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18.悪あがき

夫婦の寝室。

寝台で眠るイサナを、家族とエリカが取り囲む。


「どういうことだよ、医者先生⁉︎ ずっと落ち着いてたのに、なんで急に⁉︎」


「さっき説明した通りです。急ではありません……寧ろ今までが奇跡だった。イサナの体内魔脈では、いつこうなってもおかしくなかったのですから」


不安定だったイサナの体内魔脈がとうとう暴走し、イサナ自身の体を蝕み始めたのだ。

この奇病に治療法は未だ無く、進行を遅らせることはできても、助かる見込みは無いという。


「チッ……もう引退した元医者先生だったな。そんなこと言って、本当はあんたの腕が悪いのをイサナのせいにしてんじゃねぇのか?」


「やめろよ父さん! いくら自分の無力さに腹が立つからって、エリカ先生に八つ当たりするな! 先生が早めに退職したのは母さんに専念してくれる為だったの、父さんだって気付いてただろ? これまでのカルテの山を見てみろよ……こんなに熱心な方に失礼だぞ。それに、村の他の医者もエリカ先生と同じ意見なんだ。残念だけど、母さんはもう……」


「黙れ‼︎ ファド……てめぇは自分を産んだ母親のこと、よくもそんなあっさり諦められるな⁇ そもそもイサナが急に体調を崩したのは、お前が連れてきた嫁のせいじゃねぇのか? 碌に家事もできないあいつが、料理に何か悪いものでも……」


「いい加減にしろよ! 彼女は身重の体なのに、早くここでの暮らしを覚えようと頑張ってくれてるんだ! それなのによくも……」


「2人とも静かになさい。イサナが起きます……こんな話、聞かせたくありません。それと、お嫁さんにも余計な不安を与えないように。イサナだって、孫の顔を見るまでは生きようとしてるんですから」


「「………………」」


孫の誕生まで約20週、イサナの余命は1年も無かった。


***


数週間後……


「ねぇ、あなた……私はもう充分生きたわ。あなたと結婚して、ファドも生まれて、とても良い人生だった。もういいの。もういいのよ……」


「よくねぇよ……まだこれから孫も生まれて、その成長も見守るんだろ? ファドたちが親の立場で躾ける孫を、祖父母の立場からベタベタに甘やかしたりしてさ、簡単に懐かれてズルいだなんてファドに怒られたりして……そのうち反抗期がきて孫がそっけなくなった時は、ファドたちにファドの子供の頃の話でもして、先輩顔で助言なんかしてやろうぜ? 今は頼りないあの嫁も、その頃にはきっといい母親になってるだろうよ……ま、お前には敵わねぇけどな。ははっ」


「ふふふ……そうねぇ……きっと素敵ね、孫のいる老後なんて……夢みたいだわ。私の分も、あなたは孫たちとの時間を過ごしてくださいね」


「オレだけじゃねぇよ、イサナもだ……絶対、絶対に……これからもオレたち夫婦は一緒に生きてくんだ、ずっと……」


「ええ、そうね……この体が無くなっても、心はずっとあなたといるわ」


「イサナ……」


「ゴホッ……ゴホゴホッ……ごめんなさい……疲れちゃったから、今日はもう寝ますね。おやすみなさい……」


まだ昼だというのに、妻にはもう時間の感覚も覚束無い様子だ。

寝巻き越しに透ける背中には、症状の進行を遅らせるために小さな魔石が幾つも打ち込まれている。

綺麗に伸ばしていた髪はバッサリ切ってしまった。大好きだった鼻歌ももう聞こえてこない。

急に皺の増えた顔は青白く、近寄って寝息を確認しないと生きているのか不安になる。


「イサナ……オレが絶対に助けてやるからな……‼︎」


シドは皆の反対を押し切り、治療法探しの旅に出ることに決めた。

心配する妻に何度も口付けて、シドは行き先も教えずに旅立った。


***


翌月。風の国、山奥。


ガッ‼︎


「ヒィッ⁉︎」


「いいか? 動くんじゃねぇ。死にたくなけりゃ、あんたの研究所の研究内容について、オレの質問に正直に答えるんだな……ま、コイツを使えば嫌でもお喋りになれるぜ?」


顔を布で覆った山賊風の男が自白剤の小瓶を目の前で揺らすと、捕らえられた研究員はブルブルと震えながら頷いた。


一方、捕らえている方も微かに震えていた。季節は冬。雪化粧した山は髪も凍るほどだ。

その上、そこら中に切り立った崖だらけの地形であるため、雪で気付かず谷底へ真っ逆さまの危険もあった。

晴れている時はまだマシだが、雪の降る時などは視界が真っ白になり、移動するのも一苦労である。


***


「チッ……またハズレか……!」


情報を聞き出し終えて、研究員を解放した山賊風の男……もといシドは、顔を覆っていた布をずらしながら、持っていた地図に新しいバツを書き加えた。


海賊時代の知識を活かし、海路から風の国へ密入国したシドは、山奥の隠れた研究施設をいくつも探し当てては、関係者を次々に襲撃していた。

風の国の山奥には公にできない研究を隠れて行っている施設が多く、時計教で禁忌とされている人体解剖による医術研究も行われているらしい……と、海賊時代に聞いたことがあったからだ。

