4.呪い
「あなたにお客さんよ」
人のいない教会で、灰色少女が唐突に言った。
神父は頭の芯が痺れるような眩暈と悪寒がして、懺悔室の方を見た。
何か、いる。
姿は見えないが空気が異様に重く、時空が歪んでいるように感じる。
「ど、どうすれば……?」
「中に入って。確かめれば去るはずだわ」
「去らなければ……⁇」
「…………」
灰色少女は問いかけに答えず、ただ真顔で神父を見つめた。
神父の足は逃げ出したい衝動に反し、ゆっくりと懺悔室へ向かう。
処刑台に進むかのような心地だ。
そもそもこの神父はただでさえ懺悔室が大嫌いだった。
赦しを乞いに来る者も。赦しを与えることも。
結局は自己完結でしかないだろうと軽蔑していた。
神父は中に座ると、両手を祈るように組んで俯いた。
顔が上げられない。汗が噴き出る。気持ちが悪い。
口から自分の中身を全て吐き出して、そのままひっくり返って裏返しになってしまいそうにさえ思えた。
狭くて逃げ場の無い懺悔室の中は、小さな隙間だらけの木製格子窓に区切られていて、顔を向ければすぐ隣に相手の姿を見ることができる。
神父はそちらを見ずに時間が過ぎるのを待とうとしたが、ふと何かが動く気配を感じ、反射的に振り向いてしまう。
「⁉︎⁉︎⁉︎」
瞬間、神父は喉が潰れたように苦しくなって、叫び声を上げることも叶わなかった。
格子で隔てたすぐ向こうに、負のオーラの塊のようなものが見える。
あまりの悍ましい光景が頭の処理限界を超え、神父は気を失った。
***
気がつくと、神父は寝室に寝かされていた。
起き上がってズキリと痛む頭を押さえると、声ではなくイメージで伝わった『ロロノレ』という記号だけ憶えている。
「気分はどう?」
「……最悪」
「でしょうね」
「わかってるのに訊かないでください……」
灰色少女はサイドテーブルのランプを点けると、ベッドに腰掛けた。
その膝上には神父の日誌が開かれているが、神父は彼女に読まれて困ることもないので咎めなかった。
「先程のあれは一体……?」
「あれはこの世界を創造した神」
「!」
「の、残留思念ってところかしら。本物はもうとっくに滅んでいるわ、あの神のいた世界諸共ね」
「神が……死んだ……?」
「というか、アレ、本当は神と呼ぶべきじゃないのよ。今は便宜的に神と呼んでいるだけでね。あの神は一応創造主ではあるけど、この世界の人々が思い描く神とは全然別物。この世界で信仰されている神の概念は、あの神のいた世界で信仰されていた神様の設定を部分的に流用したものに過ぎない。あの神自身は、その世界では神でもなんでもないただの人だったそうよ」
「神?……のいた世界……⁇」
「それはもう、ここよりもずっと酷い世界だったそうよ! 私も知りたくなかった……といっても、本当の意味で知ることは不可能なの。この世界にあの世界の汚さ醜悪さを再現することは不可能だから。無駄だらけで情報過多だし、この世界の私たちが認識できる範囲に無いのよ。だからさっきあなたも気絶した。私たちが知り得るあの世界の情報は、記号化という加工によって生々しさを除いたものに限るわ。実感することはできないし、しなくていいの」
「……抽象化された範囲で何を知ったのです?」
「魔法の有無は勿論だけど……他に生活面での大きな違いは『排泄』に関してね」
「は……?」
「私たちは取り入れた食物をその直後なら吐き出すことも可能だけど、基本的には体内魔脈でエネルギーに変換して完全消費するでしょう? でも向こうは世界を構成する物質が全然違ってて、食物も人間も構造が全く異なっているの。あちらでは残りカスを体内に溜め込んで外に出さなくてはならない。それがとても汚く臭く処理にも困るんですって。あの神はこの世界を創造する際にその苦労を除いた。おかげでこちらに下水処理の問題は無く、育児や介護もずっと楽らしいわ」
「……無いものの想像は難しいですが……つまり創造主は、自身の身を置く世界より、この世界をより良くすべく配慮していたということですか?」
「ええ。元々本人が住みたい世界、理想郷として創りはじめたそうよ。でも結局こちらへの移住は望まなかった。何故なら、自分より劣った者は勿論、自分のような者さえも存在しない世界、少なくとも自分より優れた者たちだけが存在し得る世界を望んでいたから。あちらの世界の穢れを持ち込みたくなかったんだわ」
「でもっ……おかしいじゃないですか、この世界はこんなに不幸に溢れている! 仮にあちら側よりマシだとしても、理想郷とは呼べないはずだ!」
「そうね、住人側にとっての理想郷ではなくなってしまったわ。あの神はこの世界を愛し、皆の幸福を願っていたはずなのに……その一方で結局、歪みも持ち込んでしまったもの。あの神は、人間の思考能力にこそ価値があると考えていた。それも、結果を導き出すことを評価するより、考え悩む過程に魅力を感じる傾向にあった。故に、人々の苦悩する姿を見たがった……」
「苦悩する姿を愛するということは、幸福な者を愛せないということですか? そんなの狂ってる! 人々の幸せを願っておきながら、それが叶った途端に今度は逆のことを願うなんて……」
「逆のことなど願わないわ、あの神にこちらへの憎しみはないのだから。ただ、執着しなくなるだけ。見届けて、納得して、安心すれば興味が無くなる。きっとこの世界の全てが幸福を叶えたとき、執着の化物とも呼ぶべきあの残留思念も消え去って、この世界は真に完璧になるのでしょう」
「この世界は一体なんなんだ……」
「箱庭であり、実験場。永遠、不変、真実、そういうものを試される……この世界は0から始まったわけではない。今が100とすると10からはじまって、0〜10までのことは実際に起こったのではなく設定上の歴史にすぎない。そして、そういったことは一部の人物の存在そのものについてもあり得ること」
トンッと、不意に灰色少女は神父の胸を突いてベッドへ倒した。
少し湿っぽい枕へ頭が沈むと同時に、神父は急激な眠気を覚える。
「あなたはあの神に気に入られている故に、呪いをかけられて試されているの。私はそれを見届ける使命を与えられている。あなたが変われば、呪いも使命も終わる。全てを教えることはできないように決められているから、私にできるのはヒントを与えて揺さぶるくらい」
「呪い……? ヒント……?」
「あなたは今何歳?」
「さあ? 元は孤児でしたので……はっきりとした年齢や生年月日はわかりません」
「前の教会で何年過ごした? ここへ来たのは何度目の転勤かしら?」
「はっきりとした年数や回数は思い出せませんが……まあそれなりに長く神父でいますね」
「戦争があったのはいつかしら?」
「もう大昔のことですね……」
呪いで時間についての思考が阻害されている神父はそれでも何も気づけない。
自分の罪を本当の記憶だと信じて疑いもしない。
無自覚の不老不死者は永遠に懺悔を止める気がない。故に灰色少女の使命は終わらないのだ。
「何度でもお茶会をしましょう」
おやすみの代わりにそう言うと、灰色少女はランプを消した。
***
夢の中で神父が次回のお茶請けのリクエストを聞き損ねたことを後悔していると、「タルトタタンとフロランタン」と声がしたが、神父はその名前は知らなかった。
この番外編に出てきた創造主の神と、本編中に出てきた各地域の神(地の女神、水の女神など)とは別物です。
その説明は別の番外編でアリスにしてもらう予定です。
なるべく偶数月更新予定でしたが、冬の間多忙なので次回更新は遅くなるかもしれません……