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2.指輪

本編「8ー1.ローレン(その1)」の少し前くらいの出来事

ダイヤの月、初旬。ティアとローレンの自宅。


「ティアに会ってほしい人がいるんだ。来週、できれば数日間、村の宿に一緒に泊まってくれないか?」


「……わかった。その代わり、今週はちゃ〜んとあたしの助手を務めろよなっ」


「ああ! ありがとう、ティア! なんでも言ってくれ!」


兄が新しい女を紹介しようとしていることはわかりきっていたが、拒んだところでまた会わせようとしてくるのもわかりきっていた。

だったら、さっさと会って少しでも早く別れさせてやろう!……そう思って、ティアは兄の頼みを受け入れた。


ティアもローレンも学者であり、普段は亡き母から引き継いだ古代史の研究をしている。

古文書の記述から遺跡の位置を推測したり、古代人の暮らしぶりについて考察を深めたり、古代魔術の再現をしてみたり……

心の赴くままに広い範囲を対象としているのは、人間より時間的に余裕のある長命種の特権とも言えるだろう。

強いて興味の傾向を言うなら、兄は宗教や伝承などの文化寄り、妹は魔動機や建築などの文明寄りといった感じだ。


特にティアは、古代の魔術式や魔動機に独自の解釈を加えて再構築する才能に長けており、危険区域での無人作業を可能とした新型ゴーレム、簡易式飛行移動板なども開発し、かなりの財産を築いてきた。

兄の研究の方は赤字になることもあり、兄妹2人分の研究費用も生活費も、大半がティアの稼ぎから出ていた。

ティアが仕事で養い、ローレンは家事を担ってきたので、ティアからすれば兄は『自分の嫁』という認識だ。


既に人間の一生涯分以上の期間を、ずっと2人で支え合って生きてきたのだ。

今更突然現れた他の女に掻っ攫われるなど、あっていいはずが無い。

兄は絶対に自分のものだ‼︎……ティアはそう確信していた。


「ああ、そうだ! ティア、ちょっと手を出してごらん」


「?」


ティアが言われるままに右手を差し出すと、ローレンが薬指に指輪をはめた。

小さな花の意匠が施された、いささか少女趣味の過ぎる可愛らしい指輪だ。


「……うん。思った通り、ティアの指にはピッタリだ」


「あっ、あっ……な、なんだよ急に⁉︎ こんな指輪……っ」


「気に入らなかったかい? 今回のお願いごとを聞いてもらうお礼ということで、受け取ってもらえると嬉しいんだが……」


「ま、まあ、お兄がそう言うなら……全然あたしの趣味じゃないけど、受け取ってやるよっ!」


「それは良かった! ティアは本当に心の優しい女の子だね」


「な、撫でるなよぅ……っ」


ティアは口では文句を言いつつも、内心では兄から婚約指輪を贈られたような気分に浸って、1日に何度もその指輪を見てはにやけて過ごすのであった。


***


翌週。村の温泉宿、中庭。


「紹介するよ、ティア。こちら、オレの婚約者のサクラさん」


「さ、サクラですっ……不束者ですが、よろしくお願いします……っ」


ローレンに肩を抱かれた童女は、ひどく緊張した様子でおかっぱ頭をぺこりと下げた。

直前の兄の言葉をまだ呑み込めずにいるティアに、ローレンは落ち着きながらもどこか嬉しさを隠せない声で続ける。


「サクラさんはこの宿の仲居さんで、女将さんのニナさんの義姪。診療所のカオルコ先生の娘さんだよ。鍛冶屋のカヅキさんは叔父で、父親代わり。カヅキさんとニナさんの娘、モモさんとは従姉妹同士になる。今は名前だけ聞いても覚えられないだろうけど、夕食時に全員と顔合わせになるから、その時には覚えてくれよ? オレが婿入りしたら、ティアも親戚になるんだから」


まったくの晴天の霹靂。

呆然として言葉も出ないティアの眼前で、兄は童女に顔を寄せてうっとりと見つめ合う。


「それではサクラさんは仕事へ戻って。今はまだティアも何を話していいかわからないようだし、オレは夕食までティアに村の案内をしてくるよ。夜にまた改めて両家の親睦を深めよう」


