で、ずっとそばに居たくなる癒し系の年上紳士で……なにより、妹のティアさんをとても大切に想っているところが、本当に素敵で……わたしはっ、ティアさんのことが大好きなローレンさんが大好きなんですっ‼︎」


「はぁあ……⁇」


ドン引きしているティアに、サクラは興奮気味に熱弁する。


***


わたしがローレンさんに一目惚れした日、ローレンさんは当時の彼女さんとこの宿に泊まりに来ていました……

でもその翌日、ローレンさんたちの隣の部屋でわたしが聞き耳を立てていると、ローレンさんと彼女さんが喧嘩別れしたんです!

ローレンさんと会える時間が少ないことに不満のあった彼女さんが、ティアさんのことを悪く言って、ローレンさんが反論したら彼女さんが完全に怒っちゃって……


それで、わたしは「アピールするなら落ち込んでる今がチャンスだ!」って思って……

まだ幼過ぎてまともな手伝いなんてできなかったのに、女将さんに駄々をこねてローレンさんの部屋を担当させてもらったんです。

わたしにとって、あれが初めての仲居さん体験でした……


当然うまくできるわけもなく、わたしはうっかりお膳をひっくり返してしまったんです。

泣き出したわたしを、ローレンさんは「小さな仲居さん」と呼んで、優しく励ましてくれました。

「最初は失敗して当たり前。諦めずに頑張っていれば、いつか上手くできるようになるよ。オレも君を信じて、応援する」って……

そのとき、ティアさんの幼い頃の話をしてくれたんです。


昔、妹が初めて料理を手伝おうとしたとき、失敗続きの妹を気遣うつもりで「できないことは無理にやろうとしなくていいよ」と言ってしまったこと……

そのせいで妹から家事をやる気をすっかり奪ってしまったこと、ローレンさんはとても後悔していました。

本来なら妹も家事の楽しさを知って、色々できることが増えた可能性があったのに、自分がそれを台無しにしてしまったと……

その反省があるから、わたしのことはちゃんと励まそうと思ってくれたそうです。


……そのとき、わたしは幼さに任せて図々しくおねだりしたんです。「大人の仲居さんになれたら、ローレンさんのお嫁さんにしてください」って……

ローレンさんは二つ返事で承諾してくれましたが、当然本気で相手にしてくれていたはずもなく、翌年には新しい彼女さんと泊まりにくるようになりました……

すごくショックで落ち込みました……


けど! それでもずっと、あの初めての失敗のとき励ましてもらえたから、わたしは折れずに頑張ってこられたんですっ!

仲居仕事も、初恋も……諦めなかったのは、ローレンさんのおかげが大きかったし、間接的にはティアさんのおかげでもあったんです!


***


「ローレンさん、言ってました……この機会にティアさんにも、料理や他の家事の楽しさに気付いて、好きになってもらえたら嬉しいって。わたしも、そのお手伝いができたら嬉しいですっ」


サクラは両手を胸の前でぎゅっと握って、やる気に満ちた眼差しでティアを見上げた。

その真っ直ぐさが眩しくて、ティアは目を逸らす。


「……あっそ。で? 今日のところは何すりゃいいんだよ? 無駄話ばっかして時間足りなくなっちまうだろーが」


「あっ、はい! では今日は……」


その日、ティアはサクラに習いながら錦糸卵作りに挑戦した。

ティアの錦糸卵は、白身がちゃんと混ざっていなかったり、ところどころ焦がしていたり、切り方も不揃いで酷く不恰好な出来だった。

けれども兄は「美味しいよ。よく頑張ったね」と心から喜んで褒めてくれて、ティアにとっては料理の達成感以上にそのことが嬉しかった。



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