その研究方法故に公表されていないような治療法が、どこかの研究施設にあるかもしれない……そう望みをかけたのだ。


「この歳になっても暴力的な手段に頼るのがオレにはお似合い、か……」


妻に釣り合う善人になりたかったはずなのに、更生も虚しく、結局また悪行を重ねている自分自身に呆れ、軽蔑するシド。

でも、それ以上に救いたい気持ちの方が強いのだから、綺麗事はもう諦めた。

何かに強く執着する人間が社会の中で嫌われる傾向にあるのは、こんなふうに自分の大切なものの為ならその他を顧みない行動にも出るからかもしれない。


それでもいい。世界中を敵に回したっていい。

例え、肝心の妻からも軽蔑されることになったとしても。

妻への愛だけが自分の中で誇れる唯一のものでいい。


愛する者のためなら、なんだってやれる。


自分を成している要素から捨てられるものをどんどん削っていっても、必ず最後まで残る、自分が自分である1番重要な部分……それは間違いなく、妻への強い執着なのだ。


「イサナ……お前のいねぇ世界の生き方なんて、オレにはもうわからねぇよ」


シドはぐっと目を擦ると、顔の布を巻き直し、次の標的を求めて山道を駆けた。


***


ガガガッ‼︎‼︎


「ぐあああッ‼︎」


「うわああ⁉︎ あっ、あっ、あなた大丈夫ですか⁉︎ し、しっかりしてくださいっ……ああ、これは怪我よりも毒が厄介だ……でも、死なせません! 僕の勤める研究所で、すぐに治療しますからっ!」


何週間も研究所関係者狩りを続けていたシドは、その日、魔物の群れに襲われている研究員を見つけ、情報を聞き出す為に助け出そうとした。

ところが長い山籠りの疲労のせいで、死角からの攻撃を受けてしまったのである。

辛くも相打ちで魔物を追い払ったシドだったが、傷口から受けた毒が疲れた体に回り、危うく死ぬところだった。

それを、シドに魔物から助けてもらったと思った研究員は、自分が狙われていたことなどつゆ知らず、必死の看病で治したのである。


そして……


「体内魔脈の自己侵蝕を防ぐ研究でしたら、僕の知り合いの研究者夫婦が詳しいはずですよ。遠い親戚に同じ症例の方がいらっしゃるとかで、その方の為にも精霊学、薬草学、魔鉱石学、魔術式学などの見地から、様々な試みをなさっていると聞きました。親戚の方は幼い頃に発症なさってから今日まで、もう何十年も健在だそうです」


「頼む‼︎ その夫婦を今すぐオレに紹介してくれッッ‼︎ 一刻を争うんだ‼︎」


「ひゃあ⁉︎ そんなに興奮しないでください! あなただってまだ回復しきってないんですからっ」


「オレのことなんかより、絶対に助けなきゃいけない人がいるんだ‼︎」


偶然にもその研究員の紹介で、イサナが患っているのと同じ奇病を研究している夫婦に行き着いたのである。

ところが……


「残念ですが、自分たちの研究では奥様の症状進行を止めることはできません。今のところ、体内魔脈の自己侵蝕を止めるには、二次性徴が完了するまでに体内魔脈に魔石を打ち込んで魔術式を施し、以降の体の成長と引き換えに症状進行を止める方法しか見つかっていないのです。奥様の御年齢では……」


「そんな……」


「ですが、少しでも進行を遅くする為、可能な限り尽力しましょう。自分たちも、伴侶を想う気持ちはよくわかりますので」


「ええ、そうです。私たち夫婦もすぐに準備をして向かいますので、どうかあなたは一刻も早く奥様のもとへ帰ってあげてください。きっと誰より傍に居て欲しいと、お待ちし続けているに違いありません」


「………………」


妻を助けられないことを受け入れられないシドだったが、既に孫の出産予定日も過ぎており、これ以上奇跡を乞う時間は残されていなかった。



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