「は、はいっ……それではティアさん、失礼します……っ」


童女サクラはティアに向き直って一礼すると、のぼせた顔を両手で押さえながら小走りで館内へ戻っていった。

その指に光る指輪を、ティアは見逃さなかった。

一瞬だったが、ティアが貰った物によく似ていた上に、サクラのものの方がより洗練されて高級に感じられた。


「ふふっ……本当に可愛らしい女性だろう? それにとても純粋で素直な心の持ち主だ。きっとティアも、彼女のことを気にいるはずだよ」


幸せそうに微笑んでいる兄。

ティアは息をするのも忘れるほど驚いて、ただただ目を見開いて口をパクパクさせていたが、やっとの思いで震える声を絞り出す。


「…………は⁇⁇ 何言ってんだよ、お兄⁇ あんなの『女性』じゃなくて、完全に子供じゃねーか……冗談だろ⁇」


「そんなことを言ってはいけないよ、ティア。彼女も気にしているんだ。サクラさんたちの国の人は、平均的に小柄で童顔で、この国の人たちと比べると確かに幼く見られがちだ。でも、ああ見えてちゃんと結婚できる年齢の女性なんだよ。内面はしっかりしている。……まあ、オレも最初は戸惑ったから、ティアの気持ちはわからなくもないけど……女性は見た目で判断するものじゃないからね」


「実年齢で判断すりゃいいもんでもねーよ! 肉体年齢考えろ! 結婚できる年齢だからって、あんなチビっ子に手は出さないだろ⁇ 今までのお兄の彼女はさ、どいつもみんな、もっとちゃんと普通に女だったじゃん⁇ あ、あたしのこと揶揄ってんだろっ‼︎ さっきのガキに小遣いでもあげて、グルになって揶揄ってんだ! そうに決まってる!」


ティアは企みを見破ってやったぞと安堵の息をついたが、兄は真面目な表情で首を振る。


「突然驚かせてすまないと思ってる。でも、兄ちゃんは本当に結婚するんだよ。籍は年内に入れて、来年の花見の時期に挙式予定だ。既にカオルコさんたちからお許しを貰って、こちらの家で同居することに決まったんだ。……研究はやめて、回復魔法を活かして診療所を手伝う。ティアには寂しい思いをさせることになるが、今後は家事も自分でやってくれ。オレもなるべく様子は見に行くから……」


「ふざっっけんじゃねぇ‼︎‼︎ そんな急に、何勝手に決めてやがんだ⁉︎ あたしに黙って、お兄ひとりで全部‼︎ そんなの認められるわけねーだろ‼︎……そもそも今までの女は付き合ってるとかまでで、結婚するなんて話になったことは無かったじゃん⁉︎ それがどうして急に⁉︎ 交際報告すっ飛ばしていきなり結婚なんだよ⁉︎⁉︎」


「ティア、頼むから落ち着いてくれ。女将さんたちに聞こえる……」


「じゃあ答えろよ⁉︎ なんで急に結婚なんてするんだよ⁉︎」


「……避妊しなかった」


兄から返ってきたのは、ティアの予想し得ない最低の返答だった。


「……は⁇………………はぁ⁉︎⁉︎……な……んだよ、それ⁇ は?……孕ませたってこと⁇」


「いや、妊娠したかはまだわからない。でも、可能性がある以上、彼女の体裁も考えてすぐに明確な形で責任を取るべきだと思ったんだ。それに、彼女の家族からのオレの印象にも関わるし……」


「んなもん、どう考えたって最悪だろうよ……」


「実際、彼女の叔父さんにはかなり渋い顔をされたよ……それでも女性陣は皆歓迎してくれて、丸く収まったんだ。皆さんとても良い人たちだよ。叔父さんだって、彼女を実の娘の様に心配していたからこその反応だったし、とても愛情深い人なんだ」


「で⁇ 大して好きでもないのに、うっかりやっちまったから、仕方なく結婚するって?……あほくさっ」


ティアは泣きそうになりながら、懸命に虚勢を張って鼻で笑った。

しかし、その声だけでなく体もひどく戦慄いて、立っているのもやっとの状態だ。


「それは違うよ、ティア。彼女となら結婚してもいい、結婚したいと思ったから、オレは彼女を抱いたんだ。……確かに、避妊しなかったことは結婚を急ぐ理由にはなった。けれども、結婚する理由はそうじゃない。オレが彼女に愛を誓って添い遂げたいと思ったからだ」


「っ……そんなことありえねーだろッッ‼︎ だってお兄、去年まで他の女と付き合ってたじゃん……あのガキとそんなすぐそこまでの仲になってるわけねーじゃん! 今まで何年も付き合った女とだって、何度も別れてきたじゃん! いつも、いつも、どの女とも、必ず別れてきたじゃん……ッ」


いつだって必ず最後はあたしのところに帰ってきたじゃないか!

女と別れる度に「やっぱりオレはティアが1番大切だ」って言ってたじゃないか!

