20.落日
回想が終わって『0.爺と女』の後の場面になります。
そして、現在……
「……イサナ……」
微睡の中、シドが懐かしい香りを抱き寄せると、腕の中にいたのはサーシャだった。
いつの間にか西日の差し込む時間になっていた部屋で、香水が妻のものによく似た香りに変化していたのだ。
「……悪い、サーシャ。寝ちまってた……」
紅潮したサーシャをシドが腕から解放すると、サーシャは筆談用具を取り出す。シドが寝ている間に取りに戻ったのだろう。
かきかき……
『奥さんの夢を見てたの?』
そう書いたメモを見せながら、サーシャはシドの濡れた頬に触れた。
老いたシドの皺だらけの肌を、若いサーシャの瑞々しい肌が撫でる。
「ああ。婆様や、息子や……それ以外も……昔のことを色々な…………」
「…………」
かきかきかき……
『可哀想なシド。私なら絶対、寂しい思いはさせないのに』
「大切な故人との過去に愛着し続けることを、他人の物差しで不幸だの間違いだの計られるのはまっぴらさ。そこには間違い無く幸福があるのによ。……婆様が教えてくれた……本物の幸と不幸は相殺しない、どちらもずっと残り続ける。……オレも婆様も不幸なだけじゃない、確かに幸せだった。そして遺された今、想い続ける幸福だってちゃーんとある」
「…………」
直接心へ入り込もうとするかのように、サーシャはシドの胸にピタリと身を寄せた。
白髪の無い艶やかな髪を梳きながら、シドは優しく語りかける。
「サーシャ……どんなに想ってもらっても、オレはお前の気持ちには応えられねぇ。年寄りのオレだから若いお前に遠慮してるのも勿論あるが、それだけじゃねぇんだ。それ以上にオレが、どうしても死んだ婆様への想いを譲れねぇ。オレはどうしようもないクズ野郎だったが、せめて婆様への一途さだけは貫いて、あの世で再会したときに褒めてもらいてぇのさ。そんで、もし生まれ変われるなら、やっぱりオレの女は婆様以外に考えられねぇ。…………諦めろ」
「………………」
サーシャは涙を拭って、再びメモを取り出す。
こうしてサーシャの筆談が通じるのも、亡き妻がシドに字を教えたおかげである。
かきかきかき……
『私がこんなにシドを好きなのは、奥さんの生まれ変わりだからかもよ?』
「そんならオレが生まれ変わるまで待ってろ」
かきかき……
『そしたら私、お婆ちゃんになっちゃう!』
「オレは歳上好きだからちょうどいいさ」
笑って冗談を返すシドに、サーシャは不満気に頬を膨らませる。
またいつも通り、これからも変わらない2人なのだろう。
シドは起き上がると、棚からオカリナを取り出し、妻の好きだった曲を巧みに奏で始めた。
音楽好きの妻の調子が良いときには、彼女の美声に合わせてよく演奏したものだ。
海賊時代、娯楽の少ない船上で楽器を趣味とする者は多く、シドもその1人だった。
悪いことばかり覚えたはずの海賊生活で習得した、数少ない良い技能の1つである。
ガレオス船長の前で、あのマーリンともよく競い合ったものだ。
♪〜〜♪♪〜〜♪〜〜
窓から見える海に、ゆっくりと夕日が沈んでいく。
妻の好きだった音楽と、妻の好きだった景色。
背中に寄り添うサーシャの気配を感じながら、シドは妻の最期にもこんな時間を過ごせばよかったのだと後悔した。
……音楽は良いものよ。自分で言葉に出せない感情を曲調や歌詞に託すこともできる。それに、連なる音の流れは時間を先へ運んでいくのだから、1人の時間も空虚にせず進めてくれるもの……
生前そう話していたこともある妻は、自分を待ちながらどんな音楽に心を寄せていたのだろう?
サーシャが年下、小柄貧乳、声が出せないので、対照的にイサナは年上、長身巨乳、美声に設定しました。
次回はティア編予定。
秋更新予定だったのですが年内は書く余裕無いので来年に延期します……