それなのに……それなのに……


抑えきれないし表にも出しきれない、怒涛のような怒りと悲しみがティアの中で暴れて、もう限界だった。

ティアは涙が溢れる前にその場にしゃがみ込み、顔を伏せて唇を噛み締めた。

ローレンはすぐに寄り添って座ると、震える肩を抱き寄せ、宥めようとする。


***


実のところ、彼女から想いを寄せられていること自体は、しばらく前から気付いていたんだ。

あからさまな態度だったし、モモさんと話しているのが聞こえたこともあったからね。

それでも、ティアが言うように、オレにも彼女は幼すぎるように見えた。まだ対象外だった。

だから、もっと大人になるまで様子見するつもりでいたんだ。心変わりするかもしれないしね。


でも、あの花火大会の夜……彼女の方から告白しに来たとき、断れないと思った。

だからひとまず受け入れて、でも、まだ最後までしようとは思ってなかった。

焦らず彼女が成長するのを待って、ゆっくり関係を深めていこうと考えていたんだ。


けれども、彼女の決意はオレの予想より遥かに固いものだった……

彼女がオレを好きになったのは、オレが気付いたときよりもずっと前。しかも初恋。

彼女がこの村に引っ越して来たばかりの頃、宿の客だったオレに一目惚れしたそうだ。

……自分で言うのは照れ臭いが、幼い彼女にはオレが御伽噺の王子様のように見えたそうだよ。


生憎、そのときオレは当時の恋人と宿泊していて、彼女の初恋は1日で失恋に変わった。

だがその翌日、オレは当時の恋人と些細な行き違いから別れてしまってね……

それを知った彼女はオレに、大人になったら結婚してほしいとねだったらしい。


そしてオレは軽率に、将来彼女と結婚する約束をしてしまったようだ。

……ティアだって小さい頃は「大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになる」って言ってたくらいだし、子供が言うことだからとオレは全く本気にしていなかったんだろう。

そんな約束のことはすっかり忘れていたし、正直、言われた今になっても思い出せないんだ。


でも彼女は……その約束以来ずっと、一途にオレだけを想い続けてくれていたらしい。

彼女が生まれてから今までの人生の内、半分もの期間をずっと。

短い人間の一生の内、その割合は決して小さくはないはずだ。


……その話を聞いたとき、オレの中で明確にある欲望が起こった。

彼女という人間の人生の、恋の初めから終わりまで全部を、オレだけで独占してしまいたいと。

未だオレ以外の恋を知らない彼女を、このまま完全に自分だけのものにしてしまいたいと欲したんだ。


だからこれは、流されたのでもなく、一時の気の迷いでもなく、間違いなくオレ自身の欲望だ。

オレは、サクラさんと結婚したい。結婚するんだ。


***


「………………」


「ティア……優しいティアなら、兄ちゃんの気持ち、わかってくれるよな……?」


黙って項垂れている妹の手を、ローレンはそっと包むように握った。

ティアは握られた手の指輪を見つめる。


「……この指輪ってさ、本当はあの女に買ったもの?」


「ああ、これか……うん。実は露天商から買ったとき、サイズを間違えてしまってね。すぐに気付いたんだが、返品は受け付けてくれなかったんだ。でも、ティアにならちょうどいいかと思って」


「……それで? あの女には……?」


「心配しなくても、より彼女に似合う物を買い直したから大丈夫だよ。……それにしてもティア、その指輪、ずっと着けててくれたのかい? そういう少女らしいものも、やっぱり好きだったんだね。その指輪の花は撫子。サクラさんたちの故郷では、淑やかな美人のことを『大和撫子』と呼ぶそうだ。カオルコ先生のような人がその手本で、サクラさんも目標としているらしい。これからはティアもサクラさんのように、大和撫子を目指してくれると兄ちゃんは嬉しい……」


バキッ‼︎


「バカにしやがって‼︎‼︎」


ティアは指輪を嵌めた拳で、思いっきりローレンの横っ面を殴り飛ばした。

それから指輪を外すと、中庭の池めがけて大きく腕を振りかぶる。


ビュン!…………ポチャンッ!


「あっ……ティア! あの指輪、気に入ってたんじゃ……⁉︎」


「いらねーよ、あんなもん‼︎ お兄のバーカっ‼︎ 結婚でも婿入りでも勝手にしちまえ‼︎」


「ティア……」


ティアは客室に戻った後、窓からこっそりと中庭の様子を伺った。

兄は沈んだ指輪を見つけようとしばらく池を覗き込んでいたが、そのうち婚約者がやって来て、連れだって何処かへ行ってしまった。


生まれる前からずっと一緒の双子で、生まれてからもずっと一緒に生きてきた。

兄を想い続けた期間の長さも、想いの強さも、絶対誰にも負けていないのに。

ティアは納得できなかった